『呪縛』

○第6話○ 慟哭(その2)








 野宿の為のテントを里の隅に張り、明日に備えて早々に寝静まり暫く経った、夜半の出来事だった。





 ───うぅ・・・

 ───うぅううう・・・・・・っ



 妙な呻き声が耳につき、巽の意識がうっすらと現実に引き戻された。
 気のせいかと思える程小さな声だったが、軍人としての警戒心が異質な何かを感じ取る。


「・・・・どうした?」


 重い瞼を開け、テントの外に声をかける。
 外にもまた護衛たちのテントが張ってあり、彼らが眠っているはずだった。


 ───が、呻き声が聞こえるだけで、返答は無い。


 巽は暫し黙り込み、静かに身を起こした。
 ひっそりと静まり返っているのは常ならば当然の事なのに、言いようの無い緊張が走る。


 隙間から外を覗くも特別かわった事は無いように見える。
 巽は最小限まで己の気配を殺し、テントの外へ出た。



 ───ううっぅう・・・



 まただ。

 呻き声が聞こえるのは護衛3人で使用しているテントからだった。
 この中には旅の疲れを癒すため眠りについている彼らがいる筈だが・・・



「どうした? ・・・何かあったのか?」


 警戒心は殺さずに、少しの隙間からテントの中を覗き込む。
 暗い中の様子を目を凝らしてみたものの、特に変わった様子は無いように思えた。





 だが、その時。



 ゆらり、と。

 3人が横になっているその奥で、何かが揺らめいた。





「・・・・・・」



 しかも呻き声はそこで寝ている3人のものらしく、暗いながらも彼らの苦しげな様子が見てとれる。
 ゆらりと動いた影はしばらく3人を観察しているかのようにジッとしていたが、やがて『チッ』と舌打ちをしたかと思えば興味を無くしたかのようにゆっくりと離れた。


 どうやら獣の類・・・、というわけではないようだ。
 金目のものを狙った盗人といったところか。

 巽は中から出てくるところを狙って、ひっそりと息をひそめる。



 神子の里もこんな輩が出没するまでに落ちぶれたか・・・



 そんな思いを抱いた瞬間だった。

 もの凄い殺気が巽目掛けて迸り、同時にテントを突き破った刃物がドッと低い音を立てて巽に的を絞って襲いかかる。


「・・・っ!?」


 紙一重のところでその一撃を避けた巽は、ただ者とは思えないその攻撃に内心驚きながら、次の一撃に備えて身構える。

 相手はテントの中からの攻撃しか出来ない。
 圧倒的に有利なのは自分だ。


 だが、先ほどの殺気と言い、今の一撃と言い、単なる盗人ではなさそうだ。


 こんな所で余計な力を使うつもりなど無かったが、多少は覚悟が必要かもしれない。
 瞬時でそれを悟った巽は、少なくとも中からの攻撃には当たらない位置まで2、3歩下がった。




 すると・・・・・・


 刃物の先がプツリ、とテントを突き破り、そのままツー・・・ッと下に向かって驚く程静かに布を切り裂いていく。
 まさかこの状況で大胆にも中から出てこようというのだろうか?

 半ばその事に呆然としながら、巽は息を殺して目を細めた。




 そして手が・・・、明らかに男のものと思われる骨ばった手が切り裂いた布を無造作に掴み、全く躊躇する様子も無く盛大な音を立てて横に引き裂いたかと思えば、同時に恐ろしいまでの唸り声をあげた黒剣が巽に襲いかかって来た。



 ───オオオオオオオォオン



「・・・・・・っ・・・っ、なんだ・・・っ!?」



 圧倒する迫力。
 まるで生き物のような唸り声。


 身を翻して何とか避けきったものの、攻撃は当たっていないというのに軍服の袖の部分がざっくりと裂けてしまった。
 そして、どうやら大気ごと巻き込まれてしまうらしいこの攻撃が、全力を出し切らなければ生きる術が無い事を痛感させた。


 ・・・気が進まないなどと言っている場合ではないな。


 全力で立ち向かう事への後ろ向きな気持ちを抱える思いとは裏腹に、巽の能力はその地位にふさわしい強烈且つ誰もが畏怖するものだった。
 ただ、それ故に必要以上に相手を傷つけ、果ては再起不能にまで追い込んでしまう。
 そのため、極力体技だけで物事を片付けようとしているのだが、ここまでの危機感を目の当たりにして生易しい事を言う程世間知らずではない。



 勝負は・・・完全に相手の身体が外に出た一瞬───


 その一瞬に的を絞り、相手の動きに全神経を集中させる。

 切り裂いたテントの隙間から理想的に筋肉のついた脚が見えた。
 それだけでも相手がただ者ではない事を物語る。


 次に腕が覗き、ややクセのある長髪を靡かせ、

 端正な男の横顔が・・・・・・




「・・・・・・・・・っ、・・・・・・・・・・・・え?」




 そして、その男の瞳が・・・・・ゆっくりと巽を捉え・・・






「・・・・・・・・・っ!!!!」








 ───既に、男の身体は完全に外に出ている。


 全力で立ち向かうと決意したにも関わらず、巽は手をだすことが出来なかった・・・




 この国では珍しいハチミツ色の髪。

 均整のとれた長身に、笑うと人好きのしそうな整った顔。


 その男は、巽の姿に目をやると『これはまた・・・仕留められないわけだ』と小さく呟いた。





「・・・・・・・・・い、・・・・・・乾・・・・なの、か・・・・・?」




 それは生きていると願い続けた。

 唯一の友の存在・・・・





「・・・・・生きて・・・・」




 何年も何年も、彼の痕跡を探し続け・・・絶望的なこの状況下で生きていると信じ続けた・・・





「・・・俺が死ぬと思ったかよ?」


 試すような目つきに懐かしさがこみ上げ、気を抜くとこぼれ落ちそうになる言葉を懸命に探した。


「・・・・・・いや、殺しても死なない奴だと」

「ひっでぇの。こう見えてもナイーブなのに」


 くっくっと喉の奥で笑い、握りしめていた黒剣を腰に納める。
 彼・・・乾の周囲にまとわりついていた異様な迫力が和らいだ気がした。



「・・・じゃあコイツらって巽の仲間だったのか?」

 乾は顎でテントを指し、巽は薄情にも中にいる3人の事を一瞬のうちに忘れ去っていた事を思いだした。

「・・・・・・護衛としてここまで一緒に来た」

「そうか、まぁ、悪く思わないでくれよ」


「・・・どういうことだ?」


 意味深な台詞に眉を顰め、引き裂かれたテントの中に視線を移す。

 薄暗い空間には身動き一つしない護衛達の姿。
 特に変わった点は・・・




 いや。



 これほど近くで攻防が繰り広げられていたにも関わらず、身動き一つしないというのは明らかにおかしくないか?





 ・・・・・・まさか。





「殺し・・・たのか?」





 その疑問に乾は僅かに目を伏せる。

 腰に納まる黒剣に指を這わせ、どこか遠くを見るような彼の目つきは、まるで巽の存在を忘れたかのように思い詰めた表情を浮かべている。





「・・・乾?」


「ん、あぁ・・・良かったらうちへ来ないか? こんなところより幾分マシな寝床を用意してやれる」

「・・・・・・乾、話を・・・」

「話? ・・・・・・・・・あー・・・、・・・・・・巽の考えてる通りだよ。もう死んでる」

「・・・・・・乾・・・・・・」

「その程度の命なら代わりはいくらでもいるだろ」

「何を言ってる? 命に代わりなどあるわけないだろう! どうしたんだ、乾!?」



 巽の台詞に髪をくしゃくしゃと掻き上げた乾は『まいったな』と苦笑いを浮かべる。



「・・・まぁ、それも正解だよ」




 そう言って歩き出した乾の背中は孤独に満ちあふれていた。





 一体・・・

 俺の知らない空白の時間をどのように生きて来たのだろう・・・



 話を聞きたい。

 ちゃんと、向き合って話をしなければ・・・










 その時、ふと・・・誰かの声を聞いた気がした。











 ───あと、少し・・・









「・・・え?」


「どうした、巽」


「・・・・・・いや、なんでもない」






 その時は、単なる気のせいだと。


 風のいたずらだと、それ以上気にかける事はなかった。











その3へつづく


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