『手の中の幸せ』

○第3話○ 願いを叶えし者(その2)









 何一つ前向きになれないような気分の中、ビオラにとって唯一救われたのがバティンの存在だった。
 クラークは余程彼を信用しているようで、退屈しのぎにと彼をしばしばビオラの元へと寄越した。
 首を絞められた事によって出来た傷が酷く、彼を治療にあたらせたというのもある。


 しかし、決まってバティンは申し訳なさそうに顔を曇らせ、会うたびに頭を下げるのだ。
 自分の力不足だと、何の手助けも出来なかったと・・・



「・・・・・・おねがい、もうやめて。バティンは少しも悪くないわ」
「しかし・・・」
「力不足だと言うなら、それは私よ。・・・私に力があればこんな事には・・・」
「ビオラ様・・・」
「でもね、このまま結婚という事にはならないと思うの。だってじきにお腹も大きくなるんでしょう? そうなればもう、黙っていることなんて出来ないわ」

 だがクラークが子供の存在を知った時、どんな行動に出るのだろうか。
 それが恐くて二人とも打ち明けることが出来ないでいた。

 他の男との子供だという事実を前にすれば、クラークは相手の男を血眼になって捜すかもしれないし、この子に対して何らかの危害を加えて消そうと考えるかも知れない。
 考えることは常に最悪のことばかり・・・
 だが、彼が笑顔で理解してくれるとはとても思えないのだ。


「・・・そのことなのですが・・・・・・一つ気になることがあるのです」

 バティンは難しい顔をしながら顎に手を当て、少しばかり考えを巡らせている。

「少し前から不思議に思っていたのですが・・・」
「・・・えぇ」
「私の診たところ、その御子は宿ってから既に七ヶ月は超えているはず。しかし、腹が膨らむ兆候が全くないどころか、少し診ただけでは妊娠している事すら気づけないでしょう・・・・・・とても考えられない事ですが・・・」
「え?」

 存在は確かにある。
 けれど、形がない・・・。

 そうとしか思えないとバティンは尚も首を捻る。
 『そんなばかなことが』と思うのだが、説明がつかないのだ。


「でも、ちゃんといるでしょう? 私には分かるもの。この子は私を護ってくれたのよ?」

「・・・・・・護る? それはどういうことですか?」


 興味深げに身を乗り出すバティンに、思い出したくない出来事が蘇りビオラは気分が悪くなった。
 確かに母親になる身としては、子供が出来る事に対しての知識が乏しいかもしれないが、それでも自分の胎内に宿っている命が本物だと確信を持っている。

 例え信じてもらえなくても・・・そう思ってビオラは意を決して口を開いた。


 ベルフェゴールから逃げる時、追っ手に捕まり男達に襲われたこと・・・・・・だが一瞬で男達は閃光と共に消滅し、ビオラを中心として周囲の風景までもが消えてしまったこと・・・
 その時お腹が温かくなって、この子が助けてくれたのだと知ったこと・・・


 バティンは感心したように何度も頷いている。
 確かにあれ以来そういう事は無いが、自分の中にいる存在をこの身に宿った瞬間からビオラはしっかりと感じ取っていたのだ。



「この御子は・・・近親間での婚姻が認められていた頃のベルフェゴールであるなら・・・間違いなく後世まで語り継がれるような皇帝になれたでしょうね」

「・・・え?」

「しかしそれは過去のこと・・・今後、この御子は存在するだけで幾多の苦境に立たされるかもしれません」

「っ!? 何を言うのっ、どうしてそんなことがバティンに分かるの!?」


 そんな不吉な事を言われるなどとは露ほども思わず、信じられない気持ちで声を張り上げてしまった。
 だって、まだ生まれてもいないというのに・・・・・・


「無礼と知りつつ申し上げております。ビオラ様、普通の胎児にそのような力がありますか? 胎児の状態でそれ程の力なら、生まれてくる頃にはどうなっているでしょう・・・成長したとき、この御子はどこまでの・・・」

 そうだ、まだ生まれてもいないのだ。
 確かにあれは・・・あの時の力は周囲に何も残らないほど凄まじいもので・・・・・・。

「・・・それと、これは推測と仮定でしかありませんが・・・・・・もしもこの御子が自分を護る術を知っていて、意図的に成長を止めたのであれば・・・・・」

「・・・?」

 バティンの言っている意味が分からない。
 自分を護るために成長しない?
 一体何のために・・・

「例えば、今のビオラ様のおかれた状況を理解していて、成長するということを己の危険だと感じ取ったのなら・・・」

「まさか・・・・・・それで、成長を止めたって言うの?」

「分かっています。これは有り得ない話です」


 だが、事実成長しない腹の中をどう説明すればいい。
 確かにいるのだ。
 長年医師をやってきて、間違えたことなど一度たりとて無い。

 はっきりとその胎内で息づいているのだ。


「しかし、もしこの話がこの御子に限って有り得る事だったならば・・・・・・環境が整わない限り、・・・成長しないかもしれません」

「・・・っっ、・・・っ」


 そんなことがあるのか、出来るのか、全くわからない。
 出来るのなら・・・そうなら・・・

 ビオラが宿しているのは化け物だとでも・・・?




 呆然としながら、膨らみの全くない腹を撫でる。
 確かにいる。
 ここにいる。

 この中にいるのは、愛しくて堪らない存在の筈だ。


 ふと、先程のバティンの言葉が思い出された。


「ねぇ・・・」

「はい」

「さっき・・・この子の事・・・・・・間違いなく後世まで語り継がれるような皇帝になれた・・・って・・・」

「はい」

「ベルフェゴールでは女帝は存在しないわ。この子は男の子なのね?」

「そうです」

「・・・・・・そうなの」


 それなら、きっとレイドックに似て美しく育つに違いない。
 誰もが尊敬し崇拝するような、そんな天性のものを持っているに違いない。

 そして・・・・・・レイドックのように・・・非凡だからこそ、平凡には生きることが出来ないのかもしれない・・・・・・


 だけど・・・・・・

 だけど・・・・・・



「・・・バティン・・・一つだけ・・・・・・我が儘を聞いて欲しいの・・・・・・」

「・・・はい、なんなりと」




「・・・・・・・・・・・・私を・・・・・・逃がして・・・・・・っ」




 無理な願いを口にしている。

 既に我が儘というレベルではない。




「はい」



 だが、バティンは目を細め、小さく頷いてくれた。




 ごめんなさい。
 ごめんなさい。


 でもね、静かに二人で暮らしたいって・・・


 レイドックと離れてから、
 たったそれだけを願ってここまで逃げてきたの。



 今の私、望んだ方向と逆ばかり歩いてしまって・・・・・・

 このままじゃ、皆が不幸になる。










その3へつづく


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