『呪縛』
○第9話○ 差しのべられた手(その5)
クラウザーが宮殿に滞在してから実に一ヶ月・・・ 夕暮れに差し掛かる時分になって、あまりにも突然に多摩が最上階からふらりと降りてきた。 最初の話し合いから数えて彼を見るのは2度目というのに悪びれる様子は全く無く、クラウザーを少し視界に留めた後、巽を呼んで何か小声で用件を伝えている。 それを何度か頷いて理解した様子の巽は静かにその場を離れ、多摩は静かに此方へ歩み寄ってきた。 「まだ密約を結ぶ気でいるのか?」 「・・・・・・そのつもりで此処までやって来ましたので・・・」 「おまえ自身は密約など不必要だと考えているのだろう?」 「・・・それは神子である貴方を知らなければ判断できないものです」 「生真面目な男だ・・・」 気のない返事をして多摩は小さく欠伸をする。 まだ彼とは数えるほどしか会話をしていないが、いつも気怠そうにしている印象を受けるのが不思議だった。 だが家柄から幼い頃より様々な芸術に触れてきたクラウザーでさえ驚くほど、一度見るだけで強い印象を与えるその完成された容貌と紅く煌めく双眸は強烈だった。 加えて今まで出会った誰とも重ね合わせる事の出来ない、独特な雰囲気。 周囲から語られる神子という型に当てはめなくとも充分目を引く存在だと思う。 本当はどんな人物なのだろう・・・ 特別な何かを与えられたとしか思えないこの男に対して、クラウザーはこのひと月で色々と考えを巡らせていたが、こうして目の前で彼を見ていると興味が一層募ってくる。 「密約の件はともかく・・・宜しければ貴方と二人で話をしてみたいのですが」 「・・・・・・いいだろう」 まるでクラウザーの気持ちを察するかのように多摩は頷いてみせた。 少し思案してから大広間にクラウザーを招き入れ、二人は初めて差しで会話をする事になったのだった。 「・・・此処での生活も飽き飽きしているのではないか?」 「・・・・・・そうですね・・・、ですが巽殿が書庫を開放してくださったので幾分気が紛れます。この地についての興味深い書物もいくつか見つけたので、土産話には事欠かないでしょう」 「・・・そうか」 「特に禁書扱いとなっているものに至っては王家の存亡に関わるような事まで記されており、それに神子が深く関わっているのが非常に興味をひきました」 「そのようなもの、今となっては過去の産物だ。元より神子が今さら王家を乗っ取るなど誰も本気で考えたりはしていなかった。・・・あぁ、書庫・・・書庫か・・・・・・」 突然何かを思い出したかのような彼の表情に、クラウザーは若干首を傾げる。 「・・・なにか」 「そこには神託の内容を記したものもあったのではないか?」 「・・・ええ。最後に行われたであろう王位継承権を持つ姫君の神託の内容まで記載されたものが・・・」 「やはりな。あれは文書として残してあるだけではない。殆ど知られていないようだが、神託が行われた記憶は残っても内容そのものは数日もすれば頭に残らなくなる故の防衛策だ。・・・未来を知ると言う事が禁を犯す行為という現れかもしれぬが、折角の神託も覚えていなくては意味を成さないだろう?」 「なるほど・・・では神子である貴方も?」 「神子本人は忘れる事はない」 言葉を濁さない多摩の物言いには多少なりとも感心した。 聞かれた事に対して明確に話すというのは、もしかしたら彼の性格なのかもしれない。 だからこそ話したくないと思えば分かりやすい反応が返ってくるのだろうが。 「その姫君の神託の内容を見る限りでは運命の選択と呼ばれる2通りの選択肢がありましたね。『肯定』と『否定』・・・実際に選ばれたのは『否定』ですか?」 「・・・そうだ」 やはり・・・とクラウザーは頷いた。 『否定』とは静かなる世界が約束されると記述されており、現状を見ればそれ以外は考えられなかった。 ・・・だが・・・・ 「肯定ならば繁栄が約束された筈なのに何故国王は否定を選んだのでしょう・・・。・・・或いは神託の際に第3の未来を要求しても良かった筈・・・・・・」 「今さら言っても詮無い事だが、その思考があればまた違った未来となったかもしれぬな。だがこの場合の第3の未来とは本来あるべき姿を歪めなければ得られない。歪んだ部分の犠牲はどこかにしわ寄せが来るものだ。神託を与えられた者にとっては光り輝く未来を得る事が出来ても、一方では犠牲となった者が本来歩む必要のない境涯に身を置かねばならない」 「・・・なるほど・・・何らかのリスクを誰かが負う必要があると・・・」 「結果論で言えば、この地の王はそれを是としなかったと言う事になるだろう。そういう選択肢があると知りながら活用するまでに至らなかったのはその所為だと。・・・もしかしたら遠い昔にそれが元で何かがあったのかもしれぬが・・・」 「・・・・・・確かに恐れる気持ちは分からなくもないですが・・・それが国を左右する事であれば、何があろうと選択肢の一つに変わりはないのでは?」 「・・・やはりおまえはバアル王の息子というだけあって考え方がよく似ている。バアルでの神託は非常に思惑に満ちたものだった」 多摩はにやりと笑みを零して壁に凭れた。 バアル、という言葉に反応したクラウザーは表情を堅くして口を引き結んだ。 クラウザーの祖国で神託を行ったという多摩・・・ 気にならないわけが無かった。 一体どんな内容だったのか・・・父が再び神子を望む程、彼は魅力ある存在と言う事なのだろうが・・・・・・ 「・・・・・・知りたいのだろう?」 「・・・・・・・・・否定すれば嘘になります・・・・・・」 「・・・ではひとつ聞く」 「はい」 「おまえはバアル王の長兄ではないか?」 「・・・・・・えぇ、そうです。よくご存じですね」 頷くクラウザーに静かな眼差しを向けていた多摩は、『やはりそういうことか』と小さく呟いた。 「クラウザー、おまえが考えるようにバアル王は本来あるべき未来とは別の未来を俺に要求した。あの男が望むようにするには歪みが必要だったのだ」 「・・・・・・それはどういう・・・」 「本来あるべき未来を取るか、新たに用意された別の未来を取るかは王の選択次第だった。・・・だが、おまえがここに居る事が何よりの証拠、やはり末の息子に王位を継承させるつもりなのだな」 「・・・・・・ッ!?」 クラウザーの目が見開かれる。 それはまだ王族の中でも一部の者にしか伝えられていない極秘事項・・・異国の彼が知るはずのないものだった。 「歪みによって生じた犠牲はおまえにも降りかかっているはず。今後犠牲は更に拡大し、愛憎と裏切りの果てに隣国の一部は崩壊するだろう。それで得られるものは他国までをも掌握し、思いのままに支配する莫大な権力に他ならない」 「・・・・・・まさか・・・」 「バアルは本来第一王子であるおまえが継ぐべき国家だった。最強の独裁国家として謳われるバアルをそのまま引き継ぐ者として、一生涯をかける筈だった」 「・・・・・・・・・っ」 はっきりと断言する多摩の言葉を受け、クラウザーは目の前が霞むような思いを味わった。 確かに・・・・・・以前の彼はバアル王の正室との間に生まれた長兄として誰からも次期王を嘱望され、自分自身もいずれはそうなるのかもしれないと漠然と思っていた時もある。 ・・・だが、腹違いの末の弟が誕生した事により、父の中の何かが変わったのだ。 父の最愛の女性は正室であるクラウザーの母ではなかった。 身元の知れない女を父がどこからか連れ帰り、そのまま妻にしてしまったのだと誰かが言っていたがそれが全て真実かどうかは定かではない。 彼女は父の子を宿したが産後数ヶ月で帰らぬ人となり、まるでそれと引き替えのように末の弟は彼女に酷似した容姿で生まれ成長した。 それだけで父が目をかけるのは充分と言えたが、弟だけが持つ強烈な特徴に父が固執していく様は誰が見ても明らかだった。 父が正式に後継を公言するのはまだ先だろうが、これは極一部の者には既に知られた内容だ。 しかしそれらが全て・・・ 「・・・・本来あるべきものを歪ませて・・・・・・父上はあの子を・・・・・・」 「末の王子は本来であれば望まれぬ子として世に出る事すら危うかった・・・硝子細工のように繊細すぎる心根も己を破滅させる可能性を持つ。そのような危うさの一方で誰をも圧倒させ跪かせるであろう破壊と守護、二つの強大な力をその身に宿すに留まらず、手には聖霊、背には魔を宿している。バアル王はそこに危険なまでの魅力を感じ、更なる飛躍を求めたのだ」 「・・・・・・私では更なる飛躍は不可能だと?」 「おまえはバアル王に似すぎている。堅実な王であればおまえを世継ぎとして認めるには充分だったに違いないが、あの男は顔に似合わず人より何倍も冒険心が強い」 「・・・・・・そう・・・かもしれません」 どれもこれも・・・多摩の話す事全てが残酷なまでにクラウザーの心を剔っていく。 ここまで詳細な内容を異国で暮らす者が滔々と語れるものではない。 なのに多摩はバアル内でもまだごく少数だけが知る末の弟が宿す力の事までも・・・ 明らかに青ざめた表情のクラウザーを見て多摩は薄く笑う。 「おまえは弟を恨めしく思っているのか?」 「・・・ッ! その様に思うなど・・・ッ!」 エメラルドの瞳を苛烈に光らせ、クラウザーは叫ぶ。 弟を恨めしいと? そんな事は考えた事もない。 末の弟を次期王にすると父から聞いた後、母や他の弟達は影で色々と騒いでいたが、父の決定に背く意志など自分には無かった。 確かに選ばれなかった自身に落胆することはあった。 だが、むしろこのような巨大国家をあの繊細な弟に託してしまえば、その重圧に堪えきれずに潰されてしまうのではと危惧する事はあっても、恨みの感情を持つなど・・・。 クラウザーの脳裏に小さい弟の遠慮がちに笑う顔が浮かんだ。 まだほんの子供だというのに、そんな風にしか笑えない弟。 あの子の母は身元は知れなくとも決して卑しい女性などではなかった。 何度か話をした彼女は妖精のように可憐で愛らしく、優しい微笑みがとても綺麗だった事を覚えている。 それなのに彼女亡き今、城の中では未だに異端の子、売女の子だと蔑む声は強く、小さな身体をいつも震わせて堪える弟がいじらしかった。 「母は違えど、私はあの子を可愛いと思っています」 「綺麗事にならなければ良いがな・・・」 薄く笑う多摩の視線を浴び、クラウザーはむっとした顔で睨み返した。 多摩は苦笑を漏らして頬にかかった黒髪を煩わしそうに後ろに掻き流し、静かに口を開く。 「・・・これは王が言っていた事だが・・・・・・おまえはいつしか弟を羨み、その思いはやがて嫉妬となり、果ては憎しみへと移り変わるだろうと。今は手を差しのべる事を何とも思わなくとも、直に顔も見たくない程に鬱陶しい存在になるのだそうだ。そうやって切り捨てたとき、硝子細工のようなおまえの弟は粉々に壊れてしまうだろう。・・・・・・そこまでの執着を芽生えさせないために、おまえと末の弟はなるべく早い段階で引き離さなければならないらしい・・・」 「・・・・・・まさか」 「俺にはそのような心の変化はよく分からぬがな」 「そんな風に思うわけが・・・」 だがそれを父が危惧していたのなら・・・ 弟と自分を引き離そうと考えていたのなら、今の自分は・・・ 「・・・・結果的におまえはこのような地に共も連れずに一人で放り出されているではないか。おまえは次期王では無くなり、王の持ち駒に成り下がったということだろう」 「・・・・・・」 多摩の言葉が胸に刺さるほど・・・・自分もそれを真実と思っている証拠だ。 彼は嘘を吐いてはいないだろう。 父の口からその事実が語られる事はこの先も無いに違いない。 自分が知らなかったのも当然の話・・・極秘裏に行われた神託はとても公に出来る内容ではない。 それに書簡の内容が極秘事項と言えども、クラウザーひとりが出向く必要などどこにあるというのか。 ・・・父がこの地に赴く使者として私を指名したのは信頼によるものではなく・・・自分が何を選択したのか・・・それを彼に伝えるための無言のメッセージだったのかもしれない。 まるで私の存在を伝書鳩のように扱って伝える為だけに・・・・・・・ 「神子殿・・・」 クラウザーが言葉も出ずに呆然としていると、殆ど足音を立てることなく巽が入ってきた。 「あぁ、用意が整ったか・・・クラウザーよ、俺はこれから湯浴みに行くからおまえの相手はここまでしか出来ない。・・・おまえも今日は休んだ方が良いのではないか?」 「・・・・・・そう・・・です、ね・・・」 「では乾を呼びましょう。顔色が悪いようですので部屋まで付き添わせます」 「・・・・・・・・・えぇ・・・」 頭の中が混乱する。 だが、この時は気がつかなかった。 何故多摩がバアルでの出来事を話す事でクラウザーをこれ程までに混乱させたのか。 全ては冷静な思考を奪うためだった。 休ませるなどというのは口実で、実際は湯殿に近づけさせないための単純な手段だったのだと・・・・この時はそんな事など思いも寄らなかった。 その6へつづく Copyright 2010 桜井さくや. 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