○第7話○ 捕獲命令(その5)
その場に残されたのは、氷に埋め尽くされ、大きな揺れでひび割れた大地だけだった。
大惨事とも言える状況に於いて、生徒達はこの場から非難したのか、それともこの冷気に凍らされてしまったのか・・・何一つ生き物の気配を感じる事は出来ない。
しかし、あれ程の異常な現象が起こった後にしては、やけに静かなのがかえって不気味だった。
そしてその不気味さを現実のものとするかのように、どこからとも無く、パキ・・・、氷を踏む足音が響き渡った。
「・・・今の見たかよ!? あれ、本物の羽根だよな? てっきり作り話だと思ってたよ!!!」
「あぁ」
いつの間にか、先ほどまでレイが立っていた場所には二人の男が立っていた。
「カッコイ〜。俺、あれ欲しい、むしり取って宝物にしたいなぁ・・・」
「それは流石に王に殺される。あの黒羽がお気に入りなんだ」
「え〜ッ、片方くらいなら取ったっていいじゃん。・・・やっぱ、血が出るのかなぁ、考えただけでコーフンする」
ベロリと唇を舐めて、自分の右の頬に彫られた赤い刺青を撫でながら、その男はうっとりとした顔で笑みを浮かべる。
隣に立つもう一人の男は、彼の額を小突いて呆れたように小さく溜め息を吐いた。
対象の位置となる左の頬に青い刺青が彫られているのが印象的な男だった。
「いい加減にしろ、バーン・・・。これ以上は俺も協力しない」
「ちぇ、つまんねーの・・・・・・」
バーンと呼ばれた男は不服そうな声をあげると、不意に背後から感じる微妙な空気の流れに目つきを変えた。
「・・・・・・なんだぁ?」
軽い口調とは裏腹に鋭い眼光を背中に向け、迫り来る何かを睨みつける。
風が巻き上がり、ビュゥ・・・という突風が肌を刺した。
と・・・
「なんだじゃないよ、誰彼構わず殺気を向けるな、バカ男」
パキパキ・・・と、氷を踏みつける音と共に、突如その場にもう一人、新たな人物が現れた。
どうやらその顔を見知った様子のバーンは、振り返るなり表情を崩して相手を不服そうに責め始める。
「なんだよ今頃のこのこ出てきやがって。今までどこにいたんだよっ!」
「・・・・・・別にお前達と行動する必要なんてないだろ」
どうやら三人目の人物は遠くから静観していただけで、先ほどの派手な攻撃には加わっていなかったらしい。
何を考えているのか分からない表情のまま、レイが消えた天空を涼しい顔で眺めている。
「どーせ自慢の顔が傷つくのが怖かったんだろー、女みたいだもんな〜」
「・・・は? お前、僕にケンカを売る気?」
「自分より弱い相手にケンカなんて売るかよ、おじょーちゃん」
「・・・・・それ以上続けるならお前を殺すよ」
「虚勢をはるなよ、何もしないで見てたくせに」
「まんまと逃げられた奴がよく言う」
「だって見たかったんだよ、ウワサの黒い羽根」
「・・・呆れた。お前達は精々仲良しごっこでもしてろよ」
馬鹿にしたように笑って、彼はこの場から立ち去ろうと背を向ける。
「あ、おい。どこ行くんだよ」
立ち去ろうとしたところをバーンに呼び止められて、彼は面倒くさそうに溜め息を吐きながら静かに振り返った。
実際女に間違われても仕方がないと思えるくらい、その顔立ちは中性的で華奢な肢体からは危うい色気すら感じられ、黙っていれば性別を判断するのはかなり難しいに違いない。
「・・・お前達を見ていると苛々する。・・・僕は僕なりのやり方でレイを追いつめる、馴れ合いなんてごめんだ」
「そんな事言って逃げんだろっ」
「言ってろ、バカ男」
そう言い捨てるなり、彼は大地を蹴り上げ、空中に飛び上がった。
同時に突風が巻き起こり、飛び上がった先で渦を巻いた風は、まるでその姿をさらうように跡形もなく掻き消してしまう。
話の途中で目の前から姿を消されたと知ったバーンは、苛ついた様子で地面を蹴りつけた。
「あ〜、言い逃げしやがった!!! アイツあんな顔して性格ゼンゼン可愛くない!! ・・・っていうか、どっちみちレイは捕まるんだから、アイツの出る幕なくね?」
「バーン、そんな事より俺達は後始末をするんだ」
「えーーッ」
「五月蠅い。お前が黒羽が見たいと騒ぐから協力してやったんだ。・・・おかげで俺達の力を多くの人間に見られた、今更半壊したあそこの建物やお前が炎上させたあれも・・・それから穴が空いた大地を元に戻せとは言わないが、記憶の改ざんくらいはして回らないと後でどんな面倒になるか分からないだろう」
「え〜〜〜っ!!」
「・・・・・・バーミリオン・・・、これ以上、俺に口答えをするなよ」
「・・・・う・・・、突然その呼び方やめろよ・・・。ハイハイ、わかったよ〜! あー、めんどくさ。・・・、まぁ、黒羽は見られたし、とりあえずヨシとするかぁ」
「そうしろ」
「ちぇ〜ッ、・・・それよりスレイト〜、ここ寒い!! この氷、何とかしろよ。俺、寒いの大キライ」
「分かってる。少し黙れ」
「そう言えば伊予チャンどこ行っちゃったんだろ? スレイトは素っ気ないし、あ〜ぁ、俺ってかわいそう・・・こんな時こそカワイイ女の子と暖め合いたいのに・・・」
「伊予はもう此処にいない。今頃はもう戻っている筈だ」
スレイトと呼ばれた左頬の刺青の男は、呆れたようにそう答える。
そして、ぶるぶると寒さに震えているバーンの姿を目の端に留めながら、レイが消えた大空を見上げて僅かに目を細めた。
降り注ぐ炎の塊すら、一瞬放った光の渦だけで飲み込んでみせた。
おまけにあの黒い羽根・・・。
目を開けていても、強烈なまでに脳裏に焼き付いた映像がレイの姿を鮮明に浮かび上がらせる。
「どうしたんだよ、スレイト? 何か面白いことあったのか?」
呑気な声で話しかけられて、自分が今どんな顔をしているのか気づかされた。
余計に笑いが込み上げる。
・・・バーンの我が儘につき合った価値はあったかもしれない。
想像以上の化け物ぶりだ。
「・・・こんなに気分が高揚するのは初めてだ」
スレイトは氷のような笑みを讃え、冷ややかな風をその身に受けながら校舎に向けて歩き出す。
不思議そうな顔をしながらその後に着いていくバーンだったが、やがて楽しそうに鼻歌を歌い始め、辺りに包まれた緊張感は一瞬で消え去った。
彼らはクラウザーの命令で動き始めた連中だ。
しかし、極めて自由に己の考えの元に動く事が許されており、今回もレイを捕まえるにあたって『殺さなければ何をしても良い』という命令の下、彼らはそれを自分達のやり方で実行しただけだった。
特にこの二人に於いては命令をゲームのように楽しむ傾向が強く、その後の顛末などは別段興味がなさそうだった。
それでも彼らにしてみれば、全ての命令を自由に解釈して好き放題に動いているつもりもない。
今回に限っては"レイを追い込む役"と"レイを捕まえる役"をあらかじめ決めておいたからだ。
先鋒が伊予だとすれば、次鋒と中堅は自分達・・・つまり彼らは少しだけレイを追い込んでやるだけの役回りだった。
どうせもうすぐゲームオーバーになる。
相手が誰であろうと、黒羽を持つレイであろうと、この先に待っているものからは逃げられない。
彼らはそんな風に考えていた。
▽ ▽ ▽ ▽
炎と氷から逃れるようにレイが飛び立った先は美久の家だった。
レイは美久の部屋に飛び込むなり彼女をベッドに寝かせ、箪笥の引き出しを次々開けて、下着や洋服など彼女に身につけさせる為のものを目についた順から取り出していく。
そして、ほぼ全裸の美久にそれらを着せようと振り返ったレイは、彼女の服を手にしたまま、それ以上動く事が出来ずに固まってしまった。
意識がないというのに、美久は眉を寄せて小さく震えていたのだ。
頭の中では、先ほどまでの出来事が今も尚続いているのだろうか。
瞑った目の端から大粒の涙を零し続けるその姿を見て、レイは息が詰まり、ぐっと拳を握りしめた。
───何もかも・・・オレの所為だ・・・・・・
一緒にいようとするほど、小さな日常すら踏みにじる容赦ない手が彼女を巻き込んでいく。
安全な場所など、本当はもうどこにも無いのかもしれない。
・・・そう思うなら・・・オレはどうして美久を手放そうとしないんだ。
激しく惑う己の心に抗うように、レイは美久が横になったベッドの傍に膝をつき、そっと彼女の柔らかな頬に触れた。
次第に堪らなくなって自分の胸に彼女を掻き抱く。
唯一の望みを手にして、それを手放せる方法なんてあるんだろうか。
どんな事をしたって、この手を離したくない。
「・・・・・・ん・・・・・・、・・・・・・・・・レイ・・・・・・」
強く抱きしめた事で漸く意識が戻ったのか、静かに美久の目が開く。
少しだけ力を弱め、レイは彼女の顔を覗き込んだ。
しかし、目の前にいるのが誰なのかを確認する間に、美久は見る間に顔を蒼白にしてガタガタと震えだしてしまう。
「・・・ひぅ・・・ッ・・・・い、いや・・・・・・」
「・・・美久?」
「・・・・・いや・・・ッ・・・、・・・いやっ・・・あぁーっ・・・」
美久は身体を震わせながら必死にレイにしがみつく。
男達に襲われた記憶が恐怖となって押し寄せ、固く身を強ばらせて小刻みに息を弾ませる。
「たすけて、たすけて、・・・レイ、レイッ!!」
「美久、美久、美久」
「・・・レイ・・・ッ、・・・たすけて、たすけて、たすけてっ、・・・やだっ、・・・やだーーッ」
「ここにいる、美久、美久、オレはここだっ!!」
激しく怯える美久を掻き抱き、彼女の頬に瞼に、唇にキスを落としていく。
それでも一向に落ち着く様子を見せない彼女は『消えない、消えない』とひたすら繰り返して震えていた。
男達に触られた感触が身体に残り、果ては恐怖となって襲い続けている。
そしてそんな美久の様子は、まるで拷問にも似た責め苦としてレイの心を剔っていく。
美久の心が酷く乱れているというのは彼女の元へ駆けつけている間に強く感じ取っていた。
それなのに、どうしてもっと早く駆けつけられなかったのか。
今にも爆発しそうな気持ちのままに、何もかもを怒りにまかせて破壊し尽くしてしまいたい衝動に駆られながら、何故それを実行してしまわなかったのか。
彼女の些細な日常であるあの学校を、小さな何でもない世界を守り通すことも出来なかった。
この身体を抱きしめているのが誰なのか、彼女は分かっているだろうか。
それとも、分かっていて尚助けを乞うのか。
この手では気休めにすらなれないのか。
自分の甘さに嫌気がさす。
美久が再び学校に通うと望んだ時に、どうして頷いた。
行動範囲を広げる事がどれだけのリスクを伴うのか分かっていた筈なのに。
一緒に通えば安全だとでも?
自分なら彼女を守りきる事が出来るという奢りがどこかにあったんじゃないのか?
それが今の結果を導いたんじゃないのか───?
「・・・・ごめん・・・、悪いのはオレだ・・・」
美久の身体には、他の男が触れた鬱血の痕や痣が至る所に点在している。
どこをどんな風に辿ったのか、ひとめで分かるほどそれらは鮮明な痕跡を残していた。
たとえこれが時間と共に消えてしまうものだとしても、傷ついた心が癒えるのはそんなに簡単な事じゃない。
心の中に消えない傷跡として彼女の中に一生残ってしまうかもしれないのだ。
オレは何をやってる。
手放せないなら・・・だったら、日常を望む彼女の小さくてささやかな世界を奪ってでも、腕の中に閉じこめてしまえば良かったじゃないか。
一緒に生きる事が、途方もない事だなんて誰が決めた。
誰にも干渉されることのないひっそりとした場所で、ふたり静かに暮らせればそれで良かった。
そんな些細な願いすら、必死で守らなければ簡単に壊れてしまう程、オレ達は心許ない場所にいる。
それくらい、分かりきったことだったというのに・・・