『約束』

○第11話○ 誘惑する香気(その7)







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「どうしてリーザがオレの部屋にいるんだ?」

 自室に戻ると、何故か寝衣を身に纏ったリーザが居て、オレはそう問いかけた。
 僅かに身じろぎをしたリーザが振り返る。
 とても綺麗な金髪がサラサラと肩から零れ落ちる様子をオレはじっと見ていた。


「だって今夜は・・・」

 言い淀みながら、リーザが頬を赤らめて俯く。
 オレはほんの少し憤りながら息を漏らし、彼女の前で立ち止まった。
 真っ赤な頬、肌が白いから余計に目立つ。
 可哀想に・・・そう思った。


「大丈夫、リーザに指一本触れないって約束する」

「・・・え?」

「婚前交渉なんて馬鹿みたいだよな。・・・態々その為に日取りまで決めて・・・、オレたちの、リーザの気持ちなんて誰も考えてないんだ」

「・・・レイ?」

「だけど、安心していいよ。このまま結婚する事になっても絶対に何もしないから」

「っ!?」

 リーザの真っ赤な頬が突然蒼白になる。
 オレはそれを心配事がある所為だと考え、更に言葉を続けた。


「現実的じゃないって思ってるんだろう? でも平気だよ、世継ぎとかそういうのも確かに要求はされるのかもしれないけど、兄弟は何人もいるんだからそんなのアイツらがいくらでも作るだろうし・・・、だから、とにかくリーザは気にしなくていい」

 そう言うとリーザは泣き出してしまった。
 首を振ってオレに抱きつき、『違う』と訴える。


「わ、・・・私・・・っ、・・・ちがう・・・の・・・、ちがうの・・・っ」

「リーザ?」

「私・・・レイと・・・・・・、そういう事をしても・・・・・・、いいの・・・」

 その言葉は誰かに強制されて言っていると思った。
 オレの中では、リーザがこんな事を言い出すはずがなかったからだ。


「・・・絶対にしないって言ってるだろ」

「・・・っ」

「オレは違う部屋で今日は寝る、リーザは此処を使っていいから」

「レ、レイ・・・っ」

「弱気になるなんてらしくない。頭を冷やすべきだ」

 そう言うとリーザを睨み、オレは部屋から出て行った。
 手を出さないと言っているのに、それが信じられないと言われているようで少し冷たく突き放してしまった。

 あの時、オレはリーザが泣いた本当の意味が分からなかった。
 違うという本当の意味が分からなかった。
 聞く気も無かったし、聞きたくもなかった。
 そうでなければ、何もかも辻褄が合わなくなってしまうと思ったんだ───







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 ───苦しい・・・、痛い・・・、

 いつも以上に強力なものを投薬され、身体を動かす事も出来ず、ただベッドに横たわったまま、オレはいつものように苦しみに堪えていた。
 ふと、部屋の中に複数の足音がして、視界の端に見知らぬ女達が見えて来る。
 胸の中の鬱積した感情が募ったが、一度だけため息を漏らし、あとは乾いた笑いがこみ上げるだけだった。

 ああ・・・まただ、・・・今日もだ。

 じゃら・・・、足枷が鳴る。

 分かってるよ。
 抵抗なんてしない、出来るわけがない・・・、なぁ、オレはおまえらの思い通りに動いてるだろう?
 いつだって、・・・きっとこれからだって、・・・一生人形のままだ・・・・・・
 ああ、とても苦しい・・・痛い・・・、熱い・・・・・・

 ぴちゃ・・・、指先に生暖かい感触がして、舐められたと分かった。
 口の中に含まれたのか舌がねっとりと絡み付く。
 首筋にも同じ感触、寝衣を捲られ胸のあたりにも、辿る舌先が次第に下肢に集まる。
 朦朧とする頭・・・、気持ちが悪いのに身体だけは興奮する。
 見知らぬ女の中に何度も射精した。
 不能じゃない証明をするために、此処ではこんな事が必要なのだ。

 ならばいっそ、あの時リーザを抱けば良かったんだろうか?

 ・・・今になって何を弱気なことをと自分に呆れる。
 問題はもうリーザだけに留まらない。
 守らなければいけないのは、彼女だけじゃなくなったんだ。
 オレはもう、戻れないところまで来てしまった。
 一生をかけてこの身を自由にされ続けなければならない。


 ───疲れた。
 死ねばいいのに・・・、いっそ殺してくれ・・・・・・。
 身体を巡る毒が、オレの息の根を止めるくらい強力であればいい。

 ・・・・・・これじゃ、死ねない・・・・・・。







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「レイ、どうしてリーザを泣かせる」

 宮殿の屋上で空を見上げていると、クラウザーが声をかけてきた。
 滅多に話しかけないくせに、リーザが絡むと執拗になる。
 折角の気分転換だったのに、台無しだ。
 こっちは朝まで強制的に発情させられてたんだ、疲れてんだよ、放っておいてくれよ。


「・・・レイ、聞いているのか」

 冷たい声だ。行方不明になって帰って来たクラウザーは、以前とは別人のよう。
 オレに笑いかけない、優しさを見せない。
 唯一、以前の片鱗が見えるのがリーザが関わる時だ。
 そんな時はやっぱりおまえはクラウザーだったんだなと思う。


「・・・泣かせてるのはクラウザーだろ」

 言い返すと、クラウザーは呆れたように首を振って息を吐く。


「私にはもうそんな力は無い」

「・・・リーザが何で泣いてるのか知らないくせに」

「知らなくとも、レイが理由で泣いていることはわかる・・・それくらいは私にもわかるよ」

 またクラウザーと意見が噛み合わない。
 分かってないのはクラウザーなのに、どうしていつもオレが悪い事になるんだろう。


「リーザに優しくしてくれ」

「してるよ」

「・・・・・ならばどうして」

「だから泣かせてないって言ってるだろ・・・リーザのことはちゃんと考えてる。・・・気になるならクラウザーが優しくしてやれよ」

「私では意味が無い。・・・レイが考えてるというならそれでいい」

「・・・そうかよ」

 クラウザーは権力に従順な腰抜けだ。
 何でもクラークの言いなりで、命令であれば何だって従う。
 だから、リーザも差し出した。
 最初にリーザの婚約者だったのはクラウザーだったのに、彼女を本当に愛しているくせに、クラークの命令に従ってオレにリーザを差し出した。
 リーザは泣いたよ、たくさん泣いた。
 クラウザーが好きだったんだ、2人はちゃんと好き合っていたのに。
 抱けるわけが無いだろう、彼女だけには指一本触れたりしない。


「おまえがリーザを大切にしてくれるなら、私が言う事はなにも無い」

 オレはもう何も答えない。
 答えようがない。呆れるばかりだ。
 そんなに未練たらしくリーザを気にかけるなら、いっそ奪えばいいと思う。
 彼女は今もそれを待っている、それが分からないクラウザーは大馬鹿だ。
 もしもオレに大事な女が出来たら絶対に手放したりしない。
 こんな風に後悔した顔をしたくない。
 それだけはクラウザー、おまえがオレに与えた教訓だよ。

 吹き抜ける風。
 クラウザーの横顔が遠くなる。

 バアルの風は冷たい、・・・とても、・・・・・・とても・・・・・・───






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「───・・・・・・え?」


 ここ・・・は・・・

 たった今まで目の前にあったバアルの景色が突然消滅した。
 レイはハッとして周囲をきょろきょろと見回す。
 部屋、だ。

 ・・・ああ、そうだ。

 ベリアルの・・・・・・傍にはさっきと同じ目をした多摩がいて、沈黙したまま屹立する巽がいる。

 じゃあ、今のはなんだ・・・?
 白昼夢にしては鮮明すぎるだろう。


「何かを見たんだろう?」

「・・・っ」

「巽は・・・この男は、深層に隠れているものを引きずり出すことができる。・・・例えばそれは傷、かさぶた程度の傷でもいい」

「・・・・・・傷・・・?」

「隠れているものが必ずしも傷だけとは限らない。だからこれは一つの例えに過ぎないがな。要は他愛無い思い出でも何でも良いのだ。おまえが今見たものもそういうものだったのだろう?」

「・・・・・・思い出・・・」

「深層に隠れているものは記憶を失った状態に少し近い。深い場所に沈められて浮かんでこられないだけだからだ。思い出すにはきっかけが必要になる」

 レイは多摩の言葉に眉を寄せながら考えを巡らせる。
 今のは確かに遠い昔の思い出だ。
 しかも思い出せと言われたところで、こんなに鮮やかに思い出せるとは考えられない埋もれた記憶だ。
 まるでその場に自分が居たかのような鮮明さだった。

 ───まさか、美久にも・・・同じ事ができると?

 沈められてしまったものなら、浮上させるきっかけさえ与えれば可能性があるというのか。


「・・・あんたにはそれが出来るのか?」

 声をひそめて巽に問いかける。
 彼は僅かに沈黙していたが、やがて小さく息を吐き、迷うように口を開いた。


「例えば同一の記憶を持つ者の記憶をぶつけることが、多少有効なきっかけになるのではないかと」

「・・・それはオレの記憶を、という意味か?」

「はい。貴殿の持つ記憶を彼女が辿れば、自分の中に散った記憶が反応する可能性はあるのかもしれません。しかし、この力は本来、そういった使い方をする力では無いのです。ですから、これはあくまで可能性の枠を出るものではなく、今はご自分で体験されたことが全てとしか言えません」

「・・・・・・」

 レイは沈黙した。
 簡単に出来るなどと断言されるよりもよほど聞く気になれるが、その可能性に賭ける事に果たして何のリスクも侵さずにすむものなのか。
 それ以上に分からないのは、彼らが何故こんな話を自分に提案しているかだ。
 善意で動くほど多摩という男は甘くないだろう。
 レイは前髪を掻きあげ、眉を寄せながら口を開いた。


「お前たちの目的はなんだ・・・?」

 その言葉に多摩はにやりと嗤った。
 やはり・・・と思っていると、彼はレイに顔を近づけて首筋に軽く歯を立てた。
 痛みは無い、皮膚を破るつもりではないようだ。
 しかし、ただ目的を伝える為の動作として、これほど分かりやすいやり方は無い。


「そんなものの為に知恵を絞ったのか? どうかしてるな」

 多摩はクッと喉の奥で笑い、身体を離してベッドから立ち上がった。


「まぁ、分からぬだろうが、おまえは大層な馳走だよ。・・・・・・とはいえ、流石にこれが要求ではつまらぬ。最初はそれでもいいかと思ったが、俺がやるわけでもないからな」

「じゃあ、何なんだよ」

「・・・・・・そうだな。・・・・・・レイ、おまえ俺の神託を受ける気はあるか」

「・・・神託・・・って確か・・・」

「そうだ。俺がおまえの未来を見通すのだ。見えたものに不満があれば望む方向へ変える事も出来る」

「・・・・・・それ、本気で言ってるのか? そんなものが目的ってありえないだろ」

「そうか」

 涼しい顔で頷く多摩の意図が分からず、レイは眉を顰めた。
 しかも、横に立つ巽は多摩の言葉に酷く驚いたような顔を見せている。
 普段顔色を殆ど変えない者がこんなに変化するということは、これは多摩が突然言い出した話なのだろうか。
 神託というのはそんなに凄いものなのか?


「・・・まぁ、話は・・・何となく分かった。・・・だが、まずは美久と話したい、彼女はどこにいるんだ?」

「なぜ話し合う必要がある?」

「美久の意思を聞きたいからだ」

「おまえの望みではないのか? 話し合って、美久が望まなければそれを尊重するのか?」

「・・・仕方ないだろう」

「おまえは忘れられた事実を赦すのか? その憤りが望みを口にさせたのだろう?」

「・・・あれは・・・気が高ぶってたんだ。どうしてあんたにあんな事を口走ったのか、よく分からない。・・・確かにオレは自分に都合がいい美久を望むときがある。事実、そう思って何度も手を伸ばしている。あんたで試したのだってそういうことだ・・・だけど、それが本心だったのか、いつも後で分からなくなる」

「・・・・・・矛盾に満ちた話だな」

「そうかもな・・・。オレの中は矛盾だらけだ」

 だから手を伸ばした後に躊躇して、一歩退いてしまう。
 冷静になった途端それで良かったのかと自問自答を繰り返してしまうのだ。

 オレには美久に否定されることが一番恐ろしく思える。
 過去を求めるのは、蓄積された関係を認識させれば縛り付けられるかもしれないと考えるからだ。
 だからそうやって押し付ければ、自分を否定されることはないかもしれないと都合よく考えているだけなのかもしれない。


「・・・とにかく、美久に会いたい」

 レイはぶる・・・と身体を震わせた。
 寒暖の感覚は鈍いくせに、やけに寒く感じる。
 美久が傍にいないと悪い事ばかり考える・・・指先だけで良いから触れていないと苦しい。


「今は駄目だ。おまえたちはまた同じ事を繰り返す」

「・・・なに?」

「本能だけで動こうとするなと言っている」

「何でそんな事をお前に」

「ならばこの羽根は、この目の色は何だ? 何故元に戻らない? 俺はおまえをほとんど知らない。・・・だからこれは推測でしかないが、今のおまえは本能が剥き出しの状態ではないのか? 強請られるままに己を差し出し、混沌に身を堕とすことを快楽とした行為に何の意味がある。美久は確かに今後おまえだけを求めるようになるだろう、それはそうだ、おまえは大層な馳走だ、それは間違いない。何よりも一週間も前に喰らったおまえの血が今も俺の身の内で迸り続けて、それを証明している。だが、本当にそれだけか? おまえは馳走という名の甘い餌では済まない、恐ろしい程の猛毒だ。俺でさえもその毒に壊されそうになるおまえを、脆弱な身体で大量に受け入れたあの娘がいつまでも堪えられるとでも思っているのか?」

「・・・!?」

 多摩は真紅の瞳を煌めかせ、二の句を告げられないレイの肩を押して、その身体をベッドに無理矢理沈めさせた。


「抱くだけならどれだけしようが俺の知った事ではない。だが、今のおまえたちはそれだけでは終らない。美久は味わったばかりの甘い香気に理性を溶かされ、際限なく欲しいと強請るだろう。そうしておまえはまた好きなだけ与え、また同じ事が繰り返される。限度を知らないおまえは喰われるだけ喰われ、大量に血を流す。しかし、必要以上に与えられた方は、それに堪えうるだけの肉体を持たない。いいか、終わりが近づくのはおまえではない。嫌だと思うなら限度を知れ。会いたいと乞うなら、剥き出しのその本性を閉じ込めてからにしろ」

 あくまで静かな声音で決して声を荒げる事無く多摩は言う。

 自己満足・・・あれは単なる自己満足に過ぎない行為だったのだろうか・・・

 多摩の言葉は、レイの心を大きく抉った。
 確かに理性も何も無かった。
 欲しがる美久に何もかもを捧げたつもりで、その後の事など頭の片隅にも無かったのは事実だ。


「・・・今のおまえたちは俺にとってかなりつまらぬ状態だ。美久がはじまりの形と言ったのを忘れたか? ・・・はじまりとはとても脆いものだ。その芽を摘み取られるくらいなら、巽や乾にくれてやった方が余程良い。おまえに影響された結果、次の形を生み出す地盤は出来ているのだからな」

「・・・どういう、意味だ?」

「わからぬか? おまえでなくとも、あれは巽や乾の子でも宿せる身体だと言っているのだ」

「!?」

「おまえは容易く感情に揺さぶられるな・・・。何故そこまで脆い。一体それで何を守ろうというのだ。・・・少し頭を冷やせ。そして、ひとりで答えを出してみろ」

 そう言って、多摩は有無を言わせぬ雰囲気でレイの肩をもう一度強く押し、そしてふっと力を緩めるとそのまま巽を従えて部屋から出て行ってしまった。
 残されたレイは呆然と天井を見上げ、何一つ言い返せなかった自分に愕然とする。

 ───『終わりが近づくのはおまえではない』

 ぞく、と背筋に震えが走った。
 そうだ・・・オレは化け物で・・・・・・、彼女はその影響を受けてしまっただけなんだ・・・。

 レイは両手で顔を覆い、暫くその場から起き上がる事すら出来なかった───










その8へつづく



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