『約束』

○第1話○ すべては突然起こるもの(中編)







「・・・・・・もしかして、私たち・・・どこかで会ってるの?」

 考えても思い出せることは何一つ無いのだが、それでも『約束』と言うからには、何かを忘れているのだと思った。
 しかし、彼は寂しそうに瞳を曇らせるだけで、『別に・・・』と小さく呟いて、目をそらしてしまう。


「・・・・ご、・・・ごめんなさい・・・・・・私・・・、その・・・憶えていなくて・・・」

「・・・そう」

「何の・・・約束・・・・・・したの?」

「・・・・・・・・・」

 沈黙が続くだけで、レイは質問には答えてくれなかった。
 そのかわりぐっと唇を噛み締め、どこか責めるような眼差しを向ける。


「・・・オレは、ずっと待ってたよ」

 レイは吐き出すようにそう呟いた。
 けれど、何かを我慢するように拳を握り締めて、それ以上を飲み込んでしまう。

 ・・・待ってた?

 どういう事か分からず顔色を窺うように彼を見上げる。
 彼の言葉の意味が分からないということが、とても酷いことのように思えて、口を閉ざす以外の方法が見つからない。


「・・・ッ、・・・そんな目で見るな・・・っ」

 どんな目で彼を見ていたのかは自分では分からない。
 しかし、そう小さく叫んだ彼は、突然手を伸ばしてきた。
 一瞬、突き飛ばされると思ったが、力強く掴まれた両手が肩に食い込んで、その勢いに圧倒されているとアスファルトに勢いよく押し倒されてしまった。


「・・・・・・いっ、・・・ったぁ・・・・・・ッ・・・」

 背中を打った痛みと、強く掴まれた肩に痛みを感じて顔を顰めつつも、あまりに一瞬のことで何が起きたのか把握しきれない。
 しかも肩を掴む手の力は緩むことなく、更に力を込められる。
 痛みを訴えようと口を開いたが、至近距離にまで近づいていた彼の瞳にギクリとして、反射的に顔を背けた。


「・・・いやっ・・・っ!!」

 それはまさに唇が重なろうとするぎりぎりの所だった。
 ほんの少し掠ったような気もしたが、それを気にする以上に身の危険を感じた。
 何がどうなってるのかわからない、自分の言動が彼を逆上させてしまったのだろうか。


「なに・・・冗談はやめて・・・」

「冗談? こんなの好きじゃない女としたってつまらないだろ」

「・・・す、好き・・・って・・・っ、何言ってるの」

「オレが美久を好きじゃいけないのか?」

「っ、そ、れは・・・」

「小田切への気持ちは偽物だよ。オレが教えてやる。美久の相手はオレだってことをわからせてやる」

「ちょっと・・・っ、まき・・・っ、やだ・・・うそ・・・ッ、・・・ん、ぅっ!?」

 今度こそ避ける間もなく、顎を掴まれて無理矢理口を塞がれてしまった。
 驚いてレイを突き放そうと腕に力を入れるが、何の役にも立たずに逆に力強く抱きしめられる。
 力の差に震えが走った。
 初めて感じる異性への恐怖に涙が零れる。


「やだ、やだよ・・・っ、やめてっ、・・・っふぅ、・・・うっ・・・・・・ッ」

 初めてのキスだというのに、それを思いつく間もなかった。
 口が離れた一瞬を狙って抵抗の言葉を吐き出そうとするも、すぐにまた彼の唇に塞がれ、力強い腕の中では藻掻くことすらかなわない。


「まきぐっ・・・やだぁっ、んー・・・っ」

 苦しいくらいに彼の腕に閉じこめられ、押さえきれない動揺に身体の震えが止まらなかった。
 全く頭が追いつかない。一体どうしてこんな事になっているのか。
 しかも、僅かに唇が離れて息を継いでいる間、彼は耳を疑うような台詞を吐き出したのだ。


「気に入らないな」

「・・・っ!?」

 勝手にキスをしておいて、それは無いだろう。
 どうしてそんな事を言われなければいかないのかと怒りに震えるも、組み敷かれて思い切り抱きしめられたこの状況では身動き一つするのも困難で、力の差を見せつけられるばかりだ。
 絶対に泣きたくはないのに、涙が止まらない。


「・・・・・・、・・・ッ、牧口くん、・・・ひ、ひどい・・・よ・・・」

 やっと絞り出した自分の声は信じられないくらい弱々しかった。
 彼はそれを知ってか知らずか、不機嫌そうな声音で尚も続ける。


「それ・・・その呼び方。本当にありえないほど腹が立つ」

「・・・・・っ・・・、・・・・・・、よ・・・呼び方・・・?」

 レイを見ると心底不愉快だと言わんばかりに眉を顰めていて・・・
 どうやらキスが下手なのを気に入らないと言われたわけではなかったようだ。
 急激に怒りの熱が冷め、やや弱められた腕の中で身を捩り、少しだけ息をつく。


「レイ、だろ」

「・・・え?」

「レイって呼べよ」

「・・・レイ?」

 別に呼んだつもりはなかったのだけど、途端に彼の表情が和らいだのが分かった。
 満足そうに甘い微笑を浮かべて、そうだよ、と頷く。

 なんだろう・・・・・・
 心臓が・・・・・・妙にざわざわする。凄く、変な感じだ。


「・・・今度『牧口くん』なんて呼んだら・・・・・・犯すよ」

「・・・・・・おか・・・っっ!?!?」

 彼の言葉にギョッとして、急激に今の自分達の体勢に血の気が引いていく。
 爽やかな青空の下、あろうことか学校の屋上で押し倒され、挙げ句の果てに無理矢理キスまでされたのだ。
 青ざめて、ぶんぶん首を横に振る。
 それを見て面白そうに笑みを作った彼の顔は、いたずらを見つけた子供みたいに楽しそうだ。

 何だか落ち着かない・・・レイの表情の変化ひとつに、心がやけにざわつく。
 こういう会話も、・・・空気も・・・すごく変な感覚になる。
 ・・・私・・・、どうしたんだろう・・・・・?


「・・・・好きとか、離したくないとか、・・・冗談でこんなこと、どうしたら言えるんだ?」

 耳元で囁かれて、同級生とは思えないほど艶っぽい声音にくらくらする。
 そのうえ、抱きしめられた腕の中は温かくて、その言葉の意味を考える前に不思議な感覚に囚われてしまい、まともな思考が働かなくなっていく。
 ただ漠然と、この温もりや彼の匂いが『懐かしい』と・・・
 頭のどこかでそんなふうに思う自分がいるのが、とても不思議だった───








▽  ▽  ▽  ▽


 嵐のような昼休みを終え、呆然とした様子で半分以上食べ残したままの弁当を抱えて美久は教室に戻っていた。


「美久、遅かったじゃん、もうお昼終わっちゃうよ」

 美久に気づいたクラスメイトが話しかけてくる。
 いつもなら適当な言葉が出てくるのに、今は声が喉に張り付いたまま巧い言葉が見つからなかった。
 まだ心臓がざわざわして落ち着かないのだ。


「顔赤いよ、熱あるんじゃない?」

「・・・、・・・うん、大丈夫」

 それだけ答えるので精一杯。
 だけどすぐに昼休みの終了を告げるチャイムが鳴り響いたお陰で、それ以上の追求にあう事はなかったのがせめてもの救いだった。
 それよりも、先程まで一緒にいた牧口レイとのやりとりが頭の中で鮮明に蘇ってきてどうしようもない。
 彼のことを頭の中から追い出そうとするほど、余計に思い出してしまう。
 抱きしめられて色々囁かれたことや、キスされたことが何度も頭の中で勝手に再生されて止まらない。

 ・・・・・・そりゃ、あんな事されれば誰だって・・・っ

 思い出しただけで顔が熱い。
 身体中にまだ彼の感触がある気がした。
 だけど、こんなふうに落ち着かない気持ちになるのはいやだ。なんだか怖い。
 得体の知れないもので心の中を埋め尽くされる恐怖に、早くいつもの自分を取り戻したくて堪らなかった。

 午後の授業が終わったらすぐにでも駆けだして家に帰ろう。
 そうして全て何でもない事だったと忘れてしまおう。

 けれど、自分の中で何が起こったのかよく分からないまま先ほどの出来事は延々と頭の中で繰り返され、ノートを取るはずの美久の手はシャープペンシルを握り締めるだけでその日の授業は終わった。











後編へつづく


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