『呪縛』
○第4話○ 奪われた代償(その5) 女達が献上された翌日から館の鍵は開錠され、多摩は自由に外へ出られるようになった。 かといって彼の行動範囲が劇的に変わったかと言えばそうでもなく・・・多摩は毎日里の入口付近に立ち、山向こうを静かに眺めているだけだ。 その意味を知る者など誰一人として存在しない。 乾ですら。 そして、特に変わり映えのしない日々は、気がつけば半年も経過していた。 「いつも同じ場所に立ってるのは何か意味があるのか?」 多摩がいつものように里の入口付近に立っていると、眠そうに欠伸をしながら乾がやってくる。 どうせまた朝方まで女たちと過ごしていたのだろう。 「・・・・・・意味など・・・」 「それにしちゃ毎日じゃん? 俺はてっきり脱出の為の策でも練ってるのかと」 「いつまで経っても持ってくると言ったものを持ってこないのはどこの誰だ?」 「・・・うっ、ソレを言われるとなぁ・・・っ。なぁ、何でも良いから里の事で知ってること教えてくれない? 小さな事で構わないからさ。とにかく情報がなさすぎなんだよな〜、皆ガードが堅いって言うか」 初日に何も知らないと言われてからは、特に多摩自身に問うことは無かったが、里の者にもそうそう不躾に聞く事も出来ない。 持ち前の愛嬌で徐々に手の内に入り込むにも、この里の者はなかなか尻尾を出さなかった。 しかも、多摩に捧げられた女たちは一様に核心に触れる事については何も知らず、半ば道を断たれたような状況だったのだ。 ただ時間だけが過ぎゆくだけというのはあまりに不甲斐なく、気が長い方ではない乾にとっては苛々が募るばかりだったが、無理に動くことも出来ずどうすることも出来なかった。 多摩は暫し空を見上げ乾の質問に答えようとしたが、直ぐにそれが無意味だったと己を笑った。 「・・・生まれて直ぐに今の館に連れてこられたのだ、俺が知っていることなどあるわけがない。大体これまで関心も無かった」 「・・・・・・ふ〜ん、・・・そうか・・・・・・両親はどうしてるんだ?」 「両親? そんなものは見たこともない」 分かっているのは、ずっと一人だったということ。 誰から生まれたかなど、考えたこともなかった。 「おいおい、・・・いくらなんでもそりゃぁ非道すぎないか?」 「別にどうとも思わぬが」 何か問題があるのか? と問われ、乾は説明する気も失せた。 普通じゃない普通じゃないとは思っていたが、ここまでくると筋金入りだ。 恐らく家族という概念を説明したところで、実感の無い彼に納得するだけの答えを与えてやることなど不可能だろう。 だが、・・・ 「盲点だったな」 「何の話だ」 「誰だって一人で生まれてくるわけじゃないって話」 そうだ。 多摩だって、一人で生まれてきたわけじゃない。 生んだ母親がいて、父親がいるはずだ。 裏の顔ばかりを探ろうとしていたが、考えてみれば両親が一番多摩を知っているに違いないのだ。 もしかしたら探しているものに誰よりも近い存在かもしれない・・・ 「ちょっと出かけてくる。また何か思い出したら教えてくれ」 乾は手を振り、足早にその場を去っていった。 多摩は彼の後ろ姿を暫く目で追っていたが、やがて興味が失せたかのように、再び山の向こうへと意識を傾ける。 山の向こうにあるのは都だった。 遙か彼方に存在するのは、美濃の住む・・・ 足を運ぶのはたったそれだけの理由だった。 ▽ ▽ ▽ ▽ 里の中で一際奥まった場所・・・乾は多摩の生家の前に立っていた。 ここを知るのは実に簡単だった。 試しに側を通った女に聞いてみたところあっさりと教えてくれたのだ。 どうやら秘密の場所、というわけではないらしい。 しっかし・・・・・・ 神子の生まれた家って割には・・・普通だよな・・・ もっと立派な建物を想像していたのだが、近所の家と大差ない。 そう言えばここへ来た当初も同じ感想を抱いた気がする。 神子の里と聞いただけでゾクゾクしていたのに、いざ蓋を開ければこんなものかと脱力したのだ。 だが、その後にちゃんと衝撃を受けたではないか。 全て多摩に関する事に限定されるが、今目の前にあるのはその多摩の生家なのだ。 乾は家の扉をノックし、僅かに期待に胸を膨らませた。 あの多摩と血が繋がっているなら、きっと美人な母親が出てくるだろう。 もしかしたら姉や妹もいるかもしれない・・・と邪な気持ちを胸に秘めて。 ガチャリ、と鍵が開く。 そしてゆっくりと扉が開いた先に見たものは、乾の期待したような光景ではなかった。 「・・・・・・っ、・・・・・・あれ? なんでばーさんがここにいんの?」 失礼にも開口一番家人にこんな質問をした乾だが、それも仕方のないことだったかも知れない。 目の前にいたのは、神託を終えて里に帰ってきた多摩を出迎え、館まで二人に付き添ったあの老婆だったのだ。 老婆は一瞬顔を強張らせ、直ぐに笑顔を作った。 「いらっしゃいませ、乾さま。今日はこのような所まで如何されました?」 「・・・あ・・・いや・・・・・・、ここ、多摩の生まれた家だって聞いたんだけど」 「えぇ、そうでございますよ、ここで多摩さまがお生まれになられました。折角ですので、どうぞ中へお上がりくださいませ」 「あ、じゃ、遠慮なく」 端からそのつもりだったが、妙な気分のまま中に上がり込み、辺りを見渡す。 やはり特に変わった場所には思えなかった。 「・・・ここは白くないんだな・・・・・・」 ぽつり、と独り言のように呟いた乾の言葉に、老婆は小さく答えた。 「必要がありません」 「・・・それってどういう意味? 多摩には必要だっていうのか?」 「・・・・・・」 老婆は答えない。 だが、無言で返すと言うことは即ち肯定を意味するのではないのか。 ・・・・・・本当にここは普通だな。 だけど、それが余計に気味が悪い。 「・・・な、ばーさん・・・あんた、誰?」 ここにいるということは多摩の親類・・・なのだろうか。 どこもかしこもしわくちゃで、少しも強い力を秘めているようには感じないが。 老婆は読みとりづらい表情をそのままに、僅かに俯き乾から目を逸らした。 ───何かを知ってる? だって変だ。 疑問を持ってやってきた乾がこの家で見たものは、初日に会ったあの老婆。 初日・・・? ・・・そう言えばあの時何かを言いかけて止めなかったか? 『多摩様はあの通りのお方なので、我々の言葉にお応えになられることは殆ど無いのです』 『え? だって・・・神託しに里から離れたんだろ? ちゃんと言うこと聞いてるじゃん』 『・・・それは・・・・・・いえ・・・では私はこれで失礼いたします。ごゆっくり・・・』 それは・・・なんだ? 心臓と脳、この二つを奪われているから・・・とでも? 「乾さまは・・・里の事を調べ回っているようですね」 「・・・っ」 「あまりお薦め出来ない行動です。今のうちにおやめになった方がいいですよ」 老婆は静かに尚も続ける。 「その行動で辛い思いをするのは・・・他ならぬ多摩さまです」 「なに言ってんの。ソレってどういう意味?」 「言葉のままでございます」 気味の悪い老婆だと思った。 だが、漸くはっきりした。 自分の行動は全て監視されていたのだ。里全体で。 やっと少しだけ見えた気がする。 これは完全なる脅しなのだから。 乾は、意地悪そうに笑みを漏らした。 そうと分かれば全てを吹っ切ることが出来るというものだ。 「いいや、この里の事はもっと調べさせてもらう」 「・・・っ」 「これでも俺って直に王サマと喋れるんだよね〜、今回神子の里に来たのだって王サマが許してくれたからだし・・・。大体さぁ、この里の多摩に対する扱いって、仮にも姫様の神託をした神子に対するもんじゃないよな。もしかしたら、俺が今持っている情報だけでも軍を動かせるかもよ? 多摩は国にとっても大事な神子だしね」 さぁ、どうでる? 実際軍を動かせるというのはまんざら嘘でもない。 大切なのは里の民ではなく神子なのだ。 実現しようと思えば出来ない事ではないだろう。 そんな気持ちで乾は老婆を見下げる。 俺を脅すつもりなら、それなりの覚悟をすればいいと。 「・・・・・・・・・っ」 老婆は項垂れて小さく首を横に振った。 当然だ。 王や軍隊の話を持ち出されて、こんな小さな里がどう対抗出来ると言うのか。 軍を動かされて持ちこたえるだけの戦力などここには無いも同然なのだ。 老婆の表情の変化に乾はニヤリと笑う。 尻尾を出してしまえば、どうとでも出来るのだ。 今までの苛々が嘘のように何と簡単なものかと・・・ 「・・・・・・聞いて後悔しても責任は持てません」 「そりゃそーだ」 「・・・・・・それに・・・この事は内密に・・・」 「あぁ、他のヤツには言わない。多摩には言うかもしれないけどな」 「・・・・・・まぁ、いいでしょう・・・恐らく話したところで興味も無いでしょうから・・・」 「そうだな」 乾は満足そうに頷いて、何から聞こうか・・・と考えを巡らせた。 思えば聞きたいことは山ほどあるのだ。 「・・・ん〜と、そうだな。まずは・・・・・・多摩の屋敷。何であの中は真っ白なんだ? 俺はてっきり生まれた家も白いと思ってやって来たのに、ここは普通だよな」 初めて多摩の住む屋敷へ入ったときの驚きは忘れられるもんじゃない。 うっかり異世界に来てしまったのかと思ったほどだ。 老婆は暫し沈黙を守っていたが、僅かに身じろぎ静かに口を開く。 「・・・・・・色には力があります。例えば白には「善」「純潔」「清廉」などの清らかで汚れの無い意味があり、同時にそれらの力をも有しています。部屋が白いのは多摩さまが濁ってはならない身だからなのです」 「・・・濁ってはならない・・・ねぇ・・・・・・だけど、多摩が世間に疎いのはどうしてだ? あんなの世間知らずってだけじゃ済まされない。意図的に知識を与えられてないとしか思えない。・・・だってアイツ、里の事どころか、・・・普通は知ってる事とかもさ、何も知らないじゃないか。どうしてそこまでする必要があるんだ? まさかそれも濁ってはならない身だからとでも言うのか?」 「・・・そうです」 老婆は当然のように頷く。 「・・・・・・・・マジかよ・・・・・・」 「多摩さまはどこまでも『白』でなくてはなりません。「無知」であることも必要なのです。何かに執着してしまえば、それ欲しさに忽ち『暗黒』へと変化する可能性を持っている方なのです。関わる者は出来るだけ少なく、そして、知識も少なければ少ない方がいい・・・これが最善で最良の道なのです」 「・・・・・・なんだよそれ・・・・・・多摩がその『暗黒』とやらに変化した事でもあんのかよ!?」 「・・・・・・・・・」 老婆は益々俯いて、小さい身体が余計に小さく見えた。 それは乾の言葉を肯定しているととってもいいのだろうか。 「・・・本当に変化した事はありませんが・・・・・・恐ろしい力を秘めております・・・・・・多摩さまが生まれた直後から始まったあの光景は、とても忘れられるものではありません」 そこまで言うと老婆は顔を上げ、皺だらけの顔を恐怖で歪ませた。 それは何かしら重いものを感じさせるが、乾には分かる由もない。 ───あの光景? 「・・・・・・母であるこの私の、醜く変わりゆく姿を・・・」 「・・・えっ」 ・・・・・・母親!? ・・・母親・・・だと───? その言葉がうまく消化されない。 一体それが何を意味するのか、すぐには理解ができなかった。 「・・・私とて初めからこのような姿であったわけではありません。多摩さまを産むまでは瑞々しい輝くような肉体を持ち、神子を生む女として里の期待を一身に集めておりました・・・。しかし、悪夢は産み落とした直後から始まったのです。とてつもない勢いで迫る老化にただ恐怖を感じるだけ・・・全く前例の無いこの出来事は止める隙もありませんでした。・・・翌朝には今のように成り果て・・・私の寿命もあと僅かでございましょう・・・」 「・・・うそ・・・だろ?」 「・・・多摩さまの力は、本来そういうものなのです・・・しかし、一見神子とは遠い存在に見えて、そういう者の方が本当は一番近い存在なのかもしれません。現存する他の神子よりも遙かに上回る能力を持ち合わせておりました・・・・・・皮肉な話です」 そして、一歩間違えば危険な存在になってしまう多摩をあの屋敷に閉じこめたのだ。 何も知らなければ何も起こらない。 時折出かける程度ならば、何の問題も無いくらい彼には知識を与えず。 多摩が知っているのは神子としての自分だけ。 どう扱われていようが、 何も知らない彼はそれをどうとも思わず受け入れるだけなのだ。 「・・・・・・じゃあ・・・ここでは・・・多摩だけが・・・あんな風に生きることを強制されてるのか?」 多摩が危険だから 神子として生かすためだけに? 「・・・・・・そうです」 「あんたは・・・それを納得してるのか?」 「・・・当然です」 ───気分が悪い。 俺にだって親を思う気持ちくらい多少はある。 今はもう死んでしまったが、幼い時はそれなりに親を慕っていたのを憶えている。 それはこんな俺でも育てられた事がある、という事を意味するのだ。 「つまり、あんたは多摩の親であることを放棄して捨てたんだな」 「・・・・・・・・・っ」 図星だったようだ。 例え老婆へ変貌しても、子を愛す母はいるはずだ。 だが目の前のこの老婆には出来なかった、そういうことだ。 「最後の質問だ、多摩から奪ったものはどこにある?」 「・・・・・・・・・」 「知っているはずだ。生まれた直後に奪われたと聞いたんだ、あんたが知らないわけはない」 「・・・・・・それだけは・・・」 「何言ってんだよ!」 怒りのあまり勢いよく、ドン、と壁を叩く。 力が強すぎて拳の形に壁がへこんだ。 「あのなぁ、どんなヤツだろうが生まれた瞬間から悪党なんていないんだよ! もし多摩に素質があったとして、その『暗黒』とやらになるなら、それはおまえたちの所為で多摩の所為じゃない。今までの仕打ちがそうさせるんだ。どうやって償う? どうせ最初からそんな気なんてないんだろうけど、せめて奪ったものくらい返せよ!!」 何も与えられなかったからこそ、その反動は大きくなる。 欲しいと思ったらきっと止まらない。 力があるなら、その全てを使って手に入れようとするはずだ。 だがそれを良いことだとか、悪いことだとか納得させられるヤツがいればそれで充分だったに違いない。 側に誰もいないから思った事全てが正しいことになる。 老婆は俯き涙の粒を隠すように手で拭った。 そして・・・・・・ 「・・・・・・多摩さまの・・・父が・・・所持しております・・・」 「どこにいる?」 「もうひとつの神子の館です・・・」 「神子・・・っ、多摩の父親は神子なのか・・・」 つまり多摩に女たちが与えられたように、多摩の父親も女たちを与えられた・・・。 その結果生まれたのが多摩だったというわけか。 成る程、やはり神子が神子をつくる・・・そういう事だったのだ。 「・・・きっと、この先を知れば後悔することになります」 「はっ、今更何を後悔するっていうんだよ」 立ち上がり、あとは振り返ることもなく乾は家を出た。 ここまでの経過を多摩に報告しなくてはならない。 だが、ふとした拍子に先程の老婆の台詞が頭をよぎる。 『もうひとつの神子の館です・・・』 「あれ?」 現存する神子は多摩を入れて3人だよな? だったら神子の館がもうひとつってのは変じゃないか? 「・・・・・・ば〜さんの勘違い?」 首を捻りつつ、とりあえず多摩の館へと足を運ぶ乾だった。 全ては自分を納得させるために。 彼はわかっていた。 きっと・・・多摩を止められる者など、今となっては誰一人いないのだということを。 それでも、この気分の悪い現実がこの先も続いていくという事を受け入れるには、乾はあまりに多摩に執着してしまい、そして彼に夢を見てしまった。 白だろうが黒だろうが関係ね〜のよ。 俺はどっちだっていい。 要は多摩がやれば何だって楽しそうだって思うだけ。 それが乾の本音で、この先もその意見が変わることはないのだ─── 第5話へつづく Copyright 2006 桜井さくや. All rights reserved. Never reproduce or republicate without written permission. |