『約束』

○第4話○ 偽り無き真実(中編)







「自分で何をしてるのか、もうわからないの・・・っ、・・・保とつき合うのだってこれ以上は・・・無理なのよっ」

「・・・えっ!?」

 夕子の台詞に、美久は思わず驚愕の声をあげた。
 そんなのはおかしい。
 小田切に告白したのは彼女の方だったというのに、何故それを彼女が否定するのか。
 戸惑う美久に夕子は歪んだ笑みを浮かべる。
 レイに向けるものとは全く違う嫉妬に満ちた眼差しで、初めて向けられるその手の感情に、美久は背筋に冷たいものが走り恐怖を感じた。


「・・・美久ちゃん、私はあんなに優しく笑う牧口君なんて見たことなかったんだよ。私がどんなに願っても手に入れられなかったものを、あなたはあっさりと手に入れちゃうんだね」

「・・・っ」

「私がどんな風に牧口君に拒絶されたのか、あなたに分かるわけがない。どんなに冷たくされても終わらない気持ちがあるなんて、絶対わからない・・・ッ!!」

 美久は身を固くしながら呆然と立ちつくす。

 ・・・・それはレイに想いを傾けていたって・・・、今も続いてるって・・・そう言うことを言ってるの・・・?


「牧口君は『美久以外はいらない』って迷わず言ったわ。気持ちなんて少しも届いていなかったくせに、いつも見ているだけだったくせに・・・、自分からは近づく事も出来なかったくせに・・・ッ!! こんな事って無い。無かった事にされる為に告白したんじゃないのに、あんなふうに簡単に人の気持ちを片付けるなんて・・・っ!! 赦せなかった・・・、これだけ想われて、牧口君はいつもあなたを見ていたのに、何一つ気づかずに別の誰かを見ているなんて・・・ッ!! そうだわ、誰よりも赦せないのはあなたよ。だから、あなたを傷つけられるなら何だってよかった!」


 だったら・・・・・・小田切くんに告白したのは・・・・・・
 ただ私を傷つける・・・それだけの、ため?


「・・・小田切くんのことは・・・」

「好きなわけないじゃない!」

「ひどい・・・っ」

「だったら交換しようよ。保をあげるから、牧口君を頂戴。これで問題ないでしょう?」


 佐藤さん、何を言ってるの・・・?

 あまりに勝手な言い分に絶句して、レイの袖を掴む手に更に力をこめると憎悪の目を向けられた。
 昨日の彼女とはまるで別人、これだけ悪意のこもった想いを突きつけられる事があるなんて考えもしなかった。

 ───と、


「・・・・・聞いてるだけ時間の無駄だな・・・」

 黙って聞いていたレイが呆れた口調で小さく溜め息を吐く。
 彼は昨日クラウザーが言っていた『女の嫉妬は女に向き、相手を貶める為に容易く動く』という言葉を思い出し、成る程こういう事かと漸く理解する。
 だからと言って美久を傷つけるため、挙げ句の果てには、自分と小田切を交換しろとまで言うのかと。
 目の前で繰り広げられている出来事があまりにも醜く滑稽過ぎて、この上なく馬鹿馬鹿しいやりとりに、反応する事さえ面倒だった。
 レイはこの場から離れる為に美久の手を静かに取る。


「美久、行こう」

「・・・えっ」

「大事な話があるって言ったろ、ここじゃ出来ない」

「・・・・・・でも」

「・・・あぁ、・・・嫌な思いをさせたね」

 皺になるほど握り締められた自分の袖口を見て、レイは美久を引き寄せて何度も頭を撫でる。
 夕子は自分がいるにも拘らず繰り広げられる目の前の抱擁に、怒りなのか何なのかも分からないまま、ぶるぶると全身が震えてどんどん感情が高ぶっていく。


「牧口君は騙されてるんだよ。だって彼女は保が好きなんだから」

 そう言って、二人を引き離そうと夕子の手が伸ばされる。
 しかし、レイの肩に触れようとしたところで、

 ───バチッ


「きゃあっ!?」

 突如、夕子が悲鳴をあげた。
 その声に驚き、美久はレイの腕越しに振り返る。


「・・・・・・いやああぁっ、・・・あつい・・・っ、あつい、あついっ!!」


 な、何・・・?

 見れば夕子の右の手のひらが酷く焼け爛れて血が噴き出していた。
 一見して重度の火傷と認識できるそれは、目を覆いたくなる程痛々しい。


「・・・佐藤さん!?」

「あついっ、助けて、・・・あつい、痛い痛いっ!!」

「行こう」

「どうして火傷なんて・・・っ!?」

「・・・美久」

「保健室・・・ううん、病院に連れて行かなきゃっ」

「どうして?」

「・・・どうしてって」

 そんなの当たり前じゃない。
 言おうとしてレイを見上げると、彼は心底不思議そうな顔をしていた。


「勝手に触れようとするからいけない。自業自得だろう?」

 まるでどうとも思わないと言っているような・・・その表情にゾクリとするものを感じる。


「あついっ、あついよ!」

「佐藤さん!!」

 夕子の声でハッと我に返った美久は彼女に駆け寄ろうとした。
 だが、レイは美久を離そうとはせず、身動き出来ない腕の中で尚も小さく藻掻いた。


「レイっ、どうして!?」

 叫ぶ美久に、レイは不愉快そうに眉を寄せる。
 彼には美久がどうしてこんなふうに慌てているのか分からないようだった。
 どうしてこんな相手を心配するんだ? とでも言うように眉を寄せて美久を見つめている。
 美久は少し彼が怖くなって小さく首を振った。
 何だか知らない人みたいだ・・・レイはいつもはもっと優しいのにと。
 すると、レイは少しだけ考えるように眉を顰め、呆れたように溜息を吐き出した。


「・・・だったら、美久はこの女の火傷が治ればいいっていうのか?」

「そうよっ、だってあんなに」

「・・・あぁ、もう・・・、わかったよ」

「・・・・・・え、・・・あっ」

 不機嫌そうな顔のまま、レイは美久の傍から離れて夕子に手を伸ばす。


「・・・手をだせ、治してやるから」

 言いながら、不本意そうに息を吐き、彼女の手のひらを大きな手で握り締めた。


「・・・ぅ・・・、あ・・・ぁっ」

「───ッ、・・・・・・え?」

 美久は目の前で起きている出来事に目を見張った。
 最初はただ握手しているだけのようにしか見えなかったのだが、信じられないことに二人の手が握り合わされた隙間からは、見たこともないような柔らかな光が溢れ出したのだ。
 呆気に取られた美久は息をするのも忘れてその光景に目を奪われ、手を握られている夕子も異変を感じ取っているのか表情に変化が生まれた。
 そのうちに熱い痛いと泣き叫んでいた夕子の声が小さくなり・・・・・・


「もう、充分だろう」

 そう言った彼の手が離れると、夕子も美久も目を見開いた。
 手のひらの酷い火傷がきれいに消えて、元に戻っていたのだ。


「行くよ、美久」

「・・・っ、レイ、今の・・・なに!?」

「・・・あぁ、ちょっと待って。・・・今のはこの女に不要な記憶だった」

 そう言うと、レイの手が夕子の頭部へ伸び・・・人差し指でトン、と彼女の額を軽く押した。


「・・・・・・まきぐ・・・ち・・・く」

 途端に夕子の意識が混濁し始め、足下がおぼつかなくなってくる。
 助けを乞うように彼女はレイに手を伸ばしたが、触れるか触れないかの所で彼の腕は額から遠ざかり、当たり前のように美久の背中へ回された。
 夕子はそれを目にしながら、その場に崩れ落ちていく。


「佐藤さんっ!?」

「・・・もういいだろう?」

 またも美久が駆け寄ろうとするがレイに強く腕を引かれ、これ以上関わるなと謂わんばかりの彼の目に身動きが取れなくなる。

 ───今のは・・・なに?

 たった数秒前の出来事なのに、あまりに現実味が無くてよく分からなかった。

 火の気も無い場所で火傷・・・?
 それを・・・レイが触ったら跡形もなく消えた・・・?
 見間違い・・・? まさか・・・、でも・・・

 レイは酷く困惑した様子の美久の手を握り締め、額に頬に、そして唇にキスを降らせていく。
 何度も唇を重ね、思うままに舌を絡められて苦しいのに反応が返せない。


「美久・・・こんな事で驚かないでよ」

 至近距離から見た彼の瞳は今は琥珀色に輝き、とびきりの宝石のように美しい。
 そんな場合ではないのに、微笑みを浮かべるレイに思わず見惚れてしまう・・・
 そして、頭の片隅で一体彼は何を伝えようとしてるんだろうと考えた。
 昨日から美久には難しいことばかりだったが、それでもレイが何かを言おうとしているのは分かっていた。

 食物連鎖、
 食事をしない、
 食べる周期、

 これと、今起きた事は何か関連があるんだろうか。
 レイはこうも言っていた。

 『人と同じ形をした生き物』

 それはつまり、形が同じだけで違う生きものだということ。
 まさか・・・と、自分の考えを打ち消そうとする。
 だけどそれを打ち消そうと言うなら、今起きたことを、これまでの彼をどう説明すればいいのか。


「美久には・・・とっておきを見せてあげるよ」

「・・・・・・・・・とって、・・・おき・・・?」

「生憎今のオレは空腹じゃないから食事風景は見せられない。・・・だけどそのかわり、オレ自身が嫌悪するくらいのとっておきを見せてあげる。・・・美久はどうしたい? 選ばせてあげるよ。本当にオレを知りたいと今も思ってるなら」

「・・・・・・、・・・う、・・・ん。・・・・・・思ってる、よ・・・」

「本当に? 見たら後悔するかも知れないのに、・・・それでも見たいと言うの?」

 後悔・・・、嫌悪・・・
 わからない、選ばせるってなんのこと? 正しい答えなんてあるの・・・?

『レイは・・・レイでしょう?』

『本当のオレを知ってもそう言ってくれる?』

 不意に昨日の言葉が蘇る。
 本当のレイ?
 どうしてそんな言い方・・・


「よく・・・分からないよ・・・・・・でも、それがレイのことなら知りたいと思うのは変なこと・・・?」

 レイの事ならどんな小さな事だって知りたい。
 それを望む事は普通の事だと思うのに・・・・・まるで警告されているみたいな気分になる。
 これ以上踏み込むのは危険だと言われているみたいな・・・。


「・・・だったら、おいで」

 レイは少しだけ微笑んで、美久の両手首を掴む。
 しかし同時に、メリメリと、肉を裂くような音がレイの背後から響いたのを聞いた。
 その音はどんどん大きくなって、美久の瞳が不安げに揺れる。


「・・・レイ?」

「・・・・・・・・・気分だけは、鳥になったつもりだよ。きっとね」

 レイがそう言った次の瞬間、突然身体が吹き飛ばされた。
 そんな衝撃が走り、悲鳴をあげる。


「・・・っっ、・・・きゃあああああーーーっ!!!??」


 その時、美久は衝撃のほんの数瞬前にあるものを見てしまった。
 レイの背中を突き破った、巨大な影を・・・・・・───

 それは、漆黒に艶めく妖しい美しさとは裏腹に、身が凍るほどの恐怖を感じさせるものだった。








後編へつづく


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