『手の中の幸せ』

○最終話○ 描いた未来(その2)











「ビオラ様、とても健やかな王子です」


 朦朧とする意識の中、ビオラはバティンの声と赤ん坊の泣き声を聞いた。
 痛みも苦しみも通り越し、どこか今までとは違う世界に迷い込んでしまったような浮遊感を味わっていた最中の事である。


 産気づいてからの記憶は曖昧だった。
 時間の感覚すらおぼろげで、今がいつで、自分が誰で、何故こんなに苦しい思いをしているのかと・・・そんな事さえ忘れてしまいそうになるくらい、身を襲い続ける苦しみと闘わなければならなかった。



「ふたりとも本当に無事なのか!?」

 たった今生まれた事を執務室に駆け込んだニーナから聞いたクラークが部屋に飛び込んでくる。
 ビオラの妊娠は、この段階に於いてもごく限られた者しか知らない。
 こんな時まで普段通り執務をこなさなければない事はクラークにとっても拷問のような時間だったが、それも今日のこの瞬間さえ過ぎればと、ひたすら日常通り過ごす事に徹していたのだ。


「・・・・・・っ、・・・・・・」

 クラークは部屋に駆け込むなり耳に飛び込んできた赤子の元気な鳴き声に息を飲んだ。
 知らずに唇が小刻みに震え、訴えるようにバティンに目を向けると、その赤子を取り上げたばかりのバティンはゆっくりと頷き、滅多に見る事のない笑みを浮かべる。


「・・・・・・、・・・・・・っ」

 クラークは確認するようにベッドに横たわるビオラに視線を移した。
 未だ苦しげだが意識はある。

 ビオラも、子供も無事だ。

 彼はそこまで理解すると、一気に緊張が解け、安堵のあまりその場に膝をついてしまった。


「・・・クラーク様、・・・抱いてみますか?」

「・・・・・・・・・・・い、・・・いいのか?」

「もちろんです」


 クラークはガクガクと震える足で何とか立ち上がると、バティンの手から赤子を受け取り、大事そうに抱き上げ、食い入るようにその子を見つめた。

 柔らかい髪は明るいハニーブラウン・・・、色白の肌は陶磁器のように滑らかできめ細かい。
 彼が抱き上げると不思議とぴたりと泣きやみ、見つめる無垢な瞳は・・・・・・


「・・・・・・まるで宝石だ・・・、この瞳、光の加減で色が変わるのか・・・?」

「そのようです。本当に・・・驚きました・・・」

「ははっ、バティン、お前までそのような・・・。・・・あぁ、しかし何と綺麗な・・・、全てがビオラに似て美しい」


 生まれたばかりとは思えないほど綺麗な赤子だった。

 クラークの陶酔しきった言葉に一瞬バティンはぴくり、と頬を震わす。
 だが、それに彼が気づいた様子は無く、赤子を抱いたまま嬉しそうにビオラの側に近寄った。


「ビオラ、・・・本当に無事で良かった。・・・見て御覧、私たちの子だ。こんなに愛しい子はいないよ」

「・・・・・・あぅ・・・あーぅ、あー」

「・・・・・・・・・赤・・・ちゃん・・・・・・」


 クラークに促されてビオラが顔をあげる。
 まだ朦朧とした意識の中をフワフワと漂っていたが、ほんの少し前まで自分の中に存在した愛しい我が子の声に、段々と意識が鮮明になっていく・・・・・・




「・・・・・・・・・っ・・・・・・、・・・・・・・・・・・・」



 ビオラは目を見開いた。

 クラークに抱きかかえられ、見えやすいように顔を此方に向けられた赤子を見ただけで、


 ───ドクンッッ


 自分の心臓が強く跳ね上がる音を聞いたのだ。




「・・・・・・・・・ビオラ? ・・・どうした?」

「・・・・・・あ・・・・・・」


 突然驚いたように目を見開き、何を言うでもなく動きが止まったビオラの様子を不審に思い、クラークが眉をひそめる。





 溢れる・・・、


 途轍もなく熱いものが胸の中に流れ込んでくる。






「・・・・・・あぁ・・・・・・ああっ」


「ビオラ?」





「・・・・・・・・・・・・レイ・・・・・・、・・・・・・・・・レイ、・・・・・・・・・レイ・・・・・・・・・ック」







 ───レイドック・・・ッ




 こんな所に彼がいるなんて。


 手を伸ばしても届かないと思っていた彼が、こんなに近くに・・・



 ビオラは我が目を疑う想いで、両眼から溢れ出して止まらない涙に頬を濡らしながら唇をふるわせた。





「・・・・・・ビオラ・・・・・今のは・・・・・・」



 だが、クラークの不思議そうな声音が、彼女を一気に現実へと引き戻した。


 私・・・今・・・何を・・・
 クラークの前で・・・・・・何を口走ったの・・・


 彼の名を口にしてしまったのでは・・・



「・・・・・レイ・・・、か。・・・・・・・・・良い名だね・・・」

「・・・・・・・・・え?」


「・・・ほら、ビオラ。抱いてあげて」

「・・・・・・・・・・・・」


 クラークは微笑みながら赤子をビオラに抱かせる。
 何故か不審を抱かれていない様子に僅かに息を漏らしつつ、彼女はその柔らかな感触にもう一度大きく心臓が打ち鳴らされる音を聞き、呆然と赤子を見つめた。



「君にとてもよく似ているよ」


「・・・・・・・・・」



 私に似ている? この子が・・・?


 ・・・・そう、かもしれない。

 だけど、それだけじゃない・・・。


 レイドックに・・・誰よりもレイドックに似ているんだわ・・・・




 幼少時の兄の姿を強烈に思い出す。

 髪の色、唇、鼻、耳・・・目の形・・・、彼を模る全てがため息が出るほど綺麗だった双子の兄。
 幼い頃から誰よりも近くて遠い、特別な存在。



 こんな事があっていいのか・・・


 まるでレイドックがそこにいるみたいだった。




 違うのは・・・、この不思議な瞳の色だけ、見たこともない宝石のような瞳だけ。

 これすらも、特別だった兄の子であるなら自然に受け止めてしまえるほど、何もかもこの子から放たれる空気までもが・・・・・・






「レイ・・・、私達の愛しい子」


 クラークが赤子の額にキスを落とし、優しく囁く。
 ビオラはビクンと震えた。


「・・・・・・今・・・なんて?」

「・・・レイ。・・・・・・君がつけた名だよ。・・・・・・とてもこの子に似合う」


「・・・・・・・・・っ」



 私が・・・・・・?


 あぁ、・・・・・・そういうことか。

 クラークは自分が口走った言葉をそう理解したのか。



 レイ、・・・レイ・・・・・・、レイ・・・・・・・・・




「・・・あー、ぅ・・・あぅ」


 何と愛しい存在だろう。
 自分の手の中に、幸せが形となって存在している・・・


 この子を抱きしめることをひたすら願い、どれほど望み続けてきたことか。

 今、漸くその願いが叶ったのだ。




「・・・・・・・・・レイ・・・・・・」



 温もりを感じるだけで魂が震える。

 ビオラは静かに涙を流しつづけ、クラークはふたりを守るように抱きしめ・・・


 彼らの様子を傍らで見つめていたニーナはつられて涙を流したが、ふとバティンを見ると、堅い表情を崩すことなく厳しい眼差しを向け続けていて、何だかそれがいつもの彼の様子とは違うような気がした。


 しかしその日は結局バティンから何かが語られることはなく、

 彼が口を開いたのは、翌日になってからだった。




 生まれ落ちても尚、普通とは明らかな違いを見せつづける、この赤子について───










その3へつづく


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