『運命の双子』 ○第1話○ それは愛か恋か(前編) 他国との国交を徹底的に阻むかの如く広大な森林に囲まれ、よそ者を一切受け付ける事なく孤立し続ける『ベルフェゴール』。 その国の中枢には、力を誇示するかのように豪奢な外観で一際目を引く王宮・インスパイアが存在する。 そして、その王宮内でも特別警備の厳しい一室では、年頃の子供とは明らかに違う大人びた表情を見せる少年が机に向かっていた。 まるでそこに閉じこめられているのではないかと疑いたくなるほど膨大な量の書類に囲まれた少年は、それらを無言のまま厳しい顔つきでひたすら処理し続けながら日々の激務をこなしていた。 年若き皇帝、レイドック・ベルフェゴール。 この土地で彼以上の地位は存在しない、最高にして最強なる支配者であった。 「陛下、少しお休みになられては如何でしょうか」 朝起きてすぐに机に向かい執務をこなし始める皇帝を心配して、側近のラグナスが声をかけた。 気がつけば昼もとうに過ぎているこの時間帯になってもまだ、この年若き皇帝は休憩ひとつとっていないのだ。 「まだいい。・・・あ、・・・と、今日予定していた食事は延期にする事にした」 「それはいけません、体を壊してしまいます。前回摂ったのが・・・確か、10日前・・・」 「そんなもの一月に一度でも摂れれば死にはしないだろう? それよりも迷いの森の侵入者が増えているようだ、一層の警戒が必要だな」 「またそのような・・・国を守ることに力を注ぐばかりで・・・それでは一月に一度の食事では到底もちますまい・・・私はもっと陛下にご自分の事を大切にしていただきたいのです」 ラグナスの言葉にレイドックがフンと鼻で笑う。 しかし、その目は少しも笑ってなどいなかった。 「国を守らずして誰が皇帝だと認めるものか。下らぬ感傷に耽ってないでお前こそ少しは休め。一時間後に森へ向かう」 言い出したら意見を曲げることの知らない若き君主に、ラグナスが肩を落とす。 まだ成長期を迎えたばかりの線の細い少年が、その小さな背中に『国家』という巨大なものをたった一人で背負っていると思うと居たたまれなかった。 「・・・・・・わかりました」 複雑な顔で一礼した後、ラグナスは部屋を退出した。 レイドックは再び書類に目を移し、静かな部屋にはただペンをはしらせる音だけが響き、それが妙に物悲しかった。 このような若き皇帝が誕生したのにはそれ相応の事情があった。 彼が産まれて一年もしないうちに両親が相次いで不幸な死に見舞われ、物心もつくはずのない赤子であった彼が皇帝に擁立させられたのだ。 例え物心のつく年齢であったとしても、皇族直系の血筋を持つ長兄である彼に拒否権はなかったのだが、最高位に就くにはあまりに早く、過酷すぎた。 その為レイドックは、誰よりも早く大人になる必要があった。 定めとか、運命とか、そんな幻想に囚われる暇も無いほどに日々続く激務。 全てを否応なしに受け入れ続けなければならない日常。 国を護るためだけに己の全ての力を注ぎ込み、それはまるで皇帝という名の、民の為の奴隷のようだった。 だから、もし、 彼をただの『レイドック』に戻してくれる存在がいなければ、 自分が誰だかとうの昔に忘れていたかもしれない。 『彼女』がいたから、彼は笑うと言うことを忘れずにいられたのだ─── そう、 本当は、たった一人、 あの子だけいれば、それでよかった・・・ ▽ ▽ ▽ ▽ ラグナスが部屋を後にして数分後、部屋の外から弾むような軽やかな足音が聞こえてきた。 それは、レイドックの休憩を知らせる合図でもあった。 理由は簡単。 その存在は必ずと言って良いほど彼の仕事の邪魔をする。 レイドックは足音を聞いた途端苦笑し、ひたすら走らせていたペンをぴたりと止めて呟いた。 「・・・・・・ラグナスめ、あの子をよこしたな。どうしても休めと言うのか」 コン、コン。 軽やかな足音が部屋の前で止まり、弾むようなノック音が響いた。 レイドックは右手に持っていたペンを机に置き、ドアに顔を向ける。 彼の返事を待つことなく、ピョコンと小さな顔が中を覗かせた。 「レイドック♪」 いるだけで華やかで愛らしく、誰もが目を細める無邪気な存在がそこにいた。 勿論それはレイドックも例に漏れることはなく、それどころか唯一無二の愛すべき存在に対して微笑を浮かべることはあっても、恫喝することはなかった。 「おいでビオラ。待ってたよ」 椅子から立ち上がり、歓迎すべき訪問者を受け入れる。 彼女は、ビオラ・ベルフェゴール。 レイドックの最愛の双子の妹であった。 「ほんとう? わたくし、邪魔していない?」 何とも今更な質問なのだが、彼女を邪魔に思ったことなど一度たりとて無い。 レイドックは今日初めての笑顔を彼女に向け、首を横に振る。 「いつでも好きなときにおいで」 「よかった」 心底安堵した妹の零れるような笑顔にドキリと胸が高鳴る。 しかし、表情には一切出さず、かわりにビオラを眩しげに見つめた。 「ねぇ、見て。お花の冠を作ったの、キレイ?」 レイドックにはそれが何の花かは分からなかったが、ビオラは真っ白なその美しい花で上手に作られた冠を頭に乗せクルリと一回りしてみせた。 どうやら今日はそれを見せに来たらしい。 「あぁ、とても綺麗だね、よく似合ってる」 本当に・・・ 君は触れてはいけないもののように穢れが無いね。 そんな気持ちを内に秘め、口からは妥当な言葉を吐き出し、目を細めた。 ビオラはレイドックの返答に満足したらしく、嬉しそうに微笑んだ後、彼の片腕にしがみついた。 膨らみ始めたばかりの胸を腕に感じ、どうしようもない気持ちのやり場に戸惑う。 「ラグナスがね、陛下がなかなかお食事をしてくれないってぼやいていたわ」 「・・・そう」 「でもね、レイドックの気持ち、わたくし分かるのよ。どうして“あれ”を糧としなくてはいけないのかしらね」 「・・・・・・ビオラ?」 普段とは異なるビオラの声色に違和感を感じた。 彼女は一瞬眉をひそめ、レイドックの胸に頭を預けたまま俯いて表情を隠す。 「わたくし、どうしても“あれ”は苦手なの・・・」 苦手・・・? 食事といっても我らが必要とするものはただ一つ。 そのもの無くしては生きていくことは不可能。 ビオラ、何を考えてるんだ? 妙な胸騒ぎがした。 「・・・・・・ビオラ? 食事は食事じゃないか、苦手もなにもないだろう」 「え? レイドックは・・・ちがうの?」 「違うって何が?」 レイドックの言葉にビオラは少し怯んだ顔を見せる。 「・・・え・・・・・・でも・・・だって。喋るのよ・・・あの者達は・・・わたくし達とお話も出来るのに、見た目も変わらないのに・・・それなのに・・・」 あの者達が話すのも、姿形が似ているのも知れたこと。 どうして今更そんな事を・・・ 「もしかして、あの者達と話したのか?」 「・・・・・・」 目を逸らし、俯くビオラ。 答えを言っているようなものだ。 「いつ?」 「・・・・・・っ」 「いつ話したの、ちゃんと言って、ビオラ」 「・・・・・・・・・三ヶ月・・・まえ・・・」 レイドックは片眉をピクリとふるわせ、ビオラの肩を掴む。 「なら、いつから食事を摂ってないの?」 「・・・・・・・・・」 「・・・・・・三ヶ月前から?」 ビオラは視線をウロウロさせたものの、レイドックに嘘は吐けないらしい。 暫く逡巡した後、観念してコクンと小さく頷いた。 「・・・・・・なん・・・っ」 それは、大人が生き長らえることの出来る限界。 レイドックは一気に血の気が引いていくのを感じた。 同時にビオラの手を取り、部屋の外へ歩を進める。 掴んだ手から感じる生気が信じがたいほど稀薄でレイドックは忌々しげに口を歪めた。 「ど、どうしたの? レイドック」 「一緒に食事をしよう」 「えっ!?」 これでは生きている方が奇跡というもの。 忙しさにかまけて二人で過ごす時間を殆ど持たなかったのが仇となった。 どうせ食事をしたフリだけで今までやり過ごしていたのだろう。自分がどうなるのかなど一切考えずに。 だがこんなになるまでビオラの周囲の者達は気がつかなかったのだろうか。 いや、周囲の者がどうだったかは問題ではない。 自分こそが何故気付けなかった。 後編へつづく Copyright 2005 桜井さくや. All rights reserved. Never reproduce or republicate without written permission. |