○第8話○ 孤独な傷痕(その3)
───2日目───
雪は一晩中続いたが、夜が明けても一向に止む気配を見せなかった。
ルディはそう言う感覚がとても鋭いようで、窓の外を眺めながら『今夜もこのまま吹雪くよ』と昼頃に言われ、美久はすっかり落胆してしまう。
一体いつになったら星空が見られるんだろう。
ここに来て2日目となるこの日は、どうやらこのまま一歩も外に出られずに終わってしまいそうだった。
焦る気持ちは相変わらずだが、だからといって無闇に外に出ても何処へ向かえばいいのか分からず遭難するだけだろう。
どちらにしてもレイの居場所が分かる可能性のあるルディを頼らなければ前にも進めず、結局のところ美久には出来る事は何もない。
けれど、こうしている間にも大変な事がレイの身に降りかかっているかもしれないと思うと堪らなく不安で、自分の無力さを痛感するばかりだった。
「ミクって忙しいよね」
夜、並べた布団にそれぞれ潜ってから少しして、唐突にルディがそう言った。
ルディは羽毛の掛け布団から顔を半分だけ出して此方をじっと見ている。
結局男なのか女なのか分からないままだったが、こうして布団を並べて寝ても女の子と一緒にいるみたいで、抵抗なくこうして2日目も普通に過ごしてしまっていた。
黙っていると何も反応が無いのに焦れたのか、ルディは『ねぇ、聞いてる? 聞いてる?』と布団を引っ張てきて思わず笑みを漏らしてしまう。
怒りそうだから言わないけれど、仕草がいちいち可愛いのだ。
「忙しくないよ?」
ルディの方に顔を向けながら答えると、ルディは少し不満そうな顔を見せた。
そんな顔をされても、今日一日は何もする事が無くて暇を持て余していたのに、忙しいなんて首を傾げてしまう。
「だって寝る前と起きてから顔を洗って、朝と昼と夜に何か食べて、飲み物のんでトイレに行って、食べたからってハミガキっていうのもしなきゃいけなくて。そしたら掃除も始めるし何だか動いてばっかりだったよ」
「・・・そう、・・・かな」
「あ! あと、気温に敏感。薄着で震えてたし寒いのかなって思ってたけど、あの『すとーぶ』ってヤツ、あんな装置が必要なくらい寒いなんて思わなかった!」
「・・・・・・」
「でもアレ、楽しいよね。上に『やかん』乗せるとピーって鳴るの。でもミクはそのお湯で『おちゃ』を作って飲むからまたトイレに行かなきゃいけなくて、やっぱり忙しいよね」
「・・・そうだね」
其処まで聞いて、美久は今日の一連のルディの動きに漸く納得がいった思いがした。
朝から何をするにも興味津々で、やたらとついてきたのはそう言う事だったのかと・・・流石にトイレまで押し入ろうとしてきたのには焦ったが。
けれどそれは、自分にとって当たり前の事がルディには当たり前じゃないということを意味するのだ。
それらはレイにも丸ごと当てはまり、もしかしたら彼もそんな風に思っていたのかもしれないと思うと何だか可笑しくもあった。
「じゃあ、普段のルディは一日をどう過ごすの?」
「えー? 何もやる事が無ければ寝てるだけだし、ボーッとしてるだけの日も多いよ。でも時々一週間以上寝ないこともあるけどね」
「・・・・・・それは・・・、極端だね」
「そう? 軍人ってそういうものだよ?」
「・・・え? ・・・・・・っ、・・・あ」
言われて気がついた。
そうだ、最初にルディを見たとき、確かに着ているものが軍服のようだと思ったのだ。
だけどこういう服装を見ても全然ピンと来なかったのと、この服の色・・・琥珀色とでもいうんだろうか・・・結構目立っていて、どちらかというとコスプレのようにも見えてしまったからだ。
「あの・・・聞いていい? ルディはその、寝ないで何をするの?」
「ん? もちろん防衛と応戦でしょ、時々小さな内戦も起こるし他国との小競り合いはしょっちゅうだもん」
「・・・・・・それって・・・、レイが連れて行かれた場所の話・・・だよね?」
「そうだよ、大きな国だけどそれなりに安定してる」
「・・・争いが起こっても?」
「ふふっ、へんなの」
「どうして?」
「そんな事聞かれたの初めて。考えた事無かったよ」
「・・・」
「だって小さな争いなんて大した問題じゃないでしょ」
ルディの言葉は良く理解できなかった。
争いの大きさの差すらも想像出来ないのだ。
あっさりと問題じゃないと言ってしまえるルディの感覚に美久が同調できるわけがなかった。
たぶん、こういう事ひとつとっても自分の普通はルディと違うのだ。
生まれ育った環境は人それぞれで、そうなれば自分の常識は相手の非常識に成り得ることもあるんだろう。
争いの何たるかも知らない自分が理想論だけを振りかざしたって何一つ説得力を持たない、お前に何が分かると言われたらそれでおしまいだ。
・・・だったら、レイはどう思ってたんだろう?
一緒に学校通って、同じ場所で生きて、全然違う環境に戸惑ったりしたのかな・・・どこにいても目立つ存在だったけど、何でも普通にこなしてたから想像できないよ。
・・・・・・会いたいな・・・すごく会いたいよ・・・、はやく、そばに行きたい・・・
たくさん、・・・・・・レイの話、
・・・・・・聞きたい、よ・・・・・・───
「・・・・・・ミク・・・、寝ちゃったの?」
いつの間にか美久が寝息を立てているので、ルディが確認するように問いかける。
返事は無く、すっかり寝入ってしまった様子を青と緑の瞳が不思議そうに見つめていた。
ふと、ルディは部屋の隅に無造作に置かれた美久のバッグに視線を移し、此処に来てから一度も彼女がそれに触れていない事に首をひねる。
確かに美久に返したのは鍵だけだ。
だが、元々自分のものなのだからこっそり取り返そうと考えても良さそうなものに、そんな素振りひとつ見せないのが不思議だった。
要らないわけではないというのは分かっている。
日に何度もキーケースを見つめては泣きそうな顔でレイを恋しがっている美久を度々目撃した。
もっと姑息な真似をしてくれなきゃ・・・
沢山いじめるつもりだったのに、普通に会話して笑ってるなんて調子が狂いっぱなしだよ。
「・・・・・・・・・ねぇ、もっと警戒しなよ」
ぽつんと呟き、上体を起こして美久の傍に近づき頬杖をつく。
無防備な寝顔を息がかかるほどの至近距離で眺めながら、美久の瞼や頬や鼻や唇を指の先で触れていく。
「・・・・・・どーしてすんなり馴染んでんの」
「・・・、ん・・・・・・スー、スー・・・」
「こっちはお腹空いて無いのに、味見したくて堪らないんだよ・・・?」
ぺろ、首筋を少しだけ舐めて様子を窺うと、一回だけピクッと反応したが、直ぐに規則正しい寝息に変わった。
「・・・・・・美味しそうなくせに・・・」
今度は味わうようにぺろぺろと舐めてみた。
けれど、身じろぎをするだけでそれ以上の反応は返ってこない。
ルディは諦めたように『へんなの』と呟き、そのまま美久の布団へと身体を潜り込ませた。
中は凄く温かくてふわふわで、急激に睡魔が襲ってきて大きな欠伸がでた。
へんなの、へんなの、へんな女、
こんなあったかいの・・・・反則だよ・・・・・
「・・・ん〜・・・・・・、おっぱい、きもちー・・・・・・」
あっという間にルディの意識は飛び、二人の寝息が規則正しいリズムとなって静かな部屋に小さく響く。
こんな状況をレイが見たら激怒するに違いないが、無防備すぎる美久にも問題が無いとは言えないだろう。
寝入る直前のルディの発言の真意は不明にしても、やましい気持ちを持って布団に滑り込んできたわけではなさそうだった。
そうして胸に顔を埋められた美久だったが、朝起きたときは既にルディは家の外で雪だるまを作って遊んでいたので、結局何一つ気づくこともなく3日目を迎えることとなったのである。
▽ ▽ ▽ ▽
───3日目───
この日は昨日までの吹雪が嘘のように、雲一つ無い青空が広がっていた。
冷たい水で顔を洗って眠気を飛ばすと窓から降り注ぐ光に美久は眼を細める。
窓の向こうではルディがひとり雪と戯れ、大きな雪玉の上にそれよりも大きな雪玉を乗せようとしていた。
ルディと同じくらいの大きさは有りそうな雪玉をいとも容易く持ち上げている姿に目を見張ったが、胴体よりも頭の方が遙かに大きい雪だるまはバランスが悪く、上に乗せた雪玉はゴロッと地面にこぼれ落ちて、無情にもパカッと半分に割れてしまった。
「・・・・・・ぶっ」
いきなりの衝撃展開に美久は吹き出し、可笑しくて肩を震わせて笑ってしまう。
ルディは『あーーー』と叫ぶと、残った雪玉と割れた雪玉を罵倒しながらグシャグシャと踏んづけて無かったことにしようとしている。
そして、足を器用に動かして証拠隠滅を謀ったところで、窓の向こうに立つ美久の姿が視界に入ったらしい。
トンと雪を蹴り上げフワリと飛び上がると、くるんと一度だけ身体を回転させてから窓の近くへ音もなく着地をして見せた。
「ミク!」
まさか一足飛びにやってくるなんて思わなかったので、笑っている顔を手で隠して横を向き、何度か大きく息を吸って自分を落ち着けてから改めて振り向く。
しかし、ルディは美久の顔を見るや否や目を丸くして、少しおどおどした様子で此方を見上げている。
どうしたんだろうと首を傾げていると、
「・・・な、・・・泣いてるの、か?」
「え?」
言われて気がついた。
指で目尻を拭くと確かに目に涙が溜まっている・・・、笑いすぎでとは言わない方がいいかもしれない。
泣いてないとしか答えることが出来ず首を振ると、
「何だよ心配させて・・・」
そう言ったルディはハッとして慌てて口を押さえた。
「べ、別に・・・っ、心配なんて、してないけど」
言い方が凄く可愛らしくて、美久は『ありがとう』と笑いかける。
すると、居心地悪そうにきょろきょろと視線を彷徨わせ、本当に調子が狂う女だと、ルディは拗ねたように口を尖らせてそっぽを向いた。
真っ白な髪が風にゆらゆら揺らいで輝いてとても綺麗だ。
それに、シャツを肘まで腕まくりして白い肌を晒しているのに、ちっとも寒そうにしていないから、もしかして外は結構温かいのだろうかと思った。
「わ・・・、冷たい風」
窓を少しだけ開けた途端吹き込む冷たい風に思わず身を竦ませる。
それに驚いたルディは、窓の隙間を埋めるようにピタッと自分の身体を張り付かせた。
「何してんの? 寒いんでしょ、閉めたら」
「・・・ルディ、今日は星が見えるかな」
「え? ・・・まだわかんないよ。風が変わらなければ見られるんじゃない」
「何で怒ってるの?」
「窓開けるから」
「だめなの?」
「寒いくせに」
「うん・・・、じゃあ閉めるからルディも中に戻ろうよ」
「・・・、・・・べ、べつに、・・・いーけど、戻ってやっても。・・・いや、むしろ戻るところだったし」
そう言ってルディは少しだけ開いていた窓をさり気なさを装って閉めると、そのまま玄関の方へと向かった。
美久はその後ろ姿を見送りながら、いつの間にか自分の顔が笑っていることに気がつく。
所々に見せるルディの優しさが美久の心を軽くしているのは確かだ。
漂う雰囲気は確かに人のそれとは違う気がするのに、威圧するわけでもなく、恐怖を与えるわけでもないルディは、微笑ましかったり頼もしかったりと一緒にいるのが凄く楽だった。
たぶん、ひとりで放り出されたら身動きが取れなくなっていただろうな。
こんな事を考えているなんて知ったらレイは怒るかもしれないが、安否さえ分からない相手を不安に駆られながら待っているだけだったら、此処に来た途端に無理に前に進もうとしていたかもしれない。
吹雪にも気づけず、闇雲に歩き回って雪の中を遭難していたら呆気なく自分は死んでいただろう。
変な話だがこうして冷静でいられるのは、一人ではなかったからだと思えるのだ。
そしてそんなことを考えているうちに・・・ふと、ルディがなかなか家に戻ってこない事に疑問を感じた。
窓から玄関までなんて大した距離じゃない。
ましてあんなに身が軽いルディなら、それこそ2、3歩もあれば充分なんじゃないかと思える距離だ。
「・・・ルディ、どうしたの?」
まだ遊び足りないのだろうか・・・?
不思議に思って玄関に降りて扉を開ける。
「〜〜〜ッ、さ、・・・寒・・・っ」
凍えそうな冷え込みに堪えられず一旦中に戻ると、ルディから借りている上着を羽織ってもう一度外に出た。
「ルディ?」
きょろきょろと辺りを見回すが影も形もない。
靴跡を探したが、窓から家に向かう足跡があるものの、それは途中で途切れていた。
・・・と、
「きゃあっ!?」
突然腕を掴まれ、後ろから身体ごと宙へ攫われる。
ぐるっと回転する視界に軽い目眩を起こしていると、耳元でそっと囁く声がした。
「・・・ミク、聞いて」
「ルディ!?」
声はルディだった。
後ろから身動きできない程強く抱きしめられ、その声は今まで聞いたことないくらい硬く緊張している。
そのまま周囲の様子を見渡すと、とても高い位置に立っている事を知ってギョッとした。
・・・何、・・・ここ、・・・屋根の上!?
「ミク、落ち着いて聞いて」
「・・・な、何か・・・あったの?」
「凄く・・・、嫌なかんじなんだ。たぶん、風に混じって何かが近づいてる」
「・・・・・・っ」
ルディはそれきり押し黙り、何かを探るように息を潜めている。
全身で神経を尖らせているのが分かって、緊張が伝わってくるようだった。