『約束』

○第9話○ それぞれの闇(その4)







 翌朝の出立は極めて静かに迎えられようとしていた。
 目的地が目的地なだけに本当の行き先は伏せられる事となったが、見送る人々も限定し出来る限り騒ぎにならないよう配慮され、その中心ではクラウザーを初めとしてバーンとスレイトが既に待機している。
 用意された4頭の馬は人数分だ。
 一際立派な2頭はクラークとクラウザーが、残った2頭は荷馬車としてバーンとスレイトが使う。
 それら全てがクラークが大切にしている愛馬であり、彼らは標準の馬体より遙かに大きく、毛艶や筋肉の付き方を見ただけで並大抵の馬ではない事は素人目にも分かるほど見事だ。


「突然の話で各自思うことがあるだろう。だが、少しの間、主のいない留守を頼まれて欲しい」

 その時、いつもと変わらぬ様子のクラークが颯爽と姿を現し、規律正しく両脇に並ぶ人々の前に立つなり声をかけた。
 皆一斉に敬礼をする。
 あまり人数が多くては騒ぎになり兼ねないと判断し、此処にいるのは軍人と数人の要人だけだ。
 極めて限定された人選にクラークは満足そうに笑みを浮かべている。


「・・・ところでクラウザー、その右目はなんだ?」

 ふと、クラークは傍に立つクラウザーを見て、そんな疑問を投げかけた。
 クラウザーの右目には何故か眼帯が装着されており、この場にいた誰もが思っていた疑問でもあった。
 それは言うまでもなく紅く変貌した己の右目を隠すためのものであり、長旅で必要以上に接する機会が増える事で、この右目の存在を知られないための処置だった。
 後ろで事情を唯一知るバーンの表情が少しだけ強ばっていたが、誰もそれに気づく様子はない。


「少々怪我を・・・気にかけていただくほどの事ではありません」

「・・・そうか。・・・では行こうか」

「はい」

 父の言葉にクラウザーは静かに頷く。
 そして、クラークが自らの愛馬に跨ったのを見て、彼も隣に並ぶ美しい馬に跨った。

 ───だが・・・、


「・・・・待って!!」

 突如、人々の間からすり抜けるように、一人の女が勢いよく飛び出してくる。
 それはクラウザーの母、ナディアだった。
 勿論こんな場所に彼女が来ることなど赦されていないが、強引にやってきたというのは想像に難くなく、彼女の侍女達が青ざめながら後方に佇んでいるのが目に入った。


「・・・母上、何故此処に」

「あぁ、クラウザー。どうしてなの、母に一度も会いに来ないで行ってしまうなんて」

「母上、どうか落ち着いてください」

「クラウザー、なぜ何も教えてくれないの。私を一人にしないで」

「・・・一人など。弟達がいるではありませんか」

「あの子たちとクラウザーを比較できるわけないでしょう!?」

「母上・・・?」

「・・・だってあの子たちはクラークに少しも似ていないのよ、頭も悪くて我が儘放題で・・・きっと間違って生まれてきたんだわ」

「そのような・・・」

 ナディアはわぁわぁと泣き出し、馬に跨るクラウザーの足にしがみついて離れようとしない。
 感情的で荒れる彼女の様子は日常茶飯事だ。
 しかし、こういう場合は出来る限り刺激しないよう黙り込むしか無く、これから出立というのに時と場所を顧みない母に対し、クラウザーは内心溜め息を吐く。
 確かにナディアの言うことも多少理解は出来る・・・そう同情するのは、周囲の漠然とした感想だった。
 容姿にしても性格にしても、漂う雰囲気までもがクラークとクラウザーは親子そのものだ。
 それに対して弟達3人は同じ父と母の間から生まれたにも拘らず、皆どういうわけかナディアの家系の血統を必要以上に強くひいてしまったらしく、お世辞にも似ているとは言い難い。
 しかも、怠惰な生活と甘やかされて育った所為で知識も教養も低く、そのくせ粗暴で恨み嫉みも必要以上に激しいところがある。
 そのうえ乱暴な物言いは目に余るものがあり、簡単に癇癪を起こす性格は人の上に立つ器ではない。
 だからこそナディアはクラウザーに執着し、面影にクラークを重ねてますます傾倒するようになっていったのだが、当のクラウザー本人は最近では滅多にこの宮殿に戻らず、彼女の感情の行き場はますます無くなっていた。


「・・・・・・ナディア」

 その時、クラークが静かに彼女の名を口にした。
 ナディアはハッとして、涙で濡れた顔のまま後ろを振り返る。
 馬上で風に靡く金の髪が日に照らされて輝きを放ち、美しい顔から覗くアイスブルーの瞳が真っすぐ彼女を見下ろしていた。


「・・・クラー・・・ク」

 それは彼女にとって、奇蹟のような瞬間だった。
 こうして名を呼ばれたのは、声をかけられたのはいつ以来だろう。
 傍に寄ることすら厭われた長く辛い日々嘘のよう・・・声をかけられただけで乙女のように頬が紅潮してしまう彼女の心情が、手に取るように分かる。


「私たちはこれよりビオラとレイを迎えに行く。もう君の居場所を用意することは出来ない」

「・・・っ!?」

「だから頭が悪く我が儘放題だという君の子供たちを連れて国へ帰りなさい。その手筈は昨夜のうちに整えてある。・・・かわりに、クラウザーだけは私の手元に残しておくよ、この子は自分の立場を理解出来る頭の良い子だ。今後のレイにとっても必要な存在となるだろう」

「クラーク・・・っ!? な、・・・なに、を・・・」

 とても久しぶりに声を聞けたのに・・・クラークの口からは想像もしないような恐ろしい言葉が飛び出した。
 ナディアの頭の中は完全に理解できる許容を超えてしまいパニックになる。

 クラークが何を言っているのか全くわからない・・・

 フラフラと足下をおぼつかせ、彼女は馬上にいるクラークの足に手を伸ばす。
 そのまま彼のブーツを愛しそうに抱きしめ、うっとりと唇を寄せた。


「・・・この足も腕も唇も目も、髪の一筋さえも私だけのものだわ。だって貴方は騙されているだけなんだもの・・・。私はあの頃よりも、ずっとずっと貴方を愛しているわ、こんなにも貴方を愛しているの・・・」

 ナディアはぶつぶつと繰り返し呟き、クラークの足に抱きついたまま離れようとしない。
 その様子にクラークは喉の奥で笑いをかみ殺し、更に彼女を刺激するような言葉を吐き出す。


「ナディア・・・その手を離しなさい。・・・私は、この世の誰よりも君を嫌悪しているんだ」

 まるで愛を囁くような甘い声だった。
 しかし、その瞳はどこまでも冷酷に彼女の全てを否定している。


「おまえ達、ナディアを向こうへ」

「・・・ッは、・・・はいっ」

 周囲の兵に一言指示を出し、クラークにしがみつく彼女は無理矢理引きはがされていく。
 その間、彼は真っすぐ前を向いたままで、ナディアの存在など気にも留めていない。


「いやーーっ、触らないで、私に触れて良いのはクラークだけよ、お願いクラーク、クラーク、この者たちを私に触れさせないでっ、クラーク・・・っ!!!」

 叫びも虚しく数人の兵士によって引きはがされ、ナディアはそれでも激しく暴れる。
 目を充血させ、自分に触れる者に噛みつき、そこにあるべき筈の気品など微塵もなかった。


「クラーク、クラーク・・・ッ、クラーク・・・!!!」

 それしか知らないように繰り返し彼の名を叫び、少しでも傍に近づこうと羽交い締めにされながらも手を伸ばす。
 その執念が勝ったのか・・・一瞬の隙を突いて、彼女はもう一度クラークの足にしがみつく。
 クラークは眉をピクリとひくつかせ、不愉快そうにため息を吐く。
 明らかに怒りを含んだ様子を間近で感じて、ナディアはビクッと肩を震わせた。


「・・・クラー・・・ク」

 もう一度、アイスブルーの瞳が彼女を見下ろす。
 再び身体中を羽交い締めにされ、今度こそクラークから引きはがされていく。
 だけど、もう周囲の喧噪が聞こえなかった。
 クラークが何かを言おうとしているのだ。
 彼の声も言葉も、なにひとつ聞き逃したくはない。
 綺麗な唇が自分に何かを告げようとしているのが分かって、ナディアはそれだけに集中した。


「もう二度と会うことはないだろう。・・・さよなら、ナディア」

「・・・・・・──────ッッ」

 激しく絶叫し、その場に昏倒するナディア。
 完全に意識を失くし、数人の兵に抱えられながら宮殿の奥へと消えていった。
 だが、残った者たちは誰一人動揺を見せない。
 内心思うことがあるにせよ、あくまで皆、冷静を保ち続けていた。
 クラークの表情に変化はない。
 何も起こらなかったとでもいうように涼しげな顔をしたままだ。


「では、行こう」

 静かな声で馬腹をふくらはぎで強く圧し、命令を感じ取った彼の愛馬は真っすぐに駆け出す。
 金の髪が優雅に流れ、その背に続くようにクラウザーの馬も駆け出し、バーンとスレイトの引く荷馬車も一斉に走り出した。
 彼らを送り出す兵士たちは姿が見えなくなるまで見送り、誰一人姿勢を崩す者はいない。
 それはクラークにとって最も誇るべき存在であり、それを充分理解しているからこそ、このタイミングで不在にすることを決断出来たのかもしれなかった。
 しかし、その一方で、先頭を走る父の背中を追いかけるクラウザーの心中は複雑だった。
 母がどんなに想いを寄せようと、父がそれを無視し続けたことは知っていたし、漠然と互いの溝は既に埋まりようもないほど深いのだろうと理解もしていた。
 何よりも、昨日、父から聞いた話を思えば、修復などありえるわけがないのは明白だった。
 それが分かっていても、目の前で母が別離を突きつけられる姿は何とも言えない気分だ。
 いずれ自分もあのように拒絶される日が来るのだろうかと、そんなふうに考えるのも仕方ないことだったろう。
 そんな心の葛藤に気づいてか、知らずのうちにクラークは駆ける速度を緩め、クラウザーの隣を併走していた。
 前方を見据えたままのクラークの横顔はどこか険しい。
 クラウザーもまた、同じような表情を浮かべていた。


「・・・・・少しでも私について行けないと思う気持ちがあるなら、このまま引き返しなさい」

「・・・っ!」

 思わぬ言葉にクラウザーは父の横顔を凝視する。
 考えてもみない言葉だった。


「お前の気持ちを無視するつもりはない、何もかも私の身勝手から始まったことだと自覚している」

 クラークは前を見据えたまま、少しの表情の変化もないまま淡々と言葉を続けている。
 だが、これにどんな意図が孕んでいようと、クラウザーの答えは最初から出ていた。


「いいえ、・・・・私の腹は既に決まっております。父上が私を切る時以外、引き返すことはありません」

 即答するクラウザーに『そうか・・・』と呟き、クラークは呆れたように小さく笑った。


「お前は奇特な子だ。恨まれるような事しかしていないというのに・・・」

 その微笑に釣られてクラウザーも口角を緩め、眩しそうに父の横顔を見つめる。

 ───父上は恨まれるような事をしていると思いながら私に接していたのか・・・

 北の棟に彼ら母子を追いやったことも、レイだけを特別に扱い続けることも、次代の王はレイだとクラウザーに言いきかせるように話し続けたことも・・・全て恨まれる事を承知でしていたことだったのかと。
 それはもしかすると、あらゆる負の感情を自分に向けさせようとするための父の方策だったのだろうか。
 常に堂々と頂点へ立ち、権力者として時に傲慢に君臨するその顔の裏では、封じ込めた感情が山ほどあるのだろう。
 封じ込めても尚、赦せない感情があったとすれば、それは間違いなく母に対するものだったに違いない。
 遺恨が残れば残るほど、それは心の奥底に巣くい蝕んでいく。
 それは完璧だと思っていた父の心の一片を垣間見たような、同時に初めてまともに等身大の背中を見たような、とても言葉にし難い不思議な気分にさせられる一瞬だった。







第10話へつづく


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