『呪縛』

○第7話○ 運命の選択(その6)









 多摩の足に迷いは無かった。
 不思議と彼には美濃の居場所が手に取るように分かるからだ。


 彼女の存在だけはどんなに遠く離れていても確認する事ができる。
 あの神子の里からでも。









「母さま、どうして隠れるの?」


 衣装箪笥に美濃を隠すため、閉じこめようとすると不安げに瞳を揺らす我が子を母は無言で抱き寄せる。

 美濃の疑問に対する答えは持っていない。

 どうして・・・それは自分にも分からないことだった。
 直感とでも呼ぶべきか。

 この子を隠さなくてはいけない。

 追いかけてくる何かに美濃を渡してはいけない。



「絶対に・・・私が開けるまで、ここを出てはだめよ」


 母はもう一度美濃を強く抱きしめると、衣装扉を閉めた。
 扉が閉まる直前美濃が手を伸ばしてきたが、千切られそうな想いで見なかったことにした。


 この不安の元凶がそこまで来ている。
 だからといって自分がどうすればいいかなど、見当もつかない。

 本当は立ち向かったからと言って、どうこう出来る相手ではないのだろう。
 この宮殿へ向かう雷光の道は思い出すだけで身が縮まる・・・・・・もしかしたら今この瞬間さえも、既にこの世のものではないのかもしれないと思えてくる。



 それでも・・・







「おまえは誰だ?」


 消え入りそうな決意を繋ぎ止めるように息を吐き出すと、低い男の声が部屋の扉から降ってきた。
 緊張で震えが走ったが、気丈にも彼女は声の主に毅然と振り返った。


「・・・・・・王妃か、おまえも見たことがある」


 あまり抑揚の無い男の声。

 薄暗い部屋の中、目を凝らすと驚くほど整った美貌の青年が静かに佇んでいた。
 長い黒髪が艶やかに流れ、色白の肌に浮かぶ双眸の瞳が紅く煌めく。

 若い乙女であれば一目で恋に落ちてしまうかもしれない。


 だが・・・どこかで見たことがある・・・?


 男は一歩、二歩とこちらへ近づいてくる。
 側に来るほど彼の容姿が鮮明となり、一人だけ、過去の記憶と重なる者がいた。




「・・・・・・神子・・・・・・?」


 男は嗤う。


「・・・そう呼ぶ者も少なくなった」


 やはり・・・。
 彼は、あの日の少年神子。


 美濃がとても気に入っていた、あの・・・・

 だが殆ど動けない状態だと・・・



「なぜ美濃を隠す?」

「・・・・分からないわ。・・・・・ただ、私は、あなたが美濃をどうするつもりなのか・・・それが恐ろしい・・・。姿だけは大人の女性になったように見えても、あの子はまだ世間知らずの子供よ」

「知っている。何一つあの頃と変わらぬ無防備なままだ」

「だったら・・・っ、そのままの関係でいてはもらえないの?」

「・・・・それは俺が決めることだ」


 薄く笑った顔が冷酷に歪み、王妃は黙り込んだ。

 どうあっても変える事は出来ないのか。

 美濃を見ていれば多摩に対して信頼を寄せている事は明白だ。

 完璧に信じ込み微塵も疑う事無く、幼い頃のままの気持ちで・・・・・・



「・・・・・・そう」


 ならば。

 ほんの少しでも、美濃に恐怖心を植え付けることが出来れば或いは・・・



 ごくり、と唾を飲み込む。
 これが正解だとは、思えない。

 けれど・・・

 それでも何もしないよりは。



「・・・・・・神子の里を滅ぼしたのは・・・あなたね・・・?」



 かたん、美濃を隠した衣装扉が小さく音を立てた。

 今どれだけ彼女が動揺しているのか手に取るように分かる。

 だが、美濃が聞いている事が重要なのだ。




「・・・・次は何を滅ぼすつもり・・・?」


 この男に理解出来るだろうか。
 答える言葉によっては、美濃をひどく傷つけるということを。

 美濃の信頼を、裏切ると言うことを。


「・・・何、ということもない。皆、消える」


 涼しい顔で・・・

 男は王妃の罠にかかった。


 絶対の信頼など与えない。
 あなたは永遠に美濃の心を手に入れることは出来ないのよ。


「そうして全て消えて・・・あなただけ生き残って・・・何をしようというの?」

「俺だけではない、美濃も生きる。永遠に二人の世界を手に入れる」

「・・・なら、目の前の私もあなたにとってはとても邪魔な存在でしょう。生まれた時から誰より側で見続けてきたこの目も、あの子が自ら飛び込み、望むだけ抱きしめるこの腕も・・・私という存在そのものがとても憎いでしょう?」


 ぴくり、と多摩の眉がひくつく。
 明らかに美濃の母、という存在に対して苛つきを覚えた。

 あの子が特別に思う存在。
 抱きしめるという行為を簡単に許される存在・・・。

 多摩の眼が紅く光った。

 瞬間、母は一歩下がり、衣装扉に手をかけて思い切り開け放ったのである。


「・・・・・母さまッ!!」


 不安でいっぱいになっていた美濃は、急に拓けた眼前の母の背中に手を伸ばした。
 頭の中は混乱でいっぱいで、とても怖くて仕方なくて、母に縋り付きたくて。


 だが・・・

 伸ばした手を掴んだのは母ではなかった。
 横から強引に掴まれた腕に身体ごと引っ張られて引き寄せられる。


「・・・やっ!」

 きつく抱きしめられるようにかかえられ、苦しくて小さくもがく。
 それすら赦さないとばかりに更に強く掻き抱かれ、自由を奪われた。


「・・・やぁあ・・・・・・っ、ッ・・・た・・・・・・多摩・・・・・・ッ、ど、して・・・ッ」


 どうしてこんな事をするの?

 こわい・・・、こわい、多摩がコワイ・・・ッ

 こんな風に多摩に対して恐怖を感じたのは初めてのことだった。
 さっき母さまと多摩は変な事を言っていた。

 多摩が神子の里を滅ぼした?
 多摩がこの国を壊す?

 二人だけの世界ってなに?


「母さま、・・・か、さまっ!!」


 息が苦しい。
 怖くて仕方がない。
 こわくてこわくて、ここから逃げたくて何度も藻掻く。

 ・・・そして、・・・ふ、と腕の力がゆるんだ。
 美濃は少し自由になった多摩の腕の中から母を振り返り、・・・呆然とした。


「・・・・・・ぁ・・・・・・? ・・・・・・ッ、・・・・・・な、・・・に・・・?」


 さっきまで閉じこめられていた衣装箪笥の側に、母はいるものだと思っていたのだが。

 あるのは開け放たれた衣装扉の中に並ぶ女物の服と・・・・・・
 その傍らに“先ほどまで母が着ていた服”だけが無造作に置かれてあるだけで。


「母さま・・・は・・・?」


 一瞬見た筈の背中は確かに母だったのに。

 疑問と、言いようのない不安。

 次の言葉を発する前にまた強く抱き寄せられた。


「・・・・・・っや・・・ッ、くるし・・・よ」


 頭の中がぐるぐるする。


 コワイ・・・イヤだ。

 何で母さま、いないの?

 何で服だけ、置いてあるの?


 ヤダよ、・・・この腕、コワイよ



 自分が知っている多摩とはまるで別人のように感じて、母がいないという恐怖が何倍にもなって襲ってくる。



「・・・・・・美濃」


 多摩の低い声が耳の側で響く。
 あまりに近くてビクリと身体が震えた。

 一分の隙も無いくらい美濃をきつく抱き、多摩は部屋の窓まで歩いた。
 見事な刺繍のカーテンを半分程開き、嵐が襲う外の様子を静かに眺める。


「・・・外を見ろ」

 命令口調に促され、思わず外を見た。

「・・・ひッ」


 ───真っ黒い、悪夢だ。


 息をのむ。
 なんと言うことだ、黒い空から無数の光が走り抜け、空が地上を襲っているようにしか見えなかった。
 これは、何? どうしてこんな事に・・・お願い、夢なら今すぐ醒めて。


「安心しろ。ここだけは残す」


 多摩が言うことの意味は分からなかった。

 ここだけ、って?

 ・・・なら他は?


 他は残さないとでも言うのか?


 口を開こうとすると、それを拒むかのようにカーテンが閉じられた。
 同時に低い唸り声のような地鳴りで空気の震えが起こり、例えようのない不安だけが駆けめぐる。
 ガチガチと身体が震えてきて、外から聞こえてくる断末魔のような酷い唸りに悲鳴をあげそうになる。

 多摩は震える美濃を抱えながら、部屋を出た。

 向かう先は美濃の部屋だった。
 階段を何度か上に上がるその動きに迷いは無く、いとも容易く辿り着く。


 その間、美濃はただ震えていただけだった。
 外から響く音も、母がいないことも、多摩に対しても、何もかも怖くて・・・暗闇の中一人で放り出されたみたいで堪らなかった。

 だから、彼が何の目的をもってここにやってきたのかなど、彼女には計り知れないことだったのだ。





「・・・きゃあ・・・ッ」



 気がついた時は、ベッドに放り投げられていた。


 突然の事で何が何だか分からない。
 そして、何かを考える前に多摩の身体が重くのしかかってくる。

 はぁ・・・と、彼の吐息が耳元で漏れ、ぞくりとした。



「・・・・・・やはりそうだ。・・・おまえだけだ、・・・おまえのこの甘い匂いが狂わせる」


 多摩の目が、もはや冷静ではいられないと言っているようだった。

 美濃は自分とは違うのだと、側にいるだけで感じたことのない欲望が頭をもたげてくるのだと。



「・・・重い、・・・よッ・・・・・・、多摩、・・・どいてよぉ」


 分からないことばかり立て続けに起こって、美濃の目から遂に涙がこぼれてくる。


 ただ逃げたいと思った。
 多摩が怖い、ここにいてはいけないと思った。












その7へつづく


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