『呪縛』

○第6話○ 慟哭(その6)








 宮殿からほど近い屋敷で多摩は眠り続けていた。
 身体に欠片を戻さない限り目覚める事はないのだと誰もが信じる通り、彼の意識が戻る事はない。


 僅かに聞こえる呼吸音、それだけが彼の生を感じさせる唯一のものとして・・・



 そして乾に案内されてこの屋敷を訪れた美濃は、緊張した面持ちで多摩が眠っている部屋の扉の前に立っていた。
 この扉を隔てた向こう側にあの多摩がいるのかと思うとドキドキが止まらない。



 寝てるんだよね、・・・静かにしなきゃだめ、かな?



 昔、多摩が神託を授けるためにやってきた初めての夜を思い出す。

 眠れなくてジタバタしていたら多摩を起こしてしまったっけ。
 おんなじようにうるさくしたら起きたりして。



 ・・・だったらいいのに、いっぱい喋りたい事あるんだよ?



 ちょっとした悪戯心と好奇心が心をくすぐる。
 思いがけず警備の手が薄く、ここに来る間に誰ともすれ違わなかった事もそんな気にさせた理由の一つだった。


 多摩に会いたい、昔のままの多摩が扉の向こうにいる、そんな気がした。



 ───キィ・・・



 軋んだ音を響かせ、弾んだ心のままに扉を開く。
 一歩、二歩・・・中に進んだ。

 けれど、中の様子に少し驚いて彼女はそのままの感想を口にした。


「・・・・・・ねぇ、乾。この部屋どうしてこんなに暗いの?」

「・・・安眠出来るようにじゃないのかな」


 あまりに適当な答えに幾分不服そうな美濃であるが、足下がやっと見える程度の薄暗さに注意がいってしまい、それ以上聞くことはなかった。

 それにしても妙に底冷えがする。
 扉の中と外では気温の差が随分あるような気がした。


「・・・・・こんな所に一人じゃ・・・・・・多摩、淋しいよ」


 ぽつり、とそんな事を言う美濃に、乾は驚いた。
 多摩はずっとこんな場所にいたのだ。


 だから当たり前のように思って、そんな発想など少しも生まれなかった。



「ね、乾。・・・多摩はあのベッドに寝てるの?」


 やや目が慣れてきたらしい美濃は少し離れた先のベッドを指差した。
 乾が頷いてみせると思い切ったように多摩の元へと駆け寄った。


 美濃はじっくりとその寝顔を覗き込んだ。
 薄暗くてはっきりとは見えないけれど、それは多摩の面影を強く残した青年の顔だった。

 全てが整い過ぎて冷たい印象を受けるその造形は、あの頃よりも成熟して色気すらも感じさせる。
 暫し魅入ってしまった美濃は、「はぁ・・・」と溜息を漏らして多摩の顔の横に頬杖をついた。


「もー、どうして多摩ってこんなに大人っぽいのぉ? ・・・これじゃ私なんて、全然成長してないのと一緒だわ」


 ズルイー、などと頬を膨らましている美濃の様子に笑いを堪えるしかない乾。
 第一声がそれ!? と、突っ込みたくて仕方なかった。

 肩を震わせて笑う乾に気づいた美濃は「なによぉ」とやや不貞腐れている。
 しかし、再び多摩に視線を戻してジッと見つめていた美濃は、ややして素朴な疑問を口にした。


「多摩はどうして寝てるの?」

「・・・あー・・・っと・・・」

「いつ起きるの?」

「・・・・・・いやぁ・・・」

「それって言っちゃいけないこと?」

「・・・そのぉ・・・なんていうか・・・」


 はっきりしない乾の様子に何だか悲しくなる。
 どうして多摩の事を誰も教えてくれないのか。

 ちょっとだけ涙が目に滲んだ。



「・・・・・みんな、隠してる・・・」

「え?」

「父さまも母さまも、他の者も皆・・・私が聞いても肝心な事、答えてくれない・・・・・・私がまだ子供だと思ってるから?」

「・・・・・・それは」


 確かにその通りだった。
 身体は大人になっても心がまだ幼い美濃に、周囲は肝心な事を言えないでいる。
 言えば傷つける、・・・そう思っての事だった。

 今回の事にしても、ここに至るまでの真実についての一切は隠し通すようにと通達されている程なのだ。

 実際、目の前にいる美濃を見ても少女のようだ・・・と乾は思う。
 最初彼女を見たときは随分女性らしくなったと思ったのだが、まるで小さな子供のように疑う事なく懐に入ってくるその様子は純真そのもので、穢れを知らない。


 ・・・これは苦労するな、巽。

 彼女をどんな気持ちで見守って来たのか。

 この様子では、手を出しているようには到底見えない。
 巽の辛抱強さに頭が下がる。
 全く持って自分には出来ない芸当だ。



 だが、・・・そんな彼女が昔も同じように、僅かな時間を多摩と過ごしたのなら・・・

 多摩にとって、どれだけ眩しく輝いた日々だったろうか。





 きっと、何ものにも代え難いほどの───










「きゃっ!? なによーっ、急に腕つかまないでよねっ、ビックリするんだから!」






「・・・・・・・・・どうし・・・っ、

          ・・・・・・っ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・!!?」






「起きたなら起きたって言ってよねーーっ! ・・・っていうか、腕イタイってばーーっ!!」






 大騒ぎしてジタバタしている美濃の腕を掴む腕。


 それはしっかりと意志を持ち、
 『痛いんだってばーっ!』と喚く美濃の言葉を受けて、力を弱めた。






 信じられない思いが乾の心の中を埋め尽くす。



 何を語りかけても反応ひとつ無かったというのに。


 大体、未だ紅い欠片は巽の手の中。
 身体の中心は欠けたままで足りないはずなのに・・・?






 それが、美濃が側にいる、というだけで───









「もー多摩のバカっ、寝てたんじゃなかったのー!?」



「・・・・・・・・・・・・美・・・濃・・・・・・」




 小さく掠れた声が彼女の名を呼ぶ。
 うっすらと開いたその瞳は美濃だけしか捉えていない。







「・・・・・・・・・美  ・・・・・・ 濃・・・・・・・・・・・・・・・」








 真っ直ぐ。


 真っ直ぐ。



 美濃だけを───







「・・・・・・・・・多摩? どうしたの?」




「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・美  ・・・・・・・・・・・・  濃  ・・・・・・・・・・・・ 、・・・・・・美濃、・・・・・・美 ・・・濃 ・・・・・・美  濃・・・・・・・・・」







 それしか知らないとでも言うように、繰り返すのは、彼女の名前だけ。






「・・・・・・苦しいの・・・・・・? そうだよ、私、美濃だよ?」






 熱に浮かされたような瞳で美濃の名を繰り返す多摩の姿に、乾の中の全ての点と線が繋がった。






 今思えば、神子の里の入り口に立ち、毎日のように見つめ続けていたのは、都だ。

 都を思っていたわけではない。


 その場所にいる美濃を想い、日々彼女だけを想い・・・




 では【欲しいもの】とは───









「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・美濃・・・・・・・・・・・・」


「・・・・・・多摩・・・・・?」







 他の誰にも見せたことがないような無防備な顔をして、多摩は美濃を見つめる。

 存在を確かめるかのように、何度も、何度も。






 とても静かだった。

 静かだから余計に多摩の声が響いていた。





 いやちがう。

 きっとこれが多摩にとっての慟哭。




 だからこそ、こんなにも心に刺さるのだ。







「・・・・・・・・・・・・・・・美濃・・・・・・」






 今、この場で何も理解していないのは、美濃だけだ。

 だが、彼女がどうして理解してやれるだろう。








 嵐が来る。


 そんな気がしてならなかった───










第7話へつづく


<<BACK  HOME  NEXT>>



Copyright 2008 桜井さくや. All rights reserved. Never reproduce or republicate without written permission.