警視庁捜査一課の会議室に強行犯3係の刑事達が集められた。

「えっ・・・・ ドラッグの密売組織が、ですか?」

目暮警部の言葉に佐藤美和子はその端整な顔に緊張感を漂わせた。

「ああ。どうやらかなり大掛かりな密売組織が暗躍しているようだ。
そしてその背後には・・・・」

「泥山(でいさん)会、ですね」

暴力団対策法施行以来、一時鳴りを潜めていた泥山会が最近活動を活発化
してきていることを美和子は組織犯罪対策課の同僚から聞いていた。

「そうだ。それにその密売組織との関連はまだよく分かっていないが、
泥山会はどうやら人身売買にも深く手を染めているという情報もある」
「人身売買・・・・ ですって」
「そこで我々も組織犯罪対策課と協力してこの密売組織を摘発し、
バックにいる泥山会もろとも一気に壊滅させることになった」
「それで私達は何を?」

目暮は1枚の写真を差し出した。
そこにはTシャツにジーンズというラフな格好をしたやや小太りの若い男が
写っていた。

「まだ確たる証拠はつかめてないが、その密売組織の売人の一人と思われる男だ。
男の名前は渋谷駿。君と高木君はこの男を徹底マークしてくれたまえ」

別紙の男のプロフィールに目を通す。
渋谷は帝丹大学空手部の部員であるらしい。

「(帝丹の空手部・・・・)」

美和子の脳裏に一瞬、知り合いの少女の顔が浮かんだ。

「で、でも、ここまで分かっているなら、すぐにでもこの男のガラを押さえてしま
えば」

高木が勇んで発言すると、美和子がそれをさえぎった。

「ばかね、まだ彼が売人だという証拠はないのよ。それにたとえ今彼一人を捕まえ
てもトカゲの尻尾切りになってしまう可能性が高い。そういうことですね、目暮
警部」
「ああ。それに売人は彼一人だけとは限らん。逮捕するのはこの密売組織の全容を
把握してからだ。分かっているとは思うが、くれぐれも彼らに気取られぬように
気をつけてくれ。彼らは妙に鼻が利くからな」
「わかりました」

美和子と高木は一礼して部屋を出て行った。

────────────────────

美和子は愛車のソアラを運転しながら、助手席の高木にちらりと目をやり、
先ほどまでの凛々しい刑事の顔から一転、一人の女の顔になって尋ねた。

「高木君、もう私のことをご両親には・・・・」

あの記念すべき夜から二週間が経っていた。
その後二人は何度か逢瀬を重ね、そのたびに愛も交わしていたが、まだ二人の婚約は
周囲には秘密にしていた。

「えっ、ええ。一昨日電話で・・・・ そしたら今度休みが取れたら、ぜひ一度
こっちへつれて来いって。佐、さと・・・・ 美和子さん、二人に会ってくれます
よね」
「ええ。でも・・・・ この事件が片付くまではちょっと無理かしらね」
「そうですね」
「(これが捜査一課での最後の大仕事になるかもしれないわね)」

高木との婚約がおおやけになれば、二人が同じ捜査一課に在籍することは無理
だろう。
結婚しても子供ができるまでは仕事を辞めるつもりはないので、どちらかが人事
異動することになるだろうが、美和子は自ら志願して異動を願い出るつもりだ。
車を停め、高木と向き合うと真剣な表情で言った。

「この事件が片付いたらあなたのご両親に会いにいって、ちゃんと目暮警部にも
報告しなくちゃならないわね」
「美和子さん・・・・」

二人の距離がぐっと近づき、唇が触れ、重なった。
長い長いディープキス。
高木は美和子を強く抱きしめ、絞り出すような声で

精一杯の愛の言葉をささやいた。
「愛しています・・・・ 美和子さん。必ずあなたを幸せにしてみせます」

────────────────────

美和子と高木が渋谷の監視に入って3日目の金曜日。早速動きがあった。
渋谷は2人の男とともにワゴン車で米花町3丁目付近の目立たない路地裏に乗り
付けると、
1人を車に残したまま別のもう1人の男と一緒に降りてきて所在なげにたむろして
いた。
すでに彼と一緒に出てきた男が中野亮、車に残った男が品川徹であることは調査
済みだ。
彼らも密売組織の一員であることは間違いないだろう。
そこへ渋谷の携帯に電話が掛かってきて、何やら2、3言話を交わすと渋谷と中野は
2人そろって動き出した。
美和子は瞬時に決断し、高木に命じた。

「私が2人を尾行するから、高木君はあの車を見張ってて。何か動きがあったら
すぐに連絡をちょうだい。じゃあお願いよ」
「はい、わかりました」

踵を返して二人の後を追う美和子。
だがその時、高木は突然背中がひりつくような
何ともいいようのない嫌な予感に襲われて思わず美和子を呼び止めた。

「さ、佐藤さん」
「えっ? 何っ?」

美和子が振り返る。

――自分が二人を追い、美和子にここで車を見張っていてもらうべきなのではない
か、いやそうすべきだ――

そんな直感が働いた。
だがそれはあくまでただの勘、先輩でもあり、上司でもある美和子の判断を覆す
だけの確たる根拠はない。高木は一瞬口ごもり、一言だけ言った。

「き・・・・ 気をつけてください。何か嫌な感じがします」
「分かってる。高木君もね」

美和子の後姿が遠ざかっていくのと同時に高木は彼女と二度と会えなくなってしまう
ような何とも言いようのない不安がどんどん自分の胸の中で増してくるのを感じて
いた。
決して長いキャリアではないが、これも刑事の勘というやつなのだろうか。
「(別に何も起こるわけないじゃないか)」
高木は首を振ってその不安を無理やり頭の片隅へと追いやると、あらためてワゴン車
へと注意を向けた。
だが・・・・ この時の自分の刑事としての勘を信じきれなかったことを、
高木は一生後悔することになるのだ。

────────────────────

そんな高木の不安を知るよしもない美和子は渋谷と中野を慎重に尾行していた。
妙に人目を気にして、きょろきょろと周囲の様子をしきりに窺っている二人の
行動は明らかに挙動不審だ。中野が業務用のカメラを携えているのが不可解だが、
もしかしたらドラッグ密売の決定的現場を確認できるかもしれない。
最近の違法ドラッグの蔓延には目に余るものがある。特に大学生や主婦層に
大きく広がり、看過できない社会問題と化している。
事の重大性を認識せずに、気軽に手を出してしまう彼らの軽率さにも問題があるが、
何と言ってもそれを売り捌く密売組織の存在は許しがたい。さらにその組織の背後
には今回の泥山会のような暴力団が介在し、彼らの大きな資金源になっているのも
より大きな問題だ。
今回はその密売組織と背後の泥山会を一挙に叩き潰す絶好のチャンスなのだ。
そのためにも二人が密売組織の売人であることの確かな証拠をつかみたい。

「(絶対に尻尾を捕まえてやるから!)」

美和子の握り締めた拳に思わず力がこもった。
そんな美和子に気づくことなく二人は時折言葉を交わしながら歩いていく。
やがて二人は目的の相手を見つけ、声をかけた。

「(えっ!・・・・ あ、あれは・・・・ ど、どうして・・・・)」

二人が接触したその相手を見て、美和子は我が目を疑い、愕然とした。


────────────────────

蘭はお客でごった返すスーパーでかなりの量の食材の買い込んでいた。
このスーパーは家からはやや遠く、普段はあまり利用しないのだが、
今日は月に一度の大特売日であり、毛利家の家計を預かる蘭としては
このチャンスは見逃せない。
大混雑していたキャッシャーでようやく精算を済ませると、買い物台で
かごからレジ袋に中身を入れ替える。

「(コナン君お腹すかせて待ってるかな。早く帰ってご飯作ってあげなきゃ)」

鞄とレジ袋二つを両手に持ってスーパーから出てくる。
だがそんな蘭の様子をやや離れた場所からじっと注視する足立薫の姿があった。
足立は蘭とは違う出入り口から店を出ると携帯電話を取り出した。

――俺だ。獲物(ターゲット)は今そちらに向かった。準備はいいか?
――オーケーオーケー、準備万端、仕上げをごろうじろうってか。

軽口をたたく渋谷の浮ついた声が聞こえてきた。

――おい、油断するなよ、何と言っても相手は空手のチャンピオン様だからな。
  俺も今からそっちへ向かう。
――分かってる、分かってる。大丈夫さ、安心しろよ。

「(たっく・・・・ 舞い上がりやがって。本当に大丈夫かよ)」
切れた携帯電話をポケットにしまうと、逆のポケットの中の、いざという時のため
に用意してきたスタンガンの手触りを確かめて、足立もまた蘭の後をつけていった。

帰途を急いで、人通りのほとんどない裏道を足早に急ぐ蘭の背後から声が掛かった。

「すみません・・・・ 毛利蘭さんですよね?」

蘭が振り向くと、そこにいたのはカメラを持った二人の男。

一人は中肉中背、もう一人はやや小太りだ。

「ええ、そうですけど」
「僕は『月刊空手道』の編集者で目黒といいます。彼は記者兼カメラマンの豊島」

小太りの男がそう言ってくだんの雑誌を掲げて見せ、さらに名刺を手渡した。

蘭がその名刺を確認すると、確かに『月刊空手道 編集部 目黒匡』とあった。

「あのぉ・・・ また何か?」訝る蘭。
「実はこの前の記事が大変好評でしてね。それで次号ではあなたのミニ特集を
組むことが決まりました。それでもう少し詳しい取材をさせていただきたいのと、
お父さんの毛利小五郎さんとのツーショット写真が欲しくてお宅を訪ねることに
なったんですが、実は僕達この辺りは初めてなものでちょっと迷ってしまいまして
ね。それで困っていたらちょうど君を見かけたってわけなんです」
「そうなんですか。でも父とツーショットの写真なんて・・・・」
「迷惑ですか?」
「いえ、別にそういうわけじゃないですけど・・・・」

『週刊スクープ』の記事には小五郎は不機嫌だったが、『月刊空手道』の記事について
は特に何も言ってなかったので問題はないかもしれない。
「それじゃあツーショットは無理にとは言いません。ですがせめて追加取材とお父さん
の写真だけでもお願いできませんか?」
「でも私今から帰って晩ご飯の支度しなくちゃならないし・・・・ また別の機会じゃ
だめですか?」

蘭がレジ袋に目を落とす。だが、男達は深く頭を下げ、懇願するように言った。

「そこをぜひ何とか・・・・ お時間は取らせません、たぶん30分、いや20分も
あればすむと思います。お願いします、蘭さん」

こうまで言われては蘭も断りにくかった。

「わ、わかりました。そういうことならかまいません」

男は顔を上げると、今度は感心したように言った。

「それにしても、空手の関東チャンピオンになるくらい部活動にも熱心なのに、
それでいて家事ちゃんともこなしているなんて立派ですね」
「そ、そんな・・・・ それほどのことじゃないです」

恥ずかしそうに顔を赤らめる蘭。

「いやいや立派です。それにね、今回はそういう蘭さんの普通の女子高生らしい
部分を取材したいと思っていたんですよ。特に今はそういう記事が読者には
うけるんですよ」
「はあ・・・・ そうなんですか」
「ええ。じゃあ、すみませんがご自宅まで案内していただけますか?」
「ええ、かまいません。じゃあ、私の後について来てください」

踵を返して歩き出す蘭。すると男が気さくな口調になって呼び止めた。

「ちょ、ちょっと待って、蘭さん。僕達、車で来てて取材に必要な道具なんかも
全部そっちに置いてあるんだ。それで悪いんだけど同乗して案内してくれないかな。
それに簡単なインタビューも車内で済ませておきたいし。ほら、お父さんの前だと
ちょっと訊きにくいこととかもあるんだよね」

男が屈託なく笑って言うと、それにつられて蘭も思わず笑って言った。

「ええ、いいですよ」
「じゃあ、お願いします。車はちょっと先の路地に停めてあるから。
あっ、その袋は僕が持ちましょう」

そう言って、男は遠慮する蘭の手からなかば強引にレジ袋を取り上げた。

「すみません、ありがとうございます」
「いえいえ、全然かまいませんよ。じゃあついてきてください」
だが、振り返って視線を交わしあった二人の男の顔にはそれまでの穏やかな笑みとは
全く別の淫猥な期待に満ちた残酷な笑みが浮かんでいた。


────────────────────

美和子は渋谷と中野の接触した相手を見て我が目を疑い、愕然とした。

「(蘭ちゃんじゃないのっ! ど、どうしてっ・・・・)」

最近、伝統ある名門高校の男子生徒が大麻を栽培していた事件が発覚するなど、
大学生や主婦層だけでなく、高校生にもドラッグ汚染が広まりつつある。

「(でもまさか・・・・ 蘭ちゃんに限って・・・・)」

美和子の知っている蘭は正義感の強い、明るく素直な本当にいい娘(こ)だ。
そんな蘭が違法ドラッグに手を染めているなどとは到底信じられない。
しかし、そんないわゆる「いい人」が犯罪に手を染める例もまた美和子は
それこそ腐るほど見てきている。
『まさかあの人があんなことを・・・・』とか『〜さんに限ってまさか・・・・』
という犯罪者の周囲の人々の反応はもはや陳腐と言ってさえいい。
人の内面は決して簡単にはかり知れないものなのだ。

「(でも、まさか・・・・ 蘭ちゃんに限ってそんなことが・・・・)」

だが、同じ帝丹学園グループ、それも同じ空手部という繋がりはあるし、
あの二人がドラッグの密売人であることは間違いない。そして彼らがこうして
人気のない場所で蘭と接触し、親しげに話していることも事実なのだ。
このまさかの予測し得ない事態にさすがの美和子もどう対処すべきか判断を
迷っているうちに蘭が二人と一緒に歩き出した。

「(蘭ちゃん・・・・ あなた・・・・)」

蘭に限ってそんなことは絶対にありえないという強い思いと、だが万が一という
ほんのわずかな疑念。そんな混乱した思いを抱えたまま美和子は三人を尾行しはじ
めた。
だが・・・・ その心の乱れは注意力の散漫を招いていた。美和子は前方の三人に
意識を向けすぎるあまり、彼女自身もまた別の男につけられていたことにうかつにも
気づいていなかったのだ。

男達は目立たない路地裏に停めてあったワゴン車のところに蘭を連れていった。

「じゃあ、乗ってください」

小太りの男は自ら運転席に座ると助手席のドアを開けて蘭をそこへ座らせ、
もう一人の男は蘭の斜め後ろのリアシートに座った。

「一応、シートベルト締めてください」

運転席の男が優しく言う。

「はい」

蘭がシートベルトを締めてしっかりと固定し、シートに身体を預けて訊いた。

「あの・・・・ それで簡単なインタビューって何なんですか?」
「ああ、それね・・・・」

運転席の男――渋谷駿――は蘭の身体がしっかりとシートベルトで固定されたことを
確認すると、それまでの穏やかな笑みを引っ込めて、ぞんざいな口調で言った。

「そうだな・・・・ まずはスリーサイズでも聞かしてもらおうか?」
「えっ!・・・・ じょ、冗談ですよね?」

男の豹変に顔色を変える蘭。渋谷はさらに卑猥な口調で言った。

「冗談? とんでもない本気(マジ)だよ、マジ。ついでにまだバージンかどうかも
教えてくれると嬉しいね。どうだい、空手のチャンピオン様は男とはもうやったこと
があるのかい? セックスだよ、セックス」
「なっ・・・・ 何をっ!  私、そんな取材受けませんっ! 降りますっ!」

蘭が憤然としてシートベルトを外そうとするが、どうしても外れない。

「な、何よこれっ! 外れないじゃないのっ!」
「クックックッ・・・・ それにはちょっと細工がしてあってな。そう簡単には
外れないようになっているのさ」
「ふざけないでっ!」

蘭の右裏拳が渋谷の顔面に飛んだ。

しかしそれより一瞬早く、彼女の真後ろの席に身を潜めていた品川がシート越しに
蘭の口に手拭で押し当て塞いだ。

「ううっ、ううっ、ううっ!」

裏拳は渋谷の鼻先で虚しく空を切り、激しくもがく蘭。シートベルトの金具が
ガチャガチャと悲鳴を上げる。だが手拭にしみ込ませてあったクロロフォルムが
効いたのか、蘭はすぐに意識を失いぐったりと頭をたれた。
渋谷が蘭の顔を覗き込むようにして卑猥に笑った。

「クックックッ・・・・ スリーサイズもバージンかどうかも、身体に直接訊いて
確かめてやっから楽しみにしてな、蘭ちゃんよお・・・・
よし、後は足立が戻ってきたら即出発だ」

渋谷がキーを捻り、エンジンをふかしたその時、

「待ちなさいっ!」

突然ワゴン車の前に一人の若い女性が立ちはだかった。


────────────────────

美和子が3人の尾行を続けていると彼らは先ほどのワゴン車のところへ戻ってきた。
物陰に隠れて素早く周囲に目をやるが、ワゴン車を見張っていたはずの高木が姿が
ない。
さらに車に1人残っていた品川の姿も見えなかった。

「(どうして・・・・?)」

蘭がワゴン車に乗り込み、何やら男達と話している。

「(まさか・・・・ 本当に蘭ちゃんがドラッグを・・・・)」

だがあの男達から蘭がドラッグを買っているという確証はないのだし、
それ以前に本当にドラッグの売買かどうかも分からないのだ。そんな状況下で
彼らと接触するのは危険だし、蘭の口から自分が刑事であることがばれてしまう
可能性も高い。

「(どうしたら・・・・)」

逡巡する美和子。
とりあえず高木を呼び出そうと携帯電話を取り出したまさにその時、
車内で異変が起こった。
助手席に座った蘭の背後から突如男が襲い掛かり、
彼女の口元に何物かを押し当て、蘭がもがき暴れているのだ。
美和子は瞬時に駆け出し、手にしていた携帯電話を投げ捨てると同時に素早く拳銃を
胸のホルスターから取り出し、車の前に立ちはだかった。

「待ちなさいっ!」

拳銃を両手で構えて車内の男達を威嚇しつつ運転席側のドアに近づく。
助手席で蘭がぐったりと意識を失っているのが見えた。

「警察よ! 早くドアを開けなさいっ!」

男達の顔に浮かぶ驚愕と怯えの表情。だが、次の瞬間その顔が奇妙に歪んだ。

「(えっ?)」

その変化に気を取られた美和子は背後から近づいてきた足立の気配に気づくのが
一瞬遅れた。

「そこまでだっ!」

美和子が振り向くより早く、スタンガンが彼女の首筋に押し当てられた。

――バチバチバチッ!

目も眩むような閃光とともに凄まじい衝撃が美和子を襲った。
「うぐっ!」
その場に倒れ込む美和子。手にしていた拳銃が路面を滑る。

「ドアを開けろっ!」

足立が叫ぶ。
ドアが開いて渋谷と中野が一斉に飛び降り、3人がかりで美和子を車の後部座席に
押し込んだ。
さらに足立が品川からクロロフォルムのしみこんだタオルをひったくるようにして
奪い取り、美和子の口にぐっと押し当てた。

「ううっ、ううっ!」

強い刺激臭が鼻をつき、それを吸い込むと同時に意識が遠のいていく。
薄れゆく意識の中で浮かぶのは愛する男の顔。

「(た・・・・ 高木・・・・ 君・・・・)」

だが、すぐに美和子は意識を完全に失いぐったりと倒れ込んだ。

「出せっ! 渋谷っ!」

足立が叫ぶと同時にワゴン車はアスファルトの路面に黒々としたタイヤ痕を残して
急発進し、路地を飛び出していった。

美和子に言われた通り、高木がワゴン車を監視していると突然背後から若い女性の
悲鳴が響き渡った。

「キャー! 誰か、誰か、その男を捕まえてっ! ひったくりよっ!」

振り返れば、突き飛ばされて尻餅をついた若い女性と、慌てて逃げ出す男の姿。
さらにその男の手に光る刃物らしきものを見て高木はとっさにその男を追いかけた。
そしてやや遅れて駆けつけてきた警察官とともに何とか男の逮捕に成功すると、
その警官に事情を説明して後を任せ、大急ぎで現場に戻ってきた。
だが・・・・

「ど、どうして・・・・」

高木はそのありえない光景に呆然となった。
持ち場を離れたわずか10分ほどの間にすでにワゴン車の姿は消え、ただ急発進した
らしいタイヤ痕が黒々とアスファルトの路面に残されているだけだったのだ。

「くそっ!」

事情が事情とはいえ大失態には違いない。
至急、美和子の指示を仰ぐべく彼女の携帯に電話をかけたが、呼び出し音が鳴る
ばかりで一向に出る様子がない。

「(どうして・・・・)」

苛立つ高木の耳にかすかなバイブ音が聞こえてきた。

「えっ?」

その方角に目を凝らせば、タイヤ痕のすぐそばで見覚えのある携帯電話が
バイブしていた。

「(あ、あれはっ・・・・ まさかっ!)」

その場に駆け寄り拾い上げる。
それは間違いなく美和子の携帯電話であり、開かれたままの液晶画面にはアドレス帳
の高木のページが表示されていた。
さらに靴先に何かがぶつかり、路面を滑っていった。

「うん?」

そこにあるものを見て高木は愕然とした。
それはニューナンブM60後期型、まちがいなく美和子の所持している拳銃だ。

「ど、どうしてこれがこんなところに・・・・ まさかっ!」

放置された携帯電話と拳銃、そして姿を消した美和子と急発進したらしい車の
タイヤ痕。
そこから導き出された結論は・・・・

 ――二人を尾行していた美和子が再びここへ戻ってきて、姿の見えない自分と
 連絡を取ろうとした時、あの男達との間に何らかのアクシデント、それも彼女が
 拳銃を取り出さなければならないほどの緊急事態が起こったのだ。そしてあろうことか
 美和子は彼らの手に落ち、ワゴン車で連れ去られてしまった――

そう考えるよりほかなかった。

「(美和子さんっ!)」

高木は至急目暮に連絡して事情を説明し、ワゴン車と3人の男を緊急手配した。
だがワゴン車の行方は美和子もろとも漆黒の闇の中へと姿を消して杳として知れず、
高木の手には愛しい女(ひと)の携帯電話だけが残された。


────────────────────

ワゴン車は昼間の賑わいが嘘のように全く人気の絶えた提無津川緑地公園の
無料駐車場へいったん乗り入れた。
男達はそこで蘭と美和子をあらためてロープと手錠で拘束し直して猿轡をかませ、
スモークガラスで見えないようにしてある最後部の荷物置き場に放り込んで並べ、
さらに用心のために偽造ナンバプレートに付け替えて目的地へ向けて出発した。
今度は中野が運転し、助手席に足立、後部座席に渋谷と品川が座っていた。

「やった、やったぜ! さすがのチャンピオン様もクロロフォルムには
かなわねえってな」

品川が興奮を隠しきれない様子ではしゃいで言った。

「そ、そうっすね! それに先輩の演技力にはびっくりしたっすよ。
いやあマジ、雑誌記者になりきってて、おかげであんな偽名刺一枚でころっと
あの女も騙せたっすよ。ありゃあアカデミー賞級の演技だったすよ、先輩」

中野もハイテンションで渋谷に振ったが、渋谷は気のない様子で答えた。

「ああ・・・・ そうだな」

渋谷には二人の声などほとんど聞こえてなかった。
彼はその濁り淀んだ双眸に欲情の炎をぎらつかせ、囚われの身となった蘭の身体を
舐めるような視線で上から下まで見回していたのだ。
はっとさせるような美人というタイプではないが、整った目鼻立ちは全体的に
清楚な印象を与え、男の征服欲をそそる。息遣いにあわせてかすかに揺れている
胸の膨らみは、制服の上からでも適度なボリュームと形もよさが見て取れる。
下半身へと目を移せば、襞の多いスカートの裾が大きく捲りあがって露わになった
すらりと伸びる長い脚とそれとは対照的な健康的で肉付きのいい白い大腿部が何とも
艶かしく、さらにその奥でわずかに覗き見える白い下着が男の劣情をいやがおうでも
かきたてる。

――ゴクッ

思わず生唾を飲み込んだ。

「(くそっ! 早く犯っちまいてぇ!)」

すでに渋谷の脳内では、一糸纏わぬ姿のこの格闘美少女を己が身体の下に組み敷き、
思う存分その身体をいたぶり弄んで再三再四犯しぬく映像が繰り返し再生されていた。
瞬く間に下半身が充血し、ジーンズの下で痛いほど怒張してきた。

「(くうっ、たまんねえなあ・・・・ 早く素っ裸にひん剥いて犯っちまいてえぜ。
そんで一回犯ったら、そん次はバックから犯ってやるか。いや、待てよ、それより
あの可愛いお口でおしゃぶりしてもらうってのもありだな。そんでもって・・・・)」

だが、その淫らで下劣な妄想は品川の声で遮られた。

「なあ、それにしてもこっちの女は何なんだよ。警察っていったいどういうことなん
だよ」

渋谷が視線を美和子に移すと、足立が美和子の警察手帳を投げてよこした。

「『佐藤美和子』。警視庁の刑事みたいだな。それも警部補だとよ」
「でも、どうして刑事があんなタイミングよく現れたんすかね?」

中野が運転しながら訝しげに訊くと、足立が苦々しげに渋谷と中野を交互に見やり、
吐き捨てた。

「オマエらがつけられてたんだよ」
「えっ? どういうことっすか?」
「俺がオマエ達3人の後についていたら、オマエ達を尾行しているこの女に気づいた
のさ。そんときゃ、まさか刑事だとは思わなかったけどな」
「で? どうするんだよ。この刑事は?」

品川が訊くと、足立より先に渋谷が答えた。

「このまま連れていくしかないだろ。それに・・・・」

いったん言葉を切った渋谷の瞳に宿る仄暗い光。

「よく見てみろよ。この警部補さん、なかなかいい女だぜ」

目鼻立ちのくっきりとした端正な顔立ちは凛とした印象の文句なしの美人と言えた。
ジャケットの上からでは分かりにくいが、スレンダーな体型でスタイルも悪くない。
そして何より目を惹くのは、蘭同様、担ぎこまれた拍子にタイトスカートがぐっと
ずりあがって半分ほど露わになった大腿部だ。健康的にむっちりと張ったそれが
車内に差し込む街灯の光に照らされて艶かしく光る光景は何とも淫靡だ。

「たまんねえなあの太もも。なあにゲストが一人増えたと思えばいいだろ」
「でも先輩、刑事ってのはまずいんじゃあ・・・・」

中野が及び腰で言いよどんだが、逆に渋谷がすごんだ。

「じゃあ、他に何かいい方法があるのかよ。だいたいこの女には拉致現場を
見られちまってるんだぜ。あのまま放置ってわけにはいかねえだろうが」

3人は沈黙するしかなかった。
確かに今はそれしか方法は思いつかない。
それを同意と受け取ったのか、渋谷はさらに続けた。

「それに刑事だからいいんじゃねえか。考えてもみろよ、女刑事を犯れるチャンス
なんてそうそうあるもんじゃねえし、なかなか面白い趣向だと思わねえか?
だいいちこれだけの上玉をやりたい放題に犯せるんだ。上の中だって喜びはしたって
文句なんか言うわけねえさ」

難しい顔をしていた足立がようやく口を開いた。

「と、ともかく、荒川さんに連絡してみる」


────────────────────

あと10分も走れば目的地に到着する。
渋谷が急に思いついたように言った。

「なあ・・・・ パーティーの開始は10時からだったよな」
「ああそうだけど、それが何だよ」

渋谷はいったん沈黙し、口惜しそうに言った。

「こいつらはどうせパーティーじゃ上の連中に先に犯られちまうんだよな」
「まあいつもそうだからな」
「ちょっともったいないと思わねえか」

渋谷の視線が蘭へと走る。

「渋谷オマエ・・・・・・ 何が言いたいんだよ?」
「今はまだ8時過ぎだ。時間は十分にある。どうだ、パーティーに連れてく前に
俺達だけでこのチャンピオン様を一足先に楽しんじまうってわけにはいかねえかな?」

蘭がゲストに選ばれて以来、渋谷が彼女に異様なほど執着しているのはこの場の誰
もが知っていたが、足立が言下に否定した。

「バカ! そんなことできるわけないだろ。それに前に同じことをしたヤツが
どうなったのか、忘れたわけじゃないだろうな」
「それは・・・・」

渋谷が沈黙した。
前回のパーティーで、会場に連れてくる前にゲストを先に喰った二人の売人が
幹部連中から半殺しの目に遭っていたのだ。
さらに足立が言いたした。

「それに考えてもみろよ。この娘は荒川さん直々のご指名なんだぜ。そんなのを
俺達が先に喰っちまえるわけないだろ。あきらめるんだな」
「ちっ・・・・」

渋谷は小さく舌打ちすると、今度はその欲望の矛先を美和子へと振り向けた。

「わかったよ。でもそっちの女刑事はもともと予定外のアクシデントなんだし、
別に俺達が先に喰っちまっても問題ねえんじゃねえか」
「だめだ。どっちにしろゲストには変わりねえんだからな」

それでも渋谷は執拗に食い下がった。

「じゃ、じゃあさ、こっちの女刑事だけどっか別の場所に監禁しておこうぜ。
そんでパーティーにはそっちのチャンピオン様だけを連れて行って、パーティーが
終わったら今度は俺達だけでそっちの刑事さんを可愛がってやるってのはどうかな」

足立が半ば呆れ、半ば怒ったように言った。

「何言ってんだよ、オマエ。さっきと言ってることが違うじゃねえか!
そんなのだめに決まってるだろ。だいたい、さっき荒川さんに連絡した時、
この女刑事のことも言っちまったよ。そしたらとりあえず会場に連れてこいとさ」
渋谷は大きなため息をついた。

「ちぇっ! 余計なことを・・・・ もったいねえなあ。こんなご馳走を
前にしてお預けかよ」
「しかたないさ。まあいずれ俺達がゲストを真っ先に味わえるような立場に
なってやればいいのさ」

やがてワゴン車はスピードを落としてパーティー会場へと滑り込んだ。
そこは西多摩市郊外にある古びた音楽スタジオ。
しかし昨今の不況の影響を受けて、ここ何年も使われたことはなく廃屋に近い状態だ。
だが周囲に人家はまばらな上に、防音設備は整っているのでどんなに泣き叫ばれようが
声が外に漏れることはない。
まさしくこの鬼畜の宴の舞台としてはうってつけの場所であった。
チェックに立っていた顔見知りの売人が車の中を覗き込み、荷物置き場に横たわる
美女と美少女の姿を目ざとく見つけて下卑た声をあげた。

「おっ、なんだなんだ、いい女を連れてきたじゃねえか。それも二人かよ!
コレが今日にゲストってわけだ。 オマエらの知り合いか?」
「いや、こっちの女子高生は荒川さんのご指名なのさ」
「えっ? 指名ってどういうことだよ?」
「そんなこと知るか。これだよ」

足立は『週刊スクープ』の例のページを開いて渡した。
男は記事と蘭を交互に眺めながら卑猥に笑った。

「へえ、可愛い顔して空手のチャンピオンなのか。こういうのが荒川さんの
好みなのかねえ・・・・ で、もう1人の女は何者なんだよ?」
「それは・・・・」

足立が説明しようとすると、荒川が現れて車を覗き込み、顔を上げた。

「よくやったな、オマエ達。それでこっちが例の女刑事か」
「刑事ですって!」

チェックの男が素っ頓狂な声を上げた。

「荒川さん・・・・ 一応言われた通り連れてきましたけど、どうしますか?
やっぱり刑事っていうのはちょっとまずかったんじゃあ・・・・」

足立が恐る恐る訊くと荒川は口の端を歪めて卑猥に笑った。

「心配するな。これだけの上玉なんだ、喜んでゲストとして招待してやるぜ。
それに女刑事(めすでか)を犯れるチャンスなんて滅多にねえからな、他の連中も
喜ぶだろうよ」

荒川は渋谷と同じようなことを言うと、蘭の制服の胸ポケットから生徒手帳を
抜き出して4人に命じた。

「とりあえず、2人を会場へ運んでおけ」
さらに足立に何事かを言い含めると、泥山会の屈強な男2人と会場を車で後にした。
「荒川さん、何だって?」渋谷が訝しげに訊いた。
「ああ、今回はもう1人特別ゲストを連れてくるから、それまではあの2人に絶対に
手を出すなだとよ」

足立がつまらなそうに答えると、

「ちっ・・・・ ここまで来てまだお預けかよ」

渋谷やもまた軽く舌打ちし、天を仰いだ。

荒川猛は自ら車を運転しながら怖い顔で前方を見つめていた。
足立の話によると、渋谷と中野の2人はあの女刑事に尾行されていたという。
どうやら帝丹大学の売人グループは警察に目をつけられているようだ。

「(しゃあないな・・・・ あいつらはもう用済みだな)」

前を向いたまま、助手席に座る泥山会の男に言った。

「今回はゲストのほかに、さっきの4人の始末も頼むわ」

男は全てを承知したといった表情で無言で頷くと、そのことには触れず逆に訊いた。

「ところでもう一人の特別ゲストってのは誰なんだ?」

荒川はぞっとするような冷たい笑みを浮かべて言った。

「ああ、さっきの女子高生の母親で今話題の弁護士の妃英理さ」
「えっ? 妃ってあのすっげえ美人で有名な弁護士か? へえ・・・・ あの娘の
母親がそうだったのか」
「そういうこと。今回は美人母娘(おやこ)の味比べ、つまり母娘丼を楽しもうって
趣向なのさ」


────────────────────

英理は小五郎からの電話で蘭がいまだに自宅に戻っていないことを知った。
時間はもう9時を過ぎている。
蘭が何の連絡もなしにこんなに遅くまで帰宅しないことなど今まで一度もなかった。

「(まさか何か事故にでも遭ったのかしら・・・・)」

嫌な予感がどんどん膨らんでくる。
とりあえず小五郎と会うために事務所を出たところで、突然目の前に黒い車が停車し、
3人の男が出てきて彼女の行方を阻んだ。

「あっ・・・・ あなたは」

英理はその真ん中に立つ男を見て眉をひそめた。

「よう、久しぶりだな、弁護士先生、俺のことを憶えているかい?」

荒川猛――墨田誠を脅迫し、自分にも逆恨みを抱いているらしい男だ。
いずれはきちんと警察を介入させて対処しなければならないが、今はこんな男
かかずらわっている暇はない。
荒川を無視して3人の横を通り過ぎると、背後から荒川のからかうような声がかかった。

「弁護士先生、ところであの蘭っていう空手の強いお嬢さんは見つかったのかい?」
「何ですってっ?」

振り返った英理の足元に転がる一冊の手帳。
拾い上げた英理は愕然とした。
それはまぎれもなく蘭の生徒手帳だったのだ。

「こ・・・・ これは。あなた、まさか・・・・」

言葉を失う英理。荒川がぐっと近づくと声を潜めた。

「ああ、アンタの可愛い娘は預かっている。無事返してほしかったら、黙ってついて
きてもらおうか。おっと、妙なまねはするなよ、でねえと娘の身の安全は保障しないぜ。
何しろ血の気が多い仲間が多くてね。さあ、分かったら車に乗りな」

後部座席のドアが開けられた。
蘭を人質に取られては英理に選択の余地はなかった。
屈強な2人の男に挟まれて乗り込もうとしたその時、携帯電話が音を立て、男達の動き
が止まった。
英理はその着信音で誰からの電話か瞬時に悟り、とっさに思いついた。

「出てもいいかしら? ついさっきクライアントに折り返しで電話を入れて
くれるように頼んでいたの。それに彼とは今から会うことになってたから、
勝手に約束をすっぽかしたら不審に思われてしまうわよ」

荒川は小さく舌打ちすると忌々しげに言った。

「出ろ。だけど余計なことは言うなよ。分かってるな」

英理は頷いて電話に出た。

――ああ、英理か。俺だけど・・・・

そこで一拍置くと英理は一方的にまくし立てた。

――ですから桜田さん、その件でしたら以前にもお話しましたように明らかにそれは
  違法行為ですので私としては了承しかねます。ええ、はい、門外漢のあなたには
  少し難しいかもしれませんが、それは民放224条に明らかに抵触しますから、
  絶対に無理なんです。あっ、それと今日は今からそちらにうかがうことがどうしても
  できなくなってしまいましたので、大変申しわけありませんが、日時を変更して
  いただけませんか。ええ、はい、それではまた後日こちらから必ず連絡いたします。

英理は電話を切ると、なるべく落ち着いた声で訊いた。

「蘭は無事なんでしょうね」
「ああ、もちろん。失礼のないように大切に預かってるさ。なあに、アンタさえ
来てくれればちゃんと無事に帰してやるよ」
「本当でしょうね」
「ああ、本当さ。俺が用があるのはアンタだけだからな」
『用があるのはアンタだけ』――この言葉に嘘はない。

荒川自身は蘭に手を出すつもりはなかった。だが、もちろん他の連中がどうしようが
しったことではない。
この美人母娘にはこれから陵辱の生贄として生き地獄を味わってもらうことになるのだ。

「そうそう、その携帯も預からせてもらおうか」

荒川は英理から携帯を取り上げて電源を落とすと、ポケットに突っ込みエンジンをふか
した。

「じゃあ、いくとしようか」

英理と3人の男を乗せた車はゆっくりと動き出し、一路闇の中へと消えていった。

突然切られた電話の受話器を手にして小五郎は呆然としていた。
英理はこちらが何か言うよりも先に一方的に喋りまくり、そして勝手に切ってしまった。
その後は何度かけ直しても通じない。どうやら電源が切られているようだ。

「民放224条っていったい何なんだ・・・・」

六法辞典で調べてみると、民法224条は境界標の設置及び保存の費用についての条文
だった。

「なんじゃこりゃ・・・・ それに桜田とか、門外漢っていったい・・・・」

蘭が行方不明という非常事態にあの意味不明な電話の応対は不可解すぎる。
頭を抱える小五郎。
その時、コナンがふと顔を上げて怖い顔をして言った。

「おじさん・・・・ 224条ってもしかして、民法じゃなくて刑法のことじゃないの?」
「えっ、刑法? 確か刑法224条は・・・・」

小五郎があらためて六法辞典を開くより早くコナンが答えた。

「刑法224条は未成年略取及び誘拐罪についてだよ。それにおじさん、桜田っていうの
と、門外漢っていうのはくっつけると『桜田門』になるよ」
「そ、それじゃあ! あの電話は・・・・」

これが何を意味するかは明白だ。
何らかの理由で英理は蘭が誘拐されたことを知ったのだ。
そしてそれをこんな回りくどい形で自分に知らせてきたということは、彼女がそれを
直接口にはできない状況、つまり英理自身の身にも異変が起こったに違いない。
それはすなわち英理自身が蘭を誘拐した犯人達と一緒にいるということではないか。
小五郎は目暮に慌てて連絡を取り事情を説明したが、その頃、警視庁でも美和子が
拉致誘拐されたことで大騒ぎになっていた。
そして様々な状況を付き合わせた結果、
蘭と美和子、そして英理の3人は同じ犯人達、つまり例のドラッグ密売組織によって
拉致された疑いが濃厚だと結論付けられた。

小五郎が警視庁へ向かうためにタクシーに乗り込むとコナンも一緒に乗り込んできた。

「お、オマエは家で待って・・・・」
「僕も行くよ、おじさん。蘭ねえちゃんを助け出すんだ!」

小五郎はそのコナンの気合に押されたように頷き運転手を促した。

「警視庁に行ってくれ。早く出してくれ、頼む」

前方を走る車の赤いテールランプを怖い顔で睨みつけるコナン。
ドラッグの密売組織が蘭を誘拐した理由や目的は分からないが、蘭の身に危険が
迫っていることは間違いない。
今のコナンにできることは警察に協力して一刻も早く彼女達の監禁場所を見つけ出し、
蘭を救い出すことだけだ。

「(蘭、蘭、蘭っ!・・・・ 頼む、俺が助けに行くまで無事でいてくれ!)」

だが、コナン、いや新一のその願いはかなうはずもなかった。
二人が警視庁に到着したちょうど同じ頃、陵辱の宴の生贄として選ばれた蘭に
まさに淫虐の魔の手が伸びようとしていたのだ。



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