『約束』

○第10話○ 深紅の瞳と歪んだ命数(その8)







 静まり返った室内で、皆それぞれ何らかの感情が心の内で揺れていたが、敢えてそれを口にする者はいなかった。
 しかし、これまで多摩の後ろで屹立していただけだった巽が不意に沈黙を破り、ここで初めて口を開いた。


「少し発言を赦していただけますか」

 多摩に許しを得るため大きく腰を落としてそう問いかけると、多摩は僅かに身じろぎをして背後に視線を向ける。


「・・・・・・なんだ」

「今ここでレイ殿に確認したい事項がいくつか」

「・・・言ってみろ」

 多摩は巽の言葉にすんなりと耳を傾ける。
 巽は落とした腰を元に戻して再び姿勢よく屹立すると、扉の前に立つ乾に目を向けた。
 だが目を向けられた乾の方はきょとんとしていて、その様子に巽は小さく咳払いし、昨日ここに戻ってくる前に乾が言っていた事をかいつまんで話しだした。


「ではレイ殿・・・、まず今着用されている制服について御聞きしたい」

「・・・制服?」

「見たところその制服は、バアルの軍に所属している事を示す黒羽の紋章が施されています。・・・それが貴殿の出身であると理解しても宜しいですか?」

 その言葉にレイの顔色が僅かに変わる。
 胸元に施された王冠の上に黒羽が羽ばたいた刺繍・・・巽はこれについて言及しているのだ。
 そして、その顔色の変化から返答を引き出すまでもないと判断した巽は、続けて本題となる疑問を投げかけた。


「ところでその紋章・・・、バアルの王が末の王子を模して作ったものという噂があるようですが、貴殿はそれをご存知ですか?」

 巽の問いに、ここまで黙って聞いていた多摩が僅かに目を見開く。
 多摩にはレイがどこの誰であるかは別段気になる話では無かったのだが、今の巽の意図が理解出来ない程愚鈍ではない。
 彼のような黒羽を持つ者が2人以上存在するなら話は別だが、そんな事はまず想像するだけ時間の無駄と思うべきだろう。
 改めてレイとこの話の顛末に興味を抱いたのか、多摩はうっすらと目を細めた。
 対するレイは黙り込み、微動だにもせず椅子に深く腰掛けたままだ。
 彼はどう答えるつもりなのか。
 唯一、レイの黒羽をまだ目にした事の無い美濃だけが不思議そうな顔をしているだけで、皆が一様に彼の発言に神経を傾けていた。


「・・・・・・全く・・・どこまで行っても・・・」

 不意にレイは憮然とした顔で呟く。
 それが何を意味するかは流石に分かる者はおらず、また長い沈黙が続いた。
 しかし彼自身が漏らした溜息をきっかけに沈黙は破られ、レイは僅かに頷き肯定したのだ。


「・・・・・・そう、・・・紋章はオレを意図したという話だ。・・・クラークが昔、そんな事を言っていた」

 どこか不機嫌そうに答えるレイの言葉に、巽は驚いた様子で目を見開いた。
 まさかバアルの王の名まで飛び出すとは流石に誰も思っていなかったようだ。
 あまりに直球での返答で巽は些か虚を突かれ、それとは対照的に乾は面白そうに笑みを漏らしている。


「・・・では・・・貴殿の身元を証明するようなものを何かお持ちですか?」

「・・・・・・おかしな質問だな。あんた達は自身を証明するために、普段から名札付きの首輪でもつけて出歩くのか? ・・・だいたい、そんなものが有ったところで、あんた達に提示して何の意味があるんだ?」

「気分を害したなら謝罪します。・・・そこに立つ乾の話では、バアルの末の王子が現在行方不明という扱いになっているとの事でしたので。今頃捜索にもさぞ力を入れている事だろうと思うあまり礼を失しました」

 レイの眉がピクリとひくつく。
 だが、すぐに皮肉な笑みを浮かべながら巽を睨みつけた。


「オレが此処にいる情報をバアルに流すかもしれないと、脅しているつもりか?」

「まさか」

「・・・・・・はっ、好きにしろよ。あんた達だって自分たちの生存がばれる危険を冒す覚悟があるんだろう? そもそもオレたちは此処に長居する気がない。バアルに情報が伝わる頃までにまた行方をくらませればいいだけの話だ」

 確かにレイの言う通りだった。
 レイが此処にいると情報を流して、バアルの手の者がこの場所に来ればベリアルの民が生存していることが知られてしまい、望まぬ争いが再燃するのはまず間違いない。
 これは互いに利の無い行為だ。
 表面的に見ればそう考えるレイの思考は正しい。


「話もそろそろ終わりみたいだな、オレはこれで部屋に戻らせてもらう」

 そう言ってレイは立ち上がり、無言で彼を見ている多摩に一瞬だけ目を合わせた後、あっさりと身を翻して部屋を後にした。
 沈黙が続き、何となく皆の視線が多摩に集中した。
 相変わらず何を考えているのか分からない表情で、多摩はレイが去った扉を見つめていたが、不意に何を思い至ったか宙を仰ぐ。
 そして、どこか陰のある笑みを浮かべ、その扉の傍に立つ乾に突如命令を下した。


「乾、このままレイを此処へ留めておけ」

「・・・え?」

「娘・・・美久もだ。二人を此処から出すな」

「それってどういう・・・」

「行け、乾」

「あ、ああ。わかった」

 疑問を口にしようとした乾の言葉を遮り、多摩は強く命じる。
 乾は『何で俺?』と言いたげだったが、素直に頷くとレイを追いかけるため部屋を出ていった。
 その後、部屋には再び沈黙が流れたが、多摩は若干眉を寄せて渋い顔をしたままの巽を振り返り苦笑する。


「・・・巽、・・・俺の考えがそんなに不服か」

「いいえ、決してそういうわけでは・・・・・・。ただ、色々と頭の中で消化しきれない部分も多く・・・行方不明という部分の真偽だけでも確かめたかったので、険悪になるのを承知で試すような発言をしました。少なくともレイ殿が自らの意思でバアルから距離を置いていると言う事が分かっただけで今は十分です」

「・・・・・相変わらず食えない男だ」

「しかし、此処から出すなと言ったところで、彼がそう易々と引き止められる相手とは思えませんが」

「そう思うならおまえも行け。・・・まぁ、他人の懐にするりと入り込んでいく図々しさは乾の方が格段に上だろうがな・・・、あれもまた変わった男だ。面白いと思う対象にはやたらと心を砕いて駆け回り、かと言って見返りを求めているわけでもなく不可思議な行動ばかりしてみせる」

「乾は己の心砕いた対象が次に何の行動を起こすのかを見るのが趣味なのです・・・つまり、一種の病気みたいなものかと」

「・・・くっ、・・・そうかもしれぬ」

 何かを思い出してか、多摩は喉の奥で笑いを噛み殺している。


「では私も乾と動きを合わせます」

 そう言って巽は一礼し、無駄な動きひとつなく大広間から出て行き、直ぐに彼の足音は廊下の奥に消えた。
 多摩は小さく息を吐き、ゆっくりと立ち上がる。
 そして、自分が座っていた位置から対極に座ったままの美濃の元へと近づいていく。
 彼女はこの短時間の会話を思い返しているのか何やら難しい顔をしていて、多摩の指先が自分に触れるまで近づいていた事に気づかなかったようだ。
 驚いて顔をあげた美濃を自分の腕の中に閉じ込めるように抱き上げた多摩は、先ほどまでレイが座っていた隣の椅子に腰掛けると、彼女を自分の膝の上に乗せ、その柔らかい身体を引き寄せた。


「何だ、珍しく眉間に皺など寄せて。そんなに難しい話だったか?」

「・・・・・・う・・・ん。・・・・・・頭の中がこんがらがってる・・・・・・」

「そうか」

 あの話が彼女にとってはそれほど思い悩む内容だったのかと、多摩は自分には無い感覚を不思議に思って僅かに笑みを漏らした。
 美濃は多摩の首に抱きつき、その間もまだ難しい表情を浮かべている。
 彼はその背中をやんわりと撫でていたが、不意に何かを思いついたのか、美濃は真っ直ぐに多摩の顔を見上げた。


「もしかして、レイって・・・・・・クラウザーの弟?」

「・・・ああ、・・・そうなるか。・・・・・・そう言えばクラウザーが此処を去って随分経つ」

「そっかぁ。バアルとか、末の王子とか・・・聞いてても繋がらなかったよ。あの二人、全然似てないんだもん」

 美濃は頷きながら、遠い目をして笑う。
 遠い昔、ほんの数ヶ月だけクラウザーは一度だけ此処に滞在した事が有るのだ。
 レイはおろかほとんどの者が知らない話だが、バアルとベリアルはそのクラウザーの一度の滞在をきっかけとして密約を結んだ。
 その密約のおかげで多摩たちは現在に至るまで空腹を味わった事は無い。
 食糧支援という名のバアルの民の生き血の提供が密約の中身の一つだったからだ。
 これは約定をどちらか一方が破棄しない限り半永久的に続けられるものだが、一見バアル側に不利な条件に思えるこの密約が何故結ばれたかといえば、答えは見返りにあった。
 見返りはバアルの王が呼びかけた際に提供すると約束した"神子の力"だ。
 未来を左右することの出来る力を、バアルの王、クラークが望んだ結果が、多摩たちにとって飢えのない安寧をもたらしたのだ。
 しかしそこにひとつ重大な問題が現在進行形で発生しているのが、彼らの中で密かな悩み事となっていた。
 多摩はこれまで幾度もの呼びかけを受けたにも拘らず、それに応じた事がただの一度も無い。
 偏った見方をせずとも、これは一方的に決めごとを破棄したようなもので、言い逃れが出来る要素などあるはずもない。
 再三の催促を受け頭を悩ませた巽の提案で此方も伊予という女を人質として差し出して反古にするつもりではない意思を示し、今のところ向こうも様子見しているのか食糧の供給を止める様子は無いが、それで多摩の代わりになるはずもないのだから、いつかは向こうも痺れを切らす事は目に見えている。
 だが、今後多摩がどうするつもりなのか、その答えを求めた者はひとりもいない。
 求めたところで多摩が動く気が無ければ何の意味も為さず、また、多摩自身にその気があればとうに動いているはずなのだ。
 つまり現状、密約を果たすどころか誰の神託もする気がないというのが今の多摩の答えであり、誰もそれを強制できないほど此処での多摩の意志は絶対だった。



「・・・多摩の事で知らないことがこんなにあるなんて思わなかった」

 そう言った美濃がどこか不安気に見えて、多摩は彼女の頬をやんわりと撫でる。


「さみしい・・・」

「そうか・・・」

 しょんぼりしている美濃の額に唇を寄せ、多摩は抱きしめる腕に少しだけ力を込める。


「・・・多摩の頭の中を見る事が出来たら良いのに」

「ばかなことを」

「だって・・・私が知らない多摩が出てくると苦しいんだもん。昔の話、多摩はあんまり好きじゃないみたいだし」

「そんなもの、俺に語る程の過去がないだけだ。おまえは相変わらず変な事を考えるな」

「・・・・・もう」

「俺には手の届く場所におまえがいる今が全てだ。他に要るものなど考えもつかぬ」

 そう言った多摩の瞳は真っすぐに美濃を射抜く。
 美濃もそれは同じ考えだった。
 彼とこうして穏やかにいられる事はとても大事なことだ。
 けれど、ふとした拍子に出てくる多摩の発言や行動が自分の理解を超える時があるのだ。
 美濃ばかりを特別にしすぎて、彼は躊躇い無く彼女以外を排除しようと動く時がある。
 それが原因で取り返しのつかない結果を生んだ過去もあった。
 今は落ち着いているが、半分本気の目で巽や乾を煩わしそうに見る時があり、それがとても怖いのだ。
 皆、仲間なのにどうしてと・・・。
 そんな時美濃は思う。
 多摩の中に、大事なものがもっと増えたら良いのにと。
 だから今、多摩がレイに興味を持っているのはとても貴重だった。
 美濃にとって自分たちの始まりというのは遠い昔の物語のようで現実味の無い話だが、多摩がレイと近い存在だというなら互いに影響し合える相手になれるのではないだろうか。
 そうやって彼の心の中が揺れ動いてその目に映るものが大きく広がるなら、それは多摩にとってかけがえの無い大切なものになるのにと美濃は思うのだった。






▽  ▽  ▽  ▽


 大広間を出た乾はレイの後を追い、長い廊下を足早に通り抜けていた。
 二人が直ぐに此処を出て行くことはないと思うが、何だか妙に焦ってあの長身の背中を探してしまう。
 既に部屋に戻った可能性を考えて向かっていると、その部屋の前で何故か窓の外をぼんやりと眺めているレイを見つけた。
 レイは近づいてくる気配に気づいたのか、乾に視線を移す。


「・・・あんたか」

 そう言って彼はまた窓の外を眺める。
 思いのほか図太い神経なのか、先ほどのやりとりなど無かったかのようなその横顔は涼しいものだ。


「見るものなんて何もないだろ」

「・・・ああ」

「だったら何を見てんだ?」

「・・・・・・何も無さ過ぎて見てたんだ」

 レイの返答に乾は顔を崩して笑う。
 世辞すら言い様がないくらい此処には何も無い。
 しかしそんな風に思って眺める事もあるのかと思うと妙に可笑しかった。


「なに? ・・・オレを監視しろって言われたとか?」

「・・・まあ、そんな所だな。害を与えるつもりじゃないんだ。そう悪く思わないでくれよ」

「別に、当然の行動だろ」

「俺個人は歓迎してるよ? 面白そうな事が起こりそうでたまんないって」

「・・・・・・」

 変な奴・・・まるでそんな風に言っているような目でレイが乾を見る。
 目は口ほどに物を言うとはよくいったものだと、乾は破顔しながらレイの肩をぽんぽんと叩いた。


「まあ、なんつーの、巽の言葉なんて気にせず暫くは此処にいればいいじゃん。美久だってふかふかのベッドがあった方が喜ぶと思うぞ? うちの姫さまとも仲良くなったばかりなんだし」

「・・・」

「それに、・・・レイはクラーク王に追われてるんだろ?」

「・・・っ」

 乾の言葉に、レイは少し吃驚したような顔をした。
 それを見て乾は『おや?』と思い、彼の顔をじっと見る。


「さっき自分で言ってたじゃん。巽がバアルに情報提供する可能性を示唆したとき"バアルに情報が伝わる頃までにはまた行方をくらませればいい"って。・・・あんなの逃げてなきゃ出てこない台詞だろ?」

「・・・あぁ、・・・そういえば、そうだったな」

 彼はそう言って、けろりとした顔で頷いている。
 明らかにレイの情報を引き出そうとしていた会話だったろうに、彼はどうでも良いというような風情だ。

 さっきの会話はレイにとってそれ程重要ではないということか?
 今現在も逃亡中という事は、追っ手がバアルの王であると考えただけでもかなり差し迫った状況に思えるのに?


「何があったかは知らないし敢えて聞かないけど、一つ教えておいてやるよ。少なくとも此処からバアルまでは徒歩だけなら半年近くかかるし、馬を使用したってそれなりに時間はかかる。どっちにしても情報伝達の手段なんて誰かの足を使わないと出来ない場所だから、身を隠すにはうってつけだとは思う。・・・勿論、俺らはレイ達からすれば天敵だろうけど、食糧って言う意味ではかなり恵まれてる状態だから無闇に襲うってのもないしな」

「・・・食糧が恵まれている?」

 ぴくり、とレイの眉が動く。
 その反応を見て乾はにやりと笑みをこぼした。
 そこに疑問を持つのは当然だろう。
 こんな辺境の地にいて、絶滅したとされる自分たちが飢えていないどころか、食糧に恵まれているなんて普通に考えたらあり得ない。


「そ、ちょっとした裏取引でね」

「・・・・・・へえ」

「何かやばい空気感じない?」

「・・・」

「これって俺たちの生存を知ったうえで支援してる連中がいるって話なんだな」

 此処まで言えば、これがどれほど秘匿に値する内容かは理解出来る筈だ。
 乾はレイを見極める為にこの話を敢えて俎上にあげた。
 彼の反応にとても興味があったのだ。
 バアルの末の王子は行方不明と聞いたが、噂はそれだけで終わりではなかった。
 クラーク王はその末の子を次代の王にしようとしている、ここまでが乾が知る噂の全てだったのだ。


「態々それをオレに向かって言うってことは、支援してるのはバアル・・・というより、クラークの独断なのか」

 日の光に反射して、レイの瞳が蒼にきらめく。
 乾は吸い込まれそうな宝石の瞳に意識を奪われそうになりながら、その勘の良さに喉を鳴らす。


「レイはどう思う?」

「・・・」

「俺が言うのもなんだけど、自分たちの仲間が犠牲になってるわけだし。一族の一人として」

「・・・・・・」

 レイは黙り込み、やがて静かに首を横に振る。
 何となく顔がこわばっているように見えるのは気のせいだろうか・・・?


「その質問に対する答えをオレは持っていない」

「え?」

「オレはバアルをよく知らない」

「・・・は?」

「バアルでは宮殿から出たことがなかったから、あそこがどんな国でどんな考えの人々が暮らしているのか、オレはこの目でまともに見た事が一度も無い。それどころか、オレはあんたの言う一族という連中からは敵認識以外された事が無かった。数えるのも馬鹿馬鹿しいくらい何度殺されかけたかも憶えていない。しかも、刺客を送っている筆頭は王家の連中だ。・・・だから、一族の一人として語る程の材料すらオレには与えられていない」

「・・・・・・まじかよ・・・」

「何を知りたいのか分からないけど、オレからは大した話は期待しない方がいい」

「・・・いや、だって、噂じゃ確か末の王子が王位を継承・・・」

「それはクラークの世迷い言だ。無理に実現させようとすれば大量に血を流す事になる。既に一度、血が流れた事もあった。今それを繰り返して多くの犠牲を生む必要性なんてあるわけがない。・・・・・・尤もオレには最初からそんな気がないから実現なんてあり得ないんだ」

 レイは小さくため息を吐き出し、『少し喋りすぎたな』と自嘲気味に呟いた。
 乾は胸の中でもやもやとわき上がった感情をどう捉えていいのか分からなくて困惑する。
 何だろうこの違和感・・・あまりに平然と語るから、目の前に立つレイと、そのレイが語るバアルでのレイがどうしても一致しない。

 王族が王族に刺客を送る?
 何度も殺されかけた?

 確かに権力という蜜を得る為に、一族同士で謀略の限りを尽くして殺し合うという事は起こりうる話だろう。
 昨日少しだけ目にした黒羽の力強さはあまりに圧倒的で、たとえ後ろ盾がなくともこれだけの存在ならば熱狂的に狂信する者がいても不思議は無いように思えた。
 こんな存在を閉じ込め殺そうと考えるとすれば、強大すぎて意のままには動かせないと判断し排除しようという思惑がどこかで渦巻いているか、それとも単なる排外的な思考か、畏れからの行動か・・・
 バアルの事情は乾にはよくわからないが、目の前のレイは強烈に目を引きつける男だ。
 この綺麗な宝石の瞳を見る限り、邪気とは縁遠いものにさえ感じるというのに。


「・・・なんであんたがそんな顔をするんだ?」

 不意にレイが訝しげに乾を見て口を開く。
 そんな事を指摘をされるなんて一体自分はどんな顔をしてるんだと思ったが、確認する術が無かったので乾は誤摩化すようにぼりぼりと頬を掻く。


「・・・あー・・・いや、・・・うん。・・・まあ、そのアレだ。何かいやな事聞いたみたいで悪かったなと思って」

「・・・・別に、もう随分昔の話だ」

「そっか。今は美久が一緒だもんな」

「ああ」

 素直にそう頷くレイの口元が心無しか綻んでいるように見える。
 そう言えば、先ほどの多摩とのやりとりでもレイの表情が大きく変化したのは美久に深く関わる部分だった。
 乾には普通の少女にしか見えなかったが、彼女の存在がレイの中ではとても大きいということは彼にもわかった。


「そうだ、後で美久が起きたら2人で湯殿に行ってくれば?」

「湯殿?」

「東側の渡り廊下の向こう、いつでも入れるように準備しておくからさ。何もない場所だけど、これだけはちょっといい感じだから」

「・・・へえ」

「彼女の身体も労ってやらないとな。ゆったり湯に浸かって休ませてやんなよ。起きられないくらいってよっぽどだろうし」

 そう言って、ニヤニヤといやらしい笑いを浮かべ、乾はレイの肩をポンポンと叩く。
 レイは気まずそうに目をそらしたが、「じゃあ、後で使わせてもらう」と小さく答え、そのまま部屋へ戻ろうと背を向ける。
 しかし、不意に何かを思い出したのか、レイは一度だけ乾を振り返った。


「・・・あんた達って一度の食事から次までの周期ってどのくらい?」

「え? ・・・うーん。大体ひと月くらいかな」

「・・・、・・・わかった」

 小さく頷くと、レイは部屋に戻っていく。
 その均整のとれた後ろ姿を見ながら、乾は次第に難しい顔つきに変わっていく。



「おまえの悪い癖だな。・・・・・・他人の話にすぐ肩入れしようとする」

「へっ!?」

 突然後ろから声をかけられ、乾が驚いて振り返ると巽が立っていた。
 巽は呆れたようにため息を吐いている。


「聞いてたのかよ、趣味悪いな」

「俺もおまえと行動を共にする事にした」

「・・・そーかよ。・・・・・・俺一人じゃ心許ないってか」

「そうではないが、来て正解だったとは思う。既に懐柔されたような顔をしている」

「別に、・・・そんなんじゃないけど」

「ならば何だ?」

「・・・・、・・・ただ・・・昔の多摩と被るっていうか・・・境遇が似てるように聞こえてさ」

 乾の言葉に巽は眉を寄せる。
 それを懐柔と言うんじゃないのかと思ったが、彼は口には出さなかった。
 少なからず乾と似たような事を巽も考えていたからだ。


「多摩も昔、閉じ込められてたろ。たった一人・・・、自由も無く、外部との接触も無く、神託を行う時だけ外に出る事を許されて。・・・姫さまに出会うまで、姫さまを欲しがるまで、自分が不自由だって気づかないくらい外の知識をぼんやりとしか与えられずに生きてたんだ。俺が初めて会ったときなんて性の知識すら持ってなくて・・・あれは衝撃だったなあ。・・・・そりゃレイが多摩と同じ環境とは思わないけど、・・・身内からも何度も殺されかけるとか、そんなん聞いちゃうとなあ・・・」

「・・・・・・」

「それに・・・、俺らの事を同族食いって知っても、それ以上でもそれ以下でも無い普通の反応っていうのは、何だか不思議な感覚でさ。大抵はどこかで負の感情が見え隠れするもんだけど」

「凄いな。おまえがそこまで同性に対して観察眼を働かせるとは」

「うるせー、ややこしい言い方すんな。とりあえずあれだ、もう少し俺一人で近づいてみたいんだよ。多摩とはまた違った視点でな。だから出来れば今はまだ口出しは控えてほしい」

「・・・・・・いいだろう。・・・だが、あまり深入りするようなら容赦なく介入する。彼は今、比較的穏やかに見えるが、昨日はじめて目撃した瞬間に感じた危険性は看過出来ないものだった。話を聞く限り、彼には地雷になる何かがあるような気もする。下手に彼の過去を毟ろうとすれば余計な波風が立ちかねない・・・それだけは忠告しておく」

「了解。・・・じゃ、俺は湯殿の準備でもしてくるわ」

 そう言って乾はひらひらと手を振りながら去っていく。
 足取りはどこか軽やかで、愉しそうだ。
 もうずっと来客も無く、数年に一度だけ食糧を受け取る為にバアルとの国境近くまで足を運ぶくらいしか外部との接触はしてこなかった。
 気持ちがわからないではない。
 乾にしてみれば退屈だった生活に久々に訪れた変化、それも極めて大きな変化をもたらす可能性のある客人。

 ───懸念は消えないが、レイ殿は俺に対してあまり良い心証を持っていないだろう。

 下手に自分が周囲を彷徨けば、必要以上に警戒を抱かせるかもしれない。
 今のところは乾に任せておいた方が得策だろうと考え、巽は別のことに集中しようかと考えを巡らせる。
 多摩の話を聞き、彼には気になる事があったのだ。

 少し・・・調べるか。

 巽は唇を固くひき結ぶと踵を返し、長い廊下の向こうへと姿を消した。










第11話へつづく


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