『約束』

○第8話○ 孤独な傷痕(その4)







「・・・此処に初めて来たとき、僕がなんて言ったかミクは憶えてる?」

 ルディは暫く沈黙していたが、少しして周囲を警戒しながら緊張した声でそう問いかける。


「え?」

「レイはよほど僕たちから君を隠したいみたいだって」

「・・・あ、うん・・・、何となく憶えてる」

「実を言うとさ、最初から気になってた事があったんだ。こんなにだだっ広い平原なんて特に珍しくもないけど、空気が異様に澄んでるっていうか・・・もしかしたら此処は、本来は何か特別な意味を持つ場所だったのかもしれないな。・・・たぶんレイもそれに気づいてこの場所に目をつけたんだろうけど、レイ自身の力も加わって凄い場所になっちゃってる。強力な守護の中に存在しているっていうか・・・だから、普通なら近づくことすら出来ないはずなんだ」

「・・・だったら・・・、・・・・・・」

 けれど、ルディの表情は硬い。
 まさか、普通じゃない何かが近づいてるってことだろうか。
 此処から向こうまで見ても特にそういう光景を目にすることは出来ない。
 それともルディには何かが見えてるのだろうか?


「いい? 今からミクは中に戻って、すぐに鍵を閉めるんだ。そしたら何があっても絶対に扉を開けちゃダメだよ」

 そう言うと、ルディは美久を抱えて屋根からフワリと飛び降りた。
 流れるような動作で家の中へ押し込まれ、美久をひとり残してすぐに閉まりかける扉を目にしてハッとする。
 美久は寸前の所で思い切り力を籠めてそれを拒んだ。


「ミク、何してるの!? はやく閉めて鍵をかけ・・・」

「ねぇ、ルディは?」

「僕のことはいいんだよ」

「いやだよ、危ないならルディも一緒に」

「・・・ッ、何を勘違いしてるか知らないけど、ミクと一緒には行動しないってだけで僕ひとりならやれることがあるんだよ!」

「・・・・・・っ」

「そう、だから扉を閉めて、はやく」

「・・・・・・」

 怖いくらい真剣な眼差しのルディからは一刻の猶予もない様子が窺えた。
 確かに身軽なルディなら何かが出来るのかもしれない。
 少なくともこんな時に自分が一緒に動いたって足手まといになるだけだ。
 けれど・・・不安で堪らず固まっていると、扉の隙間からルディの手が美久の手に重なった。
 温かい手の感触に力が緩むと、その隙に手は離れ扉がぱたんと閉じられてしまう。


「・・・・・・さぁ、鍵を掛けて」

「でも・・・っ」

「言うことを聞いて、頼むから困らせないでよ」

「・・・っ」

 声が・・・凄く優しかった。
 まるで子供を宥めるように、そんな声今まで出さなかったくせに。
 美久はひたすら葛藤していたが、本当にこれでいいのか分からないまま震える手で鍵を閉めた。


「・・・ちゃんと閉めたね。・・・じゃあ、今から言うことを忘れないで」

「る、ルディ・・・」

「恐らく何かが侵入しようとしたら、ソレを排除しようとこの土地自身が拒絶する。それは音で分かるのか、空気が震えるのか、それとも大地が揺れるのか僕には分からない。・・・でも、その瞬間を利用して出来る限り相手を僕に惹きつけて遠くに誘導しようと思う」

「・・・・・・っ」

「それで・・・、相手を撒いたら此処に戻るよ」

「ほ、・・・ほんとう?」

 扉にかじりつくようにしてルディの言葉に縋り付く。
 ルディは小さく『ホントだよ』と呟き、コン、と静かに扉を叩いた。


「いいね、5回・3回・5回の順で扉を叩いたら僕。・・・それ以外は開けちゃダメ」

「・・・うん」

「怖かったら押し入れの中に隠れたらいいよ」

「・・・うん」

「・・・・・・それから、・・・晴れたら、一緒に星を見よう」

「・・・・・・うん・・・っ」

 

 ───ドォオオオオオオオ、・・・ン・・・・・・ッ・・・


「・・・───ッ!?」

 突然の大きな音に、美久は身を固くする。
 唸るような低い音がした直後、地面が大きく揺らいで扉が小刻みに揺れた。
 空気がビリビリと震え、揺れに対応できずに美久はその場に倒れ込む。


 ───オォオオオオオンン・・・

 ───・・・ォォォオオオオオオオオオオ・・・・・・

 ───ドォオオオオオオオオオ・・・・・・ン・・・


 続けざまに地の底から響く大地の唸り声が聞こえる。
 立ち上がる事も出来ない大きな揺れが断続的に起こり、傍にあった柱にしがみつくのが精一杯だった。
 そして、数回に渡る地響きの後に訪れた不気味なまでの静寂で、美久は"それ"が何を意味をしていたのか漸く理解した。


「ルディ、ルディ、・・・ルディ!!!」

 既にそこには誰もいないのか、柱にしがみつきながら叫んでも扉の向こうから返答はない。
 聞こえるのは急に強くなった風音だけだ。
 昨日の吹雪など比べものにならないくらいの轟音が空気を切り裂き始めていた。


「・・・・・・・ルディ・・・っ」

 美久はガタガタと震えながら立ち上がり、壁に手を掛けよろめきながらも先ほどまでルディと会話していた窓へ向かう。
 外に出てはいけないというなら、せめて家の中から外の様子を確かめたい。
 しかし、部屋に戻るとそこは闇夜を思わせるほど暗くなっていて、違う場所に紛れ込んでしまったと思えるほど空気が変わっていた。
 日が差し込んで明るかったのが嘘のように、窓の外はどす黒い雲が渦を巻きながら空を覆い尽くし、雷鳴が響き始めていたのだ。
 これでは何が起きているのか全く分からない。
 それどころか、この世の光景とは思えない外の世界はただただ恐ろしい。

 たしかに、・・・こんな状況で誰かを・・・まして私を連れて行くなんてありえない。
 だけど・・・、ルディはこの中をたった一人で・・・?

 轟音と、地面に突き刺さる雷が地響きとなって部屋を揺らす。
 その度に身を縮ませて耳を塞ぎ、悲鳴をあげた。

 ルディは無事だろうか・・・?
 何が起こっているのかも分からない、何を相手にしているのかも分からない。

 ひとつ分かるのは、ルディの行動は自分自身が逃げる為のものではなかったということだ。
 囮になろうと考えたからこそ、ルディは相手を自分に引きつける為にひとりで行ってしまった。
 危険だと思うならひとりで逃げればいい、あれだけ身軽ならそれも可能なはずなのに何故かルディはそうしなかった。


「・・・・・・どう・・・しよう・・・っ」

 本当に、自分は無力だ。
 レイが連れて行かれるのを阻むことも出来ず、会って間もないルディに庇われている。
 もし何かあったらどうしよう。
 取り返しのつかない事になったらどうしよう。
 ガタガタ震えながら、どす黒い雲から地面に向かって突き刺さる稲妻の向こうに眼を懲らす。
 突風が時折家を揺らし、壁にしがみつきながらこのどこかに居るかも知れないルディを必死で探した。


 ───・・・コン・・・ッ、

 ふと、荒れ狂う外の音に紛れて、扉を叩く音が聞こえた気がした。


「・・・───っ」

 息を潜め、耳をそばだてる。
 一度だけでは風に飛ばされてきた何かが扉に当たっただけかもしれない。
 下手に動いて音をたてたら駄目だ、もし誰かいるなら、それがルディじゃなかったら・・・


 ───・・・コン・・・コン、コン


 ・・・ちがう。
 これ・・・本当に、誰かが叩いてるんだ。


 ───・・・コン、コン・・・


 自分の心臓がどくどくと脈打っているのが聞こえた。
 それなのに血の気が引いて、身体の芯から冷えていく。
 叩く回数が全然違うのだ。
 ルディは5回・3回・5回の順で叩くと言った。
 それなのにこの音は違う回数を適当に叩いているように思える。


 ───ドンッ、ドン、ドン、ドン、ドンッッ!!!!


「・・・───ッ、・・・!!」

 力任せに叩く乱暴な音。

 ルディじゃない。
 これはルディじゃない・・・っ!!!!

 そして・・・ふと、視界の隅で白いものが動いた気がした。
 窓の外、闇のような暗さの中でぼんやりと白いものが。
 ルディの白髪が頭に浮かぶ。
 戻ってきたのだろうか、無事だったんだろうか・・・少しだけ淡い期待が生まれた。
 その直後から聞こえる、サク・・・、サク・・・、サク・・・雪を踏む足音。
 確実に何かがいるのは確かだった。

 だが・・・、

 ───コツン、

 不意に窓を叩く音がして、ハッとする。
 見上げた先には・・・


「──────ッッ!!!!!!」

 窓の向こうには白い着物を着た見知らぬ男がいた。
 度を超えた恐怖で、美久は声にならない悲鳴しかあげられない。
 長い黒髪を風で乱し、暗闇の中で光る紅い双眸が真っすぐに美久を見下ろしていたのだ。







その5へつづく


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