犬夜叉のツボ
      〜その2〜   「風呂」

 原作1巻第6話に於いて、かごめは記念すべき初ヌード(^^;)を晒しています。とはいえ、
無論、私の書くようなエロな話というわけではなく、単に水浴びシーンです。さて、この時、
かごめは「も〜〜信じらんない。この時代、お風呂がないなんて」と愚痴っています。しかし
本当にこの時代、かごめの言うようにお風呂がなかったのでしょうか?

 結論から言うと「そんなことはありません」。ただ、一般的とは言えなかったのは事実
です。まず基本的なことから見てみましょう。
 この時代、「風呂」という言葉は現代の風呂とは違っていました。今風に、お湯を張った
湯船等に身体を浸かることを「湯浴み」、あるいは単に「湯」と呼んでいました。では風呂
とは何だったのか。今で言う「蒸し風呂」のことだったんですね。そして、こちらの方が身
近だったのです。

 その「風呂」とは具体的にどんなものだったのか。石釜を作りまして、それを下から(か
まどになってる)火を焚いて熱するわけですね。そこに水をたっぷり含ませた木の枝(葉
がたくさんあるやつ)だの海草だのを被せて、勢いよく蒸気を起こしたわけです。
 ちなみにこの時、木の枝の代わりに生薬を使うこともあったようで、これは薬湯になる
のですね。他に、水を張った石釜に焼いた石をいくつも入れて蒸気を出したものもあった
ようです。まあサウナですね。
 この蒸気を利用して身体を暖め、汗を出させるのはサウナと同じですが、決定的に違う
のは、それによって浮かせた垢を擦って落としたんです。サウナでそんなことやったら大
顰蹙ですね(^^;)。

 では、この蒸し風呂が一般的だったのかというと、これもそうでもないみたいで。設備
が大がかりですから、庶民は滅多に使えません。では普通の人はどうやって身体を洗った
のかというと、いわゆる行水ってやつです。たらいや桶に水を張って、そこに手拭いなど
を使って身体を洗ったということのようです。

 大体この時代、あまり身体を洗う習慣がなく、行水すら滅多にしない人が多かった。
公家の女性など、その不潔な身体で十二単なんか着てるから、もう臭くてしょうがなかっ
たようですね(^^;)。その臭気を誤魔化すために、匂い袋や香り玉が盛んに使われたわけ
です。

 それでは「湯」の方、現代の風呂のようなものはどうだったのでしょう。今のようなひと
り用の風呂桶を使うようになったのは戦国時代だそうです。ただし、もう末期で秀吉が日
本を統一し終わり、朝鮮へ出兵した頃なのだそうです。従って、犬夜叉の時代では無理で
すね。

 大きめの湯船、銭湯のようなものはありました。とはいえ、大勢で入ったというよりは、身
分の高い人がひとりで浸かったのだそうで。贅沢品だったんですね。織田信長の父ちゃん
である信秀は汗っかきだったそうで、湯浴みを好んだという記述が残っています。

 贅沢だった故の使用法もありました。「ふるまい風呂」と言います。大名や身分の高い家
臣たちが、大事な客人や家臣たちを自分の風呂へ招くという、接待に使ったんですね。当時
贅沢なレジャーであった湯浴みを楽しめるということで、大層喜ばれたようです。

 それなら温泉はどうだったんだろう? 今でも「信玄の隠し湯」だの、「謙信の秘湯」だ
のっていうのがありますよね。当然、当時も温泉はあったし、使われてもいたんです。ただし
これは湯浴みというよりは怪我や病気の治療、つまり湯治としての意味合いが強かったの
ですね。やはり珍しいものでしたし、庶民はほど遠かったようです。まあ地元で、湯量も豊富
なら、その湯を使ったでしょうけど、お風呂として使ったかどうかは…。

 つまるところ、時代的に風呂はあったけども、恐らく楓の村にはなかったということでし
ょう。武蔵の国にも天然温泉はいくつかありますが、村の近くにはなかったんでしょうね。

 余談をふたつ。何を使って洗ったんでしょうか? 今でもあるヘチマ。そして糠袋という
ものです。その名の通り、米糠を木綿袋に入れて使ったのですね。ヘチマは垢擦りで、糠袋
は、今で言えば石鹸入りのスポンジのように使われてたんでしょう。
 もうひとつ。実は、当時は風呂に入る時、全裸ではありませんでした。男なら、最低でも褌
はつけてました。普通は湯帷子というものを着ていました。これは薄い着物で、後にこれが
浴衣となりました。ちなみに、明治期中頃までは男女混浴が当たり前でした。まあ湯帷子を
着てればねぇ。