『約束』

○第8話○ 孤独な傷痕(その7)







 軍靴の音を響かせて長い宮殿の廊下を通り過ぎていく間、レイの頭の中には足枷をつけられた男の姿がちらつき、一刻も早くあの場所から遠ざかろうと無意識に早足になっていた。
 しかし長い廊下を通り抜けて行くと、何とも言えない微妙な視線が自分に向けられていることに次第に違和感を抱き始める。
 極力目立たないよう他の兵士に紛れながら歩いているというのに、わざわざ立ち止まってじろじろと此方を見ている連中までいるのだ。
 気のせいと片付けるにはそれらの視線は随分あからさまで、まさか怪しまれているのだろうかと肝を冷やしたが、特に騒ぎになることは無く、身につけたマスクを思いだして成る程これが原因かもしれないと考え直した。


「おーい!」

 階段を降りたところで、廊下の向こうから此方に向かって手を振って大声をあげる男がいた。
 レイの近くには他にも何人か軍服を着た者がおり、敢えて反応する必要もないとそのまま更に階段を下ろうとする。


「ぅおおおいっ、今こっち見ただろッ、無視すんなっ!! ロイドォオオオ!!!!」

 男は何やら叫びながら此方へ走ってくる。
 周囲にいた兵士達は一様に顔を見合わせ、その場から数歩ずつ下がって廊下の隅で直立した。
 走り寄ってくる男は恐らく彼らよりも階級の高い軍人なのだろう。
 何となく理解したレイはとりあえず自分はどうすべきかと考え、ひとまずその場をやり過ごそうと一旦立ち止まってみる。


「よう、ロイド。相変わらず素っ気ないヤツめ! お前、通り過ぎるつもりだったろ」

「・・・・・・」

「ってか、わざわざ下士官に紛れて何やってんだよ、コイツら困ってんじゃん」

 ぽんと肩を叩かれ屈託のない顔で笑いかけられる。
 右頬に赤い刺青が彫られ、蜂蜜色の緩やかな癖のある髪に灰色の瞳、当然ながら全く見覚えのない男だ。
 しかし、よく見れば今自分が着ているのと同じタイプの琥珀色の軍服。
 そういえば此処まで来る間、同様の制服を着ている者は見なかった。
 大抵は丁度その辺を歩いている者達のような藍色か深い緑のもので・・・

 あぁ・・・もしかして制服が珍しくてじろじろと見られてたのか?

 今になって漸くその事に気がつき、ひとり納得する。
 そして、話しかけた相手がそんな事を考えているなど知る由もない男はきょろきょろと周囲を見回し、近くにいた兵士達には『散れ、散れ』と手で合図を送りながら、レイの腕を引っ張って近場の柱まで強引に連れて行く。


「なぁ、この三日、どこ行ってたんだよ。レイを連れ戻したのお前だろ?」

「・・・・・・」

「俺なんてスレイトと二人でレイをちょっと追いつめて終わりだったのに、お手柄ひとりじめだもんなぁ。あの後大変だったんだぜ? トンズラするには暴れすぎたみたいで建物が滅茶苦茶になっちゃって。ま、適当に片付けたけどな。そんで戻ってきたらロイドはお手柄で本人不在だろ〜、俺なんて此処の二階までしか歩き回る許しが出なくて、まるで軟禁状態! しかもどういうわけか待機の命令が伝わってきて、まだ自分の屋敷に帰れないんだよ! 普段は北の棟でひっそり集まって解散なのに今回に限って宮殿本体に待機って変だよなぁ。・・・伊予ちゃんは見つからないし、肝心のクラウザー様もどっか行ったっていうし・・・、あ、そうだ、此処だけの話だけど、ルディのヤツ何か企んでるみたいだぞ。自分なりのやりかたでレイを追いつめるとか言って消えたままなんだよ、もう捕まったってのに」

「・・・・・・」

「アイツってさ、どうも信用出来ないんだよなぁ・・・そもそも平民出のヤツと上級貴族出身の俺が何で同じ扱いなわけ? 絶対裏があるだろ、何か汚い手を使ったとかさぁ・・・だって、性格はともかくあの顔だもんな、男って分かっててもフラフラ〜っと惑わされそうじゃん、お偉方の一人や二人・・・っぐえぇ〜ッ!?」

 ペラペラと聞いてもいないことを話し続けていた男の背後から突然ヌッと腕が伸び、男は苦しそうにうめき声を上げた。
 見れば男の後ろにもう一人見知らぬ男がいて、静かな顔で首を締め上げている。


「ぐ、ぐるじぃ・・・ッ、なにすんだよっ、スレイト!!」

「・・・バーン・・・何度言ったら分かる。お前は声が大きい、内緒話をしたいなら防音の効いた場所でしろ。廊下の向こうまで聞こえたぞ」

「えっ、・・・そう?」

 腕を外しながら呆れ顔で男が溜め息を吐く。
 おしゃべりなもう一人は誤魔化すようにへらへらと笑っている。
 レイは新たに現れた男に視線を移し、黙ってその姿を観察するように見つめた。
 彼も同じ琥珀色の軍服だ。
 会話の内容で推測出来るのは、この男がスレイト、おしゃべりな方がバーン。
 左頬に施された青い刺青の模様がバーンと対称に彫られている。
 しかも、バーンと違って直毛だが同じ蜂蜜色の髪や灰色の瞳は鋭く、雰囲気は全く違うがどことなく顔立ちも似ていることから二人は血縁者なのかもしれないと思った。


「バーンの一方的な話につき合わせて悪かった。この三日は家に帰れず不満が募っているんだ」

「そ、そういうわけじゃっ、俺は情報提供を・・・っ」

「単に暇を持て余していただけだろう?」

「・・・ッ、う、うるせー」

「それよりロイド。下でクラウザー様に会った。君を探しているみたいだったが」

「・・・・・・」

 レイは頷き、そのまま二人に背を向けて歩き出す。
 今までのやりとりから特に疑いを持たれているわけでもないようだが、二人の視線が背中に刺さっているのがよく分かる。
 気を抜いてはいけない相手だと言うことは対峙して分かったが、殆ど何も理解しないまま部屋から飛び出した自分の立ち位置の危うさに改めて舌打ちしたい気分だった。


「ロイドってさぁ・・・やけに目を惹くよな。マスクが目立つとか、そういうんじゃなくて。俺、アイツが群衆に紛れてても見つける自信ある」

 廊下の奥へ消えたレイの後ろ姿を見送った後、ポツリとバーンが呟いた。
 それを聞いて、スレイトは見えなくなった背中を探すように眼を細め、『そうだな』と僅かに頷く。
 少なくとも彼らは今のが捕まえたはずのレイだったとは考えていないようだった。
 視線が鋭いのは謂わば軍人として長年染みついた癖に過ぎず、二人はそのまま奥のサロンへと退屈そうに姿を消した。


 一方、レイはそんな会話など知る由もなく、足早に廊下を通り抜けながら出来るだけ人気のない場所を求めて歩き回っていた。
 すれ違う兵士が自分を見て振り返るのが、どうしても目立っているような気がして落ち着かないのだ。
 恐らくそれは制服の色が違うという問題だけではなく、バーンが呟いた通り、存在そのものが目立つという意味もあるのだろうが、レイにそれが分かるはずもない。
 近場の窓から見える広大な庭に意識を向けると、廊下の先にあるバルコニーが目に入る。

 外にいた方が少しはマシか・・・

 下の階にはクラウザーがいると聞いたばかりだ。
 ばったり会えば面倒な事になるかもしれず、兎に角今は極力人目を避けたかった。
 それに、他人に成りすましたところで相手を知らなさすぎるのもかなりまずい。
 なにせロイドと呼ばれても、それがあの男の名だと言うことすら分からず反応出来なかったのだ。
 男がどんな交友関係を持ち、どんな立場にある人物なのか掴めていない状況では行動範囲を広げるのは危険すぎて、いつまた誰とも知れない相手に話しかけられるか分かったものではない。
 とにかく頭の中を一端整理したい。
 今の話を含めて少し冷静に考える時間が欲しかった。
 レイは周囲に誰もいない事を確認すると素早く扉を開け、身体を滑り込ませてバルコニーに足を踏み入れた。
 穏やかな風が肌を撫で、陽の光に輝くレイの髪が柔らかく揺らいだ。
 ゆっくりと左右を確認しながら先端まで歩き、そのまま音もなく手摺りを越えて下の芝生へと一気に飛び降りる。
 音ひとつ立てずに着地して周囲をぐるりと見回し、辺りの気配を探ったが、この辺りは警備が手薄らしく、数える程度の兵士が巡回しているだけで過度の警戒は必要なさそうだった。
 レイは広大な庭の一角にひっそりと咲き誇る白い花々を見て懐かし気に眼を細め、出来るだけ柱の陰に隠れるようにしてその場に腰掛けた。

 ───どうする、この姿でも逃げるのは目立ちそうだ・・・

 クラークの目をかいくぐって部屋を出たまでは良いが、制服ひとつでこんなに目立つのは予想外だった。
 そのうえ先ほどのように気易く話しかけられても、自分が相手を知らない限り最低限の反応すら示せない事も痛い。
 確かにあの男は『誰に対しても黙って話を聞いていればいい』と言っていたが、会話せずにやり過ごせという意味なのか、それとも他に意味があるのか一様に解釈することは出来ない。
 今回は黙っていてもやり過ごせたが、次もそれで通用するとは限らない。
 大体、この場所からレイが離れて相当の年月が流れているとはいえ、現在でも自分を知っている者がどれだけ此処にいるのかも分からないのだ。
 声ひとつで正体がばれてしまう可能性はゼロではなく、目立たないようにするのが一番の得策なのだ。

 ・・・それにしても、あの口が軽い男、バーンと言ったか。
 肝を冷やす羽目にはなったが、あの男から得られたものは大きい。
 あの一方的な会話を翌々思い返せば、かなり重要な内容が含まれていたのは確かだ。
 つまり、あの会話から想像できるのは・・・降り注ぐ炎の塊から美久を抱え逃げていたあの時、どこかにあの2人がいたと言うことだ。
 オレを追いつめて逃げるよう仕向けるのがアイツらの役目だとすると、美久を襲わせたあの女はオレをその罠へとおびき寄せる為のきっかけを任されただけ。
 裸の美久を連れて逃げ込む先なんてたかが知れている。
 彼女の自宅か、もしくは人目のつかない場所・・・どちらにしても彼らにとっては好都合でしかない。
 逃げ込んだ先で、あのロイドという男を使えば目的達成。
 そう考えると実にシンプルな計画だ。
 しかも、一見単純に見えて誰にでも通用する内容でもない。
 こうも容易く追い込まれたのは、オレを良く知っているヤツがそれを考えたからだ。


「・・・また・・・クラウザーか・・・」

 クラウザーに毒を盛られて動きを封じられたレイは、完全に彼の手のひらの上で泳がされる羽目になった。
 まともに動けないレイが捕食者の巣窟のような場所に美久を連れて行く筈がないと、彼は最初から分かっていたのだろう。

 美久は今・・・

 レイはそこまで考えて、苛々した様子で前髪を掻き上げた。
 美久が白髪の男に連れ去られた瞬間を強烈に思い出したのだ。

 憶えてる、アイツ・・・

 古い記憶の中で一人の人物がレイの頭の中を掠める。
 しかしそれは、自分にとっては意外な人物だった。

 アイツ・・・まだ此処にオレが居たときに、下働きで雇われていた男だ。
 確かにルディとかいう名前だった気がする。
 オッドアイで色素のない髪が目立っていたから憶えてる・・・何度か話したこともあったかもしれない。
 いつもおどおどして、失敗が多くて下ばかり向いていた。
 ・・・・・・なんで軍人になったんだ?
 オレを追いつめるって何だ、美久に何かをするつもりなのか・・・?
 美久はあの時、オレが渡したものを取り返そうとしていた。
 朦朧とする意識の中で、美久が必死でアイツを追いかけた後ろ姿をよく憶えてる。
 だとすれば、二人で消えた先はひとつしかない。
 ・・・・・・美久が・・・、こっちに来てる・・・───?

 行き着いた答えに喉を鳴らし、無意識に息を潜める。
 何かがあった場合にと扉の鍵を渡したのは自分だ。
 万が一にも自分が傍を離れるような事になれば、美久ひとりでは対抗のしようがない。
 一度でも目をつけられてしまえば、彼女が標的のひとつから外される保証は何処にもないのだ。
 だから"場所"を用意した。
 当分の間身を隠していても生きていけるよう、必要なものも用意していた。
 此処へやってくる為の鍵は、美久がこの世界に足を踏み入れたのを合図に壊れたはずだ。
 もしも彼女が此処に足を踏み入れるなら、有事以外を想定するのは意味が無かった。
 だからこそ、戻ることも進むことも危険と考え、何もないあの場所に彼女を一人で放り出すとわかっていて、敢えて身動きできないよう絶対に留まらざるをえない環境に閉じこめる必要があった。
 勿論最終的に自分が迎えに行くのが大前提での話だ。
 予想外だったのは、美久がひとりではなかったという一点に尽きる。
 既に3日経っていると、あの男は言っていた。

 まさかもう、アイツの手に掛かって・・・・・・?

 いや・・・どちらにしても餓えれば確実に襲われる。
 軍人なら携帯食くらいは用意している可能性はあるが・・・結局は時間の問題だ。
 レイは咄嗟に立ち上がり、携帯電話を取り出そうと腰に手を当てハッとした。
 当然の事だが服が違うのだ。
 制服に入れて持っていた筈なのだが、此処で目覚めた時には既に違うものへ着替えさせられていた事を思い出し、忌々しそうに奥歯を噛み締めた。
 しかし、この状況で携帯など必要だろうか・・・?
 そもそもこの場所で使用できるとは考えられない。
 もしも通話出来たとしても相手が出るとも限らず、そんなもので何が出来るというのか。
 電池だって残りがどれくらいあるのか、既に切れていたら何の意味もないだろう。
 不要な点を数えた方が早そうだというのに、どういうわけかレイは携帯が無いことに酷く焦っていた。


「・・・・───ッ・・・そうだ、あの男なら・・・・・・」


 あの男なら知っているかもしれない・・・

 レイは顔半分を覆うマスクに手を掛けると、目の前の柱を睨み付ける。
 今の今までどうやって此処から逃れようかと考えていた筈なのに、無理をしてでも取り戻そうとさえ考えている様子は非常に不可解だった。
 彼は立ち上がって一度だけ空を見上げたものの、何をするでもなくそのまま柱の奥へと姿を消してしまう。
 それから日が落ちて不気味なほどの静寂が流れ、漸くレイが物陰から再び姿を現したのは日付が変わる頃になってからだった。






その8へつづく


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