『約束』

○第9話○ それぞれの闇(その1)







 レイ達が消えた後のバアルは、かつて無いほどの喧噪に包まれていた。
 数日前にレイが帰還した時も衝撃は走ったが、空席の状態があまりに長かった為に噂でしか耳にしたことのない者が圧倒的に多く、むしろ生存していたという事実に驚いたといった様子だった。
 今回の件はレイが再び消息を絶ったというだけに留まらず、他にも数名ひき連れて姿を消し、その中にはレイと同じ顔をした男や亡くなったはずのビオラまでがいたことで一気に話は大きくなって広まり、なかなか騒ぎが収まらずにいた。
 しかも、レイ達が姿を消す瞬間はかなりの人数に目撃されており、更には平時からは想像出来ないほど取り乱したクラークがレイとビオラの名を連呼していた姿までも目撃され、噂と片付け誤魔化す限度を超えている。
 ビオラは遙か昔に亡くなった筈ではなかったのか。
 何故、今になって彼女が地下から連れ出され、レイに似た男までがそれに関与しているのか。
 そもそも帰還したというレイは本物だったのか。
 そんな事にまで人々の憶測は山のように膨らみ、宮殿中がその話で持ちきりになり、この話が外に漏れるのは最早時間の問題と言えた。
 しかし、一方ではこれらの喧噪とは対照的に、噂の渦中のクラークの自室は異様なまでの静寂に包まれ、まるで外の出来事とは隔離されているかのような様相を呈していた。


「宮殿内が少々騒がしくなっております。・・・箝口令を敷いた方がよろしいかと」

 部屋に足を踏み入れるなり開口一番に告げたクラウザーの言葉に、クラークはベッドの上で半身を起こして僅かに身じろぎをした。


「・・・あぁ・・・そうだったな。・・・わかっている」

「その件、許可をいただければ私が動きますが」

「あぁ・・・任せる」

 クラークは心此処に非ずといった様子で頷いている。
 長い睫毛が幾度か瞬き、その奥にある美しい碧眼は奥の壁を見つめ続けていた。

 まるで覇気がない・・・抜け殻のようだ。
 本当にどうしたというのか、こんな父上は初めて見る。

 クラウザーはいつもとは違う父の様子に一抹の不安を感じた。


「父上、いくつかの質問を赦していただけますか」

「・・・あぁ」

「見間違えで無ければ、レイが連れ立った者の中にバティンとニーナらしき人物がいたように思えました」

「・・・・・・」

「あまり関わりがあった者達ではなかったので気にかけることはありませんでしたが、彼らはいつの間にか姿を見かける事がなくなりました。・・・しかし、よく思い出してみると、それはレイが宮殿から姿を消した頃と同時期だったようにも思えます。その彼らが今日、レイと共に南の棟の地下牢から彼らは出てきた・・・それはつまり、2人がこれまで地下牢にいたということを意味するのではないか。・・・・・・この推測は間違っていますか?」

「・・・いや、・・・とてもいい推測だ」

 クラークは小さく頷き、輝く金髪を左手で掻き上げる。
 流れる髪がサラサラと肩からこぼれ落ち、その様子をじっと見ていると異様なまでに静かな眼差しのクラークと目があった。


「そう、お前の言う通りだ。・・・更に言えば南の棟の地下牢には重罪人のみが収監される。その意味は計り知れないほど重い」

 そう言うと、クラークはどこか暗い笑みを浮かべる。
 あまり見たことのないその表情に違和感を憶え、クラウザーは僅かに眉をひそめた。


「レイは過去、此処から姿を消した。だがクラウザー、それは自らの意志だったと思うかい?」

「・・・というと?」

「結論を言えば、レイ本人の意志ではなかった。あれはバティンとニーナの画策によって決行された事件だったのだ」

「・・・っ!」

「・・・・・・こんな大罪を、・・・私が赦しておけると思うかい?」

「・・・・、・・・なぜバティンとニーナがそのような行動に?」

「私の考えが気に入らなかったのだろう。レイが大罪を犯す可能性が僅かでもあるというなら、徹底的に正すのが私の役目だ。他人に口出しされる謂われはない」

 父の言葉にクラウザーは口を閉ざしてしまう。
 此処まで聞いていても、クラークの言っている意味がほとんど理解出来なかったのだ。

 レイが大罪を犯す・・・?
 それを正そうとしていた父上に反発して、バティンとニーナが共謀してレイを逃がした・・・・父上はそう言っているのか?

 確かにその言葉は正しく聞こえる。
 だが、此処に居た頃のレイに大罪を犯すような片鱗が果たしてあっただろうかと同時に思う。
 彼の知る限りではそのような片鱗は一切感じたことがないのだ。


「・・・クラウザー、お前が知りたいのはそんな事なのか?」

 考え込んでいると、青い双眸が真っすぐにクラウザーを見上げていた。
 表情が読めず、どこまで踏み込んでいいのか図りかねる。
 それに落ち着いた様子を見せてはいるが、どうもいつもの父の様子とは何かが決定的に違う気がしてならない。
 しかし此方の疑問にここまでクラークが柔軟な姿勢を示す事は珍しく、むざむざこの機を逃す事もないという欲も出てしまう。


「では、あの場にいたもう一人の女性について聞かせていただきたく」

「・・・・・・」

「彼女はビオラ様に極めて酷似していたように見えました。近くで見たわけでは無いので断定まではしませんが、しかしあれ程レイに似た容姿の女性など他にいるものしょうか」

「・・・そうだね」

「では彼女はやはり・・・・・・」

「・・・ああ」

「彼女も地下牢に・・・?」

「私がビオラを牢になど閉じこめるわけがないだろう」

「・・・ですが、彼女が地下牢から出てきた事は紛れもない事実です」

「そうではない、地下牢には更に地下へと通じる道があるのだ。・・・あぁ、それに関しても箝口令を敷かなければならないな。今回の一件で一部の者には知られてしまったが、あれは限られた者だけに教えられる秘密の場所なんだよ」

「・・・・・・」

「あの場所は歴代の王族の墓場になっている。彼女はそこで眠っていただけだ」


 地下牢の更に地下・・・?

 クラウザーは地下牢に足を運んでおらず、スレイトやバーンからの報告も後回しにしていた為にその情報はまだ知らずにいた。
 しかしそれだけでも驚くべき事実だというのに、地下が王族の墓場になっていたなど、これは途轍もない秘密の暴露ではないのか。
 寿命という概念が殆ど無いために死んだ後の事を考える事も無かったが、どのような理由であれ、死ねばどこかで眠る。
 王族であるなら歴代の墓場があっても不思議ではないだろう。

 ・・・しかし、


「私には生きているように見えましたが・・・、これまでビオラ様は墓場におられたのですか?」

「・・・墓場か。まぁ確かにそうだが、彼女が生きていると知られるだけで危害が加えられる可能性を思うとやむを得なかった。・・・だからせめて彼女の為に用意した小部屋では、寂しくないよう常に花々で飾るようにしていた」

「・・・」

「・・・・・クラウザー、お前が見た通りビオラは生きている。だが、もうずっと意識が無いのだ。目は覚めても何も見ない、語りかけても何ひとつ返さない。抱きしめて温もりを感じることで、漸く彼女が生きていると感じられる。・・・わかるか? そんな彼女を表に出してしまえば、今度こそ本当に殺されていただろう」

「・・・っ」

「・・・レイだけなんだよ、あの子だけがビオラを元に戻す事の出来る唯一の希望だ。この世からこぼれ落ちた筈のビオラの命を拾い上げたのは、まだ幼いレイだったんだ。けれど、あの時のレイにはまだビオラを取り戻すほどの力が無かった。・・・・・・だからあの子の力の器が完成されるまでは、彼女を隠しておかなければならなかったんだよ」

 クラークは遠い目で淡々と語る。
 しかし、心此処に非ずといった様子で、心中では既に消えたビオラとレイを追いかけているのだろうか。

 ───『この日を待っていた、黙ってなどいられるものか。・・・レイの器が完成したというのに』

 あれはそういう意味だったのか。
 クラウザーは呆然としながら、あの言葉の意味を少しだけ理解したような気がした。
 だが、それと同時に今の話で新たな疑問も生まれてしまった。
 クラークは先ほど、ビオラが『今度こそ本当に殺されていただろう』と、そう言ったのだ。
 これまで彼女は死んだものと誰もが信じてきたが、今日のことでそれが嘘であったということは既に問いただす意味すらない。
 問題は誰かの手によって彼女が殺される危険を孕んでいたということだ。
 クラウザーはそれがどうしても気になって仕方がない。
 何故なら、クラウザーの中で遠い日に起こった“ある記憶”が、先ほどから頭の中で酷く騒ぎ続けているのだ。


「クラウザー、私からもお前に聞きたいことがある」

 不意に飛ばしていた意識がクラークの声に引き戻される。
 クラウザーは頷き、あくまで受動的な態度を崩すことなく父の言葉を待った。


「レイにそっくりなあの男はいったい何者だ、お前はあの男を従えていたのだろう?」

 想定内の切り返しにクラウザーは僅かに目を伏せ、あくまで事務的に淡々と答えを返す。


「彼の名はロイドといいます。これまで実に従順な働きを見せていただけに、今回の一件は残念でなりません・・・。しかし、今思えば反旗を翻す素養が元々あった可能性があったことも否めず、全て私の不徳の致すところです」

「・・・・・・」

「彼とはレイが"2度目"に姿を消してから間もなく、レイに似た男がいるという情報を得て近づいたのが始まりでした。調べによるとその者の出身地はベリト、父を上級貴族に持つが母は平民出身。その為に特に父方の親族からの猛烈な反対があったものの時期的に堕胎は間に合わず・・・結局、貴族の落とし胤として世間から隔離した生活を余儀なくされたようです。実際にそれに該当する人物が同時期に失踪・行方不明になっている事は確認しています。しかし、彼が本当にその者かどうかを証明する者は誰ひとりおりません」

「どういうことだ?」

「世間の目から遠ざけるために外出を禁じられていたため、彼を知る唯一の存在が母親でした。ですが、彼が失踪する直前に母親は死亡しています。父親に関しては生活が出来るだけの援助はしていたようですが、一度も彼と会ったことはなかったようです」

「・・・・・・なるほど。・・・つまり、あの男が他人の素性を騙っていた可能性があるということか」

「はい、その線が濃厚かと・・・・・・。事実、彼らを追いかけた屋上で私は聞いたのです。バティンとニーナが彼を"レイドック"と呼んでいるのを」

「・・・・・・レイドック・・・?」

「そうです」

 眉を寄せているクラークに、クラウザーは静かに頷いて尚も言葉を続ける。


「しかも、彼らからは過去に何かしらの強い繋がりがあったように感じられました。それも特に感じたのは、強い上下関係です」

「・・・上下関係だと?」

「・・・厳密には、主従関係のようなものではないかと」

「・・・・・・」

「もし、そのような関係が成り立つとすれば、彼らが父上の下に付き従う以前の話かもしれません。私にはそれに関して答えを持ち合わせておりませんが、レイに似た容姿を持った男がビオラ様を連れ去ったという意味を突き詰めるべきかと思います」

「・・・例えばあの男がビオラの血縁者だとでも?」

「あれを他人のそら似と片付けてしまうほうが、余程乱暴な意見ではないでしょうか」

「・・・・・・」

「聞き及んだところによると、ビオラ様も出自の分からない方だったと・・・。バティンとニーナの出自に関しては情報を持っていませんが、もしその情報に偽りがあったとしても、ロイドの例を鑑みれば己の歴史を偽る事はそう出来ないことでは無いのかもしれません」

 クラークは考え込むように目を伏せた。
 金色の睫毛が乳白色の肌に影をつくり、形の良い眉が僅かに寄せられる。
 その姿はまるで一体の彫刻のように現実離れした存在に思えた。
 クラウザーは暫しそんな父の姿を黙って見ていたが、今度は一拍置いて後ろ手に持っていた地図をおもむろに広げ始める。


「父上、これを見ていただけますか?」

 その一言でうっすらとクラークの瞼が開き、青い双眸が静かに一枚の地図を見上げた。
 それはバアルを中心として描かれた何の変哲もない世界地図だった。


「これは私の個人的な見解ですが、彼らはどこか特定の場所に飛ばされたのではないでしょうか」

「・・・どういう意味だ?」

「火花が飛び散る光の塊に彼らは2回に分けて飛び込み、弾ける音と共に忽然と姿を消しました。1度目はバティンとニーナが、2度目はビオラ様とレイとロイド・・・いえ、レイドックと呼ばれたあの男がそれぞれ飛び込み・・・その光が消える間際、いずれも北東方面に火花が激しく散ったのをこの眼で確認しました。もちろん彼らの飛ばされた方角を特定する根拠として、これはあまりに乏しいと言わざるを得ません。ですが、彼らを探す手立てを失った現在の状況を思えば、たとえ小さな事でも見逃すべきではありません」

「・・・・・・なるほど。確かに手がかりは何一つ無い・・・可能性を探るのも手段か」

「はい・・・ですが、これは個人的見解の域を出るものではなく、人員を割くには賭けの要素が強すぎるのもまた事実。・・・ですので、あくまでひとつの小さな可能性を探る名目として、明朝より部下を2名ほど連れて捜索に出かけようと考えています」

 クラウザーの言葉を聞きながら、クラークは目の前の地図をじっと見つめている。
 そのまま僅かな沈黙が続いたが、一瞬だけクラークの目つきが鋭くなると、彼は切り込むように口を開いた。


「・・・クラウザー、お前の言うことも一理あるだろう。捜索を許可してもいい。・・・・・・だが、」

「はい」

「北東がどの方角かなど誰にでもわかる話だ。にも拘らず、わざわざお前が用意したのはバアル全土の地図ではなく世界地図・・・それには何の意図がある? お前はどこまで捜索に出かけるつもりだ?」

 腹を探るような瞳でクラークが低く問う。
 やはり父は鋭い、平時と様子が違うと言っても上辺の言葉で誤魔化そうとするのは赦されない。
 クラウザーは地図の中心となっているこの宮殿に指を置き、そこからゆっくりと北東へ向かって指を滑らせていった。
 その指は隣国との国境を越え、更に北東へと滑る。


「北東と言っても国内に留める必要がどこにありましょう。探すならもっと先・・・ベリアルまで足を伸ばしてみてはどうかと・・・」

 ベリアル、という単語にクラークの瞳が僅かに細められる。
 それを目にしたクラウザーは内心笑みを浮かべ、表面上は無表情なまま話を続けていく。


「ベリアルの民の滅亡が囁かれて久しく時が流れました。・・・ですが、我がバアルの民は彼の地へ足を踏み入れることを未だ赦されておりません。もし私がレイならば、追っ手の届かない場所に逃げる事を考えるでしょう」

「・・・・・・」

「・・・尤も・・・・・・レイが本当にベリアルへ逃げたというなら、あの子はさぞ驚くことでしょう。絶滅したと言われる彼らの生存をいずれは目の当たりにするはずです。・・・・・・これは、極一部の者が抱える極秘事項。裏ではベリアルの主と我が国が密約で今も結ばれている事も、その密約を結びに彼の地に足を運んだのがこの私であるということも・・・・全ては父上の意向によって為されたこと。知らない者にとっては驚き以外の何ものでもないはずです」

「・・・・・・」

「ベリアルの主の、あの異様なまでの真紅の瞳は今でも忘れる事が出来ません。しかし、千里眼にも似た彼の力を借りればレイの居所を探り当てるなど造作もないでしょう。何より彼らには此方の要求を断る道理は無い。それどころか此方には彼らから差し出された人質までいる・・・少々長旅にはなっても行く価値は充分にあります」

「・・・なるほど」

 目的を理解したクラークは改めて地図上のベリアルと書かれた地名を見て『案外それが近道かもしれないな』と皮肉気に笑った。


「・・・クラウザー、お前に預けたあの人質の娘・・・伊予と言ったか。彼女にどんな意味があるのか、お前は分かるか?」

「・・・? ・・・いいえ」

「本当のことを話すと、私は彼らに対し、もう何十年とその密約に則った要求をし続けている。にもかかわらず、約束が果たされたことも要求に対する返答を貰ったことも一度も無い。あの人質の娘がやってきたのは突然で、私にもどういう意味なのか未だによく分からない。人質を寄越すから少し待てという意味なのか、人質をどう使っても良いから今は動きたくないという意味なのか・・・文の一つも無く、娘も主の意図を汲まずに此処にやってきたようだった」

「・・・しかし、あの密約は、本来此方の要求があった時点でベリアルの主自らがこの地へ足を運び、その力を我らの為に使うというもの。我々はその見返りとして彼らに充分な糧を供給し続けてきたのでは・・・」

「そう、たとえ差し出す糧が南の棟に収監された者たちのようなものであろうと、此方から約束を違えることは一切していない。・・・・・・本来、約束事はどちらか一方が反古にした時点で意味を成さなくなるものだ」

「・・・・・・・・」

「・・・けれど、あの“神子”には最初から常識を求めてはいない」

「・・・・?」

「彼はかなり変わった思考の持ち主だ。それに、数千年に一度出現するかどうかの奇蹟の存在と謳われた男でもある。神の子・・・神子とも呼ばれているのは先ほどお前も言った通り、未来を見通し導くあの千里眼を有しているからだ。しかし、彼をそれだけの存在と見誤るべきではない。ベリアルの民の生存者もまたごく少数とはいえ、数を理由に我らに利があると奢るには危険極まりない存在。残った者含めて神子に報復するのは最後の手段とするつもりだ」

「・・・・・・」

「・・・、・・・・・・不服か?」

「・・・生き残りはわずか5名、数に利があるのは自明の理。それを覆す理由が他にあると?」

「そういうことだ」

 クラークは苦笑気味に笑みを漏らす。
 どんな理由があるにしろ、何とも消極的な事を言っていると彼にも分かっているのだ。
 だが、このままにしておくつもりがないのもまた事実だ。
 クラークは少しの沈黙の後、ベッドから降り立ち窓際まで歩いてからゆっくりと振り返る。


「・・・私もその旅に同行しよう。此方から出向くというのもなかなか面白い」

「・・・ッ、・・・しかし、父上が出向くにはベリアルは些か遠すぎます」

「なに、王が多少不在にしたところで大した問題ではない。・・・万が一これくらいで混乱し荒廃するようなら、それだけ脆弱な国家だったという証明になるだけだ。しかし私はそんなものを今日まで作り上げて来たつもりはない。・・・・・・それはさておき、私にはベリアルで・・・かの神子にどうしても確認したいこともあるんだよ」

「・・・ですが」

「あぁ、私の愛馬も連れて行くといい。とても良い働きをしてくれるだろう」

「・・・・・・」

 既にクラークは話を聞く気はないようだ。
 その表情だけでこれは決定事項だという言葉が聞こえてくるようだった。
 こうなっては誰も止められない・・・。
 誰の反対にあってもクラークは決めた事を覆したりはしない、今までもずっとそうやって此処まできたのだ。
 クラウザーはこれ以上の説得を断念するほか無く、かわりに頭を別の方向へと切り換えることにした。
 父も共に出るというならそれなりの準備が必要になる。
 出発が明朝と決めたからには急がなくてはならない。
 そもそも明朝の出発をまだクラーク以外誰にも伝えていない、連れて行くメンバーは決まっているが彼らにも準備が必要だ。


「では、私はここで失礼いたします」

 クラウザーは短い挨拶だけを残して部屋を退出するつもりだった。
 しかし、扉に手をかけたところで、


「───ところでお前は憶えているかい? ・・・ビオラがああなったきっかけを」

 不意にそう声を掛けられ、足が止まる。
 振り返ると逆光に照らされたクラークが此方に顔を向けていた。
 どんな表情をしているのかはよく分からなったが、声のトーンが先ほどより微妙に低いのがやけに気になった。

 彼女がああなったきっかけ・・・?

 このような問いかけをわざわざ自分に向けるというのは、やはり何らかの真意があるということだろう。
 ビオラが病で亡くなったとクラウザーの耳に入ったのは、まだレイが生まれて一年も満たなかった時の事だ。
 密葬が行われたと人々の噂に上り、それは人伝に聞いた話でもあった。
 だが・・・、この話を思い出すとき、クラウザーはいつも違和感を憶えるのだ。
 本当に彼女は病で亡くなったのかと。

 父上は今、憶えているかと問われた。
 それはつまり、私がそのきっかけを目撃したと断言しているようなものだろう。
 ならばそれは・・・“あの時”の・・・・・・


「・・・・では、やはり・・・、・・・母上の悋気が起こしたあの時のことが原因だったのですか?」

 クラウザーの言葉にクラークが僅かに身じろぎをした。
 そして、喉の奥でかみ殺したような笑いを零しながらクラウザーに近づいてくる。


「そうだよ」

「───ッ!!」

 微かに自分の頭の中だけで想像していたことを改めて肯定され、あまりの衝撃に思わずクラウザーの喉が鳴った。










その2へつづく


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