『約束』

○第5話○ 銀髪の男(その3)







「・・・ぃ・・・・・・おい、・・・・・・貴人・・・・・・貴人」

「・・・・・・ぅ・・・・・・っ」

「貴人!」

 身体を揺すられ、次第に意識がハッキリしてくる。
 どうやら意識を失っていたらしい・・・ぼんやりする頭の隅で貴人は考えた。
 そして、うっすらと目を開けると、そこにはレイが立っていた。


「・・・・・・・・・っ、・・・レイ・・・?」

「あぁ」

 ほぅ、と貴人は安堵の溜息をもらす。
 死んだなどという話を聞いたばかりで、いきなり目の前に本人が現れるとは考えもしなかった。
 しかし同時に、彼の顔を見た貴人はギクリと顔を引きつらせる。
 よく見るとレイの口の周りには血液らしきものがこびりついているのだ。

 ・・・これは・・・・・・たぶん、彼自身の・・・

 その身体に目を移すと無惨に破けた制服と血液で真っ赤に染まったシャツが痛ましく、何よりも心臓付近の裂傷は目を覆うようなものだった。

『私に"殺してくれ"と懇願したのだ。もう生きていたくなかったんだろう』

 ───あの言葉は本当だったのか・・・


「・・・何で・・・戻ってきた」

「・・・・・・そんなことはどうでもいい」

「そんなことじゃない・・・、こんな傷を負って、ここに来るのも大変だったろうに・・・」

 レイの唇は紫色に変色し、顔色も悪い。
 生きているのが奇跡なほど、血まみれの身体に生気を感じることはなく、いつ死んでもおかしくはないと言えるほど最悪の状態に見えた。


「・・・まだ死ぬわけにはいかないからな」

 レイは目を伏せ、自虐的に笑う。


「レイ・・・変な事は考えるなよ。先ほど現れた男が・・・変なことを言って・・・」

「・・・答えはもう出た」

「ちがう・・・そうじゃないっ! 二度と戻せないと知りながら・・・僕が美久の記憶を奪ってしまったんだ!!!!」

 貴人はいつの間にかレイに気持ちを傾け、そう叫んでいた。
 こんなことになって今まで自分がしてきたことを否定しようだなんて、何て虫がよすぎるんだと思う。
 しかし、こんなものが美久の出した答えの筈はなかった。
 レイを想って、自身を見失うほど責め続ける。あんな美久は見たことがない。
 美久がレイと出会って本当の自分を取り戻そうとしていたということは、傍で見て来た貴人が一番分かっていることだったが、それを認めてしまえばこれまでの全てを否定することになると見ない振りをした。
 その結果がこれだというのに・・・。

 けれど貴人の言葉に表情ひとつ変えないレイは、諦めきった眼差ししか見せようとしない。
 まるで、もう誰の心も必要ではないと告げているかのようだった。


「・・・そんなの、もういいんだ。・・・・・・オレはただ、美久との幸せな未来の約束がうれしくて。人が、彼女が変わってしまうなんて、知らなかったから・・・」


 違う、変えたのは僕だ。
 そう言おうとしたけれど、言葉が出てこない。
 レイの眼が『何も言うな』と全てを拒絶していた。

 僕はどこで間違えたんだ?
 いったい何を間違えて・・・


「・・・連れ去られてからまだそんなに時間が経ってないみたいだ、気配を辿ってみる」

「レイ・・・っ」

「大丈夫だ、美久は絶対に連れ戻す」

「ちがう・・・ちがう・・んだ・・・・、レイ、聞いてくれっ。君だって知っているはずだ! だって君は会いに来て言っていたじゃないか、"あの頃のように呼んで"と、"あとすこし大きくなったら迎えにいく"と。小さな美久に、この家の庭で言っていただろう・・・っ!? ・・・・・・僕はその一部始終を見て、聞いていたんだよ・・・。家の中から息をひそめて聞いていたっ、それで僕は・・・・・・っ!!!!」

 こみ上げる感情で、目尻に涙が溜まる。
 この年で恥ずかしいとは思っても、そんなものに構っている余裕などは無かった。
 本当に卑怯な話だ。
 それでも間違っていると思いたくなかった。
 過去の記憶を持っている事が影響しているのか・・・普通の人間にはない変わった力を貴人は持っていた。
 それは過去の自分も持っていたものであり、この変わった力を持つ自分なら、たとえ相手が何であろうと守れるかもしれないと考えてしまったのだ。
 おそらくは、この世に生まれ落ちた瞬間から、美久がレイと出会うことは決まっていたことだ。
 おのずと"彼ら"との関わりが避けられなかったというのは、少し考えればわかることだったはずだ。


「・・・・・・すまない、すまないっ、・・・っ、すまないっ・・・」

 貴人は額を床に擦り付け、震える拳を握り締め、こんなもので罪は消えないと分かりながら、ただひたすら謝罪する。
 とんでもない事をしてしまった。
 何という取り返しのつかない事をしてしまったのかと。


「貴人はクラウザーに会って気が動転しているだけだ。・・・過去にあんたを殺したのはアイツだった・・・・・」

 レイは視線を落とし小さく呟く。


「・・・・・・ぐっ・・・・・・げほげほっ、げほ!!」

 クラウザー、その名前を聞いた瞬間、貴人は急激にせき込み、両手で腹を押さえた。
 痛いわけではない。
 なのに、激痛が走ったような錯覚に陥る。
 腹を、あの鋭い爪で突き破られるような・・・


「・・・・・・うぅ・・・っ、はぁはぁ・・・っ」

「休んでいいよ。・・・寝て起きたら全部終わってるから」

 レイは貴人の肩に柔らかく手を置き、安心させる為なのか僅かに笑みを作り、ふらつく足で立ち上がる。
 貴人は目を見開き、込み上げるものを押さえ込む為に唇を強く引き結んだ。


「・・・レイ・・・っ、僕にこんなことを言う資格なんてないって分かっている。・・・だけど、絶対死ぬな・・・・・・っ、無事に戻ってくれ・・・っ」

 悲痛に叫ぶ貴人の言葉がレイに届いたのかはわからない。
 レイは今にも倒れ込みそうなほど傷ついた身体を引きずり、一度も振り返ることなく外へ飛び出していった。










▽  ▽  ▽  ▽


 ───美久は見覚えのない、どこかの部屋の一室に連れ去られていた。
 この部屋までどうやって来たのかは分からない。
 自分の家の玄関を出て闇夜を見上げた途端空がぐにゃりと歪み、次の瞬間にはここにいたのだ。

 クラウザーは全裸で濡れたまま呆然と立ち尽くす美久をベッドに降ろすと部屋から出ていく。
 姿が消えて美久は僅かに息をついたが、彼はすぐにタオルと服とドライヤーを持って戻ってきた。


「私のものでも着ていれば温かいだろう」

 そう言って美久が嫌がるのも気に留めることなく、バスタオルで全身を拭き終えると持ってきた夜着を自らの手で着せる。
 細部にわたって金の刺繍が繊細に施され、見たこともないような上質な布で織られているそれは、異国の文化を感じさせるものだった。
 美久は依然状況を理解できずに、僅かに震えた。
 しかし彼はそんな様子に構うことなく、2枚目のバスタオルを手に取って広げ、美久の頭をふわりと包んだ。
 柔らかな手つきで濡れた髪の水分を拭き取り、優しく扱う様子に少しだけ身体が弛緩する。


「・・・・・・あなたは、だれ」

「クラウザー」

「・・・・・・・・・どうして私があなたとここに?」

 エメラルドの瞳は何も答えることはなく、沈黙を続けた。
 聞いてはいけないことなのだろうか?
 けれど、先ほどの言葉が何度も頭の中を駆けめぐって、美久の喉は緊張でカラカラに乾いていた。


「・・・レイは・・・・・・」

 死んだかもしれないなんて、全然大したことじゃないように言うから、・・・そんな恐ろしい言葉を簡単に言うから。


「一つ聞きたい」

 遮るようにクラウザーが口を開く。


「・・・な、なに」

「レイの何に恐怖を感じた?」

 美しい瞳が静かに美久を捉える。
 美久は俯き、あの時の普段とは全く違うレイの姿を思い出して唇を震わせた。
 目の前にいたのはレイだったのに、どうしてあれ程の恐怖を感じてどうして怯えた目で彼を見てしまったのだろう。
 ひたすら自分を責めてみても明確な答えは導き出せずにいた。
 そんな美久を見ながら、クラウザーは彼女の髪をタオルで柔らかく拭いていく。


「未知のものに対して怯えるのは当然の心理だ。レイが化け物に見えたのか?」

 クラウザーの問いかけに美久は尚も黙り込む。
 彼に告白されたものが予想もしないところにあって、それを見せられたときに受け止めきれなかったのは紛れもない事実だ。
 レイの背中に生えた唸り声のような轟音を鳴らす黒い羽根。
 あれに途轍も無い恐怖を感じてしまって・・・。
 あれは・・・視覚的な衝撃を受けて恐怖を感じたとかではなく、未知のものに対してとか、そんな生易しいものでもなく、逃げ場のない圧倒的な力の前に死を予感して、絶望的なまでの恐怖にただひたすら怯えたのだ。
 それはとても言葉で表すことのできない感情だった。


「なるほど、人間でもあの黒羽を目にすれば、あれの持つ力を感じる取ることが出来るのだな」

「・・・え」

「しかし・・・それすらも力の一端に過ぎない所が、あれが異端と呼ばれる不幸なのだろう」

 クラウザーは何を考えているのか分からない表情で淡々と呟く。
 大体美久は何一つ口に出していないというのに、どうして考えていることが分かるのか・・・


「・・・それは・・・どういう」

「レイは他とは違いすぎるのだ。誰をも恐怖と絶望の淵に突き落とす圧倒的な力も、あのような不思議な瞳も他には見ないものだ。それだけではない。皆が一月に一度は食事を摂るところを、あれは年単位で何も口にしなくとも生きていられる。同一種族の目から見ても、あのように変体し空を飛ぶ者を私は他に知らない。・・・父上はあれを国の宝だと褒め称えるが、極めて希有で奇異な存在は異質としか言い表すことが出来ない」

 美久には彼が何を言っているのか、半分も理解することができなかった。
 少なくともレイが他とは違うと言うことだけは何となく分かった気がするのだが、自分とレイが全く違う生きもので、彼がどこで生まれ育ち、どんな経緯で美久の元にやってきたのかという根本的なことがまだ理解しきれていないのだ。
 だから今、美久がクラウザーの言葉で疑問を持つとすれば、誰でも不思議に感じそうな小さな疑問くらいだった。


「・・・・・あなたのお父さんはレイを知っているの?」

「それはそうだろう。あれは私と同じ父を持つ腹違いの弟だ」

「えっ!?」

 美久は目を見開いた。

 だったら、目の前のこの人はレイのお兄さんという事?
 そう言えば・・・レイはお兄さんが4人いるって言ってた・・・自分だけ母親が違うって・・・・・・


「ほぅ、レイは私のことを言ったのか。他には何を語った?」

 まただ。何も口にしていないのに言葉が返ってくる。
 しかし美久はそんなことにすら気づくことが出来ず、まるで誘導尋問にあっているかのようにレイの数少ない言葉を思い出そうと考えを巡らせていた。


「お父さんの事とか・・・。絶縁状態で、このまま一生会わなくてもいい・・・自分だけ母親が違うから居心地が悪いって・・・。それから・・・」

「・・・それから?」

「お母さんは亡くなっていて会ったことないと・・・、だからレイのお父さんは・・・お母さんに似ているレイの顔だけが好きなんだって・・・・・・」

 レイの言葉からは、父親に対してあまり好意的な感情を持っているように感じられなかった。
 けれどクラウザーは今、レイが語るものとは全く違う父親の姿を話す。
 『父上はあれを国の宝だと褒め称える』・・・美久にはそれすらもよくは分からないのだが、少なくともそれはレイを蔑ろにしている言葉ではなかった。


「私の目には父上はレイを殊の外溺愛しているように見えるが? 特にレイだけが持つ巨大な黒羽が父上のお気に入りなのだ。数千年もの歴史ある国の紋章を強引に変えてしまうほど、父はあれに心酔している」

 クラウザーは目を細め、皮肉気に笑みを浮かべた。


「・・・え?」

 しかし、何のことを言っているのかよく分からないという美久の表情に、クラウザーは『言ったところで詮無い事だったか』と小さく自嘲する。


「・・・だが、レイが底に持っている己の感情を他人に語って聞かせるなど珍しいこともあるものだ。・・・おまえにそれ程までに心を開いていたか、それとも自ら心を開くことで欲しいものに近づけると思ったか」

「・・・・・・っ」

 美久はその言葉に目を見開き、思わず息をのんだ。

 それはつまり・・・レイにとってはこれだけの事を話すのさえ、とても大変な事だったということ・・・?

 クラウザーが語ることはまだ美久には理解が及ばない内容ばかりだが、彼女に出来ることと言えば、それらの言葉をレイの目線で捉えようとすることくらいだった。
 だから、クラウザーの話を聞いていると、途轍も無い疎外感を感じてたまらない気持ちになるのだ。
 全てが周りとは違う。
 兄の眼にすら異端に映り、誰も本当の自分を見てくれない・・・美久にはレイがそんなふうに思って過ごしていたのではないかと思えてならなかった。

 私は・・・・そんなレイの悲鳴を聞いていたんだ・・・
 レイが本当に訴えたかったのは、もしかしたら他と違う姿をしていることでも、特別な力を持っていることでも、ましてや何を糧にして生きているという事でもなかったのかもしれない。
 寂しくて寂しくて独りでは生きられない・・・、だから一緒に生きて欲しいと、本当はそういうことを言いたかったのかもしれない。

 ───あぁ、・・・ばかだ、私はとんでもないばかだよ。









その4へつづく


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