『呪縛』

○第9話○ 差しのべられた手(その1)








 朝がきて昼がきて夜がくる。
 一日がそうやって過ぎていくのは当たり前の事だ。

 ただここには二人だけしかいないというのが極めて特異な事であり、永遠とも思える時間が流れゆく中、惜しげもなく切り落とした多摩の艶やかに流れる見事な黒髪は、気がつけば元の長さ以上にまで伸び、その分だけ彼の纏う雰囲気も存在感も以前とは比べものにならないほど成長し圧倒的なものになっていた。


 美濃はその後も多摩から逃れようとしては捕まり、その都度、墜ちるところまで墜ちている自分が、逃亡を望む事に意味は無いと激しい後悔に苛まれるというのに、それでも時折訪れる衝動から宮殿を飛び出す自分を止めることは出来なかった。


 二人の関係は一見して変化は無いように思えた。

 だがそれは目に見えない形でゆっくりと時を重ねるように、当人でさえも内に起こっていたそれを認識することなく変化を遂げていたのだった。









「・・・・・・ん・・・ぁっ・・・、も・・・・・・だめ・・・・・・」


 身体を弓なりに反らし、美濃は喘ぐように小さく訴えるとゆっくりと崩れ落ちた。
 程なくして多摩も掠れた声を発して倒れ込み、一拍置いて息を弾ませながら力の抜けた彼女の身体を抱き上げた。
 意識を失い固く閉じられた瞼に唇を落とし、上体がぴったりと重なり合わさるように抱きしめると彼女の鼓動が皮膚を伝って感じ取れ、多摩は柔らかな胸に耳をあて、目を閉じてその音を聞いた。



 ドク、ドク、ドク、ドク、ドク、ドク、ドク、ドク、ッ・・、ドクッ、ドクッ、ドクッ、ドクッ、ドクッ、・・・ドクン、・・・ドクン、・・・ドクン、・・・ドクン、・・・ドクン、・・・、ドク、・・・、・・・トクン・・・トクン・・・トクン・・・トクン・・・・・・



 時間と共に規則正しく打ち鳴らす心音に合わせるように呼吸も落ち着いた頃、多摩は漸く繋げた身体を離し、そのまま美濃をベッドに寝かせてやった。

 均整のとれた引き締まった肢体がベッドから立ち上がり、流れ落ちる黒髪を掻き上げながら気怠げに装束を身に纏う。
 その間も暫くは目覚めることは無いであろう美濃の寝顔を、感情の読めない表情で彼は静かに見つめ続けていた。



 美濃がいなくなったのが丁度2日前。
 そして、捕まえたのも2日前。

 今に至るまで、ドロドロに溶け合うまで繋がった。


 逃亡という行動がこれほどまでの行為に至らせている、という事など厭と言うほど身体と心に刻み込んでも尚、彼女はこうして繰り返すのだ。

 正気を失くしてしまえば多摩の名を切なそうに呼び身体中で求めてくるくせに、正気を保った状態では頑なに拒絶を示してみせる。
 激しく繋がれば繋がるほど、目が覚めた時の彼女は自己嫌悪に苛まれ泣きそうな顔を見せた。


 多摩は汗で頬に張り付いた美濃の髪を指で流してやりながらその寝顔を静かに見つめていたが、静寂を断ち切るかのように立ち上がり部屋から出て行った。



 胸の中が空虚になる時、彼は宮殿の戸口に寄りかかって外の風で身体を冷やす事が多い。
 それは大抵美濃が眠りに落ちている時であったため、彼女はその事を知らない。

 今もまたそんな気分なのか・・・、目を閉じながら静かに風を受けて戸口に寄りかかっていた。



 彼はまだ、このような気持ちになる理由を探し倦ねていた。

 美濃が衝動で逃げるのだとしたら、捕まえて執拗に抱くのも衝動だ。
 二度と離れられないように溶け合うまで繋がりたいという強い衝動だ。

 数え切れない程繋がって、この指で舌で触れた場所など無い程に、もうあの子の身体の事なら本人ですら知らない事も全て知っている。

 散々嬲って敏感になった身体に態と触れては何もせずに眠る日々が続けば、寝言で何度も多摩の名を切なそうに呼ぶ。

 美濃の中で少しずつ自分の領域が拡がるのは堪らなく快感だった。

 だが、そうして手に入れるものが真実欲しいものだったかと問われれば、それもまた何か違うように思える。



 堂々巡りだ・・・・・・



 結局何も見つからないまま、自問自答は直ぐに終わってしまう。














「・・・・・・・・・・・・ッ、・・・・、・・・・・誰だ・・・?」



 多摩は突然身体を強ばらせ、小さく呟いた。

 思考を遮断させるかのように彼の神経の端の方を何かが刺激して、それが紅い眼を一層強く鋭く光らせる。

 多摩は研ぎ澄ました神経全てを張り巡らせ、深い静寂を保ったままの森の中程で、僅かに空気を乱す何かの動きがある事を知った。
 闇夜を彷徨うわけでもなく、それは確かな足取りをもって真っ直ぐ此方へ向かっているようで、どうやら土地勘がある者の動きと見た方が正しいように感じる。

 だが、多摩が知る限りの生存者と此方へ向かっている人数との整合性がとれず、彼は僅かに口元を引き締めた。


 乾・巽・伊予・・・あと一人。
 取り逃がした者がいたか、それとも・・・



 どちらにしても、彼はそれら全てを望まない。
 美濃以外は枠の外なのだ。



 多摩は闇夜でも分かる位に紅い眼を光らせ、一切の音を立てることなく地を蹴り鳥の羽のような軽やかさで空を舞い、風に乗って自ら侵入者の元へ飛び込んだのだった。










▽  ▽  ▽  ▽


「たった数年でこんなに蘇るものなのか?」

「・・・そんな筈はないだろう・・・。朽ち果てた神子の里に訪れた時は、小さな木々が育つのすら十年はかかっていた。この森の幹は太い。年輪を見れば分かるだろうが・・・恐らく千年以上の樹齢のものも珍しくはない」

「だったら何千年も俺たちが留守にしてたって言うのかよ」

「いや・・・。ただ、ここはあの方の支配する土地だ。想像を超えた力が作用した結果と言っても不思議ではないだろう?」

「・・・・・・そーだけど。・・・こんなこと、何でアイツがやるんだよ?」

「俺に言うな」


 静かな森の中、腑に落ちない、と言わんばかりの口調で話す男の声が賑やかに響き、その声に応える別の男の静かな低い声が静寂の中にとけ込んでいく。

 一行は多摩が感じ取った通り4人いた。

 賑やかな響きの声の主は乾、静かな低い声の主は巽、彼らの後ろを黙ってついて歩く女が伊予。
 そしてもう一人・・・



「後どれくらいで着きますか?」


 顔は毛皮のフードに隠れて見えないが、穏やかな響きを持つ青年の声だった。


「・・・あと一時ほどかと。慣れない土地にも関わらず、長旅を強いてしまい申し訳ありません」

 青年に話しかけられ、巽が畏まりながら深く頭を下げた。

「いいえ・・・それも父上の望みの一つなのでしょう。貴方達を責める道理は何一つありません。そのように頭を下げないでください」

 穏やかな笑みを浮かべている事が想像出来るくらいに青年の口調は優しげなもので、あまり表情を崩さない巽が思わず口元を緩め、乾もつられて笑みを浮かべた。


「伊予殿は大丈夫ですか? もしお疲れなら今日はここで休みましょう」

 青年は後ろを歩く伊予を振り返り彼女に話しかけた。
 伊予は驚き顔を真っ赤にして首を横に振った。

「あっ・・・私は・・・ッ、丈夫に出来ていますから」

「・・・遠慮は無用ですからね。女性には辛い道程でしょう」

「は・・・、・・・あの、本当に大丈夫です。・・・いつも私などにも気に掛けてくださり、ありがとうございます」

 珍しく伊予が笑みを浮かべて謝辞を述べると、青年は微笑で返した。

 これだけのやりとりを見ただけでも、3人がこの青年に対して好感を持ち、誠意ある態度で接している事は存分に見て取れた。
 青年のおかげで若干硬い雰囲気に陥っていた一行の空気が柔らかくなる。





 ───そして、丁度そのような折りに、彼は現れたのだった。


 無風にも関わらず前方の大木がゆっくりと揺れ動き、そこにいた誰もが一瞬で凍り付くような冷気を感じとった。




「・・・やはりおまえ達か」


 闇夜の森に共鳴するかのような低い声が辺りに響いた。

 それは前方からのようにも感じたし、また後方から響いたような気もした。
 それとも右からなのか左からなのか・・・人によってはすぐ側で耳打ちされているかのようにも感じたその声は、得体の知れない何かの射程圏内に入ってしまったかのような錯覚を生んだ。

 恐怖さえ感じさせる一声で一同には緊張が走り、闇夜に眼を懲らすとある一点に紅い光が浮かび上がっているのが見て取れた。
 まるで夜行性の生き物のように光を放つそれに背筋を冷たいものが走るが、聞き覚えのあるあの声を更に低くしたような声色に確信を持った乾が真っ先に声を発する。


「多摩ッ、多摩だろ?」


 その問いに答えるかのように風が大木を揺らし、ざわざわと騒ぐ葉音に誘われるように白い装束が空を舞った。
 ふわりと音も無く舞う姿はあまりに幻想的で、鳥の羽のように柔らかく目の前に降り立っても尚、そのあまりの成長ぶりに乾は言葉を無くし、棒立ちになった。


「・・・乾・・・相変わらずのようだな」


 皮肉めいた笑みを見て、乾はハッとして目の前の多摩にぎこちなく笑みを向けた。
 それを受け流し、多摩は後方に佇む巽に視線をずらして低音のよく通る声で問いかける。


「何を企む?」


 心の底を探るような視線を浴び、巽は表情を硬くしながら多摩の前まで歩み寄り跪いた。


「客人を・・・お連れしました」

「・・・」


 片眉をつり上げて不快感を露わにする多摩の表情にその場の空気が凍る。
 分かってはいたが、とても歓迎しているような雰囲気ではない。

 かといって、このまま引き下がれるような事情で戻ってきたわけでもなかった。


「・・・あ、・・・と。・・・突然で悪かったよ。詳しいことは後でたっぷり話すからさ。今はこの人を宮殿で休ませてやって欲しい。長旅で疲れてんだ」

「・・・・・・・・・」


 態と空気を壊すような口調で乾が割って入る。
 多摩は冷ややかな眼差しで彼らの言う客人を一瞥した。

 青年は多摩の様子から自分が歓迎されていない事を悟ったが、別段気を悪くする風でもなくフードを取り静かに一礼をした。
 暗闇の中ではフードを取っても顔をよく見ることは出来なかったが、多摩は青年を見定めるように強い視線を向けると、無表情なまま小さく息を吐いた。


「静寂を保ち、己の存在を消す為に注意を払うと約束出来るか」


 氷のような紅い瞳がまるで凶器のように煌めく。
 極めて奇妙な条件提示に一瞬青年の表情が揺らいだように見えたが、真実を知らない者にこの言葉の意味など決して理解出来る筈もなく、青年は素直に頷き宮殿へ入る事を認められたのだった。

 だが、内心ではこの場で命を絶たれてもおかしくないと考えていた他の3人にとって、条件付きにしろ多摩が直ぐに受け入れた事は驚き以外の何ものでもなかった。


 伸びやかで凛とした背中に続きながら、皆一様に多摩の思考の在処を探しあぐねていた。








その2へつづく


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