『約束』

○第12話○ 過去(その4)








「美玖・・・ッ、何で逃げるんだよ!!」

「あっ!」

 走り去る背中を追いかけ、レイは美玖の腕を掴み取った。
 そのまま無理矢理振り向かせて見下ろすと、彼女はふいっと目を逸らして俯く。
 たったそれだけのことで何故だか妙に苛ついて、レイは掴んだ腕に少しだけ力を強めた。


「に、逃げてないわ・・・。ただ・・・、レイが追いかけてきたから・・・ちょっと走っただけ」

「そういうのを逃げたっていうんじゃないのか?」

「・・・な、なによ・・・ッ、レイなんて・・・レイなんて・・・っ、静さんと、もう仲良くなったくせに・・・っ、わざわざ追いかけて意地悪言わないでっ!!」

「はぁ!?」

 美玖は目に涙を滲ませ、腕を振りほどけないことに苛立って地団駄を踏んでいる。
 やけに突っかかる言い方や、反抗的な態度にムッとして更に手に力を込めてやった。


「イタっ!!」

「勝手に解釈するなよ。オレはあの女の名前すら今初めて知ったんだ。仲良くって何のことだよ? 勝手に抱きつかれて、オレは嫌がってたんだ。美玖にはあれが仲良くしているように見えたのかよ!?」

「そ、それは・・・」

「美玖は嫌がってるオレを助けもせずに逃げたんだからな」

「え・・・っ、ちが・・・。そんな、だって静さんは・・・き、綺麗だから・・・・・・、その、男の人が嫌がる、・・・なんて・・・・・・」

 反撃に遭うとは思っていなかったのか、美玖は目を泳がせて狼狽している。
 そんな彼女を更に追い詰めてやりたくなり、レイは敢えて顔を間近に寄せて彼女の表情を窺った。


「美玖は見た目が良ければ誰でもいいっていうのか? それが通りすがりの相手でも?」

「そんなわけ・・・」

「へぇ、自分はそんなふうに答えるくせに、オレに置き換えた途端、綺麗な女なら片っ端から仲良くするって考えになるんだな」

「あ・・・・・・」

 そう言われてしまうと、美玖はもう何も言い返せなくなってしまったようだ。
 目に溜まった涙がぽろっと零れて、小さく『ごめんなさい』と言って俯いた。
 泣かせるつもりはなかったので胸が痛んだが、それでもレイはまだ腕を離さない。
 本当に苛ついているのはこんなやりとりではなく、先ほどの女から聞かされた話の方だったからだ。


「なぁ、・・・囲われるって本当なのか?」

「───ッ!?」

 突然核心に迫ることを切り出され、美玖の顔色は一瞬で変わる。
 微かに青ざめたようにも見えた。
 だが、彼女は顔を強ばらせたまま掴まれて赤くなっている自分の腕にぐっと力を込め、自由な方の手をレイの胸にそっと押し当てた。


「・・・・・・里の人がそう噂してるのは知ってる。だけど、私はそうすることに意味があると思ったから受け入れるの」

「・・・」

「レイ、手が痛いよ。もう離して・・・・・・」

「あ、あぁ」

 強く言われたわけではないのに、レイは言われるままに彼女の手を離す。
 僅かに気まずい空気が流れた。
 そんな流れを断ち切るように顔を上げ、彼女は不自然なまでの明るい笑みを浮かべた。


「・・・さっき、・・・・・・何でかなぁ・・・、静さんに触られているレイを見て、頭に血が上っちゃって・・・・・・」

「・・・・・・?」

「こんなことで嫌な想いをさせてごめんね・・・」

 そう言って美玖は小さく笑う。
 唇を震わせ、明らかに泣きそうなのに今度は涙を見せようとしない。
 どう反応していいか分からずにいると、そのまま彼女は社の方へ向かい、一人トボトボと戻っていった。


「・・・・・・なんだよ、急に」

 暫しその場に立ち尽くしていたレイだが、やがてそれだけを呟き、彼女を掴んでいた己の手をじっと眺める。
 妙な喪失感が胸の中に湧いていた。
 そして、美玖が知らない男の元へ行くという事実が苛立ちを募らせていることだけは何となく理解し、小さく舌打ちをする。

 ───意味があるって何だよ。・・・全然受け入れてる顔に見えないんだよ・・・・・・

 やけに遠くに感じた笑顔を思い出して拳を握りしめ、自身でも理解出来ない想いを抱えながら、レイの足は無意識に貴盛の元へと向かっていた。








▽  ▽  ▽  ▽


 境内に戻り、ぼんやりと庭を眺めていると、掃除をしている貴盛を見つけた。
 竹箒(たけぼうき)を持った彼の姿をもう幾度となく目にしているが、此処の人々は貴盛に限らず掃除をよくする。
 見回しても汚い場所などどこにもないのに、彼らはとても綺麗好きなようだった。


「レイ、君もやるか?」

 貴盛はレイを見つけた途端、返事も待たずに自分の持っていた竹箒を手渡し、用意していた別の箒を手にしてにっこりと笑う。
 これは割といつも通りのやりとりなので、今さら何も言わずにその辺をサッサッと形ばかり掃いていった。
 そのまま少しだけ適当にやり過ごし、貴盛の背中をちらっと見つめる。
 何となく話を切り出すのに躊躇いを感じていた。


「・・・ん? 何だ。レイ、もしかして話があったのか?」

 視線を感じたのだろう。彼は笑顔で振り返って近づいてくる。


「・・・え、・・・あ、・・・うん」

 曖昧な返事をして、レイは俯く。
 しかし、このまま考え込んでいても話は進まない。
 何故こんなことを躊躇うのかと不思議に思いながら、切り出す言葉を探した。
 先ほど美玖に問いかけた時は、我ながら言葉の選択が良くなかったと自覚している。


「あのさ、・・・五十過ぎの爺・・・って、・・・何年生きようが男は男、だよな・・・?」

 レイは言ってから、自身に溜息を漏らした。
 遠回しにしてもこれでは相手に伝わるわけがないだろう。
 自分の語彙の貧困さに呆れながら他の言葉を探していると、貴盛は目を丸くしながらレイに近づいてきた。


「・・・ッ、それをどこで聞いたんだ?」

「え?」

「美玖の話・・・だろう?」

「・・・あ・・・、ま、まぁ・・・」

 たったあれだけの言葉で理解出来たのか。
 寧ろそのことの方に感心しながら、レイは小さく頷く。


「里でそんな話を聞いて・・・、美玖に聞いても否定しなかった」

 全てを信じていたわけではなかったのに、先ほどの美玖は噂されていることを知った上で、それを否定する気はないと言った。
 だから何だと言えばそれまでなのだが、自分の中の何かがどうしてもそれを納得出来ずにいる。
 貴盛がそれを仕向けたという内容にも、美玖が受け入れていると言う事にも・・・・・・。


「そう、か・・・。人の口に戸は立てられないものだからな。・・・・・・嫌な話を聞かせてしまって・・・すまない」

 貴盛は黙り込んでいたが、やがて掠れた声でそんなふうに答えた。
 またしても肯定と思われる台詞を聞き、言い様も無い失望を感じたレイは貴盛を睨みつける。
 その視線を受け、彼は寂しそうな笑みを浮かべて目を伏せた。
 長い沈黙が続き、穏やかな風の音さえも大きく感じる。
 そんな静寂を打ち破るように、貴盛はその場に突然屈み込んだ。
 何をしているのかと不思議に思いながらその様子を見ていると、彼は足下に転がっていた小石を手に立ち上がり、それをぐっと握りしめた。


「前に・・・、僕は君に小石を手に乗せて割ってみせたことがあったろう?」

「・・・ああ」

「僕は・・・僕はこの力を使って・・・・・・もう、何人も人を殺したんだ・・・・・・」

「───・・・・・・えっ!?」

 突然の告白にレイは目を見開き、ぽかんと口を開けた。
 この脈絡も無い話は一体何なのか。
 理解出来ずに眉をひそめたが、思い詰めたその顔がこれを事実だと物語っている。


「・・・・・・っ」

 レイは息を飲み、周囲をきょろきょろと見回して貴盛の腕を取る。
 人の気配も視線も特に感じられなかったが、こんな場所で話すべき内容とは思えず、近くの木陰まで彼を引っ張っていった。


「・・・・・・どういうことだよ」

 自分でも驚くほどの小声で真意を問いかける。
 今の話と美玖が囲われることとどう関係するのか分からないが、意味も無くこんなことを言い出したりはしないだろう。
 もしそうだとしたら、貴盛たちは普段見せている温和な表情とは全く別の顔を持っていることになる。
 にわかに信じられないが、以前彼が小石を目の前で割った時に言った言葉を思い出す。

 ───『その裏で、里の皆の笑顔が凍り付くようなことを何度もしている・・・』

 確かに彼はそう言っていた。
 あの時は流してしまったが、今日はこのまま聞き流せそうにない。
 どうしても胸の中のモヤモヤが収まらないのだ。
 他人のことをここまで気にするのは初めてで、自分自身よく分からないのだが・・・。


「君になら全てを話しても赦されるだろうか・・・。人ではない君になら、何もかもを言ってしまっても・・・」

「・・・・・・え?」

 貴盛はまるで縋るような瞳でレイを見上げる。
 その事に一瞬怯み、僅かに後ずさった。
 確かに自分は人ではないが、そんなことを理由に何の話をしようと言うのだろう。
 こんな重要そうな話を聞く資格が自分にあるとは到底思えないのだが・・・。


「・・・あぁ、大丈夫だよ。これは君とっては雑音にしかならない話だ。・・・・・・だから、僕の独り言と思って聞き流して構わないんだ」

 レイが迷っていると、そう言って貴盛は小さく笑う。
 心の中を見透かされた言葉に気まずくなったが、レイはぎこちなく頷き、目の前の木にもたれ掛かる。
 その後、また少しの間沈黙が続き、貴盛は無言でレイの顔を見上げていた。
 やがて小さく息を漏らして俯き、彼はぽつりぽつりと自分たちのことを語り始めたのだった───。


「───僕たちの両親は早くに亡くなってね・・・。僕が此処を受け継いだのは、まだ十になるかならないかの歳だった。といっても、生まれた時から此処を次ぐ事は決まっていたから、その為に必要な知識は与えられていたし、特に困る事は無かったけれど。・・・・・・ただ、その時、僕は一通の書も受け継いだ。とても古いその書には、ある約束事が書かれていてね。・・・・・・"末代まで恩に報いる"と」

「・・・・・・恩?」

 訝しげに問いかけると、貴盛は小さく頷く。


「ああ、・・・"本来、誰とも違うと、気味悪がられる"。僕はこの前のレイの言葉に本当に驚いたんだ。その通りなんだと思う。・・・・・・僕たちの先祖も遠い昔、奇妙な力を持っていることを理由に迫害を受けていたらしくてね。それは酷いものだったらしい。・・・・・・ところが、とある尊い血筋の一族に保護されたことで状況が一変したんだ。どうやらこの社の守り人としての役目を与えられ、それによって生きる権利も与えられたということのようだった。僕の手元に残る一通の書はその時のもので、末代までその方々に対して恩に報いると約束したものだった。・・・けれど、書を受け継いだからと言ってそれが何を意味するのか、最初はよく分かっていなかったんだ。恩を受けた相手がどんな一族かも記されていなかったし、父が生前に教えてくれたのも此処までだったからね。・・・・・・しかし、ある時、僕の元に"依頼"が舞い込んだことで、自身が何を受け継いだかをようやく理解することが出来たんだ」

 貴盛はそこまで言うと、自嘲気味に嗤う。
 しかし、隣で聞いていたレイは何の反応も出来なかった。
 人の世界も自分たちとそう変わらないという感想を持っただけで、彼がどうしてそんな顔を見せるのかまでは分かるはずもない。
 そんなレイの視線を受け、貴盛は遠い空を見上げる。
 そして、ぐっと拳を握りしめて言葉を続けた。


「"依頼"は、一言で言えば暗殺を意味していた」

「・・・っ!?」

「送り主が誰かは書かれてはいない。ただ、文末には必ず血判が押されている。父が生きていた頃、それがシルシで約束なんだと教えられた。僕は何の疑いも無く、何年もずっと"依頼"を遂行し続けたよ。向こうが一方的に"依頼"をして、僕はそれをただ受けるだけ。少し離れた場所で事切れる人の姿を僕はいつも見ていたけれど、罪悪感はそれほどなかった。触れずにそれが出来てしまう所為で、生々しい実感が無いんだ。・・・・・・そういう意味で、僕は平然と"依頼"をこなせる殺人鬼だったのかもしれない。だけどある時、下手をうって対象の手の者に捕まってしまってね・・・。此処までかと自身の最後を覚悟したのも束の間、僕は生まれて初めて背筋が凍る思いを味わった。相手は山の上で社を守る僕を知っていて、最悪な事にこの力のことも気づかれ、挙げ句、取引を持ち掛けられたんだ。・・・・・・今後は彼ら一族の為に僕の力を使うか、それとも美玖を差し出すかの選択を迫られて・・・」

「・・・ッ! それで・・・美玖を差し出すっていうのか!?」

 話の核心に触れ、レイは目を剥いた。
 取引がその二択だけということも気になるが、美玖を差し出す事を選択したというのがもっと理解出来ない。


「どうしてだよッ!? 自分の力を誰の為に使うかより、美玖を差し出す方がいいって言うのか?」

「・・・良いとは言わない。けれど、この力を他の誰かの為に使う事は出来ない。万が一でも恩に報いると約束した一族に刃を向ける可能性だってあるだろう。相手が例え面識の無い相手であろうと、恩を仇で返してはいけないんだ。何十年、何百年も前の話であろうと、これは一族が守ってきた事なんだから・・・」

「・・・・・・っ、そんなばかなことが・・・、そんなことで妹を差し出すとか・・・・・・正気なのかよ・・・」

 レイは言いながら先ほどの美玖を思い浮かべた。

 ───『私はそうすることに意味があると思ったから受け入れるの』

 そうだ。考えてみれば、彼女もこの話を受け入れているのだ。
 貴盛と同じ考えを持っているからだ。殺人しか依頼しない恩人に報いる事が当然だと・・・。


「・・・おかしいのは美玖も同じだ。二人とも何だってこんなことを納得出来るんだ・・・」

 しかし、それを口にすると、貴盛は首を横に振る。


「美玖は僕の力を知っているが、"依頼"を受けて何をしていたかは知らないんだ。これは力を受け継いだ者だけが知る秘密だよ。あの子には一生口を噤み続けるつもりだ」

「そんな・・・、だったら美玖は何も知らずに困っている貴盛を助けようって、それだけで・・・・・・? だって相手の男は何人も女を囲ってるって・・・そう聞いたぞ・・・。貴盛はそんな奴の所に美玖を差し出して平気なのかよ!?」

「・・・・・・」

 貴盛は答えない。
 だが、苦渋に満ちた顔が全てを物語っている。
 平気なわけは無い、それでも差し出す・・・それが貴盛の結論なのだろうか。
 レイは憤り、竹箒を地面に投げ捨てた。


「酷い雑音だ・・・っ。こんな酷いものを聞き流せって言うのか?」

「・・・・・・・・・すまない」

「なぁ、貴盛。・・・・・・もし、オレが邪魔したら・・・」

「え?」

「・・・・・・いや」

 驚いた様子の貴盛から顔を背け、その先を言わずにレイは建家の方へと走り去る。
 とにかく腹が立って仕方なかった。
 世の中思い通りにならないことばかりだ。
 優しい世界なんてどこにも存在しない。
 それが分かっていても、もう一度美玖に確かめたかった。
 本当は何を確認したいと思っているのか、それすらよく分からないまま・・・・・・。








▽  ▽  ▽  ▽


 ───深夜になるのを待って、レイは美玖の部屋に忍び込んでいた。
 誰の目も気にせず話すにはこれくらいの時間の方がいいと思えた為だった。

 ぎし・・・。
 すっかり寝入っている美玖の傍に座ると、微かに畳が軋む。
 そのまま彼女の顔を覗き込み、反応を窺った。
 この前は気配を消していても気づいたから今回も同じようになると思ったのだが、こんな時に限って起きる気配が見られない。
 けれど、何と声をかけていいのか分からず、レイは考えた末に『ふぅ』と美玖の顔に息をかけてみる。
 彼女の髪がそよそよと揺れ、睫毛が少しだけぴくりと動く。
 しかし、目立った反応はそれで終わり、穏やかな寝息に大きな乱れはない。

 上の布団・・・、取ってみるか。

 声をかけた方が絶対に早い筈だが、レイはそれを躊躇い、美玖の布団をはぎ取ることを考えた。
 手を伸ばしてそっと布団の端を両の指でつまみ、彼女の首から下へ向けてゆっくり捲っていく。
 そのまま全てを捲っていくと、闇の中でも見えるレイの瞳は寝乱れた美玖の姿を徐々に映し出し、寝衣の隙間から覗く太腿やはだけた胸元にギクリとした。


「・・・・・・ッ?」

 何故だか急激に顔が熱くなり、ごく、と喉が鳴る。
 彼女の全身を舐めるように見つめ、そのことに気づかないまま、無意識に小さな胸の膨らみへ手を伸ばそうとした。


「・・・ん、・・・・・・さむ・・・ぃ」

「・・・ッ」

 だが、寝返りを打ったと同時に微かな声を耳にして我に返る。
 慌てて自分の手をひっこめ、息を潜めた。

 ・・・何だ今の・・・・・・。オレ、何をしようとした?

 やけに心臓がうるさい。
 震えながら自分の手を見る。
 明らかに彼女の胸に触れようと動いていたような・・・。
 そんな自分に愕然とし、身動きが取れなくなってしまう。


「・・・・・・、・・・レイ?」

「───・・・っ!」

 不意に声をかけられてビクッと震える。
 いつ起きたのか、美玖がぼーっとした顔で目を擦っていた。
 布団を取り上げられて寒いのだろう。ぶるっと身体を震わせて自身を抱きしめている。
 しかし、同時に胸の谷間が強調されてしまい、そんな場所ばかりに目がいってしまうレイはさっと顔を背け、自分で捲った布団を彼女に手渡した。


「やだ、そんなところに・・・寝相悪かったのかな。ありがとう」

 彼女は少しも疑う事無く笑って布団を被る。
 レイが剥ぎ取ったなんて考えもしないのだろう。


「眠れないの? ・・・何か、話す?」

 昼の事は気にしていないのか、美玖はいつもと同じだ。
 小さな欠伸をして、そんな一つひとつの動作をじっと目で追いかけてしまう。
 そして、自分の指先が小さく震えるのを感じながら、レイは掠れた声でぽつりと呟いた。


「・・・・・・どんなことされるか、分かってるのかよ」

「え?」

「ご、五十過ぎの爺ってのがどんな男かオレは知らないし、歳が離れてるとか近いとかの感覚もよく分からないけど。・・・・・・多分、・・・絶対、・・・確実に、・・・身体とか、好きにされるんだぞ。色んな事が自由にならなくなるんだ。そういうの、ちゃんと分かってるのかよ・・・」

「レイ・・・」

 美玖は驚いた顔をして身を起こし、暗闇の中でレイに顔を近づける。
 もしかしたらどんな顔をしているのかと覗き込もうとしているのかもしれない。
 だが、迫ってくる彼女の顔に狼狽え、異様に激しく鳴り響く己の心臓の音にレイは顔を顰めた。


「な、なん、だよ・・・」

「・・・ううん。気にしてくれるんだって・・・・・・。なんか、嬉しい」

「は? こんなの全然嬉しくないだろ。オレの言ったこと聞いてたのか?」

「うん。それは・・・、言ってる事は何となく分かるよ。けど、その時になってみないとよく分からないと思うし・・・、まだ想像出来ないっていうか。それにね、顔も知らない相手に嫁ぐなんてよくある事なんだよ。あ、嫁ぐっていうのとは・・・私の場合はちょっと違うかもしれないけど」

「それ、本気で言ってるのか?」

 暗がりで見えないと思ってそんな強がりを言っているのだろうか。
 彼女の手は小さく震え、その表情は昼と同様に泣きそうだというのに・・・。
 けれど、レイの問いかけに美玖は『本気だよ』と小さく笑い、本音を語ろうとはしない。

 オレなんかに言っても意味が無いって思ってるからか・・・?
 通りすがりのオレには関係ないって・・・?
 何だよ・・・、分かってるよ。
 だけど、だったら何でこんなに苛々しなきゃいけないんだ・・・っ。

 その意味が分からないまま、気づくとレイは美玖の腕を掴んでいた。
 吃驚した顔をする彼女に構わず伸し掛かり、いきなり首筋に唇を寄せる。
 そのまま舌を突き出し、わざといやらしく舐め回す。
 彼女が嫌がれば、それでいいと思った。


「・・・・・・ん、・・・・・・な、・・・なに、を・・・っ、んっ」

「・・・・っ、なんて声を出してるんだよ・・・ッ」

 思いがけず甘い吐息を耳に感じてレイは内心焦りを募らせる。
 嫌がると思ったのに、抵抗一つせずに美玖はただ狼狽えているだけだ。
 どうして自分の意図したような反応をしてくれないのか。
 ここまできて抵抗されずに終わるのは納得がいかず、今度は殴られるのを覚悟で、はだけた胸の隙間に手を突っ込んだ。


「・・・・・・あっ!?」

「なぁ、美玖。・・・・・・分かるかよ。こんなこと、きっと毎日されるんだぞ。ご、五十過ぎの爺ってヤツに・・・、本当にいいのかよ」

「ん、・・・毎日・・・・・・?」

 思ったよりも成長している胸を手のひらで撫で、その頂きを指先で転がす。
 ところが、美玖は少し不安な顔を覗かせたが、またしても抵抗はしなかった。
 レイの頭の中は疑問符が飛び交う。
 しかし、理解出来ないのは彼女の心だけではない。
 こうして上に乗っていると妙に身体が熱く、変な気分になっていく自分自身も理解出来なかった。
 そんな自分を誤摩化そうと、レイは必要以上に顔を近づける。
 息が掛かるほどの距離だ。せめて顔くらい背けるだろうと思った。


「た、例えば・・・、口と口をくっつけたり。・・・そういうのも、されるんだ」

「・・・・・・っ」

「こうして・・・・・・、くっつけられても、・・・いいのかよ」

「・・・ん」

「・・・・・・」

 結局、美玖が少しも避けないから唇はくっついてしまった。
 しかも、またしても驚いた顔をするだけで、彼女はそれ以上の反応をしない。
 レイの方も何だかこれだけで終わらせることが出来ず、唇の隙間から舌を突っ込み、彼女の口の中を好きなように掻き回していた。


「・・・・・・ん、・・・んぅ・・・・・・ッ」

 苦しげな息が胸を熱くさせる。
 もっともがけばいいのにと歯列をなぞり、舌に巻き付き、小さな身体をぎゅうっと抱きしめた。


「んん、・・・くる、し・・・」

「・・・ッ!!」

 その声にハッとして慌てて口を離し、腕の力を緩める。
 自分が今なにを考えていたのかよく思い出せない。
 だけど、この身体の熱は・・・・・・


「・・・・・・レイ」

「・・・っ」

「・・・私、・・・おかしいのかな・・・・・・。レイにされても・・・・・・嫌じゃないよ」

「え?」

「胸を触られるのも、口を吸われるのも、・・・・・・レイだって分かってるから、・・・・・・嫌だって思えない・・・・・・」

「・・・ッ!?」

 ぽろぽろと零れる涙を見て、レイはぎょっとする。
 そして、自身の身体に起こった変化に気付き、あわてて身を起こした。


「・・・レイ?」

「それじゃ意味ないだろ・・・っ、とにかく嫌がれよ・・・・・・。オレなんかに身体を奪われてもいいのかよ・・・っ」

「レイに・・・・・・?」

「ああ、いや、違う。いいから・・・ッ。そんなのに答えなくていいし考えなくていい。・・・と、とにかく、・・・・・・もっとよく考えて決めろって・・・そう言いにきただけだ。わかったな!」

 そう言って、さっと立ち上がり、レイは真っ赤な顔で部屋から立ち去る。
 後ろから美玖の声が追いかけてきたが、とても振り返ることが出来る状況ではなかった。
 身体が熱くてたまらないのだ。
 これはクラークに投薬された時のような状態に近かった。
 だが、今はそんなものは身体に残っていない。

 だったら、これは何なんだよ・・・・・・

 レイは屋根の上に乗り、夜風で身体の熱を取ろうと必死だった。
 自分の身体の事なのにどうなっているのか全く理解出来ない。
 ぎゅっと自身を強く抱きしめ、ぶるっと身を震わせる。


「・・・・・・なんで、勃ってんだ?」

 ただ、美玖に触ってキスをしただけだ。
 まさか人間相手に欲情したとでもいうのだろうか?
 どうしてもそのことが信じられず、レイは何度も首を横に振る。
 彼女を今までそんなふうに見た事は無かったはずだ。
 自分はおかしい。どこかにネジが飛んでしまった。


「・・・うそだろ・・・、どうなってんだ・・・っ」

 一向に収まる気配がない。
 けれど、自身の手で慰めたとしても要らぬ妄想をしてしまいそうで、実行に移すのを躊躇してしまう。
 結局、何一つ満足な答えを導き出せず、中々身体を沈められないまま、レイは暫くその場を動く事が出来なかった。











その5へつづく



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