『約束』

○第6話○ 君のために出来ること(その1)







 悪夢のような長い夜が終わり、いつの間にか朝を迎えていた。
 この時点では美久も貴人も、一連の騒動は終結したものだということを何一つ疑っていなかった。
 しかし、それが浅はかな考えだったと気づいたのは、いつになってもレイが眼を覚まさず、それを不審に思って彼を起こそうとした時だった。
 最初はかるく声を掛け、反応がないので彼の名を呼びながら身体を揺さぶってみる。
 それでもレイはピクリとも動かない。
 かろうじて息をしている事を確認したが、それだけだった。


「・・・・・お父さん・・・・・・っ・・・」

 蒼白になって美久は貴人を振り返る。
 貴人も苦い顔しか出来ず、レイの全身を端から端まで確かめるようにただ見ているだけだった。


「・・・・・・この傷が・・・原因、だろうな・・・」

 胸にある無惨な傷は回復する兆しすら見せない。

 実際これで良く生きていると思う。
 ・・・・・・やはり致命傷だったという事だろうか。

 出来る範囲の手当はしたつもりだが、これ以上の事となると自分たちではどうしようもない。
 彼を病院に連れて行っても良いものかの判断すらつかなかった。
 明らかに他者につけられたこの傷は、事件性を疑われてもおかしくない上、この状態で生きているという不可解さ。
 もし体内構造や体液の成分が違うのなら、人間ではないことがばれてしまうだろう。
 だとしたら、


「・・・医者に・・・見せたら・・・・・・・・・まずいよなぁ・・・」

 しかし、このままにして事態は好転するものなのだろうか。


「とりあえず・・・薬局で何か買って来るよ」

「・・・うん」

「美久、そんな顔しない。案外すぐにでも目が覚めるかもしれないだろう?」

「・・・うん、そうだね」

 小さく頷き美久はぎこちなく笑った。
 娘の精一杯に貴人はいたたまれなくなり、彼女の頭をくしゃくしゃと撫でて無理に笑顔を作る。


「じゃ、行ってくるから」

 言い残して、彼は薬局に向かうべく家を後にした。
 残された美久はレイの側に座り込み、不安そうにその顔を見つめる事しかできない。
 ずっとこのままだったらどうしよう・・・考えただけで背筋に冷たいものが走る。


「・・・いやだよ・・・っ」

 彼の温もりを確かめる為に手を伸ばす。
 けれど・・・ひんやりとした冷たい頬も瞼も唇も、何もかも不安を掻き立てるばかり。
 それでもレイがここに居るという事を実感したくて、何度も何度も彼の冷たい顔に指を滑らせた。
 そのうちそれだけでは足りなくなって、大きくてゴツゴツした彼の手を両手で握り締める。
 この手が握り返してくれたら・・・胸が押しつぶされそうなほど願った。


「・・・レイ・・・声を聞かせて」

 握り締めた彼の手に、涙が伝う頬を擦り付ける。
 指の一本一本にキスをして、祈るようにレイを見つめた。
 しかし、どれほど声を掛けても、手を強く握っても、血の気の失せた顔色に変化はない。
 もしこの先、レイの瞳が何かを映すことがなかったら・・・
 そんなことが頭の隅に過った時だった。


「・・・・・・・・・あ・・・ッ」

 美久は小さく叫び、目を見張った。
 ぼんやりとまどろんだような目で、レイの目がうっすらと開いたのだ。


「・・・レイ・・・っ! 私がわかる? 私のこと・・・わかる?」

 彼の顔を覗き込んで懸命に問いかけると、レイは天井に向けていた視線を美久へと移した。
 まだ夢の中にいるような、まともな意識があるのかすら分からない瞳だったけれど、僅かに彼が動いた事で緊張の糸がぷつんと切れそうになる。
 しかもレイは・・・美久を視界に入れた途端、握られた手を軽く握り返し、小さく笑ったのだ。


「・・・レイっ・・・・・・レイっ!!」

「・・・・・・何で泣いてるの?」

「だって・・・っ、レイが眼を覚まさないから・・・っ、全然動かなくて、ずっとこのままだったらどうしようって、・・・・すごくこわかった・・・っ」

 美久が泣きじゃくるとレイは僅かに目を細め、口元を綻ばせた。
 彼自身もまた、彼女が傍にいると言うことに安堵したのかもしれなかった。


「・・・この傷・・・本当に・・・酷いよ。お父さんが、出血いっぱいしたんだろうって・・・っ、心臓に達してるんじゃないかって・・・っ」

「・・・・・・・そうかも」

 そんな風に呑気に答えると、レイは自分の胸元に視線を向けた。
 ぐるぐるの包帯巻き。
 すごいな、と笑いながらもう一度美久を見つめる。


「だけどほら、手当してあるから大丈夫だよ」

「そんなわけないっ、手当って言える程の事なんて何も出来てないもの・・・っ!! 今だって・・・・・・っ・・・」

 すぐにでも気を失ってしまうんじゃないかと・・・このまま誰にも頼ろうとしないで、一人で苦しんで終わらせようとしている気がして、考えれば考えるほど不安ばかりが募る。
 目が覚めただけで安心するには、あまりに状況が悪すぎるのだ。


「・・・確かに・・・・・・このままだと・・・ちょっとヤバイ・・・か」

「・・・っ!?」

 一瞬で凍り付き、息をのむ。
 本人に言われると現実を突きつけられたみたいで、目の前が真っ暗になった。


「レイ・・・どうしたらいい? この傷、どうしたら治るかな? 病院連れて行けたらいいのにって、さっきお父さんと話してたんだけど。やっぱりそれってダメなこと?」

「あぁ・・・病院は・・・ちょっと危険だな。それに、オレの傷はそういう治療では治らないから・・・」

「・・・・・・っ、そんな・・・」

 だったら・・・一体どうしたらいいというのか。
 何も出来ずただ見守っていろとでも?
 黙って見ていられるなら、こんなにジタバタするわけがない。
 レイは美久の様子に目を細め、ほんの少し、彼女が気づかない程度の含んだ笑いを口元に浮かべた。


「・・・実を言うと、それよりもっと簡単に傷を治す方法が、・・・あるにはあるんだけど」

「えっ」

 思いもしなかった言葉に美久の目が丸くなる。


「・・・本当? 私に出来ること?」

「うん」

「だったらやる、絶対っ!!!」

 美久が大きく頷くとその様子が可笑しかったのか、レイは僅かに眼を細めて小さく笑った。
 その微笑んだ顔だけで美久にはたまらなかった。
 出来ることなら何だってする、改めてそう固く心に決める。


「教えて、どうすればいいの?」

「そんなに必死な顔しなくていいのに」

「だって・・・」

「とても簡単なことだから」

「だからどうすれば」

「今、あの約束を叶えてくれればいいんだよ」

 ね? と、笑いを浮かべるレイを見て、美久の頭の中に疑問符が大量に浮かんだ。

 約束・・・・・って、・・・何だったろう・・・
 ・・・私が忘れてしまった過去の話の事だろうか・・・・・・?


「分からない? おとといの昼休みにした約束なのに、もう忘れちゃったの?」

 そう言われて、その時の会話をハッと思い出す。

 『───じゃあ、またエッチなことしていい?』

 いやいやまさかと美久は首を振る。
 あれは今この場でするようなことではない・・・筈なのだが。
 しかし、レイを見ると『それで合ってるよ』とでも言っているような目で美久を見上げていた。


「・・・!? っっ!! ・・・えっ、・・・っ・・・えぇっ!?」

「でも身体がうまく動かないから、今日は美久が上に乗ってね」

「・・・・・・う・・・う、上っっ!?」

 起き抜け早々・・・こんな状態なのに、レイがとんでもない事ばかりを口走る。


「そ、それって・・・っっ」

「だから、オレの上で気持ちよくなってくれたらいいってこと」

「・・・・・・〜〜〜〜〜〜っっっ」

 頭が爆発しそうだった。
 レイが何を言っているかは分かったけれど・・・今、そんな事をしたら傷が悪化するに決まっている。
 いや、そもそも傷を治す事と何の関係もないと思うのだが。


「・・・疑ってるんだ?」

「・・・っっ」

 ハッとして首をぶんぶん振る。

 疑うつもりじゃない、だけど、だけど・・・っっ
 明らかにそれはおかしいと・・・


「出来ないってこと?」

「・・・っ、そ、そんなことは」

 顔を真っ赤にして涙目でしどろもどろになっている美久を見て、レイはわざとらしく溜息を吐いた。


「・・・美久の本気なんて・・・所詮そんなものか。・・・まぁ、いいよ別に。何もする気がないならオレはもう少し寝るから、美久は向こうへ行ってて」

 ビクッ・・・、その言葉に身体が震える。
 今のレイから離れるなんて、そんなことが出来るわけがないのに・・・。
 そう思っていると、彼は追い討ちをかけるように言葉を続けた。


「本当にオレを助けたいなんて思ってないんだろ」

 彼は目を閉じて、そのままフイッと向こうを向いてしまう。


「・・・・・・あっ・・・・・・、ちが・・・っ」

 美久は真っ青になって首を振るが、レイには見えていない。
 だが彼の言葉を受けて、ショックを受けていることは分かっているはずだ。


「レイ・・・おこらないで・・・っ、・・・私・・・そんなつもりじゃ・・・っっ」

「もう寝るって言っただろ。・・・美久は向こうに行って」

「やだよ・・・っ、レイッ」

 彼の肩にしがみつき、こんなのは嫌だと幾度も額を押しつけ、突き放される恐ろしさにただ縋り付く。
 涙でボロボロの顔を彼に向けるも、閉じた目は無情にもピクリとも動かなかった。


「するから・・・、なんだってするって言ったのは嘘じゃないよっ、上でも下でもいいからっ、・・・だからレイ・・・・っ」

「・・・・・・それ、本気で言ってるの?」

 レイの目がゆっくりと開いて、心の中を探るように美久を見つめる。


「・・・う、うんっ」

 美久は真っ赤な顔で大きく頷いた。
 レイは暫し彼女の顔を黙って見つめていたが、やがて小さく笑みを浮かべると、先ほどとは打って変わって優しい眼差しで美久の顔を覗き込む。


「どうして泣いてるの?」

「・・・これ・・・はっ・・・」

「震える手でしがみつくのはどうして?」

「・・・・・・だって・・・・・・レイに嫌われるのは・・・いや。・・・すごくこわい」

「オレが美久を嫌うわけがないだろう?」

「でも・・・っ」

「ねぇ、美久はオレの為なら、どんなに恥ずかしい事でも受け入れられる?」

「・・・・・・っ、・・・う・・・うん・・・」

 小さく頷くとレイの腕がゆっくりと伸びて、美久の頭をやわらかく撫でた。
 その手は頬にも降りてきて、溢れる涙を拭っていく。


「あぁ、もどかしいな。・・・オレからじゃ届かない、本当に起き上がれないんだ。・・・もっと傍に・・・美久からキスして」

「・・・・・・うん・・・っ」

 彼の言葉に誘導され、美久はレイに顔を近づけていく。
 ほんの少し唇が触れ合うと、魔法にかかったみたいに大胆な気持ちになって自分から唇を強く押しつけた。
 そのうちレイの唇の間から舌が差し出され、一瞬驚いて身を強張らせたものの、自分も同じように舌を突きだして、おずおずと彼の舌に触れてみる。

 あ・・・あったかい・・・・・・

 その温度は彼が生きているという実感を与えるには充分なぬくもりだった。


「・・・っ・・・ん・・・ん、・・・っふ・・・ぅっ・・・っ」

 泣きながらのキスは少し苦しかったけれど、甘く絡みあうこの行為は好きだ。
 他の誰かではなく、相手が彼だからそう思える。


「・・・っ、はぁっ・・・っ・・・、・・・い、・・・いま・・・助けるから、ね・・・」

 美久は唇を離すと意を決したように立ち上がった。
 スカートを捲りあげ、その姿をじっと見上げているレイに気づいて、美久は真っ赤になって俯く。
 しかし、すぐに意を決したように大きく頷くと、恥じらいとともに美久はショーツを一気に脱ぎすてた。
 そして、そのままの勢いでレイにまたがると、彼のズボンのベルトに手をかける。


「・・・・・・、美久・・・何してるの?」

 レイは唖然としながらそう聞いたが、美久からの返事は無い。
 そのかわりにあまりに真剣な表情を目の当たりにして、彼女が何をしようとしているのかおおよその見当がついてしまった。
 美久のする事を静観すべきなんだろうかとレイは考えを巡らせる。

 まさかこのまま乗っかって・・・なんて無茶はしないよな・・・

 そう思いながらも、彼女がどこまでする気なのかはレイにもまだよく分からない。
 助けを乞うまで黙って見守った方がいいのかどうなのか・・・上に乗ってと言った手前、いきなり制止するのも戸惑われる。
 レイが考えを巡らせて判断に迷っていると、美久は助けを乞うどころか不器用ながらもベルトを外してズボンのファスナーを下ろし、彼の下着をずり下げようと悪戦苦闘し始めた。
 その苦闘の末に何とか下着を降ろすことが出来てホッとしたような顔を見せた彼女は、彼のモノを初めて目の当たりにして驚愕のあまり身体が硬直してしまう。
 それも束の間、ゴクリ・・・と唾を飲み込み、大きく頷いて真剣な眼差しでソレを見つめている姿は何やら決意めいたものまで感じさせる。
 そして・・・案の定と言うべきか。
 美久は顔を真っ赤に染めて涙目になりながらも、レイを招き入れようと腰を持ち上げ、いきなり次のステップに移ろうとし始めたのだ。
 流石のレイも、まさかそこまで美久が無謀な挑戦をするとは思いも寄らず、ただただ絶句するばかりだった。








その2へつづく


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