『約束』

○第6話○ 君のために出来ること(その4)







 レイは通り過ぎる人々を観察するように、繁華街をゆっくりと歩いていた。
 平日の繁華街というのは休日ほどではないが人通りも多く、それなりの活気に満ちている。
 まだ時間的に早いので学生の姿は殆ど見かけることが無いが、主婦や背広を着たサラリーマン、そしてOL風の女性も割と多い。
 その中の誰もが彼のターゲットとなりうる可能性を秘めていた。
 ただし、無作為に選ぶ事は危険を伴う。
 物陰に連れ込んでしまえば此方の思うように事を進められるが、その前に騒がれては元も子もなく、最低限相手は選ばなければいけない。
 そこで彼はターゲットを女性に絞った。
 自分では気に入らないと思うこの顔も、女が好むという点では非常に都合が良く、食事に出かけて苦労した記憶は殆ど無いという程、楽に事を運ばせてくれる対象だったからだ。


「キミ、ちょっといいかな?」

 突然、ぽんと肩を叩かれ、振り返ると派手に化粧をした女が彼の後ろに立っていた。


「・・・なに?」

「少し話をしたいんだけど、良かったら一緒に食事でもどう? モチロン此方の奢りで」

 その言葉に内心にやりとほくそ笑む。
 向こうから獲物が飛び込んで来たことで、今回も簡単に終わりそうだと思った。


「・・・いいよ」

「ありがとう。・・・ところでキミ、名前は? ・・・ああ、近くで見るほどイイね。絶対キミ素質あると思うよ」

「・・・・・・?」

「失礼、あたし実はこういう関係の者で・・・」

 だが、そう言って女が名刺を差し出そうとしたところで思わぬ事が起きた。


「牧口っ!!!!」

 背後からレイを呼ぶ怒声が響いたのだ。
 知っている顔が居ないことは確認していたつもりだったが、どうやら甘かったか・・・そう思いながらレイは後ろを振り返る。


「・・・・・・小田切?」

 よりによって同級生・・・
 しかも美久が一時でも想いを寄せていた男、レイにとっては気にくわない相手と言ってもよかった。
 何故彼がこの時間にこんな場所にいるのかは知らないが、この現場を見られたのを些か面倒に思いながら内心舌打ちをする。
 小田切はやや怒った顔をしていたがサッと笑顔に変えて、レイに密着している女から彼を掠め取るようにして二人の間に割り込んだ。


「ごめんねおねーさん、オレ、コイツと待ち合わせの約束してたんだよね」

「えっ!?」

「まったく、いつになっても現れないと思ったら・・・っ、ホラ行くぞ!」

「ちょっと待ってよ、名刺だけでも・・・ッ」

「おねーさん悪いね、彼そういうの興味無いから!」

 そう言うと小田切は強引にレイを連れ去った。
 かなりのスピードで引っ張り歩く小田切の横顔は何故か怒っていて、一体何なんだと面倒な気分でいっぱいになる。


「何でこんな時間にあんたがいるんだ? 学校は終わったのか?」

「・・・ソレってオレの台詞でもあるんだけど」

 小田切はレイの質問に明らかに不機嫌そうに返してくる。
 別に彼の機嫌などはどうでもいいが、またいつ身体が動かなくなるかもしれないこの状況で彼といても利益はひとつもない。
 レイは適当なことを言って小田切から離れようと考えを巡らせた。


「オレは病院帰り。怪我人にこんなスピードで歩かせるなよ」

「・・・っ、えっ!?」

 小田切は驚き、足を止めて改めてレイを振り返った。
 普段着でフラフラしているから、てっきり学校をサボったと思っていたようだ。


「包帯、大袈裟に巻いてあるだろ?」

 レイはシャツのボタンを二つほど外して見せてやる。


「・・・どうしたんだ、ソレ・・・」

「別に大したことじゃない」

「で、でもさ・・・あの・・・オレが言う事じゃないかもしれないけど、知らない女に着いて行くのとか止めた方がいいよ。それとも芸能人にでもなるつもり?」

「・・・・・・は? なるかよ」

「あれ多分スカウト・・・いや、どっちにしても何かの勧誘だぞ」

 実を言うと、彼はずっとレイの後方を歩いていて、声をかけようか迷っていたのだ。
 そこで先ほどの女に声をかけられたレイが食事の誘いに乗った事も知って、こうして強引にレイを引っ張ってきたのだが・・・
 実際女がレイを上から下まで舐めるように値踏みするような眼で見ていたのは怪しいなんてものではなかった。


「あれは食事に誘われただけだろ。腹も空いていたし、奢りだって言うから丁度良かったんだ」

 まぁ、嘘は言っていない。
 食事に誘われただけで、それ以外に怪しげなやりとりはまだしていなかった。


「あのなぁ・・・アレはどう見たって・・・・・・まぁいいよ。・・・だけど相手は女なんだし、一緒に食事とかってさ・・・奥田さんがいるんだし、少しは考えろよ」

「・・・美久とさっきの女じゃ比べようもないだろ? ベッドに誘われても、あんな女に勃つわけがない」

「・・・っ、勃つって・・・っ」

 小田切はあまりの直接的な言葉に二の句が告げられず、もうこれ以上彼に何かを言っても通じないかも知れないと思いはじめる。
 そして迷うように視線を宙にさまよわせると、降参と謂わんばかりに盛大な溜息を吐いた。


「あ〜もぅ、わかったわかった。じゃあ、オレが気を回しすぎたって事なんだろ?」

「そうだな」

「・・・・・・〜〜〜ッ、・・・なら着いて来いよ、飯ならオレの家で食えばいい、お詫びってことで」

「あんたが良いならオレは別に」

 レイは小田切が気づかない程度に笑みを浮かべる。
 多少予定とは違ったが、顔見知りという理由で彼をターゲットから外す理由もない。
 単純に獲物がすり替わっただけという事ならば、レイが小田切の家に着いていくことに何一つ問題はなかった。


 

 

 

▽  ▽  ▽  ▽


 小田切の家は沢山の花が花壇に咲く、明るい雰囲気の一軒家だった。
 その花々を眺めていると『母親が好きなんだ』と言ってはにかんだ小田切は、レイを手招きしながら家の中へ入っていく。
 家の中に通されてソファに座ると、小田切は持って来たアイスコーヒーをテーブルに置き、レイの向い斜め横に腰掛けながら苦笑いを浮かべた。


「実を言うとさ、腹痛ってウソ吐いて早退してきたんだ」

「・・・へぇ」

「夕子の様子が気になってさ。・・・あ、あいつさ、昨日の昼休みに裏庭で倒れて保健室に運ばれたんだよ。何であんな場所にいたのか聞いたんだけど、よく憶えてないって言うんだ。何か様子も変だったし」

「・・・・・・」

「夕子・・・今日は念のために休んだんだけど、やっぱり気になってさ・・・さっき見舞いに行って来たんだ」

「・・・そうか」

 どうやら問題無くあの時のことは忘れているようだと、レイはその情報に多少安堵した。


「・・でもさ、何て言うか・・・元気がないんだ。・・・オレもろくな言葉もかけてやれなくて、ちょっと情けなかった」

「・・・・・・」

「牧口ならどうする? 奥田さんが元気無かったら」

 落ち込んだ様子の彼の話を適当に聞き流していたレイは、この流れで自分に置き換えた質問がやってくるとは思わず、返答に詰まった。
 はっきり言って自分がそんな場面に直面したって、気の利いた台詞の一つも思い浮かばないだろう。
 こっちの方が教えて欲しいくらいだと思いながら、レイは渋々口を開いた。


「・・・・・・・ただ傍にいるだけだろうな・・・」

「そっか・・・そうだよな。それしかないよな」

 それでも小田切にとっては納得する答えだったらしく、笑って頷いている。
 全くもって当てにならない自分の答えに賛同されるのは、非常に微妙な気分だった。


「あ、飯だったよな? ピザでも頼むか?」

「・・・いや、それはいい」

「じゃあ、うどんとか寿司とか・・・後は、簡単なものなら作るけど」

「いらない」

 何を言っても要らないと言われ、小田切は流石に呆れた。


「我が儘なヤツだなぁ・・・じゃあ何が食べたいんだよ?」

 レイは俯いて小さく笑いを漏らす。
 何が食べたいなんて・・・答えたら素直に差し出そうとでも言うのだろうか。
 最初から目的は一つだ。
 幸いこの家には他に誰もいないようだし、小田切本人もレイに警戒する様子は無く、非常に都合のいい条件が揃っている。
 既にレイの瞳は紅く獰猛な輝きを見せ始め、静かに立ち上がると斜め横に座る小田切の傍まで近づき、彼の肩に手を置いた。
 それを不思議そうに見ている小田切の首筋に顔を近づけたレイは、態とらしく妖しく囁いてみせる。


「・・・おまえでいい」

「っ・・・っ、へぇっ!?!?」

 聞きようによっては多大なる誤解を招いてしまう言葉を耳元で囁かれたものだから、小田切は素っ頓狂な声を発して固まってしまった。


「あぁ、ああああの、・・・牧口っ?!」

「・・・・・・食べさせてくれるんだろう?」

「えええええっ!? おおおおオレにはそういう趣味は」

「・・・もう、黙れ」

「っっヒ〜〜〜〜!?!?」

 小田切の首筋に唇が押し当てられ、ペロリと舐められて心臓が跳ね上がる。
 相手が男だと分かっていて、しかも同級生に対して不覚にもゾクリとしてしまった事に、小田切は冷や汗ものだった。

 ───だが、


「・・・っ!?」

 ほんの少し、首にチクリとする痛みを感じた次の瞬間、小田切の目は虚ろに空を彷徨っていた。
 何が起こったかなんて、彼には微塵も理解出来なかっただろう。
 開いたままの唇が僅かに震えると、言葉ひとつ発することなく瞬く間に意識がさらわれてしまったのだ。

 完全に力の抜けた小田切の身体を支えながら、レイはゆっくりと目を閉じる。
 自分の中に取り込まれていくものを、数年ぶりのこの感覚を己の全てで味わい尽くしながら・・・。

 ・・・・・・あぁ、この感じ・・・、久しぶりだ・・・

 滅多に食事を必要としない彼だが、この瞬間はいつも同じ事を思う。
 彼らはどうしてこんなにも生気で充ち満ちているのか、自分達の生をこんなにも長く永く繋げることができるのは、本当は彼らの力に因るものかもしれないと。
 そこに答えなど有りはしないが、ただ漠然とそんな事を頭の隅で考える。
 そのうちに、あまり良いとは言えなかった顔色に赤みが差し始め、同時に頭の隅で考えていた事など一瞬で霧散し、指の先から細胞一つにまで熱が伝っていく事に身震いがした。
 身体全体を溢れるほどの熱で覆われ、まるで自分が一個の巨大な熱の塊になったように力が漲っていく。


「・・・・・・、・・・は、・・・・・・」

 レイは全身を充たすものに満足げに息を漏らし、そこで漸く小田切を解放した。
 完全に意識が飛んでソファに横たわる小田切を視界の隅に留めたまま、レイは触れれば包帯の上からでも分かる程剔られた己の胸に手のひらを押し当て、ゆっくりと静かに息を吐き出した。
 その瞬間だった。
 胸に当てた右手が淡い光を帯び始めたのだ。
 その不思議な輝きは、まるで意志を持っているかのように傷の周囲を浮遊している。
 光は尚も右手から溢れ、部屋全体を照らすほどの明るさを放ちだす。
 そして、次第にその輝きに共鳴するかのように、なぜか損傷した部分の彼の細胞だけが、違う生き物のように意志を持ってビクビクと動き始めたのである。


「・・・・・・ぅ・・・・・・」

 蠢くその感覚が気持ち悪いのか、レイは身体中を粟立たせていた。
 段々自分の脚で立っていられなくなり、その場に蹲りながら時折小さくうめき声を漏らしてビクビクと背中の筋肉を引きつらせ、ひたすらそのおぞましい感覚に堪え続けている。


「・・・・・・っう、・・・ぅぅう・・・・・・ッ・・・・・・」

 部屋の中にレイの呻きだけが響き続ける。
 たとえ自分を癒すためとは言え、こんな力を持っていることさえレイは自分を嫌悪していた。
 簡単な治癒なら特別な訓練をした者であれば可能な業だ。
 しかし、命さえ繋いでいれば治癒してしまうと言っても過言ではないこの力を持って生まれてきたレイは、極めて奇異な存在だった。
 そんな彼に対して周囲の反応は多種多様だが、大抵は信じられないものを見るような好奇の目を向けられる。

 化け物じみた力に化け物のような黒羽を持ち、挙げ句こんな力まで・・・

 誰よりも彼を嫌悪するのは、いつだって自分自身だ。
 どこまでもしぶとく、殺しても蘇るのではないかと思えるほど不気味で底が知れない自分がおぞましい、一体何の因果だと無性に叫びたくなる時もある。

 どうしてオレだけが・・・・・・

 レイは深い眠りに落ちた小田切を見て、僅かに目を細める。
 何の力も無いその身体が、彼にはどうしようもなく羨ましいものだった。
 たった100年生きるかどうかの命でも、病にかかり易く、些細な事で傷ついてしまう脆弱な肉体であろうとも、同じ種族の中ですら浮いた存在にしかなれないレイには眩しく見えるのだ。
 レイは眠る小田切から目を逸らすように顔を背け、そのまま彼の家を後にしたのだった。

 

 

 

 

▽  ▽  ▽  ▽


「・・・レイっ!!!」

 レイが家に戻ると、真っ先に美久が駆け寄り飛びついてきた。
 彼女の目には涙が浮かび、しがみついたその腕は心なしか震えているようにも見える。
 何かあったのだろうか。
 その様子に若干警戒していると、美久は目に涙を溜めてそうではないと首を振った。


「レイがまたどこかへ行って、今度こそ戻ってこなかったらって・・・っ、・・・いやだよ、黙っていなくならないで・・・っ」

 後ろで貴人が苦笑しているのが目に入った。
 もしかして、目が覚めてからこうしてずっと心を痛めていたのだろうか。


「美久のお陰ですっかり治ったよ」

 レイは包帯を取り去り、傷一つない自分の身体を彼女に見せた。
 美久はそれを見て、目を丸くしながら何度も瞬きを繰り返して驚いている。


「・・・・・・・・・ホントだったんだ・・・」

「やっぱり信じてなかったんだ」

「あっ・・・ちがうっ、そうじゃなくて・・・っ」

「美久は信じてないのに、あんなことしたんだ。すごいね」

 耳元で囁くと先ほどの事を思いだしたのか、美久は真っ赤になって俯いてしまった。


「・・・・・・・もうイジワルでもなんでもいいよ。・・・治ったならうれしいだけだから・・・」

 真っ赤になりながらもそんな事を言う美久の姿を見て、レイの心が温かくなる。


「・・・本当によかった」

 安心して息を漏らす美久の声を聞きながら、レイは自然と笑みをこぼしていた。
 こんなふうに想われるなら何だって出来てしまいそうだと思えた。
 もっと強くなりたい。
 それは今回の一件でレイが最も感じたことだった。
 クラウザーなどに脆いなどと二度といわれないよう、この先、美久を守って行くことが出来るようにと・・・───










第7話へつづく


<<BACK  HOME  NEXT>>



Copyright 2006 桜井さくや. All rights reserved. Never reproduce or republicate without written permission.