『呪縛』

○第6話○ 慟哭(その1)










 神子の里の一件が人々の話題にもならないほど風化し、更に数年が過ぎた。
 あの一件は暫く都でも大きな波紋を呼び、神子の里が消滅し神子までもが永遠に失われた事で、当時、国家そのものが大きな衝撃を受けた。


 しかし、亡き者を生き返らせる事など出来る筈もなく、目撃者すらいないこの事件はいつしか過去の出来事として曖昧ながらも人々の心の中で終止符が打たれるようになっていた。



 ただ一人、乾の親友であった巽を除いては───



 彼は他の誰よりも、乾と共にあった。
 乾がどのような能力者でどのようにその力を駆使するのか、厭と言うほどこの目で見てきたのだ。


 神子の里の消滅・・・あれは乾によるものに違いない


 巽は事件発覚後、4度にも渡って神子の里の在った場所に自ら赴いたが、見るたびにその気持ちを確かなものへ変えていった。
 絶望的なまでに破壊し尽くされた様子は巽が知っている乾の力を遙かに上回っている。
 だが、そこで思い至るのはあの多摩という神子の存在だった。


 乾の側には彼がいた筈だ。


 神託の際の多摩の常人を逸した力をこの目で見たからこそ思える事だが、彼には計り知れない何かがあった。
 きっと神託など、彼の力の一端に過ぎないだろうと思わせるような何か。


 そうだ・・・何かがあったのだ。


 あの乾が死ぬはずがない。
 俺に何も言わずに死ぬわけが・・・


 思い出すのは別れの数日前の乾の笑顔ばかり。
 多摩に着いていくと楽しそうに語り、また逢えるさ、と人懐こく浮かべた友の笑顔。



 俺は認めない。
 絶対に。







「巽さま」

「・・・っ」


 不意にかかった声に背筋がピンと張る。
 自分が今執務中だったことを思いだし、現実に戻った。


「なんだ」

「姫様がお呼びでございます」

「わかった、すぐ行こう」


 頷き、先程までの時間をうち払うかのように小さく息を吐き出すと、巽は静かにその場から立ち去った。













▽  ▽  ▽  ▽


「巽っ!!」


 美濃の部屋まで赴くと、彼女は満面の笑みで巽を迎えた。

 嬉しそうに頬を染め真っ直ぐ見つめる眼差しと、力一杯抱きついてくる様子は、彼女の全てで巽への恋心をぶつけているかのようで彼は微笑ましくそれを受け止める。



 ───実を言うと、美濃の想いは叶えられて当然と言うべきものだった。


 というのも、巽の家柄が彼女に相応しいものである限り、彼女が望むのであれば彼に選択権は無かったのだ。
 しかしながら、巽自身は彼女が幼い時は失礼ながらも可愛い妹が出来たような気分で、美濃の想いを知りつつも本気で受け止めていたわけではなかった。
 幼い恋心は成長すると共に移りゆくものだと、それ程深く考える事も無く。
 だが美濃の心が巽以外に向くと言うことは無かったのである。


 そして素直に可憐に成長した今。

 その彼女が巽を望んでいると言うことは周知の事実であり、将来を約束されたようなものだった。
 巽本人も、幼かった彼女が女性らしく成長していく様子を近くで見守り続け、いつしか自分の中に生まれた感情に戸惑いを感じながらも、美濃のことを一人の女性として見るようになったことは、端から見ていてもごく自然な事だったのだ。



「母さまがね、巽の事ステキだって言うのよ。美濃は幸せだって」

 そう言って彼女は本人に向かって自慢げに話す。

「買いかぶり過ぎです」


 柔らかく微笑むと、美濃の頬がたちまち薔薇色に染まる。
 美濃は巽の大人の微笑みにいつも参ってしまう。
 照れたり動揺したりする姿を見たくて頑張るものの、結局そうなってしまうのは彼女の方で、巽はそんな美濃を優しく包み込むように見守っている。

 だが、今日の彼は先程までの自分の思考を引きずっていたせいか、幾分表情は硬い。
 それに美濃に言わなければいけない事もあった。


「・・・・・・美濃さま・・・。私は明後日から神子の里に行こうと思います」

「えっ、・・・ど、・・・どうして?」


 尤もな疑問に巽の瞳が曇る。
 初めて神子の里の一件を聞いた時の事を鮮明に思いだし、自分は少しも前に進めていないのだと改めて思い知る。


「神子殿に着いていった乾という男を憶えていますか?」
「・・・乾・・・? 憶えてるわ。この国の生まれでハチミツ色の髪は珍しいもの。何度か話しただけだけど、凄く優しかった」


 巽は懐かしさのあまり自然と笑みがこぼれてくる。
 そうか、あいつは女性が好きだから姫にもそれは優しく接しただろう、と。


「彼は私の親友でした・・・・・・周囲には色々言われている男でしたが、私にとっては大切な友人だったのです。・・・どれほど一緒に行動を共にしてきたことか・・・彼の強さは私が一番知っています。神子の里の壊滅から何年経とうと、彼の死を認めるなどとても出来ないのです・・・」

「・・・・・・巽・・・」

「彼の死を確かめに行くのではなく、彼の生きた証が欲しいのです。女々しいと思われようが私はそうしなければ前へ進めない」


 確かに生存者がいないのだから誰に聞いても答えは無いのかも知れない。
 だが、あの破壊し尽くされた跡を見る度に乾を感じてならないのだ。


 あれは乾がやったものだ、

 だから乾は生きているのだと、
 無きに等しい期待を抱いてしまう。




 美濃は暫く黙り込み、悲しそうに笑うと巽に抱きついた。


「わかったわ」

「・・・美濃さま」


 美濃の言葉に驚きを隠せなかった。
 行かないでと、寂しいと泣かれるのではと思っていた。



 だが、彼女もまた、あの一件によって心に傷を作っていた一人だったのだ。

 少しの間しか一緒にいられなかったけれど彼女にとって初めて出来た友達。
 大好きだった多摩。

 彼が死んだと聞かされた時、美濃は何日も泣き続けた。
 絶対信じないと泣き続けた。
 多摩はいつかまたやってくると、約束したのだと。

 現実を見ようとせず塞ぎ込む彼女の為に父王が神子の里へ行くことを勧めた事もあった。
 だが、美濃は断固として行こうとしなかった。
 行ったら多摩の死を認めてしまう気がして・・・そんな自分はいやだった。


 もしかしたら方法は違えど、巽と似た想いだったのかもしれない。
 こうして何度もあの地へ足を運ぶ巽とは想う強さが違うのかもしれないけれど。


「巽のそういう話・・・聞けてうれしいな」


 巽は微笑み、美濃の頬にキスを一つ落とす。
 自分からは平気で抱きついてくる癖に、たったこれだけで真っ赤になってしまう彼女を可愛らしく愛しく思い、彼はそれ以上の事はしなかった。


 これからも彼女を見続ける事が出来ると信じていたから───


















▽  ▽  ▽  ▽


 10日後、巽は護衛として3人の男を従え、神子の里跡地に入った。

 この3人は巽よりも遙かに力で劣る者たちではあったが、彼が美濃の思い人であり将来彼女の夫となるであろう人物ならば話は別、一人で行かせるなど以ての外だ。
 巽としては、例え建前だとしても別にそのような配慮など要らなかったが、まさかそれを口に出すことも出来ない。
 皆そこそこ屈強であると自負している者たちであった為、彼らのプライドを傷つけることも無いだろうと思い、ここまで何も言わず一緒に来たのだ。


「おまえたちはここにいてくれ。俺は少し歩いてくる、2時間程で戻る」
「はっ」


 殆ど休まずでの十日間というのはかなり堪えたらしい。
 皆一様に疲れ果てている。
 だとしても、本来護衛であるにも関わらず、巽と一緒に行こうという者が誰一人いなかったというのはあまりに情けないとしか言いようがない。


 本当に建前だけの護衛だったな・・・


 内心苦笑する巽だった。






 それにしても、ここは随分変わってしまった───
 雑草が生い茂り、木々は育ち、全てを破壊された当初の風景とは違う。
 来る度にかつての面影を失いつつあるこの場所は、もう諦めろと言っているかのように思えて切なくなる。

 その思いを振り切るかのように巽は首を振り、歩き出した。


 彼はここに来ると必ず里の中を歩き回る。
 かつてはどのような風景が広がっていたのだろう、このどこに乾は居たのだろう・・・そんな事を考えながら。
 元々里の端から端までは大人の足で数時間程度で、それ程広い場所でもない。
 だが、思いを馳せながら親友の痕跡を探しているうちについ時間を忘れる。
 きっと2時間などあっと言う間だろう。


 しかし、決まって最後に思うことは一緒なのだ。





「・・・・・・ここまで派手にやられると探しようが無いじゃないか・・・」



 親友に愚痴を零すかのように呟き、くせの無い長めの前髪を後ろに掻き流した。
 せめて一度だけでもこの場を訪れたことがあれば良かったのに・・・今となっては意味を成さない事を考えてしまう。

 だが・・・もしこれが乾の仕業だとすれば、どうしてここまでする必要があったのか。
 完全に里の全てが照準となっている。

 意味無くこんな事をする筈がないのだ。


 だとしたら、こうせざるを得ない何かがあったと言うことか?
 その時お前は一人だったのか?
 側に誰もいなかったのか?


 所詮想像だけで物を考えても答えなど出るわけがない。
 しかも乾がやったという前提での想像。

 それでも“なぜ”と疑問を抱かずにはいられなかった。



 しかし、里の入口から南西の場所に来たところで、巽は妙な光景を目にした。
 当初の風景では決して気づくことが出来なかった、こうして年月が経過したからこそ、その異変を目にすることが出来た・・・些細だが妙に引っかかる、正にそんな光景だったのだ。


「・・・・・・あれは・・・どう言うことだ?」


 直径3メートル程度だろうか・・・そこだけ草一つ生えていない。
 他の場所は生態系を取り戻しつつあるのに、まるでそこだけが取り残されたかのように・・・



 しかも・・・、近づく程にゾクリ、と背筋が冷たくなっていく。







 何だ・・・?

 あそこに何が?






 心臓が五月蝿く鳴り響く。
 何一つ手掛かりも痕跡も見つけられなかった今までを思うと、これだけでも奇跡みたいなものなのに。






「・・・・・・っ!? ・・・うっ!」



 草一つ生えないその場所へ一歩足を踏み入れた途端、あまりのおぞましさで震えが走った。
 だが、どこがおぞましいのか、どのようにおぞましいのか良く分からない。
 ただ肌で感じる・・・強烈な何か。


 ふと、もう殆ど朽ちてしまっている真っ黒な棒状の何かが二本、目に入った。
 普通に見ただけでは誰もが見過ごすに違いない。

 それでも巽の意識がそれを捕らえて放さないのは・・・



「・・・・・・っ・・・」



 地面に突き刺さるようにして朽ちているそれは、今まで感じたことが無いほど不気味な気を放っていた。
 あらゆるマイナスの感情が詰まって、触れればたちどころに狂わされる。そんな感じだ。



 そして、
 これ以上近づくのを躊躇しいていた時、


 その二本の隙間から一瞬ではあるが何かがキラリと光ったのが見えた。




 今・・・何か・・・





 巽は知らずのうちに流れていた額の汗を袖口で拭い、僅かに荒くなっていた息を整える。

 妙に気になる。
 きっと今確認もせずに帰れば、何のためにここまで来たのかと後悔するに違いない。
 これ程の怖気さえも手掛かりの一つかも知れないのだ。


 手をのばせば真実に一歩近づける。
 そう思えばこんなもの・・・


 人懐こい親友の笑顔を頭に描き、紅く光った正体を突き止めるために隙間に手を差し込んだ。






















 ───ジ ユウ ナド エイエ ン ニ  オト ズ レナ イ






 ───ボク ラ ヲ  コンナ メ ニ アワ ス ナン  テ イツカ バツ ガ


















「──────ッ───!!」











 忽ち流れ込んでくる、






 “感情”








 凄まじいまでの憎悪と恐怖と絶望。






 熱い、苦しい、痛い。











 ───カラダ ガ  トケ  ル


 ───エ イエ ン  ニ  コノ マ マハ  イ ヤダ


 ───モウ シ ナセ  テ・・・・・・




 ───フクジュ ウ  シ ナイ ト  シネナ イ

















「・・・・・・うぁ・・・アッ・・・ああっ・・・・・・」















 これは・・・何だ?




 誰かの意識、か・・・?
















 不意に紅い光が見えた。







 今度は別の意識が流れ込む。

















 ───俺の、もの






 ───手に入れれば自由になれる




 ───自由が欲しい



 ───欲しい
 ───欲しい
 ───欲しい





 ───俺のものだ





 ───俺のもの
 ───俺のもの
 ───俺のもの
 ───俺のもの
 ───俺のもの
 ───俺のもの
 ───俺のもの
 ───俺のもの
 ───俺のもの
 ───俺のもの
 ───俺のもの
 ───俺のもの
 ───俺のもの
 ───俺のもの
 ───俺のもの
 ───俺のもの









「・・・っ!!!! ああぁあああっ、うああぁああぁっっっ!!」



















 ───泣くな、・・・必ず逢いに行く、・・・から───














 バンッ!!!!












 頭の芯を撃ち抜かれたと思えるような衝撃の直後、




 巽は、先ほどいた場所から数メートル後方に倒れ込んでいた。
 息が激しく乱れ、身体中から汗が噴き出している。




「・・・・・・あっ、・・・あ、っは、はあっはぁっ、・・・っく、はあ、はあっ・・・・・・ッ」



 強烈な意識の波に飲み込まれ、最後はまるではじき飛ばされたかのような衝撃だった。



 何だったんだ、あれは・・・・・・っ




 暗い暗い闇の中を彷徨っている気分だった。
 抜け出すことの出来ない恐怖、藻掻き苦しむことすら赦されない絶望。



 そして・・・
 静かだが、強い麟とした響き。
 何かを手に入れようと欲している・・・?


 わからない。
 誰の・・・感情だったんだろう。
 或いは一人のものではなかったのかもしれないが。



 ふと、自分の手の中に違和感を憶えた。



「・・・・・っ・・・・・・これ・・・は・・・」



 握り締められた手の中・・・、
 そこにあったのは紅い欠片だった。

 さっき光ったように見えたのはこれに違いない。
 奔流のような感情に押し流されて、手をのばした直後に自分が何をしたのか全く憶えていないが、トリップした意識の中で見えた光も恐らくこれだ。
 どうやら無意識のうちに掴み取っていたらしい。


 ───だが、何の欠片だ?


 頭の上でかざし、陽に反射して一層輝く紅い欠片を訝しげに眺める。
 これは果たして、乾に近づける鍵だろうか?

 巽が知ったのは誰かの感情と、地面に刺さり朽ちかけた黒い棒状の何かを中心としてその周囲に生き物が育っていない目の前の光景、そして手の中の紅い欠片。

 答えなど出るはずもないな・・・


「一端戻るか・・・」


 小さく息を吐くと彼は立ち上がり、里の入口へと戻っていった。










その2へつづく


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