『手の中の幸せ』
○第1話○ 夢物語(前編) ビオラとレイドックの失踪から一年─── 互いが互いのために、そして自分の為に生きている。 その事を実感するには充分なほど近くで呼吸する最愛の半身。 存在そのものに安らぎを感じ、当人達は追われる身となりながらも、それでも心底幸福だと言える日々を過ごしていた。 「ビオラさまぁ、どこへ行かれるんですか?」 愛らしい金髪の少女が、家を出ようとするビオラに問いかける。 ビオラは微笑み、少女の前まで戻ると目線をあわせるように屈み込んだ。 「可愛いフィーシャにお花の首飾りをプレゼントしたいの。ちょっと行って来るわね」 「・・・でも、レイドックさまが心配されます〜」 「フィーシャは嬉しくないの?」 「・・・う、うれしい・・・ですけどぉ・・・でも、おひとりでは危険です。お身体に障りますしぃ・・・私もついていって良いですか?」 涙を溜めて心配してくれる様子にビオラは笑顔で返した。 「すぐそこだもの。ひとりで平気よ」 フィーシャと呼んだ少女の頭を撫で、ビオラはその頬にキスを一つ落とす。 「もしもレイドックが起きるまで戻らなければ、迎えに来てくれるように言って」 「・・・は、いぃ・・・」 レイドックは未だベッドから起きてくる気配はなく、無防備な寝顔を向けている。 ビオラはくすりと微笑んで、フィーシャに手を振った。 「じゃあね、いってきます」 「早く帰ってきてくださいね〜!」 だが、それが、最後─── ビオラがレイドックを見た最後の姿だった。 本当は何をしても彼の元へ帰りたかった。 だけど、その願いが叶えられる程状況は甘くなく、極めて深刻な所まで来ていたのだ。 二人が失踪したのは周囲から見れば、あまりにも突然の出来事だった。 ならば、この生活が消えるのも・・・ きっと・・・突然だったとしても不思議ではなかったのだ・・・ ▽ ▽ ▽ ▽ 家を出て半時も経たない頃─── 「はぁっ・・・はぁっ・・・はぁ」 ビオラはどこまでも続くような深い森の中をただひたすら走っていた。 涙を浮かべ、苦しい息に眉を顰め・・・ それでも懸命に、出来るだけ速く足を前に動かして。 そして、彼女の小さな手は自分のお腹を必死でかばっていた。 全ては生き延びるために・・・ どうしてこうなったのか・・・答えは簡単に出たけれど、こんな風に走って逃げている自分は想像しなかった。 「・・・レイ・・・・・・っ、・・・・・・っ、レイドッ・・・・・・うっ、はぁ、はぁっ」 何度も思い返した。 レイドックの笑顔、眼差し、ぬくもり、声・・・大丈夫、きっと助けに来てくれる。 大丈夫、大丈夫。 「ビオラ様、こんな所においででしたか」 不意に抑揚のない声が上から降ってきた。 トントン、と木から木へと身軽に飛び移り、3人の男達が空から舞い降りてビオラの目の前に着地する。 ビオラはじりじりと後ずさり、逃げ場を必死で探した。 「我々からは逃げられません。さあ、大人しく戻ってください」 「や、いやっ」 「いやと言われてそれを聞くわけにはいかないんですよ、特にその腹の中の子供の父親が誰なのかを聞くまでは・・・」 侮蔑混じりの人を小馬鹿にしたような・・・冷酷な眼だ。 今更問うまでもない事を言わせようと言うのか。 ───たったの一年だ・・・・・・ レイドックと二人、国を捨てひっそりと暮らそうと慎ましやかな生活をするために故郷を離れたというのに、彼らは決して放っておいてはくれない。 追っ手が近づいているのは最近のレイドックの様子から感づいてはいた。 明け方まで周囲を見張って時々疲れたような顔をして・・・だから、いつかこうなる日も来るだろうとは薄々感じていた。 皇帝失踪という事態は、もしかしたらビオラにのみ罪を償わせるつもりなのかもしれない。 ビオラを追いかけてきた数人の男達は、レイドックに忠誠は誓えどビオラにはそうではない連中だった。 皇族だから崇拝する・・・勿論そういう者も存在するが、レイドックを崇拝して止まないという者がこの国には圧倒的に多い。 そういう輩は、レイドックのために国が存在しているという思考を貫いた、ある種危険な者達なのだ。 そして、そういう者達は自分達で勝手に作り上げた“崇高で完璧なる皇帝陛下像”からレイドックが外れる事を最も忌み嫌っている。 外れた場合は・・・・・・ 「たすけ・・・レイドック・・・っ」 「残念ですが、陛下が来られることはありません。今頃はよい夢を御覧になっている事でしょう。恐らく・・・そうですね、明日の昼頃までは目が覚めないほどの深い眠りの中に」 「・・・・・・っ、・・・あなたたちは・・・っ」 レイドックに薬を盛ったという事は、いくら世間に疎いビオラでも分かる。 彼ら自身、それが正義と思ってのことなのかもしれない。 だが、主に薬を盛るなど・・・ 「罰は受けます。しかし、重要なのはあなたの中のその赤子の存在。ここで全てさらけ出して頂いても一向に構わないのですよ、きっと気持ちが軽くなる」 「・・・・・・・・・」 誰が話すものかと、堅く口を閉ざし、四方を囲まれながらもどうにか逃げられはしまいかと左右に視線を這わせた。 だが彼らに隙はない。 それに、彼らに勝てるほどの力などビオラに持ち合わせてはいなかった。 ビオラには元々レイドックのような、戦う為の力というものが備わっていない。 あるとすれば、傷ついた身体を癒す能力があるくらいだった。 それは人並み外れてはいたけれど、戦争の無いこの国で一体それのどこに価値が見いだせるだろう。 時折傷を負って帰ってくるレイドックを治癒する程度で、殆ど使い道はない。 レイドックだけは、誰よりも素晴らしい力だと言ってくれたけれど・・・ でも・・・レイドック・・・ やっぱりこんな力・・・役に立たないわ・・・ 彼らから逃げることすら出来ないのよ ビオラは自分の腹部を護るように撫で、瞳を揺らした。 「さぁこちらへ」 男の一人がビオラの腕を取り、彼女の顎を掴んで上向かせる。 涙で頬を濡らした彼女を見た男は一瞬息をのみ、食い入るように見つめた後、口端をつり上げた。 「・・・・・・なるほど。・・・これではどんな男でも血迷いましょう」 「やっ、いや・・・っ」 「俺にも見せてくれ。・・・・・・へぇ、・・・・、お姫様、泣き顔が美しいというのは本物らしいですよ? これであの御方の心も弄んだのですか?」 あの御方。 それだけでも、ビオラの相手が誰なのか分かっていての事なのだ。 いや、知らない筈がないのだから。 彼らはただ、本人に自白させたいだけ。 それを理由として、腹の中の子を、ひいてはビオラまでも─── 「これは生まれてきてはいけない子供です。お分かりですね?」 いや、ビオラが自白せずとも。 腹の中の子を、殺すつもりなのだ。 「いや、レイドック、たすけ・・・レイ、レイドックっ」 「あまり聞き分けがないと後悔しますよ」 レイドックの名を叫び続けながら、ほんの少しでも逃れようとビオラは藻掻いた。 抵抗は無意味かもしれないけれど、この子を何としても奪われないために。 この子は・・・この子は・・・ 禁忌を犯した末に出来た子供だけれど・・・ それは紛れもない事実かもしれないけれど─── 誰より愛した男の子供なのだ。 「あまり手こずらせないで頂きたい。こんなものを始末することなど一瞬なのですから」 「・・・こんなもの・・・っ?」 始末・・・? 「そう、こんなものです」 他にどう形容しろと? 「・・・・・・っっ」 冷酷に笑う男が憎かった。 生まれて初めて誰かを憎いと思った。 「こんなものじゃないっ、この子はっ、この子は私とレイドックの大切な・・・っ、」 「やっと白状しましたね。素直な方で助かります」 「あなたに何が分かるの!? 誰にも何も言わせないっ! さわらないで、あなたたちにそんな権利はないのよっ」 「・・・どこまでも幼稚ですね。貴女に触れるのも、大切で仕方ないというその腹に触れるのも・・・実はこんなに簡単だというのに?」 男の手がビオラの胸を強く掴み、思わず痛みで顔を顰める。 「・・・・・・っっ!?」 「くくっ、いい顔です」 その隙に、男は腹部に手をやり丸く円を描いて撫で回した。 ねっとりと厭らしい手付きに吐き気を催す。 ビオラの中の全てが彼らを拒絶し全身が総毛立ったが、その間も男達の何本もの手が彼女の体中を這い回り、衣服の隙間から滑り込んで撫で回される。 気が狂いそうだった。 「いやあああっっ!!!」 男の一人の手がビオラの中心に強引に到達し、濡れてもいない秘部に指を無理矢理ねじ込む。 痛みしか感じられない行為を男は楽しそうに笑い、その指を押し進めぐちゃぐちゃと動かし始めた。 「・・・・・・ぅあっ・・・あ・・・っぅ!? ・・・・・・・・・かはっ・・・・・・っっ」 いやっ・・・いや・・・だ。 たすけ・・・ 「おや? 喜んでくれないのですか? 姫はこういう事が好きなのでしょう?」 更に男の指が中を乱暴に掻き回し、ビオラの顔をのぞき込みながら『心外だ』と言わんばかりの様相で肩を竦ませた。 少しの気遣いも感じられない行為に、何を言われても荒い息を吐き出すだけで、言葉を発することすらままならない。 たすけて、 たすけて、 たすけて、 後編へつづく Copyright 2006 桜井さくや. All rights reserved. Never reproduce or republicate without written permission. |