『約束』

○第3話○ 動き出した日(その2)







「美久ちゃん、今日のお昼一緒に食べない?」

「・・・え?」

 二人が登校した直後、美久が席に荷物を置いていると、突然聞き慣れない声に話しかけられた。
 隣にレイがいる状態で彼女に話しかけるのは割と珍しい光景だったので、密かに周囲の意識が集まる。
 美久が振り返ると、声の主はニッコリと人懐こく笑いかけてきた。
 一度も話したことがない、クラスも違う女生徒だ。
 何と返答したら良いのか分からず、美久は曖昧に首を傾げる。


「あはは、突然だったね、ごめんごめん! 実は前から友達になりたいって思ってたんだよ。モチロン彼も一緒でいいし、私も彼氏連れてくるから。ね? 食事は大勢が楽しいし、どうかな?」

 そう言われて隣にいるレイを戸惑いながら見上げると、どうやら会話に加わる気は無いらしく、興味なさそうに窓の外を見てやり過ごしている。


「・・・えと・・・・・・あの」

 美久は言い淀みながら返答に詰まった。
 突然だとしてもこんなふうに言われれば、普通は快く頷くものだ。
 だが、美久はただ言葉を濁すばかりで頷くことはしない。


「彼氏からも御願いっ、ね? 美久ちゃん説得してくれないかな。苛めたりしないからさっ」

「・・・何でオレが・・・」

 突然話を振られたレイは、僅かに眉を寄せて面倒くさそうに拒絶する。
 当然だが彼にとってはどうでもいい話だ。
 元々この手の話に協力を求めた所で期待出来る人選ではなく、貴重な昼休みをそんな事に費やしたら自分達の時間が無くなる・・・恐らくそんなふうに考えていた可能性の方が遥かに大きい。
 実に素っ気ない返事に、彼女は諦めたように苦笑して美久に向き直る。


「ね、美久ちゃん。イヤかな?」

「・・・そんな・・・、イヤじゃ、ないよ・・・」

「ホント!? ・・・あっ、ヤバイHR始まるっ! じゃ、お昼に屋上ねっ、待ってるから〜!!!」

「あっ」

 彼女は大きく手を振りながら、あっという間に教室から出ていってしまった。
 どうやら中途半端な態度をとったために肯定ととられてしまったみたいだ。
 とても強引に決められて戸惑いはするが、今更昼食くらいでキャンセルもないと思う。
 しかし、美久には即答出来ない理由があった。


「嫌ならそう言えばいいのに」

 浮かない顔の美久にレイは気づいていたようで、小さくそう言った。


「・・・ううん・・・・・・そんなことないよ」

 曖昧な笑いを張り付かせて僅かに視線を逸らす。
 レイは前髪を煩わしそうに掻き上げ、ため息を漏らした。


「・・・オレが断ってやろうか?」

「あ、ホントにそんなんじゃないから。レイ、そろそろ先生来るかも、教室行った方がいいよ」

「・・・・・・」

「ね?」

「・・・・・・わかった」

 明らかに強がっている様子だが意見を曲げる気はないらしいと思ってか、レイは諦めたように頷くと美久に背を向け、自分の教室へ向かった。
 その背中を見ながら美久は難しい顔をして、椅子に座って俯く。
 即答出来ない理由・・・、それをレイには言いたくなかった。
 しかし、昼になって彼らに会えば、その理由を知られてしまうということも分かっていた。

 ───佐藤夕子(さとう ゆうこ)
 これは先ほどの女生徒の名前だ。
 話した事はなくても、彼女の存在を美久は知っていた。
 というよりも、彼女の恋人の事を知っていると言った方が正しいだろう。
 何故なら夕子の恋人が、以前美久が密かに憧れていた男子生徒だったからだ。
 今となっては機会を作ってまで食事をしようと思う相手ではない。
 何故彼女は教室も違う自分たちを誘おうと思ったのだろう。
 それに、彼に会えばレイだって嫌な気持ちになると思うのだ。
 いや、既に分かっていて、だから気遣ってくれたということも考えられる。
 思えば美久が憧れていた相手をレイは最初から知っていたのだ。
 その恋人が彼女だと知っていても不思議ではなかった。
 痴漢を助けてくれたことには感謝しているが、今も彼に憧れつづけているわけではない。
 そもそも彼に対するものが恋愛感情ではなかったというのもレイに想いを寄せて初めて理解できたほどで、今さら引きずっているなどと考えるような大きな気持ちではなかった。
 だからあの二人が一緒にいる所を傍で見るのが辛いとかいうことではなく、ただ単純に多少でも感情を寄せた相手とレイを会わせたくなかっただけなのだ。







▽  ▽  ▽  ▽


 昼休みに入ってレイと屋上へ上がると、夕子は既に恋人の小田切保(おだぎり たもつ)と楽しそうに談笑していた。


「あっ、美久ちゃん、牧口君!」

 夕子が気づき、笑顔で手を振る。
 隣では小田切も人なつこい笑みでにこにこと笑っていた。


「よかった〜、来てくれないんじゃないかって内心ドキドキだったんだ〜」

「もしかして夕子が強引に誘ったんじゃないの? ごめんね」

「そんなことは・・・」

 すまなそうに謝る小田切を見て、美久は慌てて首を横に振る。
 顔に出していたのかもしれないと思って反省した。


「ねぇ二人とも、もっとこっち来て座って」

「うん・・・」

「・・・・美久」

「なに?」

「こんなの、もう何でもないことだろ」

 レイは美久だけに聞こえるようにそう囁いた。
 そして、先に座るように促すと、美久の傍に出来るだけくっついて腰を下ろす。
 美久はその行動だけで分かってしまった。
 やはり彼は知っていて、それでも一緒に来てくれたのだと。
 こうなって初めて実感する。
 今さら小田切を目の前にしたところで、心が動くはずもないくらいレイの存在が大きくなっている。
 あの時には分からなかった感情が、今はよく分かる。
 レイと一緒にいると、それが日々膨らんでいくのだ。
 隣を見るとレイと視線がぶつかって、彼に抱きつくことが出来ないのを少しだけ残念に思い、そんな事を考えてしまう自分が何だかとてもおかしかった。


「いただきます」

 美久は晴れ晴れした気持ちで弁当をせっせと広げる。
 手を合わせてもくもくと食べ始め、胸のつかえが取れたみたいに口の中に美味しさが広がった。
 けれど・・・、何か妙な視線を感じて、美久の手はすぐに手が止まってしまった。
 目の前に座る夕子と小田切にやたらと見られているのだ。


「二人っていつもそんな感じなの?」

 暫しの沈黙が流れたあと、小田切が突然そんなことを問いかけてくる。
 夕子も同じことを疑問に思っているのか、コクコクと何度も頷いていた。
 それに、心なしか二人とも顔を赤くしているように見えて、意味が分からず美久は首を傾げる。
 特に変わった事なんて・・・と思いながらレイに視線を向けた。
 そこで美久は漸く二人がこんな顔をしているわけが分かり、真っ赤になって目を見開く。
 美久の髪の束を手に取ったレイがそれに唇を寄せていたのだ。
 しかしそれは、もはや彼にとっては日常となっていた行為だった。
 最初のころはそういうのは恥ずかしいからやめてほしいと言っていた美久だったが、それが聞き届けられたことはなく、そうやって飽きもせずに美久の身体のどこかにいつも触れようとするので、次第に気にするのも面倒になってしまったのだ。
 そのせいで髪の毛に触れられてても気づかないという状況を生んでしまったのだが、こうして冷静になるとこれはかなり恥ずかしい。
 せめて人に見られる前に気づくべきだった。
 漸く何のことか理解した美久は、顔を真っ赤にしたまま慌ててレイから離れた。


「・・・・・・ッ、・・・レ、レイっ! くっつきすぎっ、髪も触っちゃだめ!」

 突然大きな声で拒絶されたことに驚いたレイは、彼女の髪を弄っていた体勢のままムッとした顔をして、不機嫌そうにそっぽを向いてしまう。


「くっついて悪かったな」

「・・えっ、あっ、そ、そうじゃなくて!」

 彼を拒絶するつもりではなかったが、そう受け取られてしまったことに美久は慌てた。
 懸命にそうではないと説明するのだがレイは聞き入れようとはせず、美久はしゅんとなりながら彼の横顔を見つめることしか出来なくなってしまう。
 だが、そのうちに不機嫌そうなレイが美久を振り返り、手招きして彼女が近づくとその耳元で何かを囁き始める。
 端から見ているだけでは何を囁いているかは分からないが、『うっ』と目を見開いた美久は非常に困った様子で返答に窮している様子だ。
 それらのやりとりは、何となく機嫌を直す代わりに何かを要求されているように思えたが、彼女にとって即答出来る内容ではないのかもしれない。
 けれど、中々頷こうとしない美久の様子にレイの表情からは感情が消え失せ、次第に氷のような冷たいオーラを放ち始める。
 結局、美久は観念する以外に方法が見付からなかったらしく、レイの方は彼女が頷いた途端、見えないようにこっそり口元を綻ばせていた。
 夕子も小田切も、目の前で繰り広げられる二人のやりとりに、恥ずかしさを通り越してただただ唖然と見ているだけだった。
 二人とも"牧口レイ"の事は知っている。
 ただ、もっとクールというか、感情的に人と接する印象が全く無かったので、驚きの方が強かったようだ。


「・・・・・・牧口くんって、笑うんだ」

 驚いた顔で呟いた夕子に気づき、美久が恥ずかしそうに謝る。


「ごめんなさい。あの・・・折角誘ってくれたのに全然喋ってないね・・・」

「ううん、いいよ。面白いもの見せてもらっちゃったし」

「え?」

「なんでもない。ねぇ、それより早く食べないと休み時間終わっちゃうよ。牧口くんなんて全然食べてないんじゃない? ていうか何も持ってきてないの?」

「・・・・・・オレはいらないから」

「・・・えっ、でも、・・・・・・お腹空くよ?」

「平気」

 そう言うと彼は美久の食べる様子を楽しそうに見つめ、その光の加減によって美しく変化する瞳が穏やかで透き通るような緑に瞬き、夕子は思わずそれに魅入ってしまった。


「・・・どうした? 夕子」

「あっ、ううん。私たちも早く食べよっ!」

 慌てて笑顔を作って小田切に向き直る。
 そして、努めて明るく皆と話している間、夕子はまるで盗み見るかのようにレイを何度も視界に入れては唇を噛み締めていた。
 そんな様子を、隣で小田切が時折不思議そうに見ていたが、食事がなかなか進まないのか、夕子は何度も喉に詰まらせていたのでそちらの方に気を取られてしまったようだ。
 二人の前ではレイが美久の耳元で何やら妖しげに囁き、真っ赤になった美久を見ては何とも楽しそうに笑みを浮かべる。
 風になびくやわらかそうな色素の薄い髪の毛がゆらゆらと揺らめいて、気持ち良さそうに目を閉じていると、美久に無理矢理エビフライを口の中に入れられ、苦笑しながらもちゃんと食べている口元はとても柔らかい。
 何気なく地面に置かれた手は大きく、それが時折彼の髪を鬱陶しそうに掻き上げている様子を夕子はじっと見ていた。


「・・・・・・あんな風に・・・・・・・・・笑うんだぁ・・・・・・」

「どうした?」

「・・・・・・・・・ううん」

 心臓が苦しい。
 そんな夕子の様子を、レイは一度だけ怪訝そうな顔で見た。
 しかし、あまりに一瞬の事で誰も気づくことはなく、表面上は何事もなかったかのように時間は進み、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。









その3へつづく


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