『約束』

○第8話○ 孤独な傷痕(その14)







 周囲に立つ兵士達は困惑した様子を見せながらも、クラークから漂うただならない空気に沈黙していた。
 そのうえ、地下牢の下にこんな場所が隠されていた事はもちろんだが、どう考えても極秘に守られていたであろうこの場所に自分たちが易々と足を踏み入れてしまったことは更に驚くべきことであり、此処にいる誰もが同様の戸惑いを胸に立っていたことだろう。
 そして、そこには兵士達に紛れ、バーンとスレイトの姿もあった。
 二人は呼び出しを受けて此処までやってきていたが、彼らもまた一瞬ではあったもののレイたちの姿を目撃している。


「・・・あれは・・・誰だ・・・?」

 不意にクラークの背中がゆっくりと揺らぎ、ぽつりと呟いた。
 後ろに立つスレイトが不穏な様子を感じて眉をひそめている。
 その後、ゆっくりと振り返ったクラークの怒りに染まった形相は、普段見せる冷静さとはあまりにかけ離れていた。


「偽者が謀っていたのだ・・・、・・・・・・いつからいつまで、・・・・・・・・・まさか最初から・・・?」

「・・・陛下?」

「・・・・・・・ビオラとレイが盗まれてしまった」

 目を真っ赤に充血させ、クラークの身体が怒りでぶるぶると震えている。


「偽者を血祭りに上げ、レイとビオラを取り戻せ! あの偽物の手足をこの手で引き裂いてやる・・・ッ、捕らえよ、・・・なんとしても捕らえよ!!!!」

 そう絶叫するクラークは、此処に来た時以上の勢いで部屋を飛び出した。
 後を追うようにスレイトやバーン、他の兵達も追いかけるが、皆一様にこの状況に戸惑っている。
 やがて、言葉にし難い気持ちを抱えたまま、ふと・・・バーンがスレイトに問いかけた。


「なぁ、・・・ところでクラウザー様ってどこにいるんだ?」

 それはあまりに素朴な疑問だったが、この状況に於いて誰もが忘れていたことだった。
 しかし、その答えを導き出せる筈もなく、スレイトは沈黙で返すしかなかった。
 ただ今は、危うさを感じさせるクラークの背中を見失わないよう、捕らえろというその命令に従うしかなさそうだった───










▽  ▽  ▽  ▽


 地下ではレイ達が消えた事で騒然となり、その空気が伝わっていつしか宮殿中がピリピリとした緊張に包まれていた。
 兵士達は宮殿の周囲を包囲し、レイの捜索に手を広げている。
 とは言え、彼らはマスクの男がレイで、レイと思っていた男がマスクの男だという事実を未だ知らされてはいない。
 当然二人が同じ顔をしている事も知る由もない。
 刻一刻と変化する状況はあまりに早く、伝わったところで一つも二つも前の情報ではもはや古すぎて意味を成さなくなっている。
 更には、服装と背格好、今はそれだけがレイを探す手がかりだ。
 それもこれも、探している殆どの者がレイの顔をよく知らないという事が根本的な問題となっている。
 顔のわからない相手を必死で探しているのは滑稽としか言いようがなかったが、どちらにしても、レイが長く此処を離れていた事が、彼らに決定的な隙を作ってしまったというのは紛れもない事実だった。

 そんな絶好の機会にも拘らず、地下から逃れたレイ達が次に姿を現わしたのは、あろう事か宮殿の屋上だった。
 既に日は昇り、そよぐ風も温かい。
 こんな状況でなければ見渡す景色はとても美しく、いつまでも眺めていたいものだが、決して彼らに追い風ばかりが吹いているわけではなかった。


「・・・これを君に渡しておく」

 屋上を巡回していた数人の兵士を難なく気絶させたあと、男がレイに渡したのは携帯電話だった。
 それを見たレイが目を見開いているのに気付き、男が成り行きを簡潔に説明する。


「朝方、どういうわけかこれを持ったクラウザーが部屋にきたんだ。それでこれを渡された」

「・・・クラウザーが?」

「彼は俺達が入れ替わっている事を予想していた。・・・相変わらず腹の中で何を考えているのかは理解出来なかったが」

「・・・・・・」

 レイは手の中の携帯を握りしめて微かな疑念を抱く。
 まさか何か仕掛けられてるんじゃないだろうかと。
 しかし、たとえそうだとしても、既にそれを確かめている時間は残されていないだろう。


「ところで、何でこんな場所に移動したんだ? どうせならもっと安全な場所じゃないと意味がない、屋上じゃ追いつめられて終わりだ」

 レイがそう言うのも尤もだった。
 この人数構成では時間稼ぎが出来る程度の場所まで逃げなければ、すぐに見つかってしまう。
 だからてっきり宮殿から離れた場所まで移動するものと思っていたのだが。


「昨夜言ったはずだ。宮殿の外から此処を探ろうとしたが、強い加護を受けているせいかあまりうまくいかなかったと。・・・それは俺自身の存在がこの場所に歓迎されていないと言うことを意味するのかもしれない。つまり、この力を使用しての行動には限界があり、中から外に出ようとすると阻む力の抵抗に遭ってしまうんだ」

「・・・・・・っ」

「・・・レ、レイドック様・・・っ!!」

 呆然としていると、突然ニーナが震えながら2人に近づき声を上げた。
 彼女は僅かに怯えた顔をしていた。
 だが、唇をきゅっと引き結ぶと、どういうつもりか突然レイドックの前に跪いたのだった。


「レイドック様、・・・レイ様にビオラ様を託していただく事はできませんか・・・?」

「・・・ニーナ」

「レイドック様のお気持ち・・・少しは分かっているつもりです。とても酷いことを言っているってことも分かっています。・・・でも、あたしたちはどうしてもその先に待つ未来が怖くて堪らないんです。だからどうかレイ様にビオラ様を・・・どうか・・・」

 ひたすら頭を下げ、懇願する様子にレイドックは眼を細めている。
 バティンに目を向けると彼も静かに頭を下げていた。
 しかし、彼らが何を言っているのか、レイには全く理解出来ない。
 それなのにニーナは、今度はレイに向かって頭を下げ始めたのだ。


「レイ様ッ、あたしたちはもういいんです、これ以上は足手まといになるだけだって分かってるんです。バティンもあたしもレイ様の枷にしかならない・・・生きている限りそれは延々と付きまとってしまう。・・・だけど、ビオラ様だけは・・・っ、どうかどうか、ビオラ様だけは連れて行ってくれませんか?」

「・・・・・・っ!?」

「だってあたしが知ってるビオラ様はレイ様が全てだったから・・・、沢山のものを諦めてもレイ様を生むために必死だったのに・・・、愛してるって赤ちゃんのレイ様を何度も嬉しそうに抱きしめてたのにっ、やっと掴んだ幸せも一瞬で粉々にされて・・・っ、・・・・・・大好きだったのに、ビオラ様はあたしの女神様だったのに、・・・もう笑ってくれないっ!!! ・・・だけど、せめてレイ様の傍にいられるなら・・・きっと報われると思うから・・・っ」

 いつしかニーナは大声で泣きながらレイに懇願していた。
 絶句して何も言えないレイは、困惑しながらバティンを見る。
 けれど、やはりバティンも頭を下げるのだ。
 まるで此処まで連れてきたことを否定されているような気分になる。
 しかも、それに追い打ちをかけるように、レイドックまでもが一切の反論をせず、レイを静かに見つめながら口を開いた。


「・・・これまで俺は、ビオラを奪い返す事しか考えていなかった。重ねた罪の上なら、どれだけ歩いても構わないと思っていたからだ」

「・・・・・?」

 意味が分からず眉をしかめると、レイドックは目を伏せた。
 時間がないというのに、何故今そんな事を言い出すのか。
 そう思うのに、哀しそうに揺らす瞳を見ていると上手く言葉がはき出せなくなる。


「本当なら、全ての大罪を背負うのは俺でなくてはならなかった。・・・なのにどうしてか全てを背負ったのは彼女の方。・・・そのうえ、何の責任もない君が、今ではその大罪の全てを一心に背負っている。それを知りながら、もはや黙っていることは俺には出来ない」

「・・・なに・・・言って・・・」

「君にはここから飛び立てる翼がある。君だけは逃れられるだろう。だからそのときに、せめて彼女を連れていってくれないだろうか・・・」

「・・・・・・は・・・っ、・・・・・・さっきから・・・意味が分からないことばかり。・・・何なんだよ・・・っ、・・・・・・それでっ、あんたは・・・バティンやニーナは此処に残ってどうすんだ!」

「時間稼ぎくらいにはなれる」

「・・・だから意味が分からないと言ってるだろ! 何であんたがそれを引き受けるんだ。やるならオレだろ、オレがこんな場所、滅茶苦茶に」

「君は何もしなくていい。・・・もう此処と関わるな」

「・・・・・・っ」

「・・・そして、二度と此処へ戻るな」

「・・・・・・は・・・?」


 ───・・・・・・一体何を言っているんだ?

 何を勝手な事を言っているんだ?
 バティンもニーナもおかしい。
 二人ともこの男と同じ目でオレに彼女を連れて行けと言う。
 どうしていきなりそんな話になるんだ?
 何で諦めようとするんだ?


「だから・・・、何で突然そんな話に・・・」


 大体、いきなり母親だと言われて、オレにどうしろと?
 愛してるだなんて、この状況で聞かされたってどうしていいか分からない。
 何も、欠片ひとつ憶えていないのに。

 レイドックに抱えられている彼女を見ても、今だに実感など湧かない。
 彼女だけ連れて、それと引き替えに他を捨てろと言われても、そんな話を聞けるはずがなかった。
 レイは手の中に握りしめた携帯をじっと見る。

 オレは・・・甘いのか?
 全てを放り出して美久に会いに行きたいと思っても・・・そうしろと言われても、今は素直に聞ける気がしない。
 だって・・・此処で彼らを切り捨てたらどうなるかなんて簡単に想像できてしまう。
 そんなのは違う。
 だったら、・・・・・・やれる事は一体何だ?
 いくら飛べても、安全な場所まで全員を運ぶ時間的余裕はないのは明白だ。
 今この瞬間に守らなければいけないのは、自分を含めた5人。
 そう、たった5人だ。
 出来ないと端から諦めるなら、一人だって逃げ切ることは出来ないんじゃないのか?
 オレはもう、鎖を外されて涙を流して喜んだあの頃の自分とは違う───



「レイ様・・・っ!!」

 ニーナの声に追い立てられ、レイはギリ・・・と奥歯を噛み締めた。


「うるさい、二度とオレに置いていけなんて言うな!!!!」

「・・・っ!?」

「お前達はこれから黙ってオレのやることに従え! 何一つ逆らうな! いいか、此処にいる全員だ、引きずってでも連れて行く!!」

 レイはまるで恫喝するように声を上げ、手に持った携帯を天高く放り投げる。
 皆、何をしようとしているのか分からず、放り投げられた空をただ見上げているだけだった。
 突如、バチバチ・・・と弾ける音が空中で響いた。
 音だけではない。
 携帯から火花が散っているのだ。
 下にいた兵たちがそれに気づいてか、ざわめきが聞こえる。
 これで自分達の居場所はばれてしまった。
 屋上なんて逃げ場がないのだ、すぐに大勢に囲まれて追いつめられ、呆気なく終わるだけだ。
 そんなのは冗談じゃない。
 此処が死に場所になるかもしれないと気づいていながら、置いていけるわけがない。
 飛べるのを理由に自分だけ逃げるわけないだろう。
 そんな我が儘を聞けるわけがないだろう。
 火花が激しく飛び散る。
 ぐるぐると激しく回転し、天空ではじけ飛びそうなほどの磁気を纏っていく。
 同時に火花が渦となって塊を形成すると、いくつもの磁場が発生し、空気が共鳴して低い唸りをあげた。


「バティン、ニーナ、先に行け・・・!!!」

 レイは叫び、バティンとニーナの身体を抱えると、塊に向かって彼らを力の限り放り投げた。


「きゃあああっ!!??」

 突然の事に2人は悲鳴を上げたが、そのまま火花が飛び散る渦に呆気なく放り込まれ、声と共に身体が弾けて消滅してしまう。
 その様子に驚愕したレイドックも隙をつかれてレイに回り込まれ、ビオラごと抱え込まれてしまった。
 何をする、そう叫ぼうとしてレイの瞳を見たレイドックは、思わず言葉を飲み込む。
 ギラギラとした獰猛な金の瞳がオレに従えと激しく咆哮しているように見えて、抵抗が無意味であることを知った。
 火花の渦は徐々に小さくなり始めるも、レイは焦りの表情ひとつ浮かべずレイドックとビオラを抱えて凄まじいスピードで跳躍する。
 その背には轟音を奏でる黒羽が生え揃い、スピードを加速させ、今にも消えてしまいそうな火花の渦に突っ込んでいく。
 彼らが火花に突っ込んだ直後、激しくうねる磁場が空気を揺らし、大きな音を立てて爆発が起こった。
 その後、飛び散る火花の名残が何度か空中で音を立てて光の筋を作っていたが、一瞬の喧噪はまるで幻のように消え失せ・・・気づけば3人の身体は、その爆発と共に消滅していたのだった。



 ───カシャン・・・、やがて金属の小さな破片が空から屋上に落下した。

 不意に、コツ・・・、と静かな靴音がどこからとも無く響き渡る。
 足音は落下した金属片の傍で止まり、その人物は欠片を手に取ると口角を引き上げた。
 階下から沢山の足音が聞こえてくる。
 走ってもレイにはもう追いつけないと、彼らはまだ知らないようだった。
 追いかける足音を背に、銀の髪が陽の光に透けて輝きを放つ。
 エメラルドの瞳が煌めき、拾った破片を天に翳して眺めているのはクラウザーだった。
 風に靡いた銀髪が乳白色の頬を掠め、前方を見据える表情が何を考えているかは読み取ることが出来ない。


「あれ? ・・・クラウザー様、此処にいたのか」

 一番に駆け上がってきたのはバーンだった。
 周囲を見渡して既に目的は消えた後と悟ったようだが、彼は意気消沈するでもなく静かに佇むクラウザーの傍へ駆け寄っていく。

 だが・・・


「・・・・・・え?」

 バーンはクラウザーを見た瞬間、ギクリとした表情を浮かべて硬直してしまった。
 クラウザーは静かに笑みを漏らす。
 銀髪が風に靡き、最近ではその髪に隠れて見えなかった彼の右目がいつの間にか露わになっていた。
 そこには誰もが美しいと絶賛するエメラルドの輝きは無く、ルビーのような真紅の瞳が覗いていたのだ。


「・・・その・・・瞳・・・・・・、どうして・・・」

 バーンの言葉にクラウザーの口角が愉しそうに引き上げられる。
 喉の奥で笑いを噛み締め、紅い右目が冷酷に嗤った。


《・・・見られたか、・・・まだ暫くは秘密にするつもりだったものを》

「・・・・・・っ!?」

 バーンは愕然とその場に立ちつくした。
 声が・・・違う。
 クラウザーの唇はその言葉を紡いでいるのに、聞こえた声は別人のものだった。


《あと少し、まだ少々都合が悪い。だから・・・これはおまえと俺の秘密にしなければならない。・・・わかるだろう?》

 ニィ・・・と、嗤う顔。

 これは一体だれだ・・・?
 クラウザーは自分を"俺"とは言わない、声も違う、いつからこんな事に・・・

 後ろから階段を駆け上がる音が近づく。
 息づかいで分かる、スレイトもそこにいるようだ。
 彼はクラークの様子を気にかけ、寄り添っていたおかげで到着するのが遅れたのだ。


「・・・・・・クラウザー様、此方でしたか」

 息も乱さず駆け上がってきたスレイトがクラウザーに気づいて声を掛ける。
 その後も続々と彼に続いて兵が駆け上がってきたが、そこにクラークの姿はない。


「・・・残念ながら逃げられた」

 小さくため息を吐きながらそう告げた声は、いつものクラウザーのものだった。
 バーンはあまりの驚きに声を失う。
 何も言えなかった。
 既に銀の髪が彼の紅い右目を覆い隠して、いつも通りのクラウザーを振る舞っているのだ。
 そんなバーンを見てスレイトが変な顔をしていたのは分かっても、いつもなら軽い自分の口が今は凄く重く感じた。


「父上は何処におられる?」

「・・・半ば無理矢理ですが・・・数名の兵に任せ、今は自室で休んでおられます」

「どういうことだ」

「地下から上がったところで屋上の不穏な空気に気づかれたのですが・・・弟君の黒羽を目にした途端、少し様子が・・・。というよりも、思えば今日は初めからどこか様子が違っていたようにも・・・」

 クラウザーは片眉をピクリと引きつらせ、沈黙する。
 彼にも分かっているのだ、クラークの様子がずっとおかしかったと言うことを。
 朝に挨拶を交わした時は普通だった。
 マスクの男が地下牢で問題を起こしたとクラウザーに告げたときも変化は無かった。
 しかし、レイに扮したあの男が逃亡した直後から突然様子がおかしくなったようだった。
 その理由はクラウザーにもよく分からない。
 クラークは明らかに大きな秘密を抱えている。
 自分が目にしたものは秘密そのものだったのか、秘密の一端に過ぎないのか、それすら分からない。


「少し確認したいことがある。地図の用意を頼みたい」

「は、地図ですか」

「あぁ、それから父上と話がしたい。・・・私も父上の様子は気になってはいた。だからといって今は立ち止まるべき時ではない。スレイト、それはおまえにも分かるだろう?」

「はい」

「・・・おまえ達は今のうちに身体を休めておくといい。暫くは家へ帰してやることが出来なくなるだろう」

 薔薇色の唇がうっすらと嗤う。
 短いスレイトの返事を聞くとクラウザーは颯爽と身を翻して宮殿の中へと戻っていく。
 スレイトもまた後に続くようそのまま宮殿内へと消えていった。
 ほんの一瞬だけ・・・うっすらと笑みを浮かべたクラウザーが立ちすくむバーンに視線を向けたが、それに気づいたのは本人だけだった。
 当のバーンは何の答えも出ないまま重い沈黙を続け、結局、この件に関して彼は口を噤んでしまった。







その15へつづく


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