『約束』
○第8話○ 孤独な傷痕(その15) この時点で、美久が白い着物の男に連れ去られてから、既に1日と半分程が経過しようとしていた。 その間ルディはひたすら彼女を追いかけ続けていた。 しかし、行けども行けども似たような雪景色が続き、ルディは同じ場所をぐるぐると回っているような錯覚に何度も陥っている。 それでも、いつしか深い森の中へと足を踏み入れたというのに、今度は見計らったように疲弊しきった身体と癒えない傷が前に進む気力を削ぎ落とす。 彼が受けた傷は想像以上に深刻なものだ。 意識が朦朧とする中で少しの休息を得る為、今からほんの少し前にルディは地上に降り立ったが、既にその身を動かせるだけの余力はほとんどないようだった。 「・・・・・・はぁ、はぁっ、・・・はぁ・・・っ」 雪深い森の中に苦しげな息づかいだけが響き渡る。 傷は体力を消耗させるばかりで、既にまともに立ち上がることさえ出来ない状態だ。 いったい、あとどれだけ進めば追いつくんだ? 空から降り立つというよりも落下したといった表現の方が妥当と思えるほど、ルディは受け身すらとれないまま雪深い森の中へと身体を沈めていた。 その雪の中に埋まった身体を起こすまでどれほどの時間を要しただろうか・・・、やっとの思いで近くの大木の傍に身を寄せ、もたれ掛かるその姿はまさに満身創痍という他なかった。 「・・・・・・はぁっ、・・・はぁ・・・っ」 途絶えることなく荒い息を吐きながら、ルディは痛む四肢に視線を移す。 ふくらはぎは多少衣服に守られたが、それでも受けた攻撃で軍靴は貫通し、開いた穴からは多量の血が滴って雪を濡らしている。 両肩に受けた傷からもおびただしい出血・・・風に乗って美久を追いかける間に止血しようと服を千切って肩を縛ったが、それでも血は止まらなかった。 ふと・・・朦朧とする思考の中で何かを忘れている気がしてルディは考えを巡らせる。 なんだっけ・・・。何か・・・忘れてる気がするんだけど・・・ ・・・、・・・・・あ、そうだ。 「・・・・ミクの・・・バッグ・・・」 空から降りたときは確かに持っていたはずだ。 僅かに焦りの色を浮かべながらルディは周囲を見渡し、自分が雪に埋まっていた場所から少し離れた場所に美久のバッグを発見してホッと息を吐く。 そして痛みに顔を引きつらせながら何とか立ち上がったルディは、雪に足を取られながら一歩ずつ進み始めた。 しかし、あと少しで手が届くという所で・・・ ───プルルルル、プルルルル、プルルルル、プルルルル、プルルルル、プルルルル、 「・・・・・・ッ!???」 突然鳴り響く電子音。 初めて耳にする音にルディは驚いて立ちすくんだ。 けれど、耳を澄ませてみると、音は美久のバッグの中から聞こえるのだ。 恐る恐る近づき、ルディはバッグを開けて中を覗き込む。 どうやら音源は携帯電話だったようだ。 音に合わせて先端のライトがピカピカと七色に光って、鳴る度に小さくブルブルと振動している。 ルディはそれを何度か指でつついてから手に取り、困惑した様子でそれをじっと見つめた。 そもそもこれが何であるかも分かっていないのだから、手に持っただけでも勇気ある行動というべきかもしれないが、見ているだけでそれ以上どうこうする様子はなさそうだった。 ・・・と、 バチッ・・・─── 何かが弾けたような音がルディの背後で響き、慌てて振り返る。 だが、足が太股付近まで雪に埋まっていたために思うように身体は動かず、上半身だけを捻って後ろを振り返るのが精一杯だ。 「───・・・えっ」 ルディは声を上げて目を見開く。 木の上に積もった雪と一緒に突然何かが落下したのだ。 しかしそれらはそのまま積もった雪の中に沈んでしまって正体が分からない。 そして・・・更にもう一度、バチッと弾ける音が聞こえる。 今度は上空で火花が散ったのが見えた。 と同時に、自分の立っている場所に巨大な影が落ち、それに気づいたルディは不審に思って上空を見上げた。 「・・・っ、・・・わ、ぁ、・・・わ、わ、・・・」 口をぱくぱくさせながら、彼は突然この場から退避しようと慌て始めた。 だが、雪に埋まった足が障害になって動きを鈍らせる。 傷口も痛む、しかしのんびり逃げてる場合ではなかった。 「わ、・・・あ、・・・っ、や、ちょっ・・・っ」 ルディは腕を伸ばして必死で雪をかきながら逃げようと必死だった。 誰かを抱えた黒い大きな翼が、もの凄い勢いで上から降ってくるのだ。 金色の瞳、獣のように研ぎ澄まされた眼光と目が合った。 圧倒的で絶望的な力が空から降り注ぎ、自分が標的にされている恐怖に身が竦む。 身体が動かない、殺される。 目の前に迫りくる死に、ぞわりと背筋が粟立った。 「───美久はどこだ」 身を固くしていると、低い声が森の中に響いた。 ルディはガクガクと身体を震わせ、目の前に飛来した黒羽が2度3度羽ばたいてからみるみる体内に取り込まれていくのを呆然と見上げる。 雪の上に立って自分を見下ろす体躯、逆光で顔がよく見えない。 だけど、これが誰かなんて考えるまでもない。 しゃがんで美久のバッグを手に取ったその横顔は紛れもなく・・・ 「・・・・・・レ、・・・イ・・・」 「どうして美久が一緒じゃない?」 彼は不機嫌そうにルディに目を向ける。 その瞳の色は淡い青に変化していて、先ほどのような殺気はもう無かった。 ルディは気づかれないようにほっと息を吐く。 そしてレイが身につけている軍服を見て思わず眉を潜める。 自分と同じ琥珀色だ・・・そもそもレイがどうして軍服を着ているのか。 翌々見れば此処にいるのはレイだけではなかった。 レイの後ろにもう一つの人影。 男だ。 その男は腕の中に女を抱きかかえている。 しかも、よく見たらその男・・・ 「・・・・・、何でレイが・・・もう一人・・・」 「これは返してもらう」 困惑するルディの言葉を無視してレイは携帯を彼から奪い取る。 周囲を見渡すその様子はどこか苛立ち、もしかしたら美久の気配を探っているのかもしれなかった。 「質問に答えろ。美久はどうした」 「・・っ、・・・、・・・つ、れて・・・いかれた」 「誰に」 「・・・・、同族食い・・・、ベリアルの民だ。・・・ひとりは『タマ』って呼ばれてた、もう一人は・・・よく分からない・・・」 「同族食い・・・? そんなものは、もうこの世にはいない」 「だけどっ、首筋を噛まれたんだ。・・・それに、あの異様に紅い瞳・・・見間違うわけない。ベリアルの民の目が紅いのは知られた話だろ・・・」 ルディは言いながら少し震えているようだった。 レイはそんなルディの姿を観察するように見つめる。 下半身は雪に覆われてよくわからないが、両肩は千切った布で縛っているが広範囲に血が滲んでおり、首筋の辺りにもおびただしい鮮血の痕がある。 襲われでもしなければこんな状態にはならないというのは、彼を見れば分かることだった。 だが、ルディのいう『同族食い』と呼ばれたベリアルの民とは、既にこの世から息絶えて久しい者たちのことだった。 バアルと国境を挟んで隣接したベリアル、それは国の名だ。 そのベリアルの地に住む者たちを同族食いと呼んで嫌悪するにはそれなりの理由が存在する。 文字通り、彼らが同族の血を糧に生きていたためだ。 それも対象となるのはベリアルの民以外全て・・・バアルとは絶対的に相容れない存在と言えた。 彼らを見分ける為の唯一の方法が瞳の色だ。 ベリアルの民は皆、紅い瞳を携えているという。 同時に奇妙な力を持ち合わせた者も多く、国境が隣接するバアルとは特に狩りをする為に争いが絶えず、その力を目にする機会も多かったと伝え聞く。 彼らの存在については謎が多く、何がきっかけで同族の血を好んで糧にするようになったのかは分かっていない。 そもそも実際は同族と呼べる者だったのかすら分からないまま、彼らは絶滅の道をたどった。 ───ベリアルの滅亡。 それはまだレイが此処にいた少年期の話だった。 壮絶なまでの天変地異に襲われ国家は消滅、生き残った者達も全て原因不明の病によってその後は死滅の道を辿り、彼らの血は完全に絶えたのだと言われている。 それはバアルの民にしてみれば大変な吉報に他ならなかった。 天が我らに味方したと喜ぶ大人たちの姿は、レイにとって印象的なものだった。 見たことも無い存在を天敵と言われてもよく分からず、どちらかと言えばどこか遠い場所で起きた不幸を歓喜する人々に微かな違和感を憶えたという意味でだが・・・。 「それで、お前は美久の荷物を持ってどこへ向かうつもりだったんだ?」 「そ、・・・それは・・・」 「まさか美久を追いかけていたなんて言わないよな」 そう言われるとルディの目が泳ぎ、レイは不愉快そうに眼を細める。 「・・・ほ、・・・星・・・を、一緒に見るって・・・・・・約束、した、・・・から」 「星?」 「ミクは・・・レイがいる所まで追いかけるって言ってた。知らない土地じゃ星くらいしか位置を確認する術がないから・・・、晴れたら一緒に星を見て、レイのいる場所を教えてやるって約束してたんだよ。だけどずっと天候が悪くて・・・・・・、やっと晴れたと思ったら・・・・」 「・・・それで美久は何者かに連れ去られ、お前は連れ去られた美久を追いかけていたと?」 「どうせ・・・矛盾してるよ」 「よく分かってるじゃないか」 ルディは唇を引き結んで俯く。 本当は美久を貶めるつもりだったのに、今の自分はどういうわけか己の身を犠牲にして彼女を追いかけている。 星を見ると約束したなどという理由をこじつけなければならないほど、今のルディの行動は本人が言う通り矛盾に満ちているのだ。 何処でおかしくなったのか自分でもよく分からなかった。 「・・・お前、美久に危害を加えていないだろうな?」 「・・・ッ!? 別に・・・何もしてないよ・・・」 「そもそもお前はどういうつもりで美久と此処に来た。それもクラウザーの命令か? どうやってアイツに取り入ったか知らないが、単なる小間使いが変われば変わるもんだな」 「命令なんかじゃない、これは僕が勝手に動いてるだけだ!!」 ルディは突然声を荒げ、レイを睨み付ける。 単純にけしかけられただけの言葉だったが、小間使いだった自分を馬鹿にされたようで、頭に血が上った。 「それに僕はクラウザー様に取り入ったわけじゃない。クラウザー様と同じ気持ちだったからだ・・・っ、レイが憎くて堪らない、それ以外の共通点なんてあるわけないだろ!!」 拳を握りしめ、青と緑の瞳が憎しみの色に染まる。 レイは皮肉気に笑い、突然血が滲むルディの肩に手を伸ばして力を込める。 「・・・イッ・・・、痛ッ・・・っ」 「お前に憎まれる憶えなんて全くないが・・・だったら何でオレを直接襲わなかった」 「・・・っ」 「自分に自信が無いからオレの弱みを握ろうとしたんだろう? お前達のしたことで美久がどうなったと思ってる。・・・約束だと? よくそんな事が言えたものだな。憎いと言うなら死ぬ気で向かって来ればいい。オレを殺してみろよ」 「それが出来たら・・・、最初からやってる」 「上辺だけ取り繕う卑怯者は、逃げ口上ばかり達者だな」 「・・・・・・、・・・っ」 ルディはレイの言葉にぐっと黙り込んでしまった。 今回どうやってレイを捕獲するかを考えたのはクラウザーだ。 自分はレイを追い込む役に振り分けられたが、実際は何もしていないといっていい。 しかし、ひとりになった美久を連れ出す・・・それは誰の命令でもなかった。 レイの弱みだと思ったからだ。 直接相手にするのは無謀だからと美久に目をつけた・・・全てレイの言う通りだ。 レイは言われっぱなしで言葉に詰まるルディを呆れたように見つめ、負傷する肩を掴んでいた手に容赦なく力を込める。 激痛が背中まで走り抜け、ルディは悲鳴を上げた。 「ひっ、・・・ああぁっ!!!」 「持っているものを全てだせ」 「なに、なにを・・・、痛ッ、・・ぅああッッ・・・、」 「携帯食だよ。軍人だって言うなら、それくらい持って出るもんだろ」 「ちょっ、そんなの・・・ッ・・・イッ、・・・ッ、あああぁあッ!!!!」 「嫌なら身ぐるみはがすだけだ」 「───ッ」 ルディは涙目になりながら震える手で自分の胸元に手を突っ込む。 ごそごそと探りながら取り出したのは、小さな赤い液体の入った三つの小瓶だ。 レイはそれを奪い取るとルディの後方に目を向ける。 そこは最初に何かが空から落ちて雪に埋まった場所だったが、それ以降は何かが動く様子はなかった。 少し考えを巡らせていたレイは、自分の後ろに立つレイドックを振り返る。 「・・・あんたに頼みがある」 そう言われ、それまで黙って話を聞いていたレイドックは『何だ?』と問いかけるように眼を細めた。 「バティンとニーナを今から言う場所に連れて行って欲しい。本当はそこに飛ばされる予定だったが、事態が変わったみたいだ。・・・オレは此処から別行動をとる」 「・・・あの少女か、彼女はどうやって此処にやってきた?」 「彼女に何かあった時の為に色々細工を仕掛けていたんだ。オレが彼女を此処に来させた」 「・・・・・・」 「あんたが取引に使おうとしたあの機械を使えば、すぐに美久に会えるはずだった。同じものを美久に持たせていたんだ・・・、着陸地点となれるように」 「・・・それで俺達は此処に飛ばされたのか」 「こんな大人数での移動は想定してなかったから、どうなるかは賭けみたいなもんだったけどな。・・・ともかく、あんた達は此処から真っすぐ北に向かって欲しい。ほぼ一面が雪原だろうから目印になりそうなものを見つけるのは難しいだろうが、いずれ小さな家が一軒見えてくるはずだ。そこであの2人を休ませてほしい」 「君は・・・」 「オレはもう行く。あんた達の話が気に掛からないと言えば嘘だが、美久より優先する事は出来ない」 そう言うと、レイはレイドックに抱えられたビオラを見て僅かに沈黙する。 時折瞬きするその瞳はやはり何も見ていないようだった。 確かに彼女はレイの母なのかもしれない。 あのクラークが彼女をビオラと呼んだのをこの眼で見た今となっては疑いようもない事実なのだろう。 しかし、どうしても実感が湧かないのだ。 母という存在を知らないレイには、突然そんな話をつきつけられても戸惑いの方が先にきてしまう。 「よく分からないけど、あんたはずっと彼女を探してたんだよな?」 「・・・ああ」 「だったら、意識が戻ったときに最初に彼女が目にするのは、オレよりもあんたの方が良いんじゃないのか」 「・・・どうしてそう思う?」 「どうしても何も・・・、自分を一番に思ってくれる相手が目の前にいた方が幸せだ」 「・・・・・・っ」 レイドックは目を見開き、僅かに唇を震わせた。 それを見て、レイは不思議な感覚を憶える。 本当はこんな事を言うのは間違っているのかもしれない。 彼がビオラに向ける眼差しは、妹に向けるものとは恐らく違う。 しかし例えそうだとしても、レイには彼の感情を否定する気になれなかった。 引き返せる想いだったら、こんな複雑な状況になってまで彼女を取り戻そうとするわけがない。 自分と彼に何の違いがあるのか・・・レイにはよく分からなかった。 「それからこれをバティンに飲ませてくれ。多分殆ど食事を与えられていない」 そう言ってレイはルディから奪った赤い小瓶を2つだけレイドックに手渡す。 レイドックは頷きながらそれを受け取り、真っすぐレイの瞳を見つめて小さく微笑んだ。 「・・・君は・・・やはりビオラにとても似ていると思う」 レイはそう言われ、微妙な顔を見せた。 きっと彼は今、とても居心地が悪く感じているのだろう。 そんな様子をレイドックは穏やかな眼差しで見つめる。 「必ず彼らを無事に連れて行くと約束しよう。・・・君こそ無事で」 「・・・ああ」 レイは小さく頷いてすぐに自分の気持ちを切り換え、美久の携帯をバッグにしまいながら再びルディを振り返る。 そして手の中にひとつだけ残った小瓶を開け、無理矢理ルディの口の中へそれを突っ込んだ。 「んっ、んんー・・・・・・っふ・・・、・・・っ」 「何で今までこれを口にしなかった」 「・・・っ、っふ、わふへへは・・・はへ・・・っ」 「忘れてただと? その傷も美久を庇ったためか? ・・・何でお前がそんなに必死なんだよ。卑怯な事を考える癖におかしなやつだな」 ルディは驚いて目の前のレイを見上げる。 喉の奥に流れる血液が全身に染み渡るのを感じながら、レイの宝石のような瞳に魅入られていた。 何で痛い思いをさせた後に、優しくするんだよ。 そんなの知りたくないのに。 「・・・美久が連れ去られたのは、いつの話だ?」 「っは、・・・っ・・・一日と、少し前だよ・・・。でも・・・あの場所に辿り着くまで休み無しで三日かかったって言ってるのを聞いた・・・、だから、まだどこかを走ってるかもしれない」 「そうか」 「場所・・・わかるのか」 「それくらいの距離なら、多分見つけられる」 「・・・ぼ、・・・僕も・・・行くからなっ」 「オレが直接行けば美久に星を見せる理由は無いだろう」 「〜〜〜ッ、ち、違う! お前を殺す為だ、隙を見せたらいつでもやってやる」 「・・・・・・、・・・勝手にしろ」 レイは面倒臭そうに息を吐き、雪の上をとん、と飛び上がって木の枝にとまる。 一瞬の動きに誰もついていけず、次に彼の姿を捉えたとき、既にレイの背には巨大な黒羽が生えそろっていた。 大空に羽ばたく羽音と共に風が吹き抜ける。 青い空に舞う姿は他に例えられないほど優雅で力強い。 結局レイは自分が聞きたいことだけ聞いて行ってしまったと、ルディはその時になって漸く気がついた。 「・・・ルディ」 空に消えるレイの姿を呆然と見上げていると、突然後ろから声を掛けられてビクッとする。 レイと同じ声だ。 隣に立っても本人との見分けがつかないくらいレイととてもよく似た男だった。 この男は一体何者だ? 「・・・君は誰? 馴れ馴れしく呼ばないでくれる? だいたいその顔はどうなってるの。・・・まさか作りもの?」 「一応・・・本物の顔だ。それに、君とは会ったことがあるんだが」 「は?」 「クラウザーに呼ばれ、彼の自室で・・・君もいただろう? その前にも何度か会った事がある・・・尤も常に素顔は隠していたから分かなくても無理はない」 「・・・・・・え、・・・それって・・・? ・・・・・・ッ、・・・え、まさか君、・・・・・・ロイドなの!?」 「そうだ」 ルディは目を見開き絶句した。 まさか彼の素顔がここまでレイと似ていると誰が思うだろう。 確かに一切喋らず素顔を見せないロイドに関しては、様々な憶測が飛んでいた時期があった。 しかし、ロイドの顔には酷い火傷の痕があると、その時に口もきけなくなったのだというクラウザーの言葉が皆を納得させたのだ。 そこでルディはハッとする。 ならば・・・クラウザー様も僕たちを騙してたのか・・・? クラウザーがロイドの素顔を知らなかったとは考えられない。 大体、今回のレイの捕獲命令に関しては素性の知れない女までが参加していて、最初から気が乗らなかったのだ。 あの女、伊予だ。 バーンは気に入ってたようだが、あの男は女というだけで浮かれて警戒心が無くなるタイプだから論外・・・、命令には忠実だったがどうも胡散臭かった。 伊予も胡散臭いが、こうなるとクラウザーも胡散臭くなる。 何にしても、この様子ではロイドはレイの手に堕ちたということなのだろう。 もはや裏切り者以外の何者でもない。 そう言えばレイが着ていたのは自分と同じ琥珀色の制服で、入手先は限られたはずだ。 まさか2人は入れ替わっていたのか? これだけ似てるんだ・・・僕がもしレイと同じ顔で彼に味方するというならそう考えるだろう。 「君たちを騙した事に関して、弁解する余地はないと思っている」 「・・・ていうか、そもそも何でそんなにレイと似てるの? 赤の他人って言うには無理があるよ、一体どうなってるわけ?」 「・・・・・・」 「まぁ、別に答えなくていいよ。君のことはバアルに戻ったら上に報告するだけだ、これ以上余計な事に関わってるとレイを見失うからね」 「ルディ、・・・レイは恐らく君が思っているような男ではない」 「だから気易く呼ばないでよ、・・・・言っておくけどレイの事は僕の方が詳しいよ。憎む理由だってある」 そう言うと、あれ程弱々しかったのが嘘のように、ルディは雪に埋まった自分の足を力強く引き抜く。 先ほどの補給によるものだけではなく、怒りも加わり彼の動力となっているのかもしれない。 「・・・それでも、君はレイを誤解していると思う」 徐々にルディの周囲に巡る風が力強くなり、空に舞い上がったところで、背中から静かに訴える声を聞いた。 心臓に悪いくらいレイにそっくりな声だ。 此処でこの男を放置してもいいのか・・・ルディの中に迷いが生まれる。 けれど、手負いの自分がロイドに勝てるわけがない。 彼にはバーンもスレイトも一目を置き、クラウザーさえ特別扱いしていたほどだった。 考えるな、僕はレイを追いかけると決めた。 公算があるわけでもない、ただ目的は最初からレイだっただけだ。 「人のことより自分の心配でもしたら? 精々自分のしたことを後悔すればいいよ」 ルディはそれだけ叫んで流れる風を身に纏いながら、一気に天高くまで舞い上がる。 振り返ることなく風音に紛れてその身が消えてしまうまでは一瞬のこと・・・レイドックはルディの姿が見えなくなっても暫くはその場から動かなかった。 「・・・レイドック様・・・」 やがて、雪の中に埋もれたニーナが静かに起き上がる。 彼女の近くに落下したバティンも起き上がってくるのを目にして、レイドックは密かに胸を撫で下ろす。 そして、ビオラを抱える自分の腕に少しだけ力を込めた。 温かい・・・彼女の吐く息が白い。 これが生きていると言わなくてなんというのだろう・・・ 「ニーナ、・・・ビオラの世話はずっと君が?」 「・・・は、はい」 「そうか・・・、ありがとう」 「は・・・・」 「・・・ありがとう」 「・・・・・・っ」 ニーナは感極まって大粒の涙をぼろぼろと零す。 首を振って頭を下げ続ける彼女の方へ足を向け、レイドックは眼を細める。 「君たちをレイが言う場所まで送り届けたい。それから・・・、ビオラをもう一度、君たちに任せてもいいだろうか」 「・・・え、・・・レイドック様は・・・」 レイドックは見上げる二人に穏やかに微笑を浮かべた。 「あの子の、レイの傍に・・・、今少し寄り添いたいと思う」 「・・・っ」 「・・・・・せめて、あの子だけには思うままに生きてもらいたい」 「・・・レイ、ドック様・・・」 「未だレイの身体には見えない鎖が巻き付いている。その枷を断ち切らなければ、いずれは身動きがとれないまま本当に壊れてしまう。・・・・・・不幸の連鎖は俺達で終わらせなければならないものだった。これ以上、何も知らないあの子に背負わせるわけにはいかない」 「・・・っ」 「全ての罪は俺にある。・・・・君たちなら、この言葉の意味が分かるはずだ」 その瞳は有無を言わせぬ強さがあり、ニーナもバティンも彼の表情に息を飲む。 二人はただ頭を下げて、唇を震わせ沈黙した。 その姿はまるで"主人に跪く臣僕"のようでもあった。 レイドックはビオラを抱きしめ、その頬に唇を寄せる。 どこを見ているわけでもない彼女の瞳が、ゆっくりと瞬いていた。 「もう・・・終わらせなくては・・・・・・」 レイドックの瞳は、空に消えたレイを追いかけるように遠くを見つめている。 風が吹き抜ける。 それは、何かが始まる合図だったのかもしれない─── 第9話へつづく Copyright 2012 桜井さくや. 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