『呪縛』
○第3話○ 乾と巽(その4) 宮殿内が落ち着きを取り戻したのは、神託が終了してから随分時間が経過してからだった。 それでもまだあちこちで今日の出来事が話題に上り、かく言う巽と乾も人の少なくなった談話室でもう何十分も多摩の話題を繰り広げていた。 「前回の神託は知らないけどさぁ、俺は多摩って存在は別格だと思ったね」 「乾がそんな風に男を誉めるのを初めて聞いたな。俺も前回の神託は知らないが、確かに今日の光景には圧倒されたが・・・」 「だろ? ここだけの話、陛下より多摩の方が上に見えた」 「おいっ、何という罰当たりな・・・」 「だからここだけって言ってるだろ〜? 多摩がそういう器だと思っただけだよ」 「・・・・・・」 すっかり興奮した乾が楽しそうに多摩について語る。 巽はそれを心なしか不安に思い、それでも黙って聞いていた。 だが恐らく・・・乾と同じ感想を抱いた者は一人や二人ではなかったはずだ。 あの気高さを纏った少年に皆目を奪われ、堂々と美濃と国の未来を語る姿を見て彼に縋りたくなったに違いない。 しかし、それは一方で危険な思考へと繋がる。 今まで神子という存在を単に神託を告げる者としてしか認知していなかった者達の思いが、崇拝に変わったとしたら・・・? 元々神子には多大なる権力が与えられているのだ。 これまでその権力を使うどころか煩わしくさえ思っているようで、都には殆ど姿を見せなかったというだけで。 例え本人に権力志向がなくとも、周囲に持ち上げられたらどうなるか分からない。 そうなれば王族がどうなるか・・・下手をすれば形だけの存在に成り下がってしまう。 巽はそこまで考え、いささか極端な発想だったな・・・と苦笑する。 「まぁ、俺もあの神子殿は輝いて見えたがな」 「だろだろ?」 話を乾にあわせてやると彼はとても嬉しそうに頷く。 普段女にしか興味を見せないのだ、相当多摩を気に入ったのだろう。 そして彼は腕組みをして、ニヤリと笑い巽を流し見る。 妙に何かを含んだ笑いだと思った。 「どうした?」 「俺、今日神託の後、陛下の所へ行ったんだ」 「・・・そう言えば姿が見えなかったな」 「何しに行ったと思う?」 珍しく勿体ぶった話し方に巽は僅かに首を捻る。 そんなことが分かるはずもない。 乾は『さぁな』と言って肩を竦める巽の側に顔を寄せ、彼だけに聞こえるように小さく囁いた。 「多摩が帰るとき、俺は護衛として着いていく。陛下は了承してくれた」 「・・・そうか」 「それから・・・これは陛下にも言っていないんだが」 「なんだ」 「俺は多分、あっちに住むと思う」 「・・・乾・・・っ、・・・それは・・・っ・・・本気か?」 驚き、我が目を疑う思いで乾を見つめる。 頷く乾の目は・・・本気だった。 「・・・なぜだ?」 「聞かない方が良い。今言っても理解して貰えるとは思えないし、頭がおかしいと思われたくないからな」 「どういうことだ。俺は聞きたい」 巽の低い声に、乾はニッと笑う。 そして、そのまま席を立ちヒラヒラと手を振って去っていく。 「乾ッ!!」 「色々ありがとな〜、時々はお前の顔を見に来るからそん時は宜しく頼むよ」 「待て・・・っ」 「また逢えるさ」 「・・・・・・っ」 乾は一度だけ振り返り、 「修行しに行ったとでも思ってて」 陽気に笑い、今度こそ部屋から出ていった。 取り残された巽は、消化されない思いを苦々しく噛みしめることしかできない。 何故突然多摩に着いていく気になったのか・・・ いつもヘラヘラして不真面目な癖に、今日に限って真面目な顔をして・・・ これでは聞き流す事など出来ないではないか。 「・・・・・・・・・どうせ簡単に決めたんだろう・・・?」 それでも、乾が決めたことを反対する事は出来ないと思った。 初めてあんなに楽しそうに自分の進む道を語ったのだ。 巽は幾分寂しげに笑い、流れる前髪を後ろへと掻き流した。 男が一度決めた事に釘をさすべきではないな・・・ そう思い、彼もまた自室へ戻るために立ち上がり、静かに部屋から出ていくのだった。 ▽ ▽ ▽ ▽ ───その頃。 部屋に戻っていた多摩と美濃だったが、美濃はとてつもなく不機嫌で、何度も何度も多摩に対しての怒りをぶつけていた。 「多摩のばかっ!」 本日何度目か分からないくらい連呼された言葉。 それに対しどこまでも落ち着き払った多摩は、美濃の剣幕をただ静観しているだけだった。 「なんで突然神託なんて始めちゃうの!? 一ヶ月後って約束だったのに全然言ってくれないんだもんっ、ヒドイよっ!!!」 「・・・あぁ、そんなことで怒っていたのか。確かに一月後と言われたが、実際神託までの期間に決まりはない。突然だろうがいつかは告げられるものなのに何故心の準備が必要なのだ?」 漸く怒りの理由を知った多摩だが、それでも彼には美濃がどうしてそこまで怒っているのかよく分からない。 「だってその方が緊張が少ない気がして・・・」 「緊張したのか?」 「・・・え? ・・・・・・あ・・・それは」 そう言えばそれどころじゃなかった。 あまりにも唐突だったから、驚きはしたけれど緊張はなかったのだ。 多摩は美濃の反応を見て、クッと笑う。 「緊張がイヤだったんだろう? かえって良かったじゃないか」 「うぅ・・・っ、・・・そう・・・言われると・・・っ」 「そう拗ねるな。俺がここにいるのもあと3日程なのに、ずっとそんな顔でいるのか?」 「えっ!?」 弾いたように美濃が顔を上げる。 「なんだ? 突然がイヤだというから今言ったぞ」 「・・・そ・・・そんな・・・っ」 今度は目を潤ませ、今にも泣きそうだ。 多摩は簡単に変わる表情を興味深げに見ていた。 「多摩は私と一緒がいやだったの? だから神託を早く終わらせちゃったの? 多摩は・・・多摩は・・・私が嫌いなの?」 ポロポロと・・・涙を零しながら多摩を見つめる。 美濃にとって初めて出来た同世代の友達だと思っていた。 それなのに、嫌われていたのだとすればあまりに悲しすぎる。 「嫌い・・・ではない」 「じゃあ、好き?」 「・・・・・・」 その問いに多摩は眉を寄せて考え込む。 嫌いではない、とは言ったものの・・・そもそも嫌いとは、好きとは何なのか・・・? 今まで好き嫌いで物事を判断した事は無かった。 考えたことすら無いのだ。 「好き嫌いに・・・それ程意味があるものなのか? 俺にはそう言う感情は分からぬ。大体神託が早まった事で何故おまえを嫌いだと判断する? 一緒にいる時間が少なくなると何か不都合があるのか?」 美濃がどうして悲しそうなのか、その感情の流れが理解できない。 ただ神託出来る状況になった、それだけの事でそこに感情は存在しないはずだ。 「・・・私は多摩の事好きだもん。初めての友達なんだもん。だから、ホントは一ヶ月じゃなくてずっとずっと一緒が良いって思ってたの・・・っ」 「・・・・・・ずっと・・・」 「神託なんてどうでもいい、多摩と一緒にいた方が楽しいもん!」 わああっ、と大きな声で泣きわめき、多摩に『行かないで』としがみつく。 彼はそれを棒立ちのまま、背中に手を回すわけでもなく、ただ見守っていた。 どう反応していいのか分からない。 これ程までに誰かに懐かれた事など無かった。 抱きつく美濃の温もりを感じ、彼女から香る甘い匂いに目を細める。 「おまえは・・・・・・あたたかいな・・・・・・」 泣きわめく美濃には届かないくらい小さな声で多摩は呟いた。 何だろう・・・これは。 何か・・・・・・・・・得体の知れない感情が流れ込んでくる。 幼く泣く美濃の背中に、おずおずと両手を回し、その柔らかさに驚く。 初めて自分と美濃が違うと気づいた瞬間だった。 ───欲しい・・・ 多摩が美濃に対して、初めて明確な思いを抱いたのがこの感情だった。 これまで妙に興味をそそる存在だとは思っていたが、単にそれだけで自分自身の何かが変わってしまうものではない・・・そう思っていた。 ぎゅうっと懸命に抱きついてくる美濃。 小さな手、やわらかい身体、甘い香り─── 「・・・俺が・・・いないと・・・・・・イヤなのか?」 「・・・うっく・・・っ、イヤだもん」 全てが多摩の脳内を強烈に刺激し、得体の知れない感情が奔流となって流れ込んでくる。 ───欲しい、 美濃が・・・欲しい。 だが、思うのはそれだけだった。 どうして欲しいのか、どうしてそう思ったのかなんて、考えもつかない。 元々そう言うことを考えた事がないのだ、それ以上を突き詰める事など出来るはずもなかった。 しかし、そうはいっても心の中は相変わらず冷静で、感情の赴くままに泣きわめく美濃とは明らかに違う。 彼は、自分に課せられた神子としての役割がこの先々延々と続く自分の未来であり、それを覆すなど許されないと知っていた。 今までそれに対してどうとも思わなかったが、ここで初めて煩わしいと感じ、美濃の背中に回した手に力をこめる。 「・・・一緒に・・・いるのは、今は無理だ」 「やだぁっ」 「・・・いずれにせよ、ひと月という期限だったのだ、遅かれ早かれ俺は帰らなければならない」 「だけど・・・っ」 「泣くな」 多摩は涙でいっぱいになった美濃の顔を見つめ、無言で涙をふき取る。 初めて見せた彼の優しさに美濃は驚き、嬉しくなって、そして寂しくなって複雑な顔に歪む。 彼は暫くそうして美濃が落ち着くのを待ち、やがて涙が止まると再び口を開いた。 「・・・例えば・・・・・・ここに俺が住めばおまえは喜ぶのか?」 「・・・ん、スゴイ嬉しいよ」 「・・・ならばその方法を里に戻って考える。今はそれしかできない」 美濃は静かに話す多摩と目を合わせ、大きな涙の粒をポロッと零し小さく頷いた。 自分が我が儘を言っているのはよく分かっている。 だからこれ以上の事は言えなかった。 「早く来てね」 「考えておく」 素っ気なく言われたが、それでも自分の為に彼が動いてくれようとしている・・・と思うと美濃は嬉しくて仕方なかった。 今日だって結局は美濃が用意した衣裳を着てくれた。 友達だと思っていたのは自分だけではなかったのだ、と。 「私、多摩はぜ〜ったいに優しいと思うの」 「・・・何かの間違いだろう」 「ちがうも〜ん」 泣かずに笑顔でいようと思った。 そして、美しく輝く多摩の紅い瞳を見て、『やっぱり多摩ってキレイ』と改めて憧れながら、一日も早く彼が戻ってくる事を願い、後少しだけ一緒にいられる彼の表情を全て憶えておこうと思った。 それから三日後、 多摩は神子の住む里へと帰っていった。 唯一の護衛として、乾を引き連れて─── 第4話へつづく Copyright 2006 桜井さくや. All rights reserved. Never reproduce or republicate without written permission. |