『約束』

○第8話○ 孤独な傷痕(その1)







「うわ・・・此処、レイの気配が濃いね・・・もしかして、長い間此処で生活してたのかな?」

 部屋に足を踏み入れた途端、興味深げに中を見渡した白髪の少女が呟いた。
 美久はその後ろに立ちながら、今にも切れそうな緊張の糸に必死に縋り、気づかれないよう何度も小さく息を吐き出していた。

 ───自分のどこにこんな行動力があったんだろう。

 美久は此処までの自分の無謀とも言える言動を思い出しながら、目の前の少女を見て内心肝を冷やしていた。
 警戒すべき相手に嘘まで吐いて行動を共にするなど、綱渡りのようなものだ。
 家から此処まではあっという間の出来事で、思い出すだけで心臓に悪い。
 一番高い建物と言った途端、彼女は不思議な風を操って此処まで一直線に美久を連れてきてしまった。
 その方法は至って乱暴で、最上階のこの部屋のベランダにいきなり降り立つと、鍵のかかった窓を顔色ひとつ変えずに力ずくで破壊して侵入したのだ。
 見た目を裏切る強引さと怪力を見せつけられ、流石に恐怖で身が凍り付いた。


「・・・・・・それで?」

 部屋の奥で獣の剥製を眺めながら少女が問いかける。


「・・・え?」

「次は何をするの?」

 バッグからキーケースと携帯を取り出して『どっちを使う?』と首を傾げる姿からは、あどけなささえ感じさせた。


「・・・・・・鍵・・・を、・・・」

「ふぅん、・・・じゃ、これだけ返してあげる」

 拍子抜けするほどあっさり手に持ったキーケースを手渡され、美久は唖然とする。
 それが思い切り表情に出ていたのだろう。
 少女は肩を竦ませ心外だとでもいうように苦笑している。


「だって、君しか使えないんでしょ?」

「・・・あ、・・・う、うん」

 慌てて頷きながら、もしかして、あんなに下手な嘘を本気で信じてくれたんだろうかと内心驚きでいっぱいだった。

 ・・・ううん、信じたわけじゃなくてもいい。
 彼女が何を考えているのか、これから何が起こるのか全く分からなくても、今はひとつでも取り戻せたならそれでいい。


「それで? ソレは何処の部屋の鍵なの?」

 少女はいつの間にかひとり廊下に出ている。
 早くおいでよと手招きされ、美久は慌てて駆け寄った。

 ───だが、


「・・・・・・・・・え?」

 廊下を出て最初の角を曲がると、長い、とても長い廊下にずらりと並ぶ扉にギクリとする。
 人が足を踏み入れると反応する仕組みなのか、廊下に点在するランプの明かりがひとつひとつ灯っていく様子が異様だった。
 いくらここがマンションのワンフロア全てを使っていると言っても、これは変だ。
 異様に広く感じるうえに、漂う雰囲気が先ほどの広いリビングと違いすぎる。
 ぼんやりと明かりの灯ったランプがかえって不気味さを演出していて、夏だというのに底冷えする冷気が漂って思わず身を震わせた。


「・・・ねぇ、何してるの? 早く案内してよ」

「う、ん。・・・・・・あの・・・・・・一番奥の、部屋まで・・・・・・」

 少女は平然とした顔をして前を進む。
 変だと思わないんだろうか。
 ふと・・・、握ったキーケースが手の中で小さく動いたような気がした。


「・・・?」

 気のせいと片付けるには随分はっきりと感じた気がする。
 美久はキーケースのボタンを外して、ぶら下がる3つの鍵を恐る恐る確認してみる。
 ひとつは美久の家の鍵。
 ふたつめは多分、このマンションに入る為の家の鍵。
 みっつめは・・・恐らく"奥の部屋"の鍵だろう。


「・・・・・・ぁ・・・」

 カタカタカタ・・・小さく揺れるみっつめの鍵。
 幻覚でも見ているのかと思いながら、手の中の鍵にじっと眼を懲らす。
 間違いなくその鍵だけが明らかに不自然に揺れていた。
 しかも一歩足を先に進めるごとに大きくなっているような気さえする。

 何だろう、まるで意志があるみたい。
 もしかしてレイの言ってた部屋が近づいてるから?
 だとしたら・・・


「───あっ!」

 突如揺れるだけだった鍵が美久の手のひらから大きく跳ね上がった。
 前を歩いていた少女も異変に気づいたらしく、後ろを振り返って思わず目を見開いた。

 ヒュ・・・───

 まるで空気を切り裂くような音だった。
 一瞬光った何かが少女の頬を掠めながら高速で横切る。
 それを辛うじて目で追いかけた少女は、同時に廊下の先で大きく響き渡る金属音を聞いた。
 暫し静寂に息を潜めていたが、僅かに怒りを孕んだ瞳で美久を振り返ると、先ほどより低い声のトーンで近づいてくる。


「・・・・・・今、何をした?」

「え?」

「何を企んでる?」

「・・・! ちが・・・、鍵が勝手に・・・」

「まさか自分で動いたとでも・・・?」

 少女の様子に怯えながら美久は何度も頷き、飛んでいった先を慌てて指さす。
 企む余裕なんてあるわけがない。
 そもそも何の力もない自分に何が出来るというのだろう。
 少女は何を考えているか分からない表情で無言のまま美久の顔をジッと見つめていたが、不意に美久の腕を掴み取ると強引に先へ進み始める。


「・・・あっ、・・・イタ・・・、・・・っ」

 極めて自分本位な歩調は足がもつれそうなほどで、掴まれた腕の強さに顔を顰める。
 けれど見上げた横顔には表情が無く、怖くてとても抵抗する気にはなれない。
 しかし程なくして一つの扉の前で少女が立ち止まると、そこで美久に対する疑惑はすぐに晴れたようだった。


「・・・へぇ、・・・自分で動いたっていうのは本当なんだ」

 無表情だった顔にほんの少し笑みを浮かべ、見てみろと謂わんばかりの瞳を美久に向ける。
 美久は僅かに息を弾ませながら、その扉を見上げた。
 2つのランプが扉の左右の壁に掛かり、セピア色が周囲をぼんやりと照らしている。
 どうやら此処が廊下の最奥なのだろう・・・これより先に続く道も扉も無さそうだ。
 そして、灯りをたよりに視線を下げていくと、部屋の鍵がキーケースをぶらさげた状態で真っ直ぐ鍵穴に突き刺さっていた。


「・・・君はこの先に何があるのか、知ってるの?」

 そう問いかけられたが、それには首を横に振るしかない。
 ただレイを辿る手がかりが欲しくて、出来る事が殆ど無いから可能性があるならと此処までやって来ただけなのだ。


「で、君はこの先へ行くの?」

「・・・・・・い、・・・行く・・・」

「ふぅん」

 少女は曖昧に頷くと、痛いほど強く掴んでいた美久の腕を漸く解放した。


「ねぇ、後ろを見て御覧?」

「え?」

 意味深な笑みを浮かべる少女に促され、腕をさすりながら歩いてきた廊下を振り返る。


「・・・・・・!」


 ───道が・・・、無い・・・?

 そう錯覚を起こしてしまうほどの深い闇。
 この場所に行き着くまで誘うように点々と灯っていたランプのあかりが一つ残らず消えているのだ。
 息を吐く音さえ聞こえる静寂、夏だというのに足下から冷気が漂い身震いする。


「進む気があるなら鍵を開けてよ。君しか開けられないんでしょ?」

 美久は鍵穴に差し込まれた鍵をジッと見つめた。
 不思議と怖じ気づくほどの恐怖はない。
 もしかして、色々ありすぎて感覚が麻痺してきたんだろうか。
 手を伸ばし、鍵に触れる。
 レイがこれを渡したのには、きっと何か理由があるはずだと祈るような想いで鍵を回す。
 周囲に鈍い音が響き渡り、それが解錠の合図だった。


「・・・開いたね」

 少女の言葉に美久は小さく頷き、鍵穴から鍵を取り出して扉をそっと開ける。
 知らずに震えていたらしく、キーケースを持つ手が小刻みに揺れていた。

 そして次の瞬間、


「───あ」

 さぁっ・・・と扉の向こうからひんやりした風が吹き抜けたのだ。
 美久の長い髪が大きく揺らぎ、その冷たさに顔を背けていると、隣に立つ少女からハッと息を飲む音が聞こえた気がした。
 何気なく彼女を見上げると意志の強そうな大きな瞳が真っすぐに部屋の中を見つめていて、風に揺らめく白髪が扉から漏れる光を浴びて煌めいている。

 ───・・・え、・・・光・・・?

 此処にランプ以外の光は無い。
 つまり・・・


「・・・レイはよほど僕たちから君を隠したいみたいだね」

「え?」

 言葉と同時に少女に手を引かれ、流れるように部屋の中へと引っ張られる。
 すると四方から冷たい風が吹き抜け、太陽の光が一面の雪景色を鮮やかに照らす様子が目に飛び込んでくる。
 突然の眩しさに眼を細めながら見た光景は、どこまでも雪に覆われた真っ白な大地が続いていて、この世の景色とは思えないほどの絶景が広がっていた。











その2へつづく


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