『約束』

○第12話○ 過去(その2)








 ───その頃の美久は、自身の状況を理解できるほどの現実的な思考は少しも持ち合わせていなかった。
 自分が過去のレイと解け合った自覚もないまま、どことも知れない場所を、ただひたすら漂っていただけだったからだ。


 ふわふわ、ふわふわと。
 一カ所に留まっていられず、身体が宙に舞っている。
 見えるのは朱の空だった。
 吹き抜ける風がとても気持ちいい。
 下に目を向けると夕暮れ色に染まった山並みの壮大さに溜息が出る。
 此処がどこなのか、どこに向かっているのかは分からない。
 けれど、ただ漂っているだけだと思っていた身体が、次第にそうではないように思えてきて僅かに首をひねる。
 先ほどから上昇と下降をやけに繰り返しているのだ。

 そして次第に嗚咽まじりの声が聞こえ始め、それが自分の頭の中で響いていると分かった。


「───・・・・・・、・・・・・・ッ、バティン・・・、ニーナ・・・・・・、・・・っ、見殺し、・・・・・・オレが殺した・・・っ。・・・・・・だけど・・・、いやだ、・・・、もう二度と戻らない。二度と・・・・・・ッ」

 激しく傷ついた心の痛みを感じる。
 酷く揺れている感情が哀しく朱の空に解けて、その身体を抱きしめようとしたけれど自分の手がどこにあるのかよく分からない。
 そのうちに、見えている世界が涙で滲んでいく。
 今、自分は“彼”と一つに解け合っているのだと、それが何となく分かり、一緒に涙を流した。

 ───誰もいらない。何も欲しくない。一人でひっそりと隠れて生きていければそれでいい・・・・・・

 "彼"の感情が流れ込んでくる。
 世界はこんなにも綺麗なのに、"彼"の目にはそれが見えない。
 固い殻の中で全てを拒絶していた。
 哀しくて寂しくて、涙が止まらない。
 胸が痛い。張り裂けてしまう。
 本当は誰かに手を伸ばしてもらいたいのに、そんな事恐ろしいことは望めないと頑に拒んでいる。

 ふと、空を見上げた。
 いつの間にか黒い雲に覆われ始め、徐々に風が冷たくなり、黒雲が厚みを増している。
 やがてそれは雷雲となり、直ぐに雷鳴が嘶き始めた。
 頬に雨粒が落ち、それを皮切りに空からは大量の雨が降り注ぎ、激しい雷雨となるまでそう時間はかからなかった。
 雲の隙間で光る稲妻を“彼”と共に黙って見上げる。
 肌を打つ雨が激しさを増し、断続的な雷光を目の当たりにして嗤いがこみ上げた。


「もう、終わらせて・・・」

 両手を広げてぽつりと呟く。
 一際強い光が頭上で弾け、それと同時に目を閉じた。
 雷鳴が空気を切り裂き、一面を覆い尽くす鋭い光が迫る。
 笑みを浮かべ、その時を待った。

 これでやっと・・・終わりにできる・・・───

 強い衝撃を受けて身体が弾き飛ばされるのを感じながら、心の底から安堵していた。

 

 

 

 

▽  ▽  ▽  ▽


「───目が覚めたようだね」

「・・・・・・え?」

 突然男に顔を覗き込まれ、ぽかんとしながら見上げる。
 左右に目を向けると、見慣れない部屋の様子が蝋燭の灯りでぼんやりと見えた。


「社(やしろ)の近くで倒れていたんだよ。君は・・・どこから?」

「・・・・・・」

「その・・・君が空から降りてきた、背から黒い羽根が生えていたと・・・そんな事を言う者が何人かいてね。嵐の中、里の前に降り立ち、ゆらゆらと社の方へ歩いていく姿を家の中から見たと・・・。それを聞いて社の神が出てきたのではないかと噂する者まで出始めてしまってね。里の爺婆どもの耳に入れば尊顔を拝みたいと押し寄せてくるだろうし、どうやってかわそうかと思案していたんだ・・・・・・」

 黙って見上げていると男はひとりで話しだし、腕を組んで僅かに苦笑を漏らしている。
 言葉は理解出来るが、最初の半分ほどしか内容が理解出来ない。


「ああ、僕の名は貴盛(たかもり)。君の名を聞いてもいいかな」

「・・・・・・レイ」

 答えながら起き上がり、レイはぐしゃぐしゃと髪を掻き回す。
 そして、貴盛と名乗った目の前の男を見ながら考えを巡らせた。
 姿形は今まで見てきた世界の連中とそう変わらないようだが・・・。


「あんたは、人間?」

「そうだが・・・、そんなふうに問いかけられると、君自身が違うもののように聞こえてしまうな・・・」

「少なくとも、オレは人間じゃない」

「・・・・・・」

 特にそれを隠す気はなかった。
 どんな不都合があるのかもよく分からない。
 あの場所から一秒でも早く逃げ出したくて此処にやってきただけだった。
 人間というものを初めて目にして、特にこれと言った感慨もないまま、レイはただ脱力する。

 ・・・・・・なんだ、結局死ねなかったのか。

 落雷の衝撃にこれで終わりに出来ると、ぬか喜びしてしまった。
 どうやら記憶が飛んでいるだけで、雷に打たれた後も普通に動いていたらしい。
 里に降り立ち、歩いていたというのだから、自分自身のしぶとさに心底呆れる。
 小さく息を漏らし、何気なく貴盛に目をやると、彼は目を細めて柔らかな笑みを浮かべている。
 レイは眉をひそめて、何を考えているか分からないその顔をじっと睨んだ。


「そう警戒しなくても無用な詮索はしない。此処には好きなだけいていいから。僕は隣にいるから、何か用があればいつでもおいで」

 貴盛はもう一度笑みを浮かべ、部屋から出て行く。
 廊下を歩く足音に耳を澄ますと、直ぐに隣の部屋が開けられた音が聞こえた。

 胡散臭い奴だ・・・。何で平気な顔して笑ってられるんだ?

 貴盛の考えが理解出来ない。
 黒羽が生えていたというのを人伝いで聞きながら、無用な詮索はしないとはどういうつもりなのか。
 自分の存在を怪しんでいるはずだ。
 害を為すものと認識しないわけがない。

 もしかして、オレが何をするのか密かに探ろうとしているのか?
 ・・・・・・だったら、怪しい動きを見せれば何か仕掛けてくるかもしれない。

 この世界がどんな場所で、どんな連中によって動いているのか、最低限の知識は必要だ。
 この場を離れるのは、それが分かってからでも遅くはない。
 自分の考えにひとり納得し、レイはそっと廊下に顔を出す。
 そのまま音を立てずに廊下を進み、貴盛がいる部屋の前で立ち止まり、中の様子を窺った。
 建物の中には複数の人の気配を感じるが、この部屋には彼以外いないようだ。
 横にスライドする扉を静かに開き、暗い部屋の中で目を凝らす。
 貴盛は寝床と思われる場所で既に横になっている。
 傍に立ち、レイは一切躊躇することなく彼の上に伸し掛かった。

 望み通り、正体を晒してやる。
 馬鹿な男だ。
 騒ぎになろうと知った事か、精々恐怖に怯えて逃げ惑えばいい。
 そういう瞬間にこそ本性が出る。
 あまり騒ぐようなら、うっかり殺してしまうかもしれないが、運が悪かったと諦めろ。
 所詮、お前達は喰われるためだけに生を受けたんだから。


「・・・・・・ん」

 重みに気づいて目覚めた貴盛と目が合う。
 うっすらと笑みを浮かべると、彼は何度か瞬きをして不思議そうな顔をしていた。
 どうせならこの姿も最後に見せてやろうと背から羽根を出し、目を見開いた貴盛の身体を押さえつけ、嗤いながら首筋に吸い付く。


「・・・・・・う、・・・───ッ」

 脈々と流れる血液を自分の中へ取り込んでいく最中、ばさばさと勝手に羽根が動き、部屋の中に風が吹く。
 いつも自分が口にしていたのは小瓶の中の紅い液体だった。
 直接人からこうして血液を取り込んだのは初めてのことで、妙に高揚してしまう。
 それに、誰に教えられなくとも、やり方が分かるのが不思議だった。
 歯は立てず、首筋に吸い付くだけで、その血脈が自分の中へ繋がり、流れ込んでくるのだ。
 これは本能なのだろう。
 呼吸をするくらい当たり前に出来る事だった。

 

「何をしたんだ?」

 首筋から口を離すと、貴盛が眉を寄せながら問いかける。


「何って、食事に決まってるだろう」

 当然のように答え、彼の反応を窺う。
 早く尻尾を出せ。
 攻撃に転じたりすれば、いっそのことその瞬間に殺してしまおうかと考え、にやりと笑みを浮かべた。
 それなのに、貴盛は僅かに目を丸くしただけで怯える様子を見せない。
 眉をひそめると、彼は何度か小さく頷いてぽつりと呟く。


「そうか、腹が減っていたとは気づかなかった」

「っ!?」

「首に痛みは感じなかったが・・・、もしかして君は人の血を食すのか?」

「・・・・・・だったら、・・・なんだよ」

 想像と違う反応が返ってきたので、何だか腑に落ちない気分になる。
 レイは特に意味も無く出していた羽根を仕舞い、貴盛の上から身体をどけた。


「また腹が減ったら言いなさい。そんなふうに忍んでこなくてもいいから」

「な・・・っ」

「腹は膨れたか?」

「・・・・・・、・・・・・・まあ」

「それは良かった。レイ、一人で眠れるか?」

「?」

「寂しいなら一緒に眠ろうか」

「・・・・・・っ!? 何言って・・・っ」

「いいから遠慮せずにおいで」

 そう言って貴盛に腕を掴まれ、布団に引っ張り込まれてしまう。
 勢いでごろんと寝転がってしまい、レイは慌てて這い出した。


「オレに触るなっ! 殺すぞ!!」

 廊下まで一気に飛び跳ね、歯を剥き出しにして叫びながら元いた部屋まで駆け戻る。
 何だアイツと憤り、触れられた腕をバシバシと手で払った。
 その間、隣からくすくすと笑う声が聞こえてきて、もの凄く気分が悪い。
 結局、その夜は苛々が募って一睡も出来ずに夜が明けた。






▽  ▽  ▽  ▽


 ───朝。
 レイは貴盛に連れられるまま大きめの部屋に通され、人間たちの食事風景をじっと見ていた。
 自分にとって珍しいこの光景は少なからず好奇心を刺激するもので、様々な器に盛られた食べ物が口に運ばれる様子を夢中で見てしまう。


「レイは食べないの?」

 突然、隣に座る女に話しかけられ、ビクッと肩が震える。
 彼女は貴盛の妹で美玖(みく)というらしい。
 この部屋に来る前に彼女から挨拶をしてきたが、屈託のない笑みを向けられ、兄に負けず劣らず反応に困る相手だった。


「・・・・・・オレは、・・・」

 レイは目の前に置かれた膳に眉を寄せる。
 こんなものを出されてもと貴盛を睨んだが、彼は笑みを浮かべるだけだ。
 一体何のつもりか分からず、むっつりと黙り込む以外なかった。


「こういうの、食べるのは初めて?」

 問いかけられ、素直に頷く。
 だから要らないと意志を示したつもりだったが、美玖は何を勘違いしたのか食べ方の指導を始めた。


「お箸はこう持ってね、お椀はこうよ。この白いのはお米。ご飯って言うわ。・・・ほら、こうして食べるの」

 そう言って美玖は椀を手に持ち、箸を使って米を口に運ぶ。
 もぐもぐとそれを咀嚼し、『わかった?』と笑顔を向けられた。


「・・・・・・」

 彼女が食べている物が何となく美味しそうに見えて、レイは箸を手にしてみる。
 持ち方には決まりがあるようなので、言われる通りに持ち、見よう見まねで椀を手に白米を口に入れた。
 美玖と同じようにもぐもぐと咀嚼し、どこで飲み込んでいいか分からないので、適当なところで飲み込む。
 ・・・・・・味はよく分からなかった。


「レイ、とても上手。本当に初めて? ねぇ、あに様、レイはとても器用ね」

「これは驚いたな。美玖の教え方が良いのかもしれないぞ」

「・・・・・・」

 勝手に盛り上がる二人にレイは黙り込み、もう一口白米を口に入れた。
 何度か咀嚼して飲み込むがやはり味がよく分からない。
 どうしてこんなものを美味しそうに食べるんだろうと、首を傾げるばかりだ。
 ふと、視線を感じて部屋の隅を見る。
 女と目が合ったので、じっと見返したが、何故かその女は顔を真っ赤にして俯いてしまった。


「彼女は朝子さん。この家の食事から様々な雑務までしてもらっているんだ」

 レイの疑問を察したのか、貴盛が説明する。
 その後も色々説明していたが、どうやらこの家にはこの女と同じように貴盛と美玖を世話するための人間が何人かいるらしい。
 そして、会話の内容から何となく伝わってきたのが、貴盛はこの里を治める長であり、社という場所を代々守ってきた一族の長でもあるということだった。
 両親は数年前に亡くなり、それからこの位置に立っているらしく、どうやら人の世界にも自分たちと同じように支配関係が存在するらしいと、朧げながら理解する。


「レイの歳はいくつ?」

「・・・歳?」

「そう、私は数えで十六、あに様は十九よ。・・・あ、待って、言わないで。当ててみるから」

 美玖はレイを見つめ、楽しそうに唇を綻ばせている。
 こういう眼差しで見られる事に戸惑いを隠しきれず、レイは僅かに目を泳がせた。


「私より一つ下、・・・それか、同じくらい・・・?」

「美玖、いくら何でもそれは無いだろう。レイは随分背が高いぞ? 精々僕と同じか僕より一つ下くらいじゃないか?」

「えー、でも・・・」

 自分の歳がいくつかなんて考えた事はない。
 そもそも寿命という概念が存在しない上に、余程の事が無い限りは死なないのだから、そんな事を考えるわけもなかった。
 とは言え、生まれてたった十数年ということは流石にあり得ない。
 黙っていると、美玖は尚もレイの顔をじっと覗き込んできた。


「・・・・・・何だよ」

「あ・・・、レイって・・・・・・、目が・・・・・・」

 そこまで言われ、レイは反射的に立ち上がる。
 先は聞かなくても分かった。
 この目の事は誰よりも自分が分かっている。
 様々に色が変わる自分の瞳を、心底気持ち悪いと思っているのだから。


「どこへ行くんだ、レイ! 食事は・・・」

「オレには必要ないって分かってるだろ!」

 貴盛に呼び止められたが、レイは振り返ることもせずにそれだけ言って外へ飛び出す。
 後ろから美玖が追いかけてきた声にも気づいていたが、何も聞きたくなかった。



 ───それからどれくらい経ったのか・・・。

 社を囲む森の中でレイは何をするでもなく、適当な木の上で横になっていた。
 生まれてからずっとバアルの宮殿の中でしか過ごしてこなかったので、平凡な山々や野の風景でさえ物珍しく感じる。
 頬にあたる風がとても気持ちよかった。
 もう足に繋がれた鎖はない、何もかもが自由だ。
 けれど・・・、一人で生きていくにはこの世界は少し広過ぎるかもしれないと、遠い空をじっと見上げた。

 と、どこからか美玖が呼んでいる声が聞こえて顔をしかめる。
 よく考えれば、此処に留まる理由があるわけじゃない。
 どこか別の土地へ去ってしまうのは簡単なのに、何故そうしなかったのかと自分自身の行動に首をひねった。


「レイーッ! レイー・・・・・・ッ!!」

 気のせいだろうか。
 心無しか声が嗄れている気がする。
 声がした方に顔を向け、木の上から下を覗く。
 自分の名を呼び続ける美玖が、どうしてか泣きそうな顔をしているように見えた。
 レイは立ち上がり、その辺の葉を数枚毟って木から木へと次々飛び移る。
 向かっているのは美玖の声がする方だった。


「レイー! レイーッ!」

 途切れる事無く美玖は呼び続ける。
 こんなに何度も自分の名を呼ばれたのは初めてだ。
 レイは彼女が彷徨う木の傍に音を立てずに飛び移ると、先ほど毟った葉を上から落とす。
 それに気づいたら声をかけてやろうと思っていた。


「レ・・・、・・・・・・、・・・・・・レイ?」

 はらはらと舞い落ちた葉は美玖の頭を掠め、何気なく上を向いた彼女と目が合う。


「そんなに沢山呼ばなくても聞こえてるよ」

 しかし、美玖は泣いていたのか、目にいっぱい涙を溜めていた。
 それを見て吃驚したレイは口ごもり、何となくこれ以上の皮肉が言えなくなって無言で下に飛び降りる。


「レイっ!!」

 すると、いきなり抱きつかれ、背後の木に後頭部をごちんとぶつけてしまう。
 何するんだと文句を言おうとしたが、嗚咽が聞こえて思わず口を噤んでしまった。


「良かった・・・っ、どこかへ行ってしまったらどうしようって・・・・・・っ」

「・・・・・・」

「私の所為よね・・・、不躾に顔を覗き込んだりしたから・・・、だから怒って・・・・・・」

「・・・・・・」

「ごめんなさい。ごめんなさい。とても綺麗な瞳だったから、つい・・・」

「───は?」

 綺麗?
 冗談を言っているのかと彼女の顔を見たが、潤んだ目を向けられて何だか居心地が悪い。
 嘘を言っているようには思えないけれど、それよりも今はこうして抱きつかれるのが妙に落ち着かなかった。
 顔が熱くなって、身動きが取れなくなる感じがして嫌なのだ。


「あのさ、・・・・・・離れてくれない?」

「・・・え? ・・・あ、・・・あっ! ごめんなさい!!」

 自分が抱きついていることに気づいていなかったのだろうか。
 美玖は顔を真っ赤にして慌てて後ずさっている。
 その様子が可笑しくて、レイは勝手に自分の顔が笑ってしまうのを抑えようとごほごほと咳き込む。


「・・・変な女」

「・・・・・・怒ってる?」

「別に、・・・・・・もう忘れた」

「じゃあ、家に帰ってくる?」

「・・・・・・何で?」

「あに様があんなに嬉しそうな顔するのは、父様と母様が亡くなって以来なの。レイの事をとても気に入ったみたい・・・」

「・・・・・・」

「それと、私ももっとレイとお話してみたいから」

 本当に変わり者の兄妹だと思った。
 レイは傍に立っている木に寄りかかりながら嘆息する。


「あのさ、オレを見た奴の中に黒い羽根が生えてたとか、そういう話をしてたのが居たんだろ? 聞いてないのか?」

「・・・それは聞いたけど。だけどそれは」

「じゃあ、この世界ではそういう姿をしてる奴が結構いるのか?」

「え? いないわ。レイが初めて」

 美玖はきょとんとした顔で首を傾げている。
 どうしてそれで反応がこれほど薄いのか理解出来ない。
 自分がいたあの世界では、黒羽があるというだけで化け物扱いだったというのに・・・。


「・・・・ッ!」

 不意に木陰でガサ、と物音がしてレイはハッと顔を上げる。
 目を凝らすと小さな子供が二人、こそこそしながら自分たちを覗いていた。


「あら、あの子たち、着いてきちゃったのね。レイを探してるのを知って、途中まで一緒に探してくれたの」

「へえ・・・」

 それを聞いてレイはうっすらと笑みを浮かべる。
 この能天気なやり取りは、実際に姿を見ていないからだろうと思った。
 馬鹿馬鹿しい。
 この姿を見れば誰も彼も離れていく癖に・・・。


「レイ?」

 レイは数歩前に出て空を見上げる。
 美玖の顔が恐怖に歪み、叫びを上げたら飛び立とう。
 そうしたら今度こそ独りになれる場所を探そう。
 そんな事を考えながら、背からみるみる羽根が飛び出し、その姿が露わになっていく。
 ばさばさと音を立てながら広げると、抜け落ちた羽根が空を舞い、金の粒となり弾けて消えた。
 それを横目に、レイは美玖に顔を向け反応を窺う。


「・・・・・・っ」

 目を丸くして、美玖は呆然と立ち尽くしていた。
 やはり皆、似たような反応だなと醒めた目で彼女を見つめ、ついでにその辺に潜んでいる子供達にも目をやった。
 息を飲んで固まっているのか、身動き一つしない。
 レイは今度こそこの土地を離れようと、もう一度空を見上げ大きく羽根を羽ばたかせた。


「レイ・・・、それ・・・、飛べるの?」

「・・・・・・? 他に何の用途があるんだよ・・・」

「・・・ッ! すごい、素敵、素敵ッ!!」

「・・・っ!?」

「小さな頃から夢だったの! 空を飛んでみたいって、皆誰もが願う事よ! すごい、レイッ!! 触って良い、いい!?」

「・・・え」

「わあ・・・、柔らかい・・・、それにすごくあったかい・・・、カンちゃん、一郎ちゃん、おいで、触っていいってー」

「うわあーーーッ、やったーー!!」

 そう言って、美玖は大はしゃぎしながらレイの羽根に触れ、興奮しながら子供達を呼び寄せる。
 子供達も顔を真っ赤にして飛び出すと、遠慮なくレイにしがみついた。


「・・・え、・・・・・・は?」

 何が起こっているのか分からない。


「本物だー、本物の天狗様だーッ!! おれたちの里に、本当にいたんだーーッ!! すごいすごーい!!! おれのばば様の言ってたこと、ほんとだったんだぁっ!!」

「びっくりだなぁ、社にいる天狗様は面をしてたのかぁ・・・、おれ、こんな綺麗な顔、おんなでも見たことねぇよ・・・。髪もよぉ、綺麗な狐色でさぁ・・・、なぁ、天狗様はおんなか? それとも、おとこなのか?」

「ばっか、こんだけ背の高いおんながいるわけないだろ。見てみろ、美玖様よりも一尺以上大きいぞ」

「うわ・・・、ほんとだぁ・・・、地面が遠い・・・」

 勝手にレイの身体によじ上り、子供達は好き勝手なことを言っている。
 美玖を見れば、羽根にしがみつき、一人で楽しそうに笑っていた。
 一体これはどういう状況なんだろう。
 どうして彼らは何の警戒心も無く、何の恐怖も抱かずに飛びついてくるのかよく分からない。


「・・・テング?」

 子供達は自分のことをそう呼んでいる気がする。
 首を傾げると、美玖が笑顔で頷いた。


「この山の神様よ。うちが守っている社に天狗様がいるわ。背に黒い羽根が生えてるの。子供と遊ぶのが好きって言われてるわ」

「・・・・・だって、さっきは見たこと無いって・・・。じゃあ、オレの他にも」

「いないわ。生きてる姿は多分里の老人たちも見たことないの。でも、皆が天狗様の存在を信じてる。だってあに様は天狗様の力を持ってるもの」

「・・・?」

 やはり言っている意味は半分ほども理解出来ない。
 分かるのは、彼らが自分を怖がってはいないということだけだ。
 それがこの里の人間だけの反応なのか、人間全てがこんな反応なのかは分からない。
 けれど、これをどう受け止めていいのか分からないまま、レイは大きな声でこう言っていた。


「貴盛のところまで飛んでいくから、一緒に行くなら掴まってろ。着いたら帰れよ」

「うわああーーッ!!」

 歓声があがり、皆がレイにしがみつく。
 レイは美玖と子供達を両手に抱え、あっという間に大空に飛び立った。

 こんなのは初めてだ。
 どうしよう。とても怖い。
 一人でいいのに、こんな温もりは要らないのに・・・───









その3へつづく



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