『呪縛』

○第7話○ 運命の選択(その2)









 ───翌日。


 まだ朝陽が都を照らし出したばかりの時間帯だったが、巽は身支度を早々に整えると神子のいる屋敷へと向かっていた。

 道中不思議なことが一つあった。
 朝の弱い筈の乾に出くわし、共に行く事になったのだ。




「こんなに朝早くお前が起きている事もあるんだな」

「自分でも驚いてる」

「・・・・・・?」

「何でだろうなぁ・・・」


 自分の行動の不可解さに頭を捻る乾。
 本当に分からない、という顔をしている。

 実際、何故か今朝に限って早く目が覚めたのだ。
 二度寝しようにも目が冴えて眠れず、ふらふらと朝の散歩をしていたところを馬に乗った巽に会った。
 暇といえば暇を持て余していた彼は、偶然出会った巽に誘われるままに着いていくことになり、現在に至っている。


 緩やかな上り坂を歩きながら空を眺める。
 こんなにゆったりと景色を眺めたのは随分久しぶりのことだ、と思った。



「最近じゃすっかり有名人だな」

「・・・俺は目立つのはどうも苦手だ。・・・全くこんな扱い、性に合わないと思っているんだ」

「はは、そう言うなって。それだけここが平和だって事だよ」

「・・・それはそうだが」


 連日のように繰り広げられる祝宴の数々・・・
 それは生還した乾も同時に祭り上げられる結果となっていた。

 正直お互いうんざりしていたが、平和で豊かな証拠でもあると感じていたのも事実だ。



「だけどこんなに朝早くから多摩に会いに行くなんてどういう風の吹き回しだ? 欠片を返しに行くとか? ・・・実際陛下の許しはもう出てるんだろう?」

「・・・あぁ。だからそれも考えにはあるが、少し話してみたくなったんだ。彼が今何を考えているのか、何を感じているのか、聞いてみたい」

「へぇ・・・それは俺も是非聞いてみたいね」



 巽と多摩、二人が対峙した時、果たして何が起こるだろう。
 ふと、そんな好奇心が首をもたげた。



 多摩の中に異変をもたらしたものがあるとすれば、美濃の存在ただ一つだ。
 彼女が覚醒に関わった最大の要因。

 なぜなら、明らかに多摩の目覚めは自然の流れではない。
 本来なら欠片が身体に還ることによって覚醒する筈だった事はまず間違いないと言っていい。

 世界に唯一人しかいないような瞳で美濃を見つめ、彼女の名前をひたすら繰り返す。
 あれ程胸の内をさらけ出したむき出しの感情など、そう見られるものではない。

 だから理解したのだ。
 彼の“欲しいもの”が何なのか、何を手に入れるために神子の里を滅ぼしたのか。


 全てはあの少女を手に入れようと切望する彼自身の為。


 だが、美濃には巽がいる。
 目の前のこの男が、昔も今も彼女が一途に慕い続けるただ一人の男だ。


 多摩にとっては誰よりも邪魔な存在になるだろう。


 二人が対峙した時・・・・・・
 俺はどうする?






「お前は神子殿の目覚めの瞬間も側にいたんだろう? どうだったんだ」

 そう聞かれ、少しだけ現実に戻ったところで頭を捻る。


「・・・・・・んーー・・・・・・そうだなぁ・・・」


 目覚めの瞬間・・・・・・
 思っても見ない事が起きた、と思ったのは確かだ。

 だけど、それとは別に・・・


「・・・コイツ生きてたんだなぁ、って」


 漠然と、思った。
 随分長いこと死んだような状態だったから、動いて喋っているのを見るのが不思議で仕方なかったのだ。


「今も一日の大半は寝てるけどな。それでも俺にとっては奇跡みたいなもんだ」


 全ては終わったのだと、そんな風に考えていた。
 動くこともなければ呼吸すらしないその肉体は、朽ちることなく肉体だけが成長した。

 そこにあるのが生命体なのか、それとも単なる人形なのか、最早なんと呼べばいいのか分からない。
 そんなものに対して希望を持つなど長くは続かない行為だった。

 彼の身体を【処分】出来なかったのは、『欠片』の夢を見続けたから、それだけのことだった。
 その夢を見ている間だけは、多摩の意志が語りかけているみたいで・・・



「・・・実は俺は・・・少し恐怖を感じている」

「え?」


 巽から出た思いがけない言葉に思わず耳を疑った。
 恐怖なんて言葉、今までのつきあいで一度だって聞いたことがない。


「何というか・・・その・・・神子殿は外の世界から隔離され閉じこめられてきたんだろう? 彼を一己の人格として扱ってくれる大人がいなかったのは憤りを感じるしかない。・・・だが、現実問題として、そうやって成長した人格がどこか歪みを生じてしまった、という事があっても不思議ではないと思う。俺はその歪みが大きければ大きいほど、危険なのではないかと・・・・・・」


「・・・・・・まさか、それを確かめるために?」



「何も無いに越したことはない。そのときは俺が小心者だったと笑えば済むだけの話だ」



 そう言ったきり、巽は前を向き黙ってしまった。

 彼の目は直ぐそこにそびえ立つ屋敷に注がれ、中にいる人物に集中している。
 どこまでも誠実で潔癖で正しいこの男にとって、多摩の内に潜む何かを確認しない訳にはいかなかった。
 この目で見たものが危険分子と判断されるなら、例えその後、どのような裁きを受けようとも、一撃の下にその命を奪い去るつもりなのだ。



 だが、巽はまだ知らない。



 多摩に近づく事こそが、最大の過ちであるということを───
















▽  ▽  ▽  ▽



 俺は朝が苦手らしい・・・


 多摩はため息をつきながら、朝陽を恨めしく感じていた。

 窓から差し込む光が暗闇に慣れた多摩には眩しすぎるのだ。
 そこから逃れようにも少し動くだけで胸が痛んで、身動き一つ満足に出来ない己を呪う。


「・・・美濃め、・・・・・・・開けたまま帰ったか・・・・・・」


 眩しいのは当然だった。
 室内全てのカーテンが全開なのだ。

 来るたびに美濃は室内に光が入ってくるよう、カーテンを全て開けてしまう。
 やめろと言っても、この部屋は暗すぎると言って聞く耳を持たない。

 せめて閉めて帰れ、と密かに嘆息する他なかった。


 少しして胸の苦しみが僅かに落ち着いたので、その隙にベッドから降りてカーテンを閉めた。
 たったそれだけの行為で息が荒くなり、額に汗が伝う。
 床を這うようにしてベッドに戻ったが、暫くの間全身が苦痛で悲鳴を上げているようだった。





「・・・・・・はぁ・・・っ・・・・・・、・・・はっ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・っ、・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ───?」










 ───ふと、

 多摩は異変を感じた。





 息の整わない呼吸を止め、彼はドアの向こうに意識を集中させる。


 誰かがいる。



 まだ屋敷に侵入したばかり、・・・男2人・・・
 数分後、必ずこのドアを開ける。


 ひとりは、乾。
 もうひとりは・・・・・・・僅かだが、憶えがある波動、・・・・・・。
 男、乾が連れてくる男、親しげだ、・・・・・・まさか。




「・・・・・・・・・巽か・・・?」




 ・・・何をしに来た?

 俺に何の用があるというのだ。
 わざわざ早朝を狙って欠片を渡しに来たというわけでもないだろう。


 一度だけ会ったことのある巽は、多摩を探るような眼で、・・・そう、まるで観察しているかのようだった。
 こんな風にやって来るということは、相応の目的があるのだろう。


 目的?
 それが何だというのだ・・・


 ギラリ、と紅い眼が光る。
 あの男が近くにいる、それだけで俺にとっては好都合だ。


 笑い声がそこまで来ている。

 三歩、
 二歩、

 ・・・・・・一歩。



「よう、多摩。珍しく起きてたのか。今日は客を連れてきたんだ、巽、覚えてるか?」


 陽気で聞き慣れた乾の声がドアを開けると同時に多摩に話しかける。
 乾の隣の男、巽が無駄のない動きで一礼した。


「突然申し訳ありません。・・・・・・少し話を・・・と思いましたが、顔色が良くありませんね・・・・」

「・・・いつ来ようがこんな状態だ。出直せとは言わぬ、入れ」


 多摩の許しを得て、二人は中へと入った。
 ベッドの側まで近づいた巽の顔を静かに眺め、多摩は口を開いた。


「おまえの事は覚えている」

「光栄です。私も神子殿の事は印象深く覚えております」

 言いながら、まるで多摩の様子を窺うような巽の視線。
 多摩はつまらなそうにそれを受け流した。

「俺はもう神子ではない。やめたのだ」

「・・・なぜです?」

「どうせ知っているんだろう? おまえは乾と親しいらしいからな」

「私はあなたの口から聞きたい、その真実を」

「聞いてどうする? 口外して回るか」

「誓ってそのような事はしません」


 巽の言葉が笑いを募らせ、多摩の口角が持ち上がる。


「誓って、だと? おまえは何に誓いを立てている?」

「・・・自分自身にです」

「ほう・・・おまえはなかなか面白い事を言う」


 片眉を持ち上げ、巽の顔をのぞき込む。
 今度は多摩が彼の心を見透かすように見ていた。

 横で静かに二人の様子を見守っていた乾は、目に見えない火花が散っているような錯覚に囚われる。
 数分後の予測も出来ない、そんな気分にさせられた。



「俺の何を知りたい? 神子をやめると言うのがそんなに珍しいことか?」

「私が知る神子はあなただけですので、珍しいかどうかの判断は出来かねますが、世間的には驚く程の事だと思います。中には神子を神格化する連中も存在しますので・・・本人がこんなに簡単に切り捨てたとすれば色々と問題もついてくることでしょう」

「ふん、神子などその力さえあれば誰でもなれるのだ。必要なら力を持った者を探し出し、神子と呼べばいい」

「その神子の力というのは、かの滅びた里で生まれた選ばれし者にしか現れることが無いと聞いたことがあります。つまり、里が滅んだ今、あなたが最期の神子、と考えるのが正しいのでは?」

「言い切れる者がどこに存在する? あの土地に特別な力が眠っているとでも? 愚かな事だ・・・たったそれだけの理由で俺に固執するというのか。・・・俺は双子の父が交互に犯した娘から生まれたらしいぞ。気まぐれな交尾の結果、俺を腹に宿した女は産んだ直後に老婆と化した。だが、里の連中は何もなかったと耳をふさぐ。全ては神子を量産するため、神子が得る報酬は里の連中にとって何よりも甘い蜜だからだ」

「・・・・・・・・・っ」


「例えばこんな話を神子を神格化する連中に聞かせても、まだ有り難いと手を合わせるか?」



 多摩に言わせれば単にその力があるから神子になっただけの事。
 それも望んだわけでもなく、強制的に決められたものだ。
 特に違和感を感じなかったのは、外部から極端に隔離された状態での生活が大きい。
 実際、神子はあの里の者にとって金のなる木だったわけで、そう言った意味では多摩は利用されたに過ぎないのだ。


「俺はそこの乾に言わせると世間知らずなのだそうだ。あの里にいる時は、自分勝手に出られないよう外から錠を掛けられていたものを、それに対して俺は何も感じなかった。全てが白く塗りつぶされた屋敷の中も、時々外に出たときに見る里の風景に若い女がいないと言うことも、生きている世界全てに対して特に思うものはなかった」


 ただ流れるだけの時間と空間。
 そこには目をとめて何かを感じるものは存在しなかった。
 喜怒哀楽と呼ぶべき感情はどこにも無かったのだ。



「・・・・・・では、神子の里を消滅させたのは何故です? 特に思うものが無いのなら、そのような行動に出ることも無かったはず」

「思うものが有ったのだ」

「・・・・・・っ」


「欲しいものが出来た。それを手に入れるにあたって、俺は自分が不自由だと言うことに気づいたのだ。あの土地にいる全ての者が俺の自由を奪い尽くす邪魔な存在。消滅させる事が一番簡単な方法だったのだ」



 凍てつくような紅い瞳が、一部始終を無感動な表情で物語る。
 あれは報復などではない。
 そのような価値のある連中ではなかったのだと。

 あの消滅は自分の動きを軽くするため、それだけのためだったと。





「・・・・・・・・・欲しいものとは・・・? そうまでして手に入れたいものとは・・・」




 ───王の座か、そして国を乗っ取るか、それとも・・・

 何にしても危険な存在であることは間違いない。
 欲しいものを手に入れる為なら、どんな事でも躊躇しないという彼の思考は放っておけるものではない。

 彼は善悪の区別もつかずに己の意のままに動いてしまう、力を持った実に畏怖すべき存在だったのだ。


 やはり欠片を返すわけには・・・・





「美濃が欲しい。・・・・・・俺は、美濃が欲しいのだ」




「・・・・・・・・・っ!!!!」






 ───カリ・・・ッ



 多摩は何かを口に咥えていた。
 ニヤリ、と笑い、己の赤い舌に乗せ、それが何であるかを見せつける。



「・・・っっ!!!!」



 だが、それは。

 ばかな。
 それは巽の軍服の内ポケットに、小箱に入れて仕舞っておいたはずのもので。




「───・・・っ、どうやってそれを・・・・・・・・・っ!!」





 ───ゴク、・・・ン



 奪い取ろうとする前にそれを飲み込んだ多摩は、巽の腕をつかみ取る。


 目が、合う。
 とても紅い眼だ、と思った。
 笑みを零す・・・

 とても、満足そうな、充実した・・・


 たったそれだけの表情に、言いようのない絶望感が巽の身を襲った。









その3へつづく


<<BACK  HOME  NEXT>>



Copyright 2008 桜井さくや. All rights reserved. Never reproduce or republicate without written permission.