『手の中の幸せ』

○第3話○ 願いを叶えし者(その4)










 衛兵姿のビオラは『程なくして小さな山小屋が見えてくる』というバティンの言葉を信じ、裏門を抜けてひたすら真っ直ぐ歩き続け、小一時間ほどすると小さな・・・山小屋というよりほったて小屋というべき汚く小さな小屋を見つけた。


「ここ・・・でいいの・・・?」

 彼女は若干不安を感じながら静かにドアを開ける。
 中を窺うが誰もいないらしく、恐る恐る小屋の中へと足を踏み入れた。

 全く手入れのされていないさびれた小屋・・・埃にまみれ、カビくさい臭いが漂い、息が詰まってしまいそうだ。
 だがこんな小屋でも、追っ手が来れば隅々まで調べられるに違いない。

 きっと隠れても直ぐにばれてしまう・・・


「・・・・・・でも、待たなきゃ・・・」


 土地勘も何もないのだ。
 下手に動けば自分の首を絞めかねない。




 と、


 バンッ


 勢いよくドアが開く。
 月光に照らされ、人影が見えた。
 人影は小屋の中をぐるりと見渡し、驚き固まっているビオラの存在に気づくとホッと息をついた。


「どうやら無事に逃げて来られたみたいだね」
「・・・・・・ぁ・・・・・・っ、もしかして・・・っ、ニーナ・・・さん?」
「そうだよ、でも、ひとまず自己紹介は後にしよう。ここに来るときに城の方角が騒がしかった。向こうに馬を置いてきたんだ、行こう!」
「あっ」

 ニーナはビオラに近づくと腕を掴み、驚き戸惑っているのも構わず、彼女を小屋から連れだした。
 きょろきょろと辺りを見回し、彼女は軽快な小走りでビオラを引っ張っていく。
 ニーナの格好は町娘といった感じで、 端から見れば衛兵を連れ出す女という構図だが衛兵の中身はビオラだ・・・ニーナに引っ張られて転ばないようにするのが精一杯だった。

 しかも困ったことに彼女の通る道というのは所謂獣道というものだった。
 只でさえ足場が悪いのに急斜面を走るようにして、一歩間違えば転がり落ちてそのまま帰らぬ人となってしまうかもしれない。
 そんな道を息つく暇もないほどひたすら進み、もう二度と元の場所へは戻れないだろう・・・とビオラが思い始めた頃、黙々と前を先導するだけだったニーナが口を開く。


「ごめん、こんな道歩き慣れてないよね? もう少しの辛抱だから。あたしもさ、慣れてるとは言ってもこんな格好普段はしないから、実を言うと歩きづらいんだよね。バティンからビオラ様が衛兵の格好で向かうって聞いたから、逢い引きって設定つくってみたんだ。・・・衛兵と町娘って何かいい感じがしない?」

 申し訳なさそうにはにかんで笑う。
 この話口調や彼女の言葉を聞いて、裏があるような娘には到底見えなかった。

 バティンの知り合いだ。
 彼女を信じなくては、きっとこの先誰も信じられなくなるだろう・・・そんなのはいやだ。

 ビオラはニッコリ笑って頷いた。

「ありがとう」
「あと少しだからさ。ホラ、そこ降りていったところに川が流れてるだろう? 中洲があってその近くに馬が待ってるから」
「わかったわ」

 二人は改めて気持ちを通わせ、獣道を降りていった。
 程なくしてニーナの言葉通り中洲が見えてくる。

 だが・・・これ程の険しい道を歩いた事など未だかつて無かった所為だろう・・・足にマメが出来て潰れたらしく、激しい痛みが走り、フラフラしてしまう。
 その度にニーナに励まされ、倒れかかる身体を支えてもらい何度も助けられた。


「ほら、あれがあたしの馬だよ。すごい利口なんだ。・・・ところでビオラ様、馬に乗れる?」
「・・・え・・・・・・あ・・・・・二人乗りならあるわ」
「一人では無いんだね」
「ええ」
「平気だよ。あたしが手綱を握る。グリフォン、待たせたね!」

 そう言ってニーナは彼女の愛馬の名を呼び、太い首を抱きしめた。
 グリフォンは嬉しそうに鼻を鳴らし、尻尾を振る。

「さぁ、行くよ。グリフォン、ビオラ様は乗馬の経験殆ど無いんだから安全走行で頼むよ! ・・・じゃあビオラ様、グリフォンの背に乗って」

「・・・え、えぇ・・・・・・あの・・・・・・グリフォンさん。宜しく御願いしますね」


 ちょこんとお辞儀をして、ニーナに手伝ってもらいながら優しい眼差しで見つめるグリフォンの背にやっとの事で乗り込む。
 ニーナはビオラの身体を抱えるようにして後ろに乗り、手綱を握りしめた。


 と、その時、上流から僅かに声が聞こえたような気がした。
 どう考えても今の状況からビオラを探しているとしか思えない。


「・・・ちっ、思ったより早いね! 行くよ!!」


 グリフォンは数回地面を蹴ると、流れるような俊足で駆け抜けていった。
 しなやかな筋肉が隆起し、月明かりによって美しい毛並みが輝きを放つ。
 鬣が舞い、大きなストロークを描いて鍛え上げられた四肢が土砂を岩場を蹴り、いとも容易く障害を飛び越えていった。

 その様は優雅であり力強くもあり、必死の思いでグリフォンにしがみついていたビオラは、次第にこんな風に逞しく何もかも飛び越えていけたら・・・そう思うようになっていた。



 本当に・・・何もかも飛び越えて・・・


「・・・・・・・会いたい・・・・・・」



「え〜? 何か言った?」

「・・・ううん。ありがとうニーナさん」

「あははっ、それは安全な場所に着いたら言ってよ。まだ暫くかかるからね」

「うん」



 風を切り、全てのものが道を空けているかのように錯覚する程鮮やかに駆け抜けるグリフォン。


 彼が進む先をビオラは無言で見つめていた。











▽  ▽  ▽  ▽


 ビオラ失踪から一夜明け───

 一人の女を捜すにはあまりに多くの捜索隊を動員させ、クラークにとって悪夢のような夜が明けた。
 しかし悪夢は朝が来ても昼が来ても、ビオラが居ないという事実を突きつけ、彼を暗い闇へと引きずり込んでいく。

 彼にとって最早これは苦痛としか言いようがなかった。


「・・・・・・これほど手を広げても見つからないとはな・・・・・」


 苦々しく唇を噛みしめる。
 皆が眠ってしまったとは言え、多少の時間のロスは圧倒的人数によって取り返すことなど造作もないと思っていた。
 だが、そのロスがビオラを見失う決定的なものとなってしまったのだ。



 ならば・・・・・・
 唯一知っているバティンが口を割らない以上、彼女には二度と会えない・・・?


 当のバティンはあのまま部屋に閉じこめてある。
 彼は何をするわけでもなく、ただ静かに時が過ぎるのを待っているかのように思えた。
 あれから数度バティンの元へ行ったが、何を聞いてもビオラについて一切口を閉ざし、ひたすら沈黙を守る・・・もしかしたら死を覚悟してしまったのかもしれない。

 一体何がバティンの口をこれほどまでに堅くしているのか・・・
 何年も側に置いて見てきたから分かるのだが、彼の行動は全て計算され尽くした上に成り立っていて、失敗などただの一度も見たことがなかった。


 そうやって今回も行動したのか?

 だが、その根底にあるものは何だ。
 死を覚悟させる程のものとは・・・


 クラークは溜息を吐く。


「聞いて答えるなら最初からこんな事はしないな・・・」


 長く艶やかに輝く金髪を掻き上げ、窓の外を見上げる。

 これ程心惹かれるのに、彼はビオラを何一つ知らない。
 その素性も何もかも・・・。
 唯一知っているとすれば、初めて口をきいたときに『北』からやってきたというビオラの言葉だけだが、それすら真実とは限らない。


 だが、知らないことに何の罪がある?
 私は存在そのものに何者にも代え難い愛しさを感じただけだ。


 クラークは壁にもたれ掛かり、目を閉じた。
 昨夜から一睡もしていない・・・だが眠いという訳ではなかった。

 ただ神経が高ぶって、時間が経てば経つほど押さえきれなくなる衝動に駆られる。
 今もそんな自分を鎮めようとして目を閉じたが、既にそんなことでは自制出来ない所に来ているのかもしれない。


 一言で言い表すなら、

 『狂気』・・・・・・そんなところだろうか。



 クラークは目を開き、ピクリと片眉をふるわせる。


「・・・・・・そうだ。あの子がいるではないか」


 彼はブーツの踵を鳴らし足早に部屋を出た。
 そして、外で待機していた側近を呼び一言命令した。


「クラウザーを呼べ」


 それはナディアとの間に生まれた第一王子の名であり、同時にこの国を継いでいくであろう者の名であった。



 少し冷静に考えてみれば・・・
 聞いて答えないのは・・・バティンの“口”だけではないか。



 クラークは、ビオラを手に入れることだけしか頭になかった。
 例えそれによって深く傷つく者がいたとしても、彼にとっては取るに足りない事でしかなかったのだ───









その5へつづく


<<BACK  HOME  NEXT>>



Copyright 2006 桜井さくや. All rights reserved. Never reproduce or republicate without written permission.