『運命の双子』

○第2話○ 君は誰を想う(その1)








 ───数十年後───


 レイドックは相も変わらず激務に追われる日々が続いていた。
 そして、自分の身体が成長していくのと同様に、年を追うごとに伸びやかに、真っ直ぐに美しく成長していく妹の眩しい姿を目の当たりにして、どうしようもない憤りを感じる日々も。



 そんな折り、

 レイドックの結婚に関する話が持ち上がった。
 それは、言うまでもなく周囲の発言が発端で、レイドックの意志など最初から関係なかった。


 確かに覚悟していた事だったが、出来れば永遠に先送りにしたいというのが彼の本音だ。
 だが拒絶するだけの理由はどこにも見あたらず、その上、候補となった相手の家柄も申し分なく非の打ち所がない。
 それはまるで最初から計画の一部だったかのように・・・

 己の立場を思えば、自分の気持ちを口に出すことなど許さる筈もなく、口を噤むというささやか過ぎる拒絶が彼に出来るせめてもの抵抗だった。

 だが、それさえも周囲は許さず、答えを問う声は日々強くなる一方だった・・・




「・・・その話は、お前達に任せる」


 レイドックが絶望的な気分で口にした言葉を皮切りに、にわかに周囲が慌ただしくなる。
 婚儀を進める為に駆け回る家臣達、そして着々と物事が決まっていく毎日を黙って見ているだけという虚しさ・・・。



 わかっている・・・

 気持ちが無くとも子は成さねばならない。
 それが努めなのだ。



 それでも・・・・・・頭で理解しようとしても、大事な部分がついていかないのだ。




 心が、叫び続ける。

 それは自分の意に反していると───













▽  ▽  ▽  ▽


「陛下・・・っ」

 レイドックが執務室で書類に囲まれていると、ラグナスが珍しく慌てた様子で駆け込んできた。

「どうした」

「・・・っ、申し訳ありません・・・っ!!! ビオラ様が・・・いなくなってしまいました・・・っ!!!!」

「なに?」


 いなくなってしまった?

 あの子の行動範囲などたかが知れている。
 どこを捜したというのだ。


 鋭い目つきでラグナスを射抜く。
 彼は真っ青な顔で、いささか震えていた。


「侍女からの話で、直ぐにビオラ様が行きそうな場所を捜したのですが・・・」
「私が行こう」
「陛下っ!?」

 レイドックが立ち上がると、ラグナスが更に青ざめ慌てる。
 自らが動くとは思わず、相当狼狽しているようだ。

「・・・あの子のことは私に一任していればよい。口を出すな、下がれ」

 珍しく厳しい目で見られ、ラグナスはそれ以上何も言えなかった。

 ただでさえレイドックはここ数年で皇帝としての威厳も風格も増して、その力は過去類を見ないほど絶大なものとなっている。
 そんな彼に逆らう事など出来る筈もなく、ラグナスは深く頭を下げ、レイドックは彼の前を足早に通り過ぎ、部屋を後にしたのだった。






 ───ビオラの行く場所。

 そう言われて思いつく場所など、本当にたかが知れていた。
 宮殿の中の極一部か、庭園のどこか。
 確かに広い敷地内だから極一部とは言え相当な広さではあるのだが・・・


 ただ、皆がどんなに苦労して捜したとしても、レイドックにとって彼女を見つけることはそう難しいことではなかった。


 目を閉じて、彼女の気配を探る。
 この国の中で彼女の居場所を探り当てる事など造作もないことだった。

 レイドックは彼女の気配を捉えると、少しだけ安堵の表情を漏らし、その場所へと馬を走らせた。











▽  ▽  ▽  ▽


 サラサラと流れる小川の音。
 その直ぐ側の花畑で気持ちよさそうに眠る少女。

 それはまるで一枚の絵のように美しい光景だった。



 そして、その美しい風景にフラリと足を踏み入れた若い男が一人・・・
 彼はその光景の中心で眠る少女を認めると腕を組み、少し考えた後、彼女の近くに腰を下ろした。


「・・・ん」

 カサリ、と草が鳴る音で小さく寝返りを打つ。
 彼女は薄く目を開くと、側にあった上質な布で織られた服をぼんやり見つめた。


「・・・・・・レイドック・・・?」

「・・・失礼、起こしてしまいましたか」

「・・・えっ」


 レイドックではない。
 声が違う。
 もっと、落ち着いた、穏やかな声だった。


 少女、ビオラは驚いて顔をあげ、声の主を確認する。


「眠りを邪魔するつもりはなかったのですが、この川の音が好きでつい・・・時々ここを訪れるものですから」

 彼は小川を見つめ、声のまま穏やかに微笑んでいる。

「・・・私も好き。色んな事、忘れられるから」
「そうですね」

 視線をビオラに移し、彼は微笑んだ。
 それだけで心が和むような笑顔だった。

「あなた、だれ?」
「ラティエルと申します。・・・あなたは・・・どこかで・・・」
「ビオラよ。私のこと知ってるの? 公(おおやけ)の場所には殆ど出たことないのに」
「・・・公?」

 ラティエルはビオラの言葉を反芻し、逡巡した。
 着ている物で普通の貴族の娘でないことは分かるのだが、それ以上に漂う気品が違う。
 なのに、こんな場所でうたた寝をしている無防備さは考えるところだが、彼女の容姿から一つだけ思い当たる節があるとすれば・・・

「・・・あぁ、お会いするのは初めてですね。陛下の顔を拝見しているから会ったことがある気がしただけのようです」

「そう、双子だし似てるかもしれないわ」

 彼女の言葉で、やはりそうだったかと確信を持つ。
 まさかこのような所で皇女と出くわすとは・・・

 本人も言っていたとおり、彼女は公の場には殆ど出てこない。
 その上、宮殿の敷地内から滅多に出ることが無いために、彼女の顔を知る者は数少ない。
 レイドックには双子の妹がいる、という程度の認識は持っているが、ここまで知らないとなると、まるで存在を隠しているような・・・。


「ね、あなたもこっちに来て。こうやって一緒に寝ましょうよ」

 コロン、と仰向けになり、ラティエルに笑顔を向ける。
 それがあまりに無邪気で、彼女の身分も忘れて頷き微笑むと、ラティエルは隣に寝ころんだ。

「一人でここに来たのですか?」
「そうよ。こっそりね」

 楽しそうに頷き、彼女は何かを思いだしているようだ。

「あなたは?」

「ええ、実は私もこっそり来ました」

 ニッコリ微笑んで、顔をビオラに向けた。
 思いの外お互いの顔が近くにあり、彼女の大きな瞳とカチリと視線が合う。

 ビオラは何を思っているのか、ラティエルの顔をまじまじと観察していた。


 ライトブラウンのゆるくカーブした長めの髪。
 それが陽に透けて輝いていて、男性とは思えないくらい綺麗だ。
 顔立ちは一見女性のようだが、背が高く、意志の強い瞳がそうではないことを主張している。

 だが何よりビオラが気に入ったのは彼の作る表情。
 どれをとっても優しげで包み込まれているような、そして、笑うと何故か自分まで嬉しくなって・・・


「また、会ってくれる?」

 ポツリ、と呟いた彼女の言葉。
 どことなく寂しさを感じさせる言い方に、ラティエルは僅かに首を傾げる。

「ええ、いいですよ」

「ほんとう? お友達になってくれる?」

「ええ」

 ビオラは嬉しそうに顔を綻ばせ、満面の笑みを彼に向けた。

「うれしいっ!」

「こちらこそ、光栄です」

「ね、その髪、触ってい〜い? 陽に透けてキレイなの」

「どうぞ」

 言われると同時に遠慮もなく手を伸ばし、彼の髪を一束掴み取ってみる。
 思ったよりもずっとやわらかい感触が心地良くて上機嫌になった。

「顔、触っていい? 肌すべすべ」

 それには了承も得ずに手を伸ばした。
 頬に触れ、瞼に触れ、唇に触れ・・・もう好き放題である。

 流石にラティエルは苦笑し、不思議な少女だと思いながらビオラを見つめた。
 熱心に触れてくる彼女の方が何倍も美しいと思えるというのに・・・

 まさか友達になってほしいなどと言われるとは思わなかったが、幼子のような様子は非常に微笑ましく、全くすれていない。





 と、


「ビオラっ、何をしてる!?」


 低く叫んだ声に驚いて顔をあげる。
 馬から下り、真っ直ぐに此方へ向かってくるレイドックの姿を目に留めて、ビオラは嬉しそうに笑った。


「レイドック」
「こっちへおいで」

 切羽詰まった様子でビオラの腕を取り、自分に引き寄せる。

「どうしたの?」
「この男は誰だ? 何故二人で・・・」

 と、レイドックはそこで初めて男に目線を移し、言葉を詰まらせた。

「お久しぶりです、陛下」

「・・・ラティエルか」

「美しい景色に心を安らげていたところです。ビオラ様もお気に入りの場所だとか・・・」


 目を細めて風景に目を移す様子は下心があるようには思えない。


 彼の事をレイドックはよく知っていた。

 柔らかな雰囲気を持ち、争いごとを好まない。
 力を行使すれば多くの権力を手に入れられる筈なのに、それに巻き込まれるのが嫌で、あまり王宮に足を運ばずに穏やかに暮らすことを好んでいる。
 レイドックはこの男を嫌いではなかった。


「ラティエル様とお友達になったの。私の初めてのお友達なの」

 嬉しそうに話すビオラ。
 それが妙に心に痛い。

「そう・・・それは良かったね」

「陛下、それでは私は参りますので、後ほどまた・・・」

「わかった」

 ゆっくりと頭を下げ、優雅にこの場を去っていく。
 一連の動作一つ一つに無駄がなく、品のある男だ。

 彼が去ると、レイドックはビオラに向き直り、掴んだ腕に力を込めた。


「こんな所に一人で来てはいけない」
「どうして?」
「どうしても。王宮の敷地内とは言っても、ビオラの顔を知らない者は多い。それに、今は色々物騒な事件が起きている。どんな怖いことがあるか分からないんだよ」
「・・・ふぅん」

 少しも納得していないといった顔だ。
 レイドックは溜息を吐いて彼女を抱きしめた。

「君はとても綺麗だから・・・綺麗なものを欲しがる者は山ほどいるんだ」


 ・・・そう、渇望して止まない俺のように。


 だが、ビオラはレイドックの言葉をよく理解できなかったらしく、首を傾げただけで曖昧に笑うだけだった。


「マリーがね、言ったの。私のこと、かわいそうだって・・・」
「え?」

 マリーとは、ビオラの身の回りを世話している侍女だ。
 二人は気が合うらしく、マリーと楽しそうに笑うビオラの姿を見ることがよくある。
 だが・・・

「どうしてビオラがかわいそうだなんて?」

「うん・・・レイドックが結婚してしまったら、今まで通りでいられなくなるのでしょう? きっと寂しい思いをするに違いないって言うの。だから悲しくなって一人でここに・・・」

「そんなことはないっ、今まで通りで良いに決まっているだろう?」

 先程より強く彼女の腕を掴み、幾分焦りも混じって引き寄せる。
 何故か微笑むビオラが遠く感じた。


「それがレイドックの負担になっている事くらい、いい加減、私にだって分かるもの。負担になんてなりたくない」

「ビオラッ!!!」

 彼女の言葉を否定するために強く名前を叫んだ。
 ビオラは瞼を伏せ、それから少しだけ視線を上げて木々が風に棚引く姿をぼんやりと見つめて。


 ポツリ、と呟いた。



「・・・・・・誰かが貰ってくれたらいいのにな」


「・・・・・・っ!?」


 驚くべき台詞にレイドックは我が耳を疑った。
 誰か、だと?


「そうすれば、一人じゃないから。きっと幸せね」


 彼女の瞳はやはりどこか遠くを見つめていて。
 腕の中にいるのに、今にも羽ばたいてしまいそうな不安に襲われる。


「何故そんなことを言う? いつもビオラを想ってるよ、心の中はビオラでいっぱいだ」

 レイドックの言葉に、ビオラは首を小さく横に振る。
 彼女はそれがレイドックの優しさからくる言葉だと思って、心の底からは信じていない。


「・・・・・・・・あの頃はよかったね」

「・・・?」


「無邪気に全てを愛せたもの・・・」



 一瞬見せた、ビオラの泣きそうな顔。
 それに釘付けになり、次なる言葉を紡ぎ出すことが出来ない。



「お幸せに・・・・・・にいさま・・・・・・・・・」





 瞼を伏せ、小さく頭を下げると、ビオラはその場から去っていった。











 初めて“兄”と呼ばれた。





 たったそれだけの言葉で

 奈落の底へどこまでも堕ちていく・・・



 そんな気がした。










その2へつづく


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