『呪縛』

○第3話○ 乾と巽(その2)








「何て格好で廊下を彷徨いているんだ!」

「へっ!?」

 呆然と立ちつくしていると、突然の怒声が背中から降りかかる。
 乾は後ろを振り返り、声の主に誤魔化すようにヘラッと笑いかけた。

「お〜、巽!」

「挨拶はいい! なぜ裸でこんな所に突っ立ってるんだっ!? ・・・・・・もしかしてまた女に追い出されたのか!? ・・・そうか・・・お前という奴は」

 生まれたままの姿で廊下に立つ乾の姿を見ながら自問自答し、眉間に皺を寄せて説教を始めたのは巽という男だった。
 彼は軍服を着たままで書類を片手に持っている。
 こんな深夜になるまで何かしらの職務をこなしていたのだろう。

 しかしそれもいつも通りの事だった。
 乾はさほど悪びれた風もなく更にヘラヘラと笑う。
 恐らく通っている女性を怒らせて、裸のまま追い出されるというのは過去にもあることなのだろう。
 今回は違うと弁解をしたとしても、果たして信じてもらえるかどうか・・・大体今夜の女も一夜限りと思っていたわけで。

 少々考え、弁解も面倒だと思った乾は、巽の勘違いをそのまま受け入れてしまうことにした。


「なぁなぁ、わかったからさぁ、何か服貸してくれない?」
「・・・・・・仕方ないな」

 巽はあっさり説教をやめて自分の上着を脱いで乾に手渡す。
 だが乾はやや悩んだ様子でその軍服を見つめ、チロリと巽を見やった。

「なぁ・・・」
「なんだ」
「・・・上着だけ着て下真っ裸で歩くのって変態っぽくない?」
「そうだな」
「俺のプラプラしてんの見えちゃうじゃん、恥ずかしいじゃん、誰かに見られたら俺立ち直れない・・・それともオマエ俺の見たい? オマエがそこまで言うなら恥を忍んで」
「・・・上着で前を隠せばいいだろう?」
「おぉっ、巽くん、天才!!」
「・・・・・・お前よりはな」

 乾の下品な台詞にも引くことなく答えてやる巽は相当面倒見がよかった。
 心の中で呆れていたとしても、口に出さずサラリと交わすのは慣れたものというか大人というか。

「あ、そうそう、ちょっと聞きたいんだけどさぁ」

 いそいそと上着で下半身を隠したところで乾が顔をあげる。

「多摩って名前・・・聞いた事あったっけ?」
「あるに決まってるだろう」
「えっ、そうだっけ!?」

 あまりの即答で流石の乾も驚きで目を見開いている。
 そんな様子を目にして巽は『やれやれ』と溜息を吐いた。

「数日前やって来た神子の名だ。陛下の謁見の場にお前も居たような気がしたんだが・・・?」
「あ〜あ〜あ〜っ!!! 道理でどっかで聞いたことあると思ったっ!!」
「ついでに言えばお前は神子を見た途端、男か女かしきりに聞いてきたが・・・」
「そうそうそうっ! 遠くから見ただけじゃ性別が分からなくて、だけど俺の見立てじゃあれは相当な美人だったんだよっ、そしたら男だって言うじゃん!? ・・・一気に興味なくなったから忘れてた」
「・・・・・・そういう奴だよお前は」


 ───この乾という男、多摩を見て男か女かと騒いでいた癖に、当の本人も一見して女顔であった。
 加えて愛嬌と人なつこさだけは人より何倍もある。

 その所為で彼の顔と愛想の良さに最初は皆騙されるのだ。
 が、行動がとんでもない。
 どこであろうと女を口説き、他人の女だろうが好みであればお構いなし・・・幾度も修羅場を経験しているらしいが、一向に行動を改める気配はない。
 結果的に宮殿の中では“ソッチ方面”で要注意人物としてブラックリストの一番上に載っている。

 そして、気に入った女ならどんな障害があったとしてもお近づきになる努力をする乾だが、いくら美人だろうが男には全く興味を示さない。
 『非生産的じゃん!?』
 というのが彼の言い分で、毎夜、彼の言うところの『生産的』な活動の活発さには脱帽ものではあるが・・・。

「ナルホドね〜、多摩・・・・・・ふぅん、おもしろくなりそう」
「・・・どうした? 男に興味を示すなんて珍しいな」
「・・・・・・まぁ、そういうこともあるさ」

 闇に包まれた廊下の向こうを暫しじっと見据える。

 一瞬でいなくなった多摩・・・
 支配する者、される者、この世にはその二つしか存在しないと言い切った。
 そして、あの答え。

 『絶対服従しか道はない』

 ゾクリ、と再び全身が粟立つ。
 あれは“支配者”の眼だった。


「・・・しかし、ありゃあ・・・・・・」


 ・・・・・・生まれた場所を間違ったのか?
 どう見ても“神子”とは真逆の存在だろう?



 乾は心の中だけで呟き、独り楽しそうに口元を綻ばせたのだった。














▽  ▽  ▽  ▽


 翌朝、巽は美濃と多摩の元へと赴くため、早々に起床して軍服を着用していた。
 昨夜は結局乾が彼の邸宅まで着いてきてしまい、渋々ながら泊める羽目になったのだが、迷惑をかけた当の本人は未だ客用に用意された寝室から出てこない。
 恐らく放っておけば昼までこのままだろう。

 巽は諦めたように溜息を吐きだした。

「俺はもう行くが、後で乾を起こしてやってくれないか。どうせ居ても護衛では暇だ暇だと文句ばかりで役にたたん、姫にはうまく言っておくから後で必ず来るよう伝えてくれ」
「はい」

 使用人の一人にそう伝え、巽は屋敷を後にした。


 巽は代々続く侯爵家の跡取りであった。
 同時に彼の家の男子は軍人となると言うのが決まり事になっており、遠い昔から王家を守護する一族として名を轟かせている。
 彼自身、自分の力を大いに活用して前線へと出向き、王の憶えもめでたく、この若さでは異例の出世を遂げていた。

 軍人とは規律に厳しいもので、実際巽の家も例外ではない。
 だが、彼個人の性格として、自身には厳しくあるが親しき者には非常に寛容であるという一面を持っていた。

 本日の任務は確かに姫と神子殿の護衛で、軍人として重要任務と言えた。
 しかし、彼の寛容さがここで働いたのは、自分一人で職務を完璧にこなす自信があり、乾の分までカバーする覚悟があったからであった。

 彼は何故か、乾を友人として認めている。
 どれほど馬鹿なことをやろうが、宮廷内のブラックリストに載っていようが、巽は『困った男だ』といった程度でさほど気にしなかった。
 元々が世間の意見に左右されない強さがあったからかもしれない。




 ───巽が宮殿へ到着したのはそれから半時ほど経ってからだった。
 美濃の部屋へ歩を進めていると、何やら目的の場所がやけにざわめいている。

「何があった?」

 部屋の外で中を窺っている連中の一人に声をかけた。

「・・・あ、巽さま。美濃さまと神子様が言い争いを・・・」

「言い争い!?」

「・・・だと、思うのですが・・・」

「なんだそれは」


 巽は曖昧な回答に眉を寄せ、周囲の者を掻き分けて部屋の中へと足を踏み入れた。





「ダメダメダメダメ、絶対ダメなの〜〜〜〜〜っ!!!」

「・・・」

「多摩が着るのはこっち! そんな地味なのダメ!!」

「・・・・・・俺はそんな派手で動きづらそうなものは嫌だ。いつものでいい」

「ひどぉおおおいっ!! これはっ、これは・・・っ!」

「?」


 悔しそうに涙を溜めて多摩を睨む美濃。
 大事そうに・・・金や銀をちりばめて、ゴテゴテとした無駄に多い飾り物のついた派手すぎる衣裳を抱えて。

 多摩は暫し黙り込み、その様子を見ている。
 ・・・いや、傍観しているといった感じだ。
 だが、一向に話が前に進みそうもないので、巽は内心苦笑しながら中へ入っていく事にした。


「それは美濃様が神子殿の為に特別に作らせたものなのですよ」


 低く麟とした響きを持つ大人の男の声で二人ともドアに顔を向ける。
 こちらへ近づく完璧に軍服を着こなした男を眼にして、美濃が瞳を輝かせ、それに気づいた多摩の眉が僅かに寄せられた。


「巽っ!!」

 泣きそうな顔を笑顔でいっぱいに変えて巽に駆け寄る。
 巽は美濃を前にして穏やかに微笑んだ。

「今日一日ずっと一緒なんでしょ? ホントにホント?」
「はい」
「うれしいっ、あのね、私が父さまに頼んだの、護衛は巽がいいって」
「そうですか」
「でもね、巽は忙しいからむずかしいって。それでね、父さまなんてだいっきらいって言ったら、わかったって言ってくれたの」
「陛下にそんな事を仰ったのですか? さぞかし悲しんだでしょうに・・・」
「でも巽がよかったの、巽がだあぁ〜〜い好きだからっ!」
「ありがとうございます」

 美濃は瞳をキラキラさせ、先程あったことなどすっかり忘れてしまったかのようだった。
 部屋の中央では多摩が何を考えているのか分からない顔でジッと巽を見据えている。
 それに気づいた巽は多摩の前に出て静かに頭を下げた。

「巽と申します。本日はお二方の護衛役を務めさせていただきますので、宜しく御願いいたします」

「おまえが巽か」

「・・・私をご存じですか?」

「いや、・・・では行こう。俺の支度は出来ている」

「ダメェ! 多摩はこっちを着るの〜!!」

「嫌だ」


 余程美濃の持つ衣裳が気に入らないらしい。
 再び話が堂々巡りになってしまった。

 暫し二人の会話を黙って聞いていた巽だったが、これ以上の進展は見られないと考え、仕方無しに口を挟むことにした。

「どうしてもそれを着るのは嫌ですか? 姫様のお気持ちですので今日だけ着ていただけないでしょうか・・・」

「・・・美濃の気持ち?」

「神子様の為に姫様が全て考えたものだと聞いております」

「・・・・・・・・・これが、か?」

 多摩はチラリと美濃の腕の中の衣裳を見た。
 ごてごてとした装飾が色々付いていて重そうだし動きづらそうだ。
 はっきり言ってそれ以外なら何を着ても良い・・・そう思った。


 だが・・・・・・
 美濃の涙目で縋り付くような瞳を一身に受け、多摩はフイと視線を逸らし少々考えた。
 嫌なものは嫌だ・・・

 彼は憂鬱そうに溜息を吐き出す。


「今日だけだ、宴が終わったら直ぐ脱ぐ。早くそれを寄越せ」

「う、うんっ!!」

 ぱあぁっと途端に笑顔が咲き、美濃は嬉しそうに衣裳を抱きしめると、それを多摩に手渡した。
 何故気が進まないものを受け入れようと言うのか・・・
 普段の多摩なら一度拒絶したものを覆すなど有り得ないのだが、訳の分からない感情が先回りして、らしくない行動をとってしまった。


 ただ、着替えている最中、美濃はとても嬉しそうで・・・
 その笑顔は多摩にとって不快なものではないから、こんな衣裳なのに、それ程苦にならなかった───









その3へつづく


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