『呪縛』

○第7話○ 運命の選択(その5)








 多摩は、その繊細で完成された容姿とは裏腹に、物事を緻密に計算して動く性質を持たない男だった。
 同時に己の力のみで全てを成し遂げようなどという血気盛んで無鉄砲な若者のような思考は皆無であり、大抵はその瞬間の己にとって最も魅力的で気分の高揚出来る方法を、思いついた順から行動に移していく。
 彼が好きに振る舞う事の出来た事など、これまでの拘束された人生では数えるほどしかないが、その数少ない事例として、かの神子の里での最期が挙げられる。
 そして乾や伊予が側にいることを受け入れているのでさえ、気まぐれの一つかもしれなかった。


 だからこそ、今回彼が巽の力を目の当たりにして興味を持ったのは自然の流れで、そこに慈悲や感情的な動きは存在せず、ある意味『らしい』行動と言えた。


 多摩自身、両腕の骨を砕かれ内臓に損傷を負い無傷ではない。
 多少の事で血液が逆流して吐血する有様だ。

 だとしても、その傷が致命傷になったかと言えばそうでもなく、彼にとっては『こんなもの』と笑い飛ばせるほど今まで受けてきた拘束の日々の方が苦しいと思えるもので、それすら心の傷にはなり得なかった彼にとって他愛も無い出来事だった。




 結局の所、多摩には美濃が手に入るのなら何だって良かったのだ。










 空は黒雲が更に増して、この世を覆い尽くそうとしているかのような勢いで、側に立つ大木に直撃しては次々となぎ倒し、多摩を主人であると歓迎するかのように稲妻の壁が宮殿への道を作り上げる。



 途中、幾人もの兵士が逃げまどう姿があったが、その都度爆発して消えた。



「確かにおまえのその力は、俺以外には効果的に働くようだ」



 多摩の横には表情無く付き従う巽の姿があった。

 巽の眼は休むことなく光り続け、小爆発があちこちで起こっている。
 視界に入る全ての命をことごとく奪い続ける姿は悪鬼のようで、穏やかで心優しいあの男の姿はどこにもなかった。


 多摩はそこかしこで起こる小爆発を愉しげに眼を細めて見ていた。




「美濃・・・おまえの望みを叶える時が来たぞ」




 愉しい、愉しい。

 考えるだけで高揚する。



 おまえの望みは、俺がおまえの側で生きること。

 俺の望みは、俺の世界におまえが生きること。



 俺たちの望みは同一のものだ。





 荒れ狂う空が嗤う。





 おまえがいないと、無性に喉が乾いて堪らない・・・


 どうして俺はこれ程までに、おまえを欲するのか。












▽  ▽  ▽  ▽


 宮殿内も外の光景同様、逃げまどう人々の叫び声に包まれていた。

 当初はここにいれば安心と誰もが思っていたものを、雷雲が宮殿を中心に発生し始め、ついには稲妻が宮殿へと繋がる道を作った。
 一番危険なのは宮殿だ、そう判断するやいなや我先に逃げようと皆が一斉に騒ぎはじめた。
 今までの穏やかで平和な日々が信じられない勢いで、目に見えない何かに壊されていく・・・そんな予感がした。


「美濃ッ!! 部屋へ戻りなさい! ここは危険だ」

「父さま、母さま、・・・コワい・・・」


 王と王妃が呆然とその光景に立ちつくしていると、最愛の娘が涙を溜めながら侍女も連れずたった一人ぽつんと姿を見せた。
 二人ともその姿で我に返り、平常心を取り戻した。


「大丈夫、何も起こらない。少しだけ空が荒れているだけだから」

「・・・・・・でも・・・みんな・・・怖い顔してる。・・・こんなの初めて・・・ッ」

「少しの間だけだ。美濃、母さまと一緒に部屋に戻っておいで」

「父さまは・・・?」


 ぐすん、と幼く泣く美濃を王は強く抱きしめた。

 何が起こっているのかなど、分からない、分かるはずもない。
 分かるのはこの身に肌で感じる危険だけだ。


 もしもの時は、せめてこの子だけでも・・・・・



「私も後で行く。皆一緒だ、良い子で待っておいで」

「・・・・・・う」


「さぁ、・・・・・・玉欄、美濃を頼む」

「・・・・・・陛下・・・・・・必ず・・・・・・・」


 妻の瞳が不安げに揺れている。
 安心させるためにゆっくりと頷くと、王は二人の姿が見えなくなるまで見送った。


 こんな事は恐らく建国以来初の出来事だろう。
 宮殿入り口から続く稲妻の壁が道をつくり・・・まるで何かをここへ導いているかのように。
 空はどす黒く危険な様相を呈して、ここが地獄だと言われても納得してしまいそうな程、かつての姿とかけ離れていた。



 何が起こっているというのだ・・・っ



 上も下も無く逃げまどう人々の姿を目で追いかけ、汗ばむ手を握りしめた。
 宮殿出口では怒声が飛び交い、我先に逃げようと醜い争いが起こっている。

 ほんの一時前までの穏やかな風景などどこにもない。




 ・・・と、




「きゃああああっ!!!!」



 出口付近から女の悲鳴。

 ドン、ドォンッ、ドォン と何かが次々と爆発する衝撃音。



 王は果敢にも宮殿出口へ走った。
 直ぐそこで何かが起こっているというのに、見て見ぬふりなど出来るものか。



「陛下、ここは危険です!! 裏の出口からお逃げください!!!!」


 途中何人もの兵士に同じ言葉で呼び止められたが、進む足を止めることはしなかった。




 そして、



 ───バァ・・・ンッ



 目の前の人々が・・・今の今まで必死で逃げようとしていた人々が・・・

 突然爆発して一斉に弾け飛んだのだ。


「・・・・・・ッ!!!! な・・・一体何が起こっている!?」


 考えにも及ばない出来事だった。
 だが、このような所業を可能にする人物が一瞬脳裏を掠める。

 それだけは有り得ない、そんな筈は無い。

 馬鹿馬鹿しさに己の考えを即座に打ち消した。



 しかし、

 打ち消したばかりのその悪夢のような考えが現実のものとして、彼の目の前に現れたのである。



「・・・・・・・・た・・・・・・つみ・・・・・・・・ッ!」



 巽と・・・彼の肩に担がれているのは、乾・・・おびただしい血が服を汚し、恐らく意識がないものと思われた。
 その隣には女、髪の長い美女が青白い顔をしている。
 もしかしたら震えているのかもしれなかった。

 更には・・・・・・殆ど寝たきりだと聞いていた神子の姿が、ゆらりと彼らの中心から躍り出たのである。




「・・・・これは・・・どういう・・・」


 王が口を開いた途端、後ろで走り回る男達数人が爆発音と共に弾け飛んだ。
 見れば明らかに巽が彼らの方角に視線を向け、瞳から光を放っていた。

 王が知っている巽の能力は確かにこのような所業が成せるものだ。
 だが、決して乱用する事はなく、むしろあまりに残虐な能力故に忌み嫌い、殆ど使用することが無かった。


 そんな男だったからこそ美濃の相手にも相応しいと考え、全幅の信頼を彼に寄せていたのだが・・・


 次々・・・次々に巽の視界に入った者が片っ端からはじけ飛ぶ。
 もはや力の乱用という言葉では片付けられない。


 これは、これは・・・一方的な殺戮だ・・・!!!




「おまえ、憶えているぞ。何度か会った。美濃の父親だな?」


「・・・・・・」


「巽よ」


 無表情な横顔に話しかけ、多摩は薄く嗤う。


「つい先刻までおまえが忠誠を誓っていた男だ。流石に他の輩とは違い、逃げたりはせぬあたり、それなりの度胸があるようだ」


 巽は無言で王を見た。
 その視線は先ほどから乱用している力を使う為のものではなく、多摩の言葉を受けて目を向けた、それだけであった。

 元より表情豊かな男ではなかったが、今は表情そのものが失われ、感情自体が存在しないかのようだ。


 何故このような事になった?
 何故多摩が巽を従えている?


 何故・・・、ここまで非道い所業が成せる?



「・・・・・・何が目的だ」


 王の一言に感心したように多摩の目が細められる。


「美濃を」

「・・・・・・ッ!? 美濃・・・だと!?」

「あれは俺のものだ」


「ならぬッ!!」


 はっきりと言い放った王に、多摩は笑いで返した。
 整いすぎたその顔が愉快そうに笑う。

 何がおかしい・・・?

 訊こうとしたが、身体の芯が凍ったように動かない。



「・・・・・・では、台本通り選択権をやろう。どちらかを選べ」

「そのような事、受けるはずが」

「おまえがこの国の主導権を握っていると知っているから与えるのだ。その辺の雑魚に選ばせてやっても良いのだが・・・それはそれでつまらぬ」

「・・・・・・な・・・ん・・・」

「国を左右する、とても簡単な選択だ」

「・・・・・・ッ」


 王は奥歯を噛み締め、屈辱に耐えた。
 この男は分かっているのだ。

 国という言葉に、耳を傾けない国王など存在しないことを。




「・・・・・・・・・聞こう・・・」



 多摩が冷酷に笑った。



「美濃を俺に差し出すか、それとも、儚い抵抗を試みるか」





 美濃を差し出せば、忠実な下僕として生かしてやろう。

          ───肯定した場合は繁栄が約束され・・・



 抵抗すれば、皆、残らず消してやろう。

          ───否定した場合は静かなる世界が約束される・・・





「分かるだろう? 既に主導権はおまえではなく、俺に移っている」





 どちらを選んでも、美濃の辿る道は同じではないか。





「・・・何という・・・・・・ッ・・・・・・ッ」


 何という事だ・・・こんな事があの神託の意味する真実・・・・・・・・


「・・・巽!! お前はこのような事を言われても黙っているのか!? 美濃はお前を好いている、小さな頃から巽しか見ておらぬ!! あの子を託せるのはお前だけだと信頼を寄せた我らの気持ちを無かったことにするのか!?」


 王は巽に掴みかかり、叫ぶように訴えた。
 揺さぶられた勢いで肩に担いだ乾の身体がぐらりと揺れた。

 だが、目の前には感情の灯らない目をした男しかいない。
 この男はもはや巽ではない、おそらくは何らかの作用で操られて・・・そうは思っても、あの強く優しい男が、美濃をとても大切にしていた男がこんな状況に打ち勝つことも出来ず、殺戮の限りを尽くしているなど。


「・・・・・・巽・・・・・・お前にしか・・・・・・、・・・美濃を託せぬと言っているのだ・・・・・・ッ!!!」


 何故このような事になったのだ。
 神子は丘の上の館で起きることも叶わず日々を過ごしているのではなかったのか。

 この神子を誰よりも危険視して、最期まで欠片を還すことを躊躇っていたのは他でもない、巽自身だった。
 だからこそ、神子の心臓の一部と言われる欠片を巽に託し、彼が納得しない限りは神子の手元に渡るはずがなかったというのに。










「・・・・・・・・・陛下・・・・・・」



 巽の・・・低くよく通る声が。

 絶望感に打ちのめされそうになる王の耳を掠めた・・・




「・・・・・・巽・・・・・・、・・・・・・お前・・・・・・」



 もしや、自分の言葉が彼の心に届いたのか、

 それとも、今までのは全部多摩を欺くための芝居だったのでは、


 あらゆる期待を思わず胸に抱いてしまう。




「・・・陛下・・・・・・・・・・・・、美濃さまを差し出しなさい」



 再び絶望が押し寄せる。
 感情の無い目が、淡々と。



「・・・・・・この方に、差し出しなさい」




 これまでの日々は一体なんだったのか。





「・・・・・・愚か者め・・・ッ、命より大切な娘を貴様のような輩に渡せるものか!!!」



 王は腰に差してある剣を抜き、一瞬で切っ先を多摩の喉元に突き当てた。
 ・・・が、それより先に多摩の足が空を蹴り、音もなくフワリと舞い上がった。
 重力を感じさせない軽やかな動きに身体が反応する前に、多摩のつま先が剣先を滑らかに鋭く弾き、剣そのものが弧を描いて数メートル先の床に突き刺さる。


 多摩はそのまま王の背後に舞うように着地し、


「答えは後者か・・・・・?」


 涼やかな眼差しで低く言う。





 後者───儚い抵抗を試みる・・・・・・




「・・・・・・は・・・・・・ッ」



 ただ後ろに立っているだけだというのに、・・・一体なんだこれは。


 我々は・・・

 何という恐ろしいものを神子として崇めたのか。
 神子と呼ぶにはあまりに対極の、邪悪な存在を赦したのか。


 王は己の無力に愕然とその場に膝をついた。





「・・・何だ、もう終わりだというのか・・・・・・?」


 戦意喪失した王に落胆した多摩はため息を吐き、骨が砕けた己の腕をやんわりと撫でながら天井を見上げる。
 誰が見ても多摩がこの状況に冷めてしまったのが見て取れた。


「・・・あぁ、つまらぬ、つまらぬものを相手にしたようだ。手足を千切られても抵抗する姿を期待したものを・・・・・・ッ、・・・・・・もう面倒だ、後はおまえ達に任せる」


 多摩は唾を吐き捨てるように言い放ち、相手にする価値すら無いと振り返ることなくその場を去った。
 残されたのは王と巽、肩に担がれ意識の無い乾と、斜め後ろに佇んだ伊予。



 王はそれでも己の死を間近に感じた。


 民も、家族も、何一つ護ることが出来ぬまま・・・



「・・・・・・何故・・・美濃が・・・・・これではまるで生贄ではないか・・・・・・」



 大事に、大切に育ててきたというのに。
 こんな事になるために愛してきたわけではないのに。






 巽は、膝をつき何も出来ぬ王を見下ろし、静かに言い放つ。




「・・・・・・・・・残った者を連れて逃げるといい」




「・・・・・・・・・・・・ッ!? ・・・・・・巽・・・!?」




 見上げると、無表情なままの巽が自分に目を向けている。
 先ほどと何一つ変わらない雰囲気をまといながら。





「・・・・・・ここはもうすぐ完全な結界が張られ、誰も入る事が出来なくなる。周囲数百キロ四方はあの方の標的となり、生命反応のあるもの全ての命が奪われるだろう」


「・・・・・・・・・」


「・・・・・・・・今日のあなたは興ざめするほど情けない」


「・・・・・・・・・」


「・・・だから、情けないついでに出来るだけ遠くまで死ぬ気で逃げるといい」



「・・・・・・・・・巽?」



「次に会うときは、もっとマシな男になっているといいですね。・・・・・・それで真っ先に俺を殺すといい・・・不甲斐ない男と、八つ裂きにすればいい」




 巽はそれだけ言い残すと、手を下すことはせずに足早にその場を立ち去ったのだった。
 王が何かを叫んだが、巽が振り返ることは決してなかった。

 伊予は慌てて巽を追いかける。
 彼の顔を見上げるが、やはり表情がない横顔しかなかった。



 だけど、とても切なくて悲しいと・・・

 彼が今にも泣いてしまうのではないかと思ったのは・・・・・




 単なる思い違いなのだろうか。









その6へつづく


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