『運命の双子』

○第2話○ 君は誰を想う(その4)







「にいさまーっ!」

 森へ向かおうと外に出ると、レイドックを追いかけてビオラが息を切らせて走ってきた。
 彼は表情を和らげて振り返り、彼女が追いつくのを待った。

「にいさまっ!」

 息せき切って辿り着くと、ビオラはレイドックの肩に寄り掛かり息を整える。
 久々にビオラに触れられ、彼の心臓は一気に跳ね上がった。
 それを悟られまいと懸命に平静を装う。

「どうした? そんなに走って。外は危ないから出てはいけないと言ったはずだろう?」
「うん、すぐ戻るわっ・・・はぁ・・・・・・っ、・・・あ〜苦しいっ!」

 運動らしい運動など殆どしない彼女だ、少し走っただけでも息が上がるのは当然と言えよう。
 ・・・とはいえ皇女が走るなど、それだけでも周囲の者が見たらなんと思うことか。
 お転婆な所はなかなか変わらないなと、レイドックは内心苦笑した。


「そんなことよりね、赤ちゃんできたって聞いたのっ、本当?」

 どこまでも純真な輝きを持った瞳で、見上げてくる。

「あぁ、本当だよ」

「おめでとう、にいさまっ」

「・・・ありがとう」

 ビオラに言われると複雑だった。
 子供が出来たことは、とても良いことなのだろう。

 だが国にとってどれ程待ちわびた出来事だとしても、自分にとってはそこに行きつくまでの行為が苦痛でならなかった。

 この地位にいなければ、誰が好きでもない女と寝るものか・・・


 自分が単なるレイドックという存在で、それ以上何もない男だったなら、禁忌などとっくに犯してビオラを自分のものにしている。
 何故このように重い枷を背負って生きなければならないのか・・・・・・


「ね、にいさま」
「ん」

 彼の腕に自分の腕を巻き付け、ビオラは甘えるようにレイドックの胸に顔を埋めた。
 そのような行為は、限りなくレイドックの心に火をつけるというのも知らずに。



「わたくし、ね・・・・・・」

「どうした?」




「ラティエル様と・・・結婚することにしたわ」



 顔を上げ、ニコリと笑いかける。
 その時のレイドックの顔は、自分でも分かるくらい引きつっていた。

 急激に血の気が引き、頭の中は靄がかかったようになり・・・


「・・・・・・・・・なぜだ?」


 ようやく絞り出した言葉はたったそれだけで、思考能力全てを奪われたかのような衝撃が全身を駆け抜けていた。



「・・・・・・なぜ・・・って、・・・ダメ?」


 首を傾げ、レイドックの反応にやや不安そうな顔を見せる。


 そうじゃない。
 そういうことじゃない。


 結婚するということは、あの男に好意を寄せていると言うことか?

 いつの間にそんな感情になった?



 噂は耳にしていた。
 だが、ビオラ自身そんな素振りを見せたことはなかった。
 だから周囲の思惑など、出来るだけ耳を傾けぬように努めてきたのだ・・・


 レイドックは彼女の背中に回した腕が、知らずのうちに力が入っていくのを感じた。


「にいさ・・・・・・っ、・・・っ!?」


 激情に支配され、華奢なその身体を思いのままに抱きしめた。
 強く、強く。
 折れてしまえばいいとさえ思いながら。


「・・・んぅっ・・・くる・・・し・・・、・・・ゃ・・・ぁっ・・・っ」


 閉じ込めておけば良かった。
 何も見せず、自分以外の男など彼女の瞳に入れず。

 そうすれば良かった。


「ビオラ・・・、離れていくのか?」


 足下が崩れていく。


「・・・・・・っ、に・・・い さ  ま・・・?」


「どうして・・・、側に、いてくれない?」


 崩れていく。
 壊れていく。
 裂けていく。


「・・・ビオラ・・・・・・ッ!!」


 端正な顔が苦痛に歪む。
 悲しみさえ感じさせる声音で彼はビオラの名を叫んでいた。


「・・・・・・に・・・っ、 いさ  ま・・・・っ・・」


 強く掻き抱いた腕の力は一向に弱まらない。
 ビオラは次第に吐く息が小刻みになり、意識も混濁してくる。

 そうまでなっても、レイドックは彼女を離そうとはしなかった。


「・・・他の男に奪われるくらいなら、いっそ、このまま・・・命が尽きるまで・・・」


「・・・・・・っ、・・・っにい・・・っ」



「・・・愛している・・・、誰よりも、何よりも・・・・・・っ」



 ビクン、とビオラの身体がふるえた。

 目を見開き、全身を強張らせて・・・・・・






 彼女の持つ両の瞳から、ポロポロと透明な液体が零れ出して・・・


 止め処なく流れるそれは、静かに彼の肩を濡らしていった。
















「・・・・っ・・・・・て・・・い  たく、な い・・・」









「・・・・・え?」












 暫くして発せられたか細い声は、うまく聞き取ることが出来なかった。
 レイドックは抱きしめる腕を少し緩め、胸の中の存在を確かめるように見つめると、彼女が泣いているのをそこで初めて知った。

 ビオラは与えられた酸素に気付いていないのか、か細く苦しげな声で繰り返し何度も何度も何かを言っている。
 そのうちにレイドックは彼女が何を言おうとしているのか、次第に理解していった。





「・・・見 ていた く ない・・・・・・他の 女 のひと が にいさま の 子供・・・・・・に いさま と・・・・・・・・・もう い や・・・・・・にいさ ま  を ・・・見て い  たく な い・・・も う、  見て い  た くな  い・・・・・・・・・・」





「ビオラ・・・?」







「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・う そ つ  き・・・ っ!!!」





 止め処なく流れ落ちる雫を気にもせずビオラは叫んだ。
 その後、急激に入ってきた酸素に驚き激しく咳き込んでいたが、これ以上ないくらい見開いた目は責めるようにレイドックを見据えたまま・・・





 うそつき。


 その言葉で思い当たることは一つだけ。
 産まれてから、たった一つだけビオラに嘘の約束をした。


『大きくなったら、レイドックのお嫁さんにしてね』


 約束は果たせないと知りながら、頷いたのだ。



 ビオラはずっとそれを信じていたとでもいうのだろうか。
 だとしたらそれは、彼女の抱いている想いは・・・




「言葉だけなら要らない・・・っ!」


「・・・・・・っ・・・」



「私は・・・私は、ラティエル様と幸せになるのっ!! にいさまより誰より、あの方を心から愛するって決めたんだからっ!!!」


 泣き叫んで、涙で濡れた瞳と一瞬目が合う。

 だが、ビオラは腕の中から逃れ、そのまま来た道を走っていってしまった。



 レイドックは、呆然と後ろ姿を見つめ、

 追いかけることも、

 声をかけることも、

 何も、本当に何も出来ず。





 ───同じ・・・・・・だった、というのか・・・・・・?



 抱いていた想いは、一方通行などではなく、

 向けられていた笑顔も、眼差しも。



 全部、全部───




 何を守りたかった?
 俺は、本当は何を守りたかった?


 欲しいものは・・・たった一つ。
 守りたいのも・・・・・・たった一つ。







「こんな事・・・あっていい筈がない・・・・・・」




 ガサリ。

 後方で、何か大きなものが動く気配がした。
 しかし、レイドックは気付いているのかいないのか、振り返ることすらしない。




「こんな・・・あまりにも・・・・・・」





      グルルルルル・・・


 涎を垂れ流し、荒い息を小刻みに吐き出す獣の呼吸音。
 それは、一つや二つではなく、複数頭のものだった。


 じりじりとレイドックの背後からにじり寄り、大きな影が彼の全身を覆う。
 四方からレイドックを囲み、完全に彼らの射程距離に入ってしまった。



「・・・・・・国を守るために、本当に欲しいものを諦めてきたというのに・・・返ってきたものがこの仕打ちだというのか・・・!?」



     ギュヴグガア"ア"アアアッ



 一斉に飛びかかる獣。
 爪が、牙が、レイドックの陶磁器のような肌を食い破ろうと、凶暴に襲いかかる。



「あああああアアアあぁぁあああアアァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッっっ!!!!!!」



 叫びは雄叫びに変わった。

 周囲を包む空気が激しく乱れ、鼓膜が裂けそうな程響き渡る音量は凄まじいものだった。








 ───そして、



 たった一瞬の後、その場で命ある存在は・・・・・・

 髪を逆なで、瞳をギラギラとした金色へと変貌させたレイドックのみだった。







「・・・・・・フゥー・・・フゥー・・・・・・・・・ッ」


 彼の周りにはバチ、バチと、放出されたエネルギーが音をたてて燻り続け、勢いは止まるところを知らない。



「・・・何が・・・何処が守り神だ。殺してやる、皆息絶えてしまえばいい・・・っ」



 獰猛さを思わせる強い金色へと瞳を瞬かせると、彼は守り神が棲む森へと足を進める。

 その瞳は、怒りに燃えていると言うよりも、むしろ悲しみが讃えられていたが・・・



 ───その日以来、迷いの森からは守り神が姿を消したという事だけは確かな事実だった。









 神など信じぬ。

 もし存在するなら聞いてみたい。



 今の俺をどんな気持ちで見ているんだ?








第3話へつづく


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