『約束』

○第8話○ 孤独な傷痕(その13)







 レイは耳を疑いながら、バティンが開いた扉の向こうを凝視した。

 今、・・・なんて言った?
 ニーナって・・・・・・言ったのか・・・?

 レイは呆然と立ちつくす。
 扉の向こうは仄暗く冷たい通路の空気とかけ離れ、沢山の美しい花々が飾られており、とても優しい雰囲気に包まれた部屋になっていた。
 見れば部屋の中央には大きなベッドがひとつ置かれている。
 そして、その傍らでは見覚えのある少年のように短い髪をした華奢な身体が、うつ伏せで寝入っているようだった。


「・・・ニーナ」

 もう一度、バティンが口を開く。
 声に反応してか、一拍置いて細い肩がピクンと揺れた。


「・・・・・・ん、・・・、・・・・・・」

 わずかに顔を上げて開いた扉に振り向く。
 うっすらと瞳が開き、まどろんだ表情が此方を見つめた。
 すると次第にその瞳が極限まで見開かれ、驚愕に染まる表情がその心中を如実に表していく。
 同時に、その豊かな表情を見ているうちに、レイは自分が持つニーナの記憶とそれがピッタリと重なり合っていくのを感じていた。


「・・・、・・・? ・・・・・え・・・?」

 ニーナは僅かながら事態を認識したのか、勢いよく立ち上がって目をパチパチして此方を見ている。
 しかし棒立ちになったまま、一向に近づいて来る様子はなかった。
 もしかしたら彼女はこれをまだ夢か現実か区別がつけられずにいるのかもしれない。


「先に言っておくが、私は本物だ」

 疑問を先回りして、バティンがそんな風に言う。
 ニーナはその言葉に目を見開き、一歩、また一歩と遠慮がちに近づいてくる。
 そして、触れられる位置まで近づくとおずおずと手を伸ばし、それに応えるようにバティンの指が彼女にそっと触れた。


「・・・っ」

 ニーナはびくっと大きく震えると、顔をくしゃくしゃにしてバティンに勢いよく飛びつく。


「ホントに、ホントにバティンなの?」

「ああ、そうだ」

「これはホントに現実? 消えたりしない?」

「ああ、本当に此処にいる」

 まだ支え無しでは上手く立つことさえ出来ない彼の胸に必死でしがみつき、ニーナは信じられないといった様子でバティンの顔を覗き込んでいる。


「・・・・・・・・・、ほ、・・・ホントに・・・・・?」

「あぁ」

「・・・・・・・」

 穏やかな声にニーナは唇を震わせる。
 けれど、しがみついたバティンの身体は薄く、あまりにも弱々しい。
 痩せたなどと表現出来るような変わりようではなかった。
 粗末な服から覗く腕も足も病的に細く、立っているのが不思議なくらいだ。
 それでも表情に乏しいその顔から覗く瞳はどこか温かく、やはりそれはニーナの知るバティンそのものだった。


「そんなに変わったか」

「・・・・・・っ」

「少し・・・痩せたからな」

 そう言われてニーナの表情は更にぐしゃぐしゃに崩れ、堪えきれず滝のように涙が溢れだしてしまう。


「・・・・・・っ、、も、もう、会えないかと、・・・おもっ・・・っ」

「すまない」

「な、で、・・・バティンが、謝、・・・のっ、・・・・・・」

「もう二度と君と会えないと諦めた」

「・・・・・・」

「しかし本当の事を言えば、私にも未だこれが現実と思えないでいるんだ。何かの意志が導いているんだろうか・・・」

「・・・・っ、・・・、ど、・・・ゆこと・・・? ・・・そ、いえば・・・クラーク様は・・・」

「陛下は来ていない。・・・だが、もっとこの場に相応しい方が・・・」

 そう言ってバティンは後ろを振り返る。
 ニーナはその時初めて彼の背後に立つ男の存在に気がついたのか、不思議そうに首を傾げている。
 バティンよりずっと長身の青年・・・、どこか憶えがある顔立ちだった。
 もっと背が低かったけれど、線の細いとても綺麗な少年がニーナの記憶と重なる。
 とてもよく似ていた。
 柔らかそうな薄茶色の髪、綺麗に通った鼻筋、きめ細やかな陶磁器のような白い肌・・・何よりも、その美しい宝石のような瞳が───


「・・・・・・レイ・・・様・・・?」

 問いかけに、青年は少しだけ目を伏せて頷く。
 彼もまた戸惑っているのか、形の良い唇がかたく引き結ばれていた。

 あぁ、そうだ。
 目の前にいるのは間違いなく・・・レイ様だ。

 そこでニーナはハッとしたようにバティンを掴む手に力を込める。


「じゃ・・・じゃあ、・・・もしかして・・・此処にレイ様がいるってことは・・・」

「・・・ああ」

「すご・・・い! ・・・こんな日が本当に来るなんて!!」

「しかしレイ様はまだ何も御存知ない。百聞は一見にしかずと、説明より先にお連れしてしまった」

「そう、なの? だけど、レイ様は連れて行ってくれるよっ!」

 ニーナは改めてレイを見上げ、満面の笑みを向ける。
 それはレイの知る昔のままの笑顔だった。
 レイは少しだけ安心したようにほっと胸を撫で下ろす。
 バティンとは違い、ニーナは健康そうで、少なくとも身体的には酷い目にあっていないようだった。
 しかしあの場所にバティンが閉じこめられている間、彼女はずっとここで過ごすことを強制されて来たのだろう。
 バティンの安否を知らなかったということが、それを証明しているようなものだった。
 全てはレイを自由にするために、彼らが祓った代償だ。


「レイ様。・・・どうか、あの方をお連れ下さい」

 バティンはニーナに支えられながら、レイの前を空けるようゆっくりと下がる。
 自ずと前に誰もいなくなった分、部屋の中の様子がよく見えた。
 だが、一体誰を連れて行けというのか・・・。
 この時までは連れ出して欲しい相手とはニーナの事かと思っていたのだ。
 花々に囲まれた温かい部屋の中央にベッドがひとつ。
 そのベッドでは誰かが眠っているようだった。
 この部屋の空気と同化してしまうくらい、とても静かな眠りだった。
 レイは近づいて、その顔を覗いてみる。
 知らない女だが・・・、死んでいるわけではなさそうだ。
 ただ、とても奇妙だった。


「・・・・・・、これ・・・って」

 何故か声が掠れる。
 うまく考えがまとまらない。
 昨日からの出来事が頭の中で駆けめぐっていた。

 鎖、隠し部屋、マスクの男の妹、地下牢、バティン、ニーナ、王族の墓、眠る女・・・

 何だろう。
 全部が繋がりそうな気がした。
 なのにどこかが繋がらない。
 何かが足りないのだ。
 繋げるにはまだ足りないものが・・・

 ───コツン・・・、コツン・・・、

 その時、突然扉の向こうから靴音が響いた。
 それは間違いなく此処を目指している足音だった。


「・・・誰か来る・・・っ、クラーク様じゃ・・・」

 バティンもニーナも顔を見合わせて青ざめた。
 靴音が近い。すぐ其処まで来ている。
 だが、これはクラークではない、別の男だ。
 レイにはそれが手に取るようにわかった。
 あと少し、もう少し、
 カツン・・・・・・靴音が止まる。
 レイは扉の向こうに目を向けた。
 まるで入ってくるのを待っているかのような眼差しだった。


「・・・───あぁ・・・・、やっと見つけた・・・」

 静かに扉が開き、男の声が部屋に響く。
 それは、レイと酷似した容姿のあの男の姿だった。
 入ってきた一人の男を見て、バティンとニーナが呆然と立ちつくす。
 同じ顔、同じ体躯、2人のレイが目の前にいることに完全に混乱している様子だ。


「・・・・・・彼女に触れても・・・?」

 男はベッドの傍に近づくと、その横に立つレイに何故か許可を求めた。
 レイにはその意味が分からなかったが、自然と頷いていた。
 眠る女に触れる男の手。
 ピクリと反応した女の瞳がゆっくりと開かれ、天井を見上げた。
 そのまま抱き上げられた女は一度だけ瞬きをする。
 瞳は開いていたが、何の意志も持たない人形のようだった。
 レイはその女に近づこうとしない。
 傍に寄るのが躊躇われるほど、何故かその女は自分と似ていて反応出来ないのだ。


「・・・レイ、・・・彼女が誰かわからないのか?」

「・・・・・・」

「ビオラ・・・、君を生んだ女性なのに・・・」

 男はそう言って微笑を浮かべながら、抱き上げた女の顔をレイに見せる為に身体を傾ける。
 その女はもう一度瞬きをしたが、その瞳にはやはり何も映していないようだった。
 ビオラ・・・それは事ある毎に聞かされた母の名だ。
 しかしクラークは、レイを生んで間もなく亡くなったと言っていた筈だ。
 此処が王族の墓であるなら、彼女が眠っていても不思議ではないのだろう。
 だが・・・もし彼女がビオラなら、どうして生きている?
 意志のない瞳で、どうして生きている?
 少なくとも此処は、生ある者が眠る場所ではないはずだ。


「・・・ビオラ・・・、此処を出よう」

 男はそう言って愛しそうに女を見つめる。
 それは違和感を感じさせる表情だった。
 男には探している女がいて、それを妹だと言っていた。
 今ようやく探し当てたと、その瞳が物語っている。
 ならば女を見つめるその眼差しに熱が込められているように感じるのは気のせいだろうか?


「・・・・・・まさか・・・、・・・レイドック様・・・・・・?」

 不意に、ニーナがぽつりと呟く。
 なぜか両手を口に当て、彼女はぶるぶると震えていた。
 彼女の隣ではバティンまで今にも倒れそうなほど青ざめている。


「・・・レイドック・・・?」

 レイはその名を反芻し、彼の名はロイドだと訂正しようとした。
 だが、


「ロイドは偽名なんだよ」

 それを先回りして男が否定する。

 偽名・・・?
 どういうことだ。


「・・・バティンにニーナか・・・、君たちとは余程縁があるらしいな」

「じゃあ、・・・やっぱり本物の・・・レイドック・・・様・・・」


 明らかに互いを知った口ぶり・・・
 レイには何が起こっているのかよくわからない。

 レイドック?

 聞いたこともない名だった。
 2人はどうしてこの男を知っているのか。

 だけど、ビオラはオレを生んだ女で・・・
 男の妹がビオラなら・・・、オレ達は血縁者ということか───?


「残念だが・・・今はゆっくり話も出来そうにない」

 男は溜め息を吐き、扉の外に目を向ける。
 遠くから迫るいくつもの靴音が響いており、それは今度こそクラーク達の足音に違いなかった。
 このままでは確実に見つかってしまうだろう。
 しかし、レイはこのまま大人しくしているつもりは毛頭ない。
 捕まれば、次は鎖に繋ぐだけでは終わらないのは分かりきった話しだ。
 ならば禍根を残すことになろうと、全てを滅茶苦茶に破壊し尽しても此処を出る気でいた。


「この場は俺に任せてもらおう」

 不意にレイドックと呼ばれた男が静かな声音でその場を制する。
 レイはその真意を探るように男に視線を向けたが、彼は笑みを浮かべるだけで何も答えない。
 だが、バティンとニーナの身体が突然影となって消えていくのを目にして、漸く彼が何をするつもりか理解した。
 レイがこの男に捕らえられたときと同じ要領で、今度は此処から逃れようというわけか。
 2人とも自分たちに起こった事を理解出来ず驚いている。
 不安そうな顔をしたニーナに向かってレイが小さく頷いてみせると、それに気づいてかグッと言葉を飲み込んだみたいだった。
 男が何者かなんてレイにはよくわからない。
 それどころか、自分がどこへ向かって走り始めているのかすらわかっていない。
 けれど、ここでクラーク達と対峙してしまうより、男がやろうとしている事の方が遙かに賢明だと言うことだけは確かだった。
 レイドックもレイの母だというビオラの身体も、徐々に黒い影となって消えていく。
 見ればレイ自身も同じように指先から影が広がっていて、じきに全てが消えてしまうだろう。


「ビオラ!!!」

 その時、激しく息を乱したクラークが部屋へ駆け込んで来た。
 金に輝く美しい髪は乱れ、見たこともないほどの動揺を碧眼に滲ませて、半分ほど影となって消えかけていたレイドックとビオラ、そして隣に立つレイを交互に見て彼は大きく目を見開いた。


「・・・・・・レイが・・・・・二人・・・?」

 困惑した様子で眉を顰め、彼は何度も瞬きをしている。
 そのうちに呆然と立っているだけの自分にハッとして、3人に向かって手を伸ばす。
 しかし、ビオラの身体は寸前の所で完全に影となり消えてしまったため、レイドックに手を伸ばそうとしたが、身体に触れる直前でクラークは反射的に己の手を引っ込めた。


「・・・レイッ!!!」

 そう叫び、彼が改めて手を伸ばした先は、軍服を身に纏った本物のレイだった。
 レイは驚いたように目を見開き、まだ実体が僅かに残っていた為にクラークに抱きしめられてしまう。
 それもやがて完全に影となって実体を無くしたレイの身体は完全に消え去り、クラークの腕の中は何の手応えもなくなってしまった。


「・・・、・・・・・・、・・・レイ・・・・・・?」

 たった今まで掴んでいたレイの身体は跡形もなく消えている。
 クラークの腕が空を彷徨い、悲痛な叫びが木霊していた。








その14へつづく


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