『呪縛』

○第9話○ 差しのべられた手(その4)









 それから何日経っても多摩が現れることはなく、2度目となる話し合いは中々実現することはなかった。
 話の進展も無くただ待つ事だけに時間を費やすのは無駄に思えたが、クラウザーは忙しく掃除や洗濯に励む伊予に近づいてはそれとなく神子について尋ねていくうちに、多少の知識を得ることが出来た。


 そこで何となく気づいたことがある。

 彼が神子の役割を拒否する理由の一つとして、ここを離れたくないからではないか・・・と。


 聞けば神託を行うにあたっては制限があるらしく、神託が告げられるまでの殆どの時間を、占って貰う神子と一緒に過ごさなければならないらしい。
 双方の波長を合わせる事が目的らしいが、どのみちバアルに対して神子の力を与えるということは彼がバアルに赴く、もしくは受ける側がこちらへ出向く事が絶対条件になり、互いの単独行動がほぼ皆無の状態を作り出さなければならないのだ。


 ───例えば何らかの理由でここを離れられない原因が、最上階にいる何者かの存在だとする。

 他の3人はその存在を知っているが、公には出来ない事情により口を閉ざし、またそれに対して多摩に口出しすること自体が禁忌とされるような状況にあるとしたら・・・。
 多摩自身もその者を見張る為に一日の殆どを費やし、身動きがとれずにいるのだとすれば。

 推測の域を出ないものだが、彼の言う『神子はやめた』の一言で片付けるよりは幾分まともな気がする。











 そしてある夜半過ぎ───


 クラウザーは思いも寄らないもう一つの異常な関係を知ってしまったのである。


 その夜は思うことが多すぎてなかなか寝付くことが出来ず、少し気持ちを落ち着ける為に外の風にあたろうと部屋を出て、静まりかえる廊下を抜けようとしたところ、まだ誰かが起きているのか途切れがちながらも会話をしているのが微かに耳に入った。
 どこから・・・と思う間もなく、不用心にも僅かに開いた部屋の扉から漏れる淡い光によって出所は直ぐに判明し、危険とは思ったものの彼はそのまま近づいてみることにしたのだ。

 しかし、近づくにつれて部屋から漏れる声色に違和感を覚え、女の嬌声と男の囁きが荒い息づかいの中で入り交じって、軋むベッドが営みの激しさを物語り、これらが何を意味しているのか理解した時には、耳を塞ぎたい思いと激しい後悔に苛まれる事になった。



「・・・・・・・・・ッ、・・・あぁ・・・、あっ、あっ」

「・・・おまえ、誰を思って喘いでるんだ・・・・?」

「・・・いやっ、・・・あっ、ああーっ」

「俺でアイツを想像して、・・・ッ、・・・そうやってお前はアイツを穢して・・・・・・」

「やぁっ、いぁ、あ、あ、・・・ッっふ、・・・あぁッ」

「・・・本当に、・・・ばかな女・・・」




 それらは間違いなく・・・乾と・・・・伊予の声だった・・・───



 クラウザーの頭の中は真っ白になり、最早立ちつくす事しかできない。
 普段の彼らを見てもそういう雰囲気は全く感じず、今聞こえてくる音に対して信じられない思いに駆られるのと同時に、何という場面に足を踏み込んでしまったのかと頭を抱える思いでいっぱいになる。


 しかし、突然右腕を掴まれた事により彼は一気に現実に引き戻され、自分の今の行動を更に恥じなければならなくなった。


「・・・ッ!!」


 驚きの表情で目の前を見ると巽が険しい顔で立っていたのだ。

 それでも自分の置かれた状況をまともに把握出来ずに呆然としていると、巽は人差し指を唇に当て、廊下の向こうに目配せをしてこのまま着いてくるよう促してきた。
 クラウザーは促されるまま彼の後に続くも、次第に冷静さを取り戻しながら、予想外の出来事に周囲に気を配ることを忘れ、巽に腕を掴まれるまで全く気づくことが出来なかった自分の愚かさを恥じた。

 そして、吹き抜けの中庭を取り囲む回廊までクラウザーを誘導したところで、巽は静かに振り返った。


「あのようなものを立ち聞きするなど、あまり趣味の良いものではありません」

「・・・っ、偶然に決まっているでしょう・・・ッ」


 確かに立ち聞きしていたようにしか見えなかったであろう自分の姿は恥だが、誰も好きこのんで他人の情事など聞くものかと顔を真っ赤にして睨む。


「・・・・・・貴方にとって我々は疑わしき者となってしまったようなので分からなくはありませんが・・・情報収集するなら見つからないようになさって下さい」

「単に涼みたくて外に出ようとしたら声が聞こえ・・・・・・・・・、・・・結果的に盗み聞く事になってしまいましたが、そのような趣味は持ち合わせていません」

「・・・・・・確かに私の目から見ても先程の貴方は驚いて固まっているようにしか見えませんでしたね」


 分かっていて辱めを与えたのかと唇を噛み締めると、巽は僅かに表情を崩した。


「・・・偶然とは言え知られてしまったものを隠すつもりもありません。・・・あの二人に関しては互いを利用しているだけで恋愛感情はありません」

「・・・・・・互いを利用・・・・・・?」

「乾は女を抱きたいという欲求から伊予を抱き、伊予は・・・・・・神子殿に恋情を抱いているようですが、乾に抱かれる事で報われない想いにああやって蓋をしているのでしょう」

「男女の間で恋情が生まれるのは自然な事、報われないなど言い切ってはいけません」

「・・・思ったより柔軟な思考をお持ちのようですね」

「・・・別に柔軟なわけでは・・・。・・・ただ、身内にそういう例があるので・・・・・・ですから身分や立場やしがらみを超えてしまう想いもあるのではないかと」


 それを聞いて巽は僅かに微笑んだ。
 どことなく深い眼差しから、彼にも何か思うところがあるのだろうと感じた。


「・・・・・神子殿は・・・、伊予に触れられるのも厭がったそうです。・・・まだ、真っさらな乙女の時だったようですが」

「・・・まさか」

「望んでも焦がれても届かないものもあるのでしょう」


 触れられるだけで厭がる・・・?
 見目も良く、性格に問題があるわけでもない女性に対して、そこまで嫌悪する事があるだろうか。

 クラウザーには理解出来ない感覚だった。
 だとしても、それをわざわざ否定するつもりはないのだが・・・



「私にそんなことを話してしまってもいいのですか?」

「・・・大層な話ではありません」

「少なくとも、多摩殿と伊予殿が昔からの知り合いだったことは今の話で推測出来ます」

「二人は同郷です。神子の里という場所からやってきました」

「・・・・・・神子の里」

「名前の通りです。神子がいる里・・・神子はそこでしか生まれません」


 一体巽はどういうつもりなのだろう。
 疑念を持たれていると知りながら次から次へと・・・それらも大層な話ではないと言う言葉で片付けてしまうつもりなのだろうか。


「・・・・・では、伊予殿も神子の素質を・・・?」

「いいえ。神子の名を持つ里であっても、その素質を持って生まれるのはごく僅か・・・というより限りなく無きに等しい。過去には神子不在の時代もあったそうです。その中で数千年に一度生まれるかどうかの力を持った神子と謳われるあの方がどれだけ稀有な存在か・・・貴方に理解を求めても仕方がありませんが・・・・」

「・・・・・・・いえ・・・非常に希少な存在だと言うことは何となく・・・、ただ、神子がどのような役割を担っているのか・・・・あまり知識のない私の想像力では呪術師のようなものしか思い浮かばないのです。どちらかというと黒いというか・・・貴方がたのような綺麗な印象ではなく・・・」

「あぁ、なるほど」


 巽は頷き、少し思案してからこう言った。


「・・・千里眼・・・・・・とでも言えば少し分かりやすいかもしれません。未来を見通す力を持ち合わせた存在。それより更に優れている最大の特徴として、悪しき未来を良き未来へ転換する事も出来るとなれば、それは最早神の領域。神の子と呼ばれても不思議ではないでしょう」

「・・・・・・未来を変えることが・・・・・・?」

「そうです」

「ならばどうしてこの土地の危機を見通す事は出来なかったのですか?」


 率直な質問に巽は目を伏せた。
 当然ながら、言えば聞かれる事と予想は出来ていた。


「神子殿は2通りの未来を見通しました。王はどちらを選択しても良き未来になると考え、第3の未来は望まずに二つの内の一つの未来を選択したのです」

「では選択の読みを誤った結果だと・・・?」

「今を悪しき未来とするなら・・・」

「・・・・・・」


 クラウザーにはよく分からなかった。
 2通りの未来を見通して、そのどちらも間違い無い未来と思えるような内容だったものが、何故このような結果に至ってしまうのか。

 確かに巧く利用出来れば大変な力を得られるのかもしれないが・・・もし裁量を間違えれば国をも滅ぼしてしまう脅威ではないのか。
 それとも彼らは全てを理解した上で、それでも神子を必要としているということなのだろうか・・・


「貴方たちは・・・何故助かったのですか・・・・・・」


 巽は真っ直ぐに見極めようとする真摯な瞳に目を細め、小さく微笑んだ。
 こういう目は嫌いではない。

 此処に来てからというもの、目にするものの不自然さに疑心暗鬼になりながら、ずっとそれを聞きたくて仕方なかったのだろうと思うと、多少なりとも巻き込まれてしまった青年に同情すら覚える。

 だが、彼の疑問に対する明確な答えなどあるわけがない。
 巽自身、自分が何故生きているのか不思議でならない。

 答えを持っているのは多摩だけなのだ。



「・・・天が気まぐれでも起こしたのでしょう」



 巽に分かるのは多摩に対する自分が、主君に絶対服従の誓いを立てた忠犬であるにも関わらず、己の意志を持って動くことが赦されているということだけだ。

 多摩の命令があれば、それまでどのような思考の元で動いていようが命令通りに牙を突き立て、国を滅ぼす事も厭わず、想う女すら尾を振って差し出してみせる・・・


 そこまで考えると巽は思考を中断させ、静かに中庭を仰ぎ見て、静かに口を開いた。


「・・・・・・我々は秘密主義を貫いているわけではありませんので、何か調べたい事がおありでしたら書庫を開放しますので御自由にお使いください」

「ならば何故、上にいる住人を隠そうとするのです」


 いきなりの核心を突く言葉だった。
 しかし、巽は動じるわけでもなく、僅かに口端を引き上げ穏やかな笑みを作るだけだった。


「どうやら長旅で疲れが出ているご様子、本日はもうお休みになられた方がよろしいかと」

「・・・・・・・・ッ!」


 核心に迫ったつもりの言葉は呆気なく流され、これではまるで一方的な思い込みをしているみたいではないか。
 クラウザーは奮える感情を抑え込み、拳を握りしめた。


「・・・・・・・・、・・・・・・・・・・もう少し此処で涼んでいきます・・・・・」

「・・・では、私はこれで失礼いたします」


 軍人らしく無駄のない動作で一礼して去っていく巽の後ろ姿を目の端に捉えながら、クラウザーは苦々しい思いが胸の中を支配するのを感じていた。

 巽は隠すことなど無いと情報を与える一方で、詮索は無用だと言わんばかりに牽制していたのだろう。


 あれを幻聴だと通すのならそれでも構わない。

 本来であれば書簡を取り交わして直ぐにでも帰国の途に着く予定だった。
 だが・・・疑問から疑惑に変わった今、それが正しい事なのかどうか見極める必要が出てきたのだ。


 何の取り交わしもせずに帰国するというなら、相応の確たる理由を。
 取り交わして国の復興と食糧援助を約束するのであれば、神子に対する疑念を晴らして国益をもたらす事を納得させる理由を持たなければならない。


 バアルの民の犠牲の上に成り立つ国交ならば、尚更のことだ。


 見極めるには上の住人が何者かを知り、この惨状を招いた真の原因を知るのが第一と思ったが・・・

 既に会った者達の協力は得られないと考えるべきだろう。
 そのうえ自分の行動は常に監視されている可能性もある。



 誰にも気づかれずに行動するには・・・・・・



「・・・・・・ひとめでも会えれば・・・その後の接触は容易くなるが・・・」



 焦りは身を滅ぼすだけだ、機会が訪れるまでは慎重に行動しなければ・・・


 今はまだ思案するばかりでいたずらに時が過ぎるのを黙ってやり過ごすしかない現状だが、彼はこのまま黙って引き下がるつもりは微塵もなかった。


 エメラルドの双眸が鋭く光り、それが彼の決意を一層確かなものへと導いていったのである。









その5へつづく


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