『呪縛』

○第8話○ 破滅の恋(その6)







 朝陽で辺りが明るくなった頃、美濃は眩しくなって目を覚ました。

 目を開けても暫くは昨日の事が思い出せず、ぼんやりと包まれる温度に身を任せてしまったのは、多摩に抱きしめられたまま目覚めるのがいつも通りの光景だったからだ。

 けれど、今日の多摩は美濃が起きたことに気づかないのか、遠くを見つめた横顔が別人のように感じ、自分が誰の腕の中にいるのか分からなくなりそうだった。


 不意に多摩が視線を向ける。
 彼はそこではじめて美濃が起きていることに気がつき、驚いたのか少しだけ目を見開いた。


 あぁ・・・そうだった。


 ここで美濃は自分が彼から逃げていた事を思い出し、同時にそれが失敗に終わったことを知り落胆した。
 知らないうちに掴まって、温々と腕の中で熟睡していたなんて、本当に自分の危機感の無さに呆れてものが言えない。



「・・・・・・少し・・・考えを巡らせていた・・・・・」


 寝不足なのか、・・・それとも眠っていないのだろうか、多摩は陽の光が眩しそうに目を細め、そんなことを言う。
 一体いつからこの腕の中で寝ていたんだろう、頭の隅で思った。

 多摩は、美濃の頬をやんわりと撫でると、彼女の唇をペロ・・・と舐める。
 瞼をピクリと震わせ、美濃は従うように口を開き、彼の気が済むまで唇を許す。


 いつだったか、こういう事は好きな人とするのだと言った自分がいた。
 好きな人とは巽以外の何ものでもなかったはずだ。

 なのに・・・今では、巽の顔すらも輪郭がぼやけて思い出せない時がある。


 視線を外すことすら許されず、こうして唇をあわせるか、抱きしめられるか、身体を繋げるかで、私の中は最早多摩に支配されているといっても過言ではないのかもしれない。

 唇を離すと今度は瞼に、米神に、耳たぶに唇を寄せて、彼は囁くように話しだした。


「・・・・側にいればこうして唇をあわせ、抱きしめて身体を繋げたくなる。おまえ以外にこういう感情は芽生えない、俺にとっておまえは特別な何かなのだ。だから、逃げようとしても俺はおまえを側に置くためにどんな手段を使ってでも縛りつけるだろう」


 それは、自覚のない告白以外の何ものでもなかった。
 彼にとって、それがどのような感情から来るものなのか理解しているわけではなく、本能的に感じる言葉だけを並べ立てただけで、取り繕うものなど全くない素の感情だった。

 一晩考えてもこの想いを何と形容するのか納得出来る答えに辿り着くことは出来ず、例え知ったところでそれをうまく表現出来るわけでもなかったに違いない。
 愛も恋も言葉で聞いただけの単語を当てはめてみようとしたところで、どれ程の説得力を持つというのだろう。

 欠落した部分はあまりに大きく、美濃が欲しいという持て余した欲求は計り知れない程強く、彼女を側に置いておくだけで満足する筈もないそれは、心を通わせる間さえ惜しく、餓えた獣のように貪り尽くして傷つける事を繰り返す。
 どんなに考えを巡らせてみたところで、彼に答えを導く事など出来なかった。


「俺は、おまえが好きだというものをどうしても好ましく思えぬ」


 多摩の眼が紅く紅く瞬く。
 こういう眼をするときの彼は、感情が高ぶっている時なのだ。

 彼は美濃を離し、その場に立ち上がる。

 青空の下、真っ白い装束が風で緩やかに揺れる。
 美濃は長い黒髪が舞うその姿をまるで一枚の絵のように感じ、目が眩んだ。



「・・・・・・だが、ひとつだけ、・・・理解不能なおまえの愛する世界というものを・・・・・・おまえに還そうか・・・」


 そう言うと、腰まである見事な黒い長髪を右手で束ねてその周りを左手で円を描くと、次の瞬間いとも容易く首の辺りでばっさりと断ち切ってしまった。


「・・・・・・何を・・・っ!?」

「これは俺の命の代わり、形代のようなものだ」

「何で形代なんか・・・」

 言い終わらないうちに彼はその髪に息を吹きかけ、気のせいか髪の束が紅く光を放ったような錯覚を起こしていると、多摩はそのまま風に乗せるように手を離してしまい、言葉を発する間もなく一本残らず散り散りに飛散していった。
 多摩が何をしたいのか全く理解出来ない美濃は、ただそれを呆然と見ている事しかできない。

 彼は暫く風の吹いた方向を眺めていたが、それ以上何をするわけでもなく、今度は座り込んだままの美濃を軽々と抱き上げた。


「・・・・・・戻るぞ」

「・・・ねぇっ、何・・・、何で?」

「・・・・・・」


 質問には全く答える気がないらしく、無言で返されて美濃は少し感情的になった。


「・・・一人で歩けるっ、離して!!」

「やめておけ。足の裏が痛いと泣いていたではないか」

「・・・・・・っ、そんなこと・・・っっ」

 一体いつから見られていたのかと顔を真っ赤にして抵抗するが、彼は意も介さず、宮殿へ歩いていく。
 背ばかり高くて身体の線は細いように見えるのに、この力強さはどこから出るのだろうと不思議でならなかった。

 ふわり、と多摩の黒髪が頬を掠める。
 顎の辺りまで短くなってしまった彼の髪が、風で揺れていた。

 あんなに見事な黒髪を惜しげもなく、こんなに短く切ってしまうなんて・・・・・・


「・・・・・・・・・髪・・・・・・綺麗だったのに・・・・・・」


 多摩は少し美濃に視線を移し、


「髪などまた伸びる。おまえの思考はいつも理解出来ぬな・・・」


 それだけ言って、後は宮殿に戻るまで一言も口をきかなかった。




 どういうことなのだろう。

 髪を切ることと私に何かを還す事と何の関係が───?



 美濃の頭の中は疑問符で埋め尽くされるばかりで、よっぽど多摩の思考の方が理解出来ないと思った。

 だけど、風になびく彼の短くなった髪が独特な繊細さを浮き立たせて、今まで気づくことの無かった骨の浮き出た首筋が凛とした美しさを持っていた事を知り、力強い腕が時折確認するように美濃を引き寄せ、途中何度も多摩と視線がぶつかって、その度に意味もなく手に汗を握ってしまった。

 それはきっと、目が合う度に彼が唇を合わせてくるからに違いない・・・美濃はぼんやりとそんな事を考えていた。










▽  ▽  ▽  ▽


「・・・あっ、・・・痛・・・ッ・・・ぃ・・・」


 マメが潰れた足の裏を撫でられただけで激痛が走り、美濃は痛みで身体を捩らせた。

 宮殿に戻ると、土埃で汚れた身体を浄めるために二人は湯浴みを済ませ、美濃の部屋でいつものように過ごしていた。

 彼はもう何度もこうしてやんわりと足を撫でては痛がる様子を愉しそうに眺めている。
 本当に意地悪だと、美濃はじわりと涙を浮かべてそう思った。


「・・・・・・いやっ・・・イタ・・・ぃ・・・って言ってるのに・・・ぃ・・・ッ」


 目に涙を浮かべて身体を捩る様子を、多摩はまた違う視点で愉しんでいた。
 痛がり身を捩って強ばる様子がまるで初めてこの子を抱いた時のようで、あの時は余裕が無くじっくりと目で楽しむことも出来なかったが、恐らくはこんな感じだったのだろう・・・と。

 彼は痛々しいその足に、抵抗なく唇を寄せた。

「あっ! ・・・なにっ、・・・なにしてるの・・・っ」

 ぴちゃ、と傷を舐める音と、痛みとは違うくすぐったさを感じて美濃は驚いた。

「・・・っん・・・、そんなところ、やめて・・・っ」

「・・・洗った」

「そういう事じゃなく、てっ、・・・っ、ちょ・・・っ、とぉ・・・っ」

 指の一本一本を丹念に口に含んだり、傷をそっと舌で突いてみると、真っ赤になって嫌がり身を捩る美濃を彼は時折目で追いかけた。
 目が潤んで息を弾ませる様子が、まるで彼女と繋がっている時のようだと思った。


「・・・・・・胸の先が尖っているぞ」


 当然ながら服など着せてはおらず、彼女の白い裸体がほんのりと色づき始めている。
 分かりやすく主張しはじめた胸の頂を指で軽く弾いてやると、彼女が甘い息を吐く。

 成すこと全てにいちいち反応を返し、実際、痛みと羞恥で身体が敏感になっているだけではないのだろう。

 多摩はくるぶしに唇を寄せた後、一拍おいてから上体を伸ばして彼女の耳たぶを甘噛みすると、低く囁いた。

「先程の湯浴みの最中も、散々嬲られるだけで切なかったのだろう? 今も・・・足だけではつまらぬか?」

 美濃は驚き、真っ赤になって首を横に振った。

「本当に・・・? なら・・・おまえの中心は俺を欲しがったりはしていないのか?」

 吐息混じりの卑猥な囁きに、美濃は益々首を横に振る。
 両手で力の限り彼を押しのけてみるもビクともせず、視線が胸から下に移されたのを見て、僅かに動いた彼の腕を掴んで全力でそれ以上を阻止しようと試みた。


「昨日も・・・湯浴み中のおまえの身体を追いつめたまま放っておかれたから、怒って逃げたのだろう・・・?」

「そんなんじゃ・・・っ、・・・・・・ぁ、・・・っ、あっ・・・ッ」


 抵抗の甲斐無く中心に辿り着いた指が卑猥な水音を立て、簡単に体内へ飲み込まれていく。
 最早反論の余地無しの自分の状態を知られて、美濃は極度の羞恥に涙が溢れた。

 多摩はその涙を唇で吸い取ってやると、意地悪に口端をつり上げてみせる。


「俺が欲しいと云え」

「・・・っ、」

「云えば直ぐに俺で埋めてやる。気が触れるほどの快楽を与えてやる」


 唇が触れてしまいそうな程近くで低く囁かれ、その誰よりも紅い輝きを放つ瞳に吸い込まれそうになった美濃は、望むままの言葉を言ってしまいそうになり小さく震えた。


「おまえの良いトコロを好きなだけ擦って、・・・ほら、こんなふうに・・・・・・」

「・・・・・・・・・ぁ・・・は、ぁっ・・・、・・・」

「・・・・・・指だけでは、足りない・・・・・・そうだろう?」

「・・・・・・ッ、・・・・・・あ、・・・ぁ、・・・あ、・・・・・・、・・・ッ」


 唇は何度も何かを言いかけて少し動いては、躊躇して噤んで・・・
 その都度、身体の中心に飲み込まれた指が深く浅く緩急をつけて刺激をしてきて、欠片ほどになった理性を粉々に壊していく。


「云わなければ、今日もこれで終わりだ。・・・・・・・・・・・・このまま何も無かったかのように眠れるのか? 昨日のように逃げることは出来ないのに・・・?」


 言われて、昨日の湯浴みを強烈に思い出す。

 突然消えた刺激に狂おしくて耐え難くて何度も冷水をかけて身体を冷まそうと躍起になって、それでも燻り続ける熱に怯えて逃げたのだ。
 取り繕ったところでそれが真実だった。

 また同じ事があれば、言われるままに強請ってしまう。
 そう思うと恐ろしくて堪らなかった・・・


「・・・は・・・ッ、・・・あぁ・・・ッ」


 苦しい。
 こうして何度も躊躇う間も断続的に与えられる刺激で狂いそう。

 多摩は相変わらず涼しい顔をして愉しんでる。
 痴態を曝しつづける私を見て、もっと弱い所を攻め立てて・・・・・・、一体どこまで追いつめたら満足するの。

 逆らい続けることが私に出来る唯一の事なのに・・・。
 これを超える事は絶対に赦されない事なのに。


 だけど・・・だけど・・・・・・、もう身体が・・・・・・・・




「・・・・・・おね・・・がい・・・、も・・・・・・イジワル・・・しな・・・ぃ、で・・・・・・・・・」




 我慢のきかない身体が心を凌駕する。

 何度も繋がり与え続けられた快感の記憶が、中心を刺激し続ける彼の指からじわじわと拡がって、時間が経つほど逃げ場を無くし限界まで追いつめられて。





「・・・俺が欲しいと云え」






「・・・っ、・・・・・・うぇ・・・ッ、・・・ぁ・・・・・・っン、・・・ッ、・・・・・・・・・・・・多摩が・・・欲し、・・・・・・ッ、・・・欲しい・・・よ・・・っ」





 パチン、と・・・


 頭の奥で何かが弾ける。


 それは、最後の砦だった。

 全てを裏切る行為だと分かっていた。


 だから、地の底まで身を堕とす瞬間の弾ける音だったのかもしれない。






「あーーーーーーーっ!!!!」




 強請った直後、彼の指とすり替わるように身体の中心を圧倒的な質量で支配される。
 既に限界寸前の身体はただそれだけで絶頂を迎えたが、容赦の無い注挿が何度も高みに導いた。



「俺を呼べ、もっと・・・何度も俺を呼べ・・・っ」


「あっ、・・・あっ、多摩、多摩、多摩、多摩、多摩・・・っ」



 必死にしがみついて彼の名を叫び、強く与えられる快感に飲み込まれる。
 あんなに抵抗し否定し続けた癖に、墜ちる事はこんなにも簡単なのだ。

 強烈すぎて、狂おしくて堪らなくて・・・



「あっ、あぁあっ、あぅ、あーっ、ああぁっ」



 まるで獣のように絡み合った。

 いや、それよりもずっと愚かしい行為であることは間違いない。


 彼と交わる事を自ら望み、身体の奥で幾度精を受け止めても次を欲しがって、裏切りの行為だと分かっていても尚、絡まる舌に己の舌を絡め、彼が与える刺激に身体中を粟立てさせて。

 どちらが自分なのか分からないほど溶け合って混ざり合って、もうきっと、気が触れるに違いないと思った。


 もういっその事、気が触れてしまえばいい。

 正気が保てなくなるくらい、狂ってしまえばいいのだ。



「あぁああっ、あ、あ、ああっ、あーーーーっ、ッ・・・あっ、は、・・・ッ、あぁああーーーー・・・・・・───ッ」



 冷静になる自分を知りたくなくて、美濃は心の奥底からそう願い、声が枯れる程嬌声を上げ続けた。









その7へつづく


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