怪譚 拾話・コトリバコ(前編)
「早速だが……一人目。木村涼音(きむらすずね)、二十四歳。職業は塾講師。自宅マンションの十階ベランダから転落死。現場状況から事故の可能性は低く、自殺というのが濃厚。しかし遺書は見つかってない」
私は殺風景な部屋の長机に置かれた自殺者の顔写真を見ながら、男性の低い声に耳を傾ける。
「二人目。滝芳子(たきよしこ)、五十四歳。業界上位であるアマテラス製薬の監査役。出張先の大阪梅田でダンプカーに撥ねられ死亡。目撃者の証言によると交通量の多い通りを信号無視。自殺と事故の両面から捜査中」
滝芳子は眼光鋭く、厳しそうな人柄が写真を通して伝わってきた。
「三人目、倉石恵(くらいしめぐみ)。三十二歳。彼女は新宿区の飲食店に勤務していた。高田馬場駅のプラットホームから飛び降り、電車に轢かれて死亡。遺書はないが捜査は終わっている」
背広姿の彼は立ったまま三枚目の写真を並べ、パイプ椅子に座っている私を見た。
その様は端正な顔立ちの俳優が刑事ドラマの撮影をしているといったほうがしっくりくる。
彼は二十代後半から三十代前半に見えるため、新米刑事ではなさそう。
「三人とも二週間ほど前に死亡、さらに全員女性という以外にも共通点が……そういえば挨拶が遅れた。今回、内調に協力することになった捜査一課の久坂暁仁(くさかあきひと)だ」
先程から事件の説明をしていた暁仁は思い出したかのように言う。
警視庁一階ロビーで最初に会った彼の一言目は「こちらへ」だった。
事前に内調から連絡がいっているとはいえ、名乗ることさえ後回しなのが捜査一課(ここ)の多忙さをうかがわせる。
「彼女たちの共通点は?」
「それは証拠品保管庫にあるので一緒にきてくれ」
部屋から出ると廊下には職員たちが足早に行き来している。
私たちはエレベーターで六階から一つ上の七階に移動した。
六階とは違って人通りがなく、ここが霞が関の警視庁といわれなければ休日のオフィスビルと勘違いするだろう。
暁仁が電子ロックに暗証番号を入力し、カードキーを通すと扉が解錠された。
扉が開くのと同時に灯りが点くようで、室内にはダンボールを乗せた大型の棚が等間隔に並んでいる。
暁仁は部屋の中央にある棚のダンボールを両手で抱えて床においた。
「これ、なんだかわかる?」
透明な袋で包装された物をダンボールから出して私に見せる。
それは小さな箱だった。
木製のため、地方の寄木細工の土産物のようでもあるが、それにしても――
「禍々しすぎるわ。呪物ね。これと同じような小箱がいくつかあるはず」
「これと……これもそう。どうして箱が複数あるってわかった?」
ダンボールから、さらに二つの箱を出して暁仁は私に質問した。
「これは八つセットの呪物。つまり、あと五つの箱が存在する」
「ジュブツってのは内調で使われる符丁? たとえば警察で犯人をホシと呼ぶような」
「符丁ではないけど。要は呪われた物ってこと」
「呪い? そんなものがあるとは思えない」
「呪いがどういうものかなんて、一ヶ月半前に内調に入った私にもわからない。ただ、さっき説明してくれた死亡者の三人が、この箱を所有してたとしたら私を呼んだのにも納得できる」
「ところで君の名前を聞いていなかった」
小箱をダンボールにもどしつつ、暁仁は抑揚のない事務的な声で言った。
「遠見綾乃よ」
「綾乃ちゃんが言うとおり、あの三人は箱(これ)を持っていた。こんな偶然の一致だけで、内調に捜査協力を要請するなんて馬鹿げてる。十日前から僕はこの箱の捜査にまわされ、自殺者の友人から話しを聞いてまわっているんだ」
迷惑だといわんばかりの口調である。
「どうしてこの箱を管理しているの?」
「例の三人の遺品を捜査するうち、たまたま似た箱があることに鑑識の一人が気づいた。自殺であっても遺品を軽く調べたりするんだが、三人とも同じ箱を持っていたのさ」
「鑑識の人が反応した……?」
「別々の現場から同時期に三つの箱が集まったわけで、鑑識も首をひねっていたらしい。箱を調べてみたら、中には乾燥した胎児の臍の緒や人骨の一部が入っていた。ここからがわからないんだが捜査一課ではなく、鑑識課から内調へ捜査要請したと聞いている」
鑑識課にも内調の協力者がおり、その者が箱を呪物だと断定して依頼してきたのだ。
「警察なら箱の出所くらい、つかんでいるんでしょう」
「それについても一致があってね……続きは移動中に話すよ」
私たちはエレベーターで警視庁の地下二階に降り、覆面パトカーに乗って新宿通りを経由して北東に向かった。
「……で、どこに行くの?」
「中野ブロードストリート。三つの箱はそこのサブカル系ショップで販売されていた。さっきの話しだが、死亡者たち全員が友人知人から箱を最近プレゼントされていたんだ。これは自殺者の周囲にいる人たちの聞き込みでわかった」
「あの箱はコトリバコといって、持っている者を呪い殺す呪物なの。だから渡した人は相手を怨んでいたはずよ」
「殺人で怨恨といえば動機としては王道だが、呪いじゃ逮捕令状なんか出ないな。お手軽な完全犯罪で捜査一課の出番なしか」
無線機器などが取り付けられた車内で暁仁は呆れ顔で言った。
「だから内調の私がきた。捜査が長引けば、さらに犠牲者がでる」
「三回の偶然が重なっただけだ。箱を持っている人たちが次々に死ぬ確率なんて低すぎて話しにならないよ」
中野ブロードストリート――居住区と商業テナントからなるそこを中野区のランドマークといっても過言ではないだろう。
一階の入り口は買い物にきた主婦、海外からの観光客、個性的な店舗を求めてやってきた若者たちによって奇妙なカオス感が生まれていた。
エスカレーターで三階にあがった私と暁仁は、コトリバコを販売していたアッパーギャラリーに立ち寄る。
「コトリバコが残っているようならすべて買い取るので、すぐに陳列から外して」
レジにいる四十代らしき店主の女性は私に気圧されたのか、残っていた三つのコトリバコを手早くショップロゴの描かれた袋に入れて渡してくれた。
「ご協力、感謝します。僕はこういう者です。できればここではなくバックヤードで、お話を伺いたいのですが」
言いながら、女店主に警察手帳を見せた暁仁は私を窘めるような目で見た。
彼の視線を言語化するなら”身分の提示もなく捜査するなんてルール違反だぞ”というものである。
私も”わかった”と無言のまま頷いた。
私が内調で教わったのは、アヤカシや呪物のことだけで聞き込みのセオリーなど教わっていない。
ここは後学のため、彼の捜査手順を拝見させてもらう。
「見ての通り、ウチの店はそんなスペースないんですよ。お話しなら、そこの喫茶店に行きましょう……レジ代わってー!」
狭い店舗の奥から、呼びかけに応じたアルバイトらしき赤縁メガネの女性がやってきてレジを交代した。
私たちは隣の喫茶店に移り、店主から事情聴取する。
暁仁はいまの店舗を開業するまでの苦労話を店主から聞きはじめた。
そんな中で店主の名前が北島和美(きたじまかずみ)であるのがわかり、福岡県出身の四十二歳なのも語られる。
私は暁仁の横で注文したオレンジジュースをストローで飲み、会話に意識を向けていた。
「箱のことなら、どんな些細なことでもいいので教えてくれませんか?」
「そうですねぇ……箱を店に置いてから丁度、一ヶ月くらいになります。あとは箱について聞かれたのは二回目です」
暁仁は一拍おいてから、「僕たちの他に聞いた人がいるんですね?」と訊ねた。
「女子高生の二人組だったんですけど。これは本当にコトリバコなのかって。商品説明のポップにも書いたので、それを疑ったのかもしれません。そりゃそうですよね、コトリバコなんてただの都市伝説なんですから」
「コトリバコって女子高生の間で有名なのか?」
暁仁は『最近はそんな歌が流行っているのか?』とでもいうように聞いてきた。
「有名とはいえないけど、私くらいの年齢でも知ってる人は知ってるんじゃないの」
「その女子高生の二人組も、あなたみたいに可愛かった。こっちの刑事さんは格好いいけど。お二人は、もしかしてご兄妹?」
「いいえ」と即答した私と苦笑する暁仁。
可愛いといわれても表情がないのだから、私の顔などお面と同じようなものである。
私には表情のある和美のほうが魅力的な人物に映っており、これが俗にいうコンプレックスなのかと初めて自覚した。
「箱を持ち込んできたのはどんな人でした?」
「客商売の私が言うのもアレですが、箱を持ってきた男の人は感じよくなかった。もっと高く買い取れって店の中で怒鳴りちらして。これ以上の額では無理ですって言ったら渋々うなずいて、中古品取引用紙にサインしたんです。そういう変な人ってウチの店だと少ないから、覚えているものなんですよ」
迷惑なほど騒々しい男性が箱を売りにきたようだ。
「箱を買っていった人は他の物を買わなかったような」
「ということは箱のみを買っていったと?」
「バイトの子がそれに気づいたんです。それが五個目まで続いたから、偶然にしてはちょっと気味わるいなって。こっちとしてはジョークグッズのつもりで売り出しただけなので」
「箱を売りにきた男って、コトリバコと知って売りにきたの?」
暁仁の質問に付け足すように私は言った。
「最初はコトリバコなんてなに言ってるんだろうと思ったんですけど、箱の作りも手が込んでてインテリアに使えるから売ってみてもいいと判断したんです」
――中野ブロードストリートでの聞き込みを終え、外に出るころには昼を過ぎていた。
コンビニでパンと飲み物を買った私たちは車内で食事を済ませ、コトリバコを売ったという港区の男性宅に向かう。
アッパーギャラリーでもらった中古品取引用紙によると、男性の名前は橋本昌司(はしもとしょうじ)で年齢は三十六歳。
文字は汚く、私がようやく読めるほどの悪筆である。
書かれていた携帯番号にかけてみたがつながらない。
「買い取りの値段を上げるように騒いだり、おかしな人のようね」
「その橋本とかいう男、よほど金に困っているようだな。博打、女、もしくは両方……金遣いの荒い男が散財するほとんどの理由がそれだ。捜査一課(こっち)では、よく見るタイプさ。しかし条件が揃っているからといって、全員が犯罪者になるわけじゃない。最後の一線を越えてしまう者とそうでない者には決定的な差がある。それはなんだと思う?」
犯罪者とそうでない者との違い。
――なにかしら。
歩道の老人を目で追いながら、私はしばらく考えこむ。
「……環境とか?」
「ほぼ正解だ。正解は周囲に止める者がいるかどうか。綾乃ちゃんがいうように環境ともいえる。まさにライ麦畑でつかまえてというやつだ」
「あなたの口から文学作品がでてくるなんて意外ね」
「これでも学生時代の趣味は読書だったからな……さ、着いたぞ」
立体駐車場に車を停め、私たちは橋本昌司の自宅を訪ねる。
そこは平凡な二階建ての家だ。
玄関のインターフォンを押しても無反応で、シャッターの開いた庭のガレージに車もない。
暁仁が橋本昌司について近所で聞き込みした結果、わかったことがいくつかある。
一つ目は両親が他界しており、息子の昌司しか家にいない。
二つ目はパチンコ店で大騒ぎして出禁になったという噂。
証言をたよりに最寄り駅である新橋駅周辺のパチンコ店をまわったが収穫はなかった。
手がかりが本名と店で騒ぎを起こした噂だけでは、それも仕方ないだろう。
「橋本はパチンコではなく競馬場や競輪場に行ってる可能性もある。今日は退散して明日の朝に出直すとして……少し話そう」
暁仁は中央区で車を停め、晴海通りを歩きだした。
しばらく進むと石材と鉄筋が特徴的な勝鬨橋が見える。
「こういう見晴らしのいい場所は思考がまとまりやすいから、捜査で空き時間があるとよくくるんだ。それでコトリバコだが、アッパーギャラリーにあった三個と自殺者の家で見つかった三個を足して六個回収している。全部で八個だから残りは二個」
「どうやったら箱の持ち主に辿り着くのかしら」
私は橋の欄干によりかかり、風に流される長い髪を右手ででおさえながら聞く。
「アッパーギャラリーの店主に頼み、念のため二ヶ月分のレシート控えのデータと防犯カメラ映像をコピーさせてもらった。幸い、コトリバコは単品で買われている。つまりコトリバコの価格から客の買った日時を特定できるわけだ。コトリバコを持ったまま自殺した三人のように鑑識からの続報を待てば所有者の身元も簡単にわかるが、それだと手遅れになってしまう」
「レジの日時と防犯カメラの映像を照らし合わせ、所有者の確認をするわけね」
「そうだ。しかし、それを調べるには多少なりとも時間がかかる。だからコトリバコを売りにきた橋本昌司の自宅に行くのを優先した。綾乃ちゃんがデータを持ち帰って箱の持ち主を特定し、僕が橋本を訪ねる……そうやって別々に動く方法もあるが、可能な限り避けたい。僕は捜査のプロだが呪いのプロではないからだ。僕が見落とすことを綾乃ちゃんは見落とさない。それは綾乃ちゃんが見落とすことを僕は見落とさないことでもある」
私は暁仁の話しを、橋から見えるスカイツリーを眺めながら聞いていた。
こうして捜査初日は終わることになる。
翌日の朝八時半。
私たちは橋本昌司の自宅を再び訪れた。
昨日と同じでインターフォンを押しても昌司は出てこない。
暁仁は車のないガレージの中を物色してから、玄関のドアを叩き始めた。
「橋本昌司さん、いるんでしょう? 警察の者です。借金についてご相談に伺いました」
玄関ドアの鍵が開けられ、ドアチェーンの隙間から気弱そうな中年の小男が顔をだす。
「警察手帳を見せてみろ」
暁仁は背広の内ポケットから警察手帳を出して見せる。
「警察手帳は偽造できる。お前、本物の刑事か?」
「疑うなら110番で僕のことを確認してもいい」
「……名前は?」
昌司は玄関の内側で警察に通報して、暁仁の身分を本当に調べているようだった。
次に暁仁のスマホが鳴り、橋本昌司に会っていることを伝える。
五分と待たず、昌司のスマホが鳴る。
多分、暁仁が本物の刑事という警察からの報告だ。
それにしても、なんという用心深さだろう。
私がアッパーギャラリーで聞いた橋本昌司のイメージは、常に横柄な態度で怖いもの知らずな男だったが実物はその逆。
小動物のように臆病で猜疑心が強く、瞳は台風のときの河川のように淀んで光がない――こんな男が店で怒鳴り散らすなど有り得るのだろうか。
「そこに居たことに気づかなかった。かわいい子だなぁ……」
ドアの死角になって私のことが見えていなかったようだ。
ドアチェーンを外した昌司は私の制服スカーフのあたり――胸元に指を伸ばしてくる。
そのとき、彼の目はさっきとは一転して、ぎらついていた。
私はとっさに暁仁の後ろに隠れる。
「刑事の前で未成年に手を出そうとするなんて勘弁してくださいよ。闇金のせいで愛車まで売ったんですから、もっと大人しくしていたほうがいい」
暁仁は昌司の右腕を絡めとって手首の逆関節を極めた。
「車を売ったのなんで知ってんだ!?」
その問いには私も同意である。
暁仁は、いつ昌司が車を売ったと知ったのだろうか。
「さっきのを見逃してほしかったら、質問に答えてください。コトリバコを何処で手に入れたか。それとコトリバコをどうして知っているのか」
暁仁は玄関の中で昌司を関節技から解放して言った。
「コ、コトリバコは親父が持ってた。うちの爺さんがどっかの寺の住職から貰ったと言ってたんだ。呪いの箱だというのも親父から聞いた。これでいいだろ!? 警察に行くのだけは許してくれ!!」
私に触ろうとした後には、まるで命乞いのような嘆願……ここまで人は変貌するのかと内心で驚く。
「あなたの父親は島根県の出身?」
彼のせいで男性恐怖症になりそうなほど動揺しているが、コトリバコについて調べるのが私の役目なので聞いた。
「なんで親父の出身地を知ってる?」
「どこの寺の住職かは聞いてないかしら」
「俺が聞いたのはコトリバコって呪いの箱で八つあることだけだ。もっと価値のある物かと期待したが、中古で安く買い叩かれたぜ。あんなガラクタのこたぁ、どうでもいいだろ! なぁ刑事さん、その子に触ろうとしたのは謝るから。闇金の取り立てでこっちはまいってんだよ! なんとかしてくれよ!! なぁ……なぁって!!」
私は暁仁に『もう、彼に聞くことはない』と首を振った。
「取り立ての被害については別の担当者が後日きます。それでは」
暁仁は営業スマイルで挨拶をして、家の敷地から出た。
私もそれに続き、車を売ったことをどうやって見抜いたのかたずねる。
「ガレージにこれから使うつもりだったであろう、新品のカーオイルやカーワックスの買いだめが大量にあったからだ。しかし昨日から車はない。車検にだしているなら代車があるはず。ついでにガレージの隅には紙袋が置かれていて、競馬新聞が山積みになっていた。新聞の日付は、ほぼ毎日。それらの情報から親の遺産を競馬で使いきり、金を工面するために車を売ったんじゃないかってね。では、どこで金を借りたのか。決まってる、闇金だ。普通の消費者金融ではブラックリストに載っていて借りられないのさ。僕たちが闇金の借金取りでないのを伝えるため、警察であるのを先に言った。昌司の怯えようからすると頻繁に借金取りがきていたようだね。もしかしたら昨日も居留守を使っていたのかもしれない」
「どうして、あの人は私に触ろうとしたの。それに様子がころころ変わって、ついていけなかった」
「綾乃ちゃんは自分のことに無頓着なんだな。簡単にいえば君が美人だからだ。あとは多額の借金によって、彼の精神はバランスを崩しているのかもしれない」
言われてみれば病的なほど昌司の態度は変化していた。
最初はこんな気弱そうな男が怒鳴ったりするのかと疑ったが、むしろ後先を考慮せずに感情を爆発させたり軽率な行動を取るのだと得心した。
なによりも最大の衝撃は人生で初めて”女”として見られたことだ。
こんなとき、私には表情がなくてよかったと感じる
なぜなら酷く混乱した表情を他人に晒すことになるからだ。
暁仁の車に乗って向かったのは、中野ブロードストリートのアッパーギャラリー。
昨日もきた喫茶店に北島和美を呼びだす。
「これはそちらで頂いた映像データを取り込んで修正を施したものですが、この女性を知っていますか?」
暁仁は折りたたんだカラープリント用紙を和美に見せた。
「この人、キミちゃんじゃないかなぁ。バイトの子がレジに映ってるから、わたしがいないときですね」
白いニットセーターを着た若い女性が斜め上からのアングルで写っているのが、暁仁の隣に座る私にも見えた。
「その方は知り合い?」
「古くからの常連さんです。予約した本やグッズを入荷したら電話を入れたりします」
「その方の連絡先を教えてもらえないでしょうか。それともう一人、見てほしいんですが。この子です」
暁仁が見せたもう一枚の用紙には、右胸にエンブレムのついた制服姿の少女が写っている。
「記憶にないですね。この画像だと、わたしがレジを担当してますけど。一日に何人ものお客さんを見るので忘れちゃったようです」
「店の常連でもないということですね」
「うちの店って一回目は物珍しさでくるんですけど、二回目はないなんてお客さんもたくさんいますから」
――それから三十分後、私たちは豊島区の東池袋中央公園前にいた。
アッパーギャラリー常連のキミちゃんに会うためである。
暁仁は腕時計で時間を見ながら欠伸をした。
「まだ昼過ぎだってのに眠いなぁ」
「寝てないの?」
「昨日は本庁に戻ってから調書を作ったり、アッパーギャラリーのレジと映像データの照合でほぼ徹夜だ。綾乃ちゃんと会う前に回収したコトリバコを買っていく三人の姿もあったから、キミちゃんと謎の制服少女の二人に絞られたわけだ。制服少女はエンブレムから、学校名の候補があがっている。少年少女の補導をしている生活安全部のベテランたちに、さっきのプリントアウトした画像を見てもらったんだ。制服リボンの色から学年もわかっている。キミちゃんのようにアッパーギャラリーの常連だと手間が省けたが、そこまで上手くはいかないようだ」
キミちゃんを待つあいだ、疑問に感じていたことを聞いてみる。
「初めてアッパーギャラリーの店主と話すとき、なんでまったく関係ない話題から入ったの?」
「刑事をどう見ているかを探るためだ。世間には僕たちのような職業を良く思っていない人も大勢いる。警察による誤認逮捕などの不祥事、そんなマイナスのイメージから聞き込みは始まる。現場百回という格言があるように、人も一度では真実を話してくれないかもしれない。だからあそこで店主に門前払いされても百回は行くつもりだったよ。綾乃ちゃんも、いつか相手が話したがらないことを聞かなくてはいけないときがくるかもしれない。相手が心の扉を閉じようとしても諦めないことだ」
私は改めてアヤカシ調査について素人なのだと実感した。
暁仁のような矜持を持てるようになりたいが、半年や一年程度の経験では無理そうである。
私が何気なく横断歩道を見ていると、若い女性がこちらにやってきた。
「あなたが”キミちゃん”ですか?」
「そうです。山谷公江(やまやきみえ)といいます。電話の刑事さんですね」
「私は遠見綾乃。内調の調査員よ。探偵みたいなものと考えてもらえればいい」
「へぇ、探偵ですか……」
内調が内閣調査室の略称とわかる者など世間では絶無に等しい。
それもあって公江は探偵というワードのほうに興味をそそられたようだ。
彼女は公園内でコトリバコを買った経緯や誰に贈ったかなどをすぐに喋ってくれた。
受け答えも明瞭で頭の回転が速いらしく、おっとりした外見とはちがって早口だ。
公江は二十六歳で豊島区内のアパレルショップに勤務しており、箱を贈った相手は同僚の長谷川愛という二十七歳の女性。
すべての情報を話してもらい、公江が去ろうとしたとき私はこう声をかけた。
「――殺したいほど憎い相手を友人として仲が良いと言うのはどうかしら」
公江は会話の端々でコトリバコを贈った愛のことを”友人として尊敬できる”とか”友人に何度も助けられた”と褒めていた。
それが私には不気味だった。
いままで朗らかだった公江から微笑が消え、かわりに眉、目、口のすべてが釣り上がった恐ろしい形相になる。
「上手く演じたつもりだったけど、やっぱり無理だったようね。……あの女が死ぬなら呪いでもなんでも使ってやる。あたしの彼氏を寝取って結婚するなんて死んで当然でしょ。コトリバコを渡したあたしを捕まえるとでもいうの? やってみなさいよ。できるわけないわよね。あいつ、本当に死んでるんじゃないの。今日も職場にきてなくて清々する」
私たちは公江の後ろ姿を唖然としながら見送った。
「コトリバコは強い憎悪を持つ者だけを呼び寄せる。彼女の本性は最後に見せたあれよ」
「警察は呪いの箱を贈った奴を逮捕できるほど万能じゃない。それに贈られたほうだって死んでないんじゃないか。いままでの三人が偶然なんだから」
「長谷川愛が無事かどうかは、これからわかる」
暁仁は公江から聞き出した勤務先に電話を入れ、コトリバコ所有者である愛の住所を手帳にメモしている。
私は後ろに建つサンシャイン60を見上げ、長谷川愛は暁仁の言うように呪いの影響を受けていないのではないかと少しだけ期待した。
呪物を扱う調査は今回が初めてのせいもあって、私も呪いについて些か懐疑的である。
内調の内部資料によれば呪物の定義とは解明不能でありながら高確率で災いをもたらす物――要するに内調も呪物の詳しいメカニズムはわかっていない。
呪物の呪いを解いたり分析するには専門知識を有した者に依頼する必要があり、私は上司からその稀有な人物が都内の南青山にいると聞いている。
その人と会うのはコトリバコをすべて回収してからだ。
いまは長谷川愛と謎の制服少女に会うことに全力を尽くさねばならなかった。
――私と暁仁はコトリバコを甘く見ていたようだ。
文京区のアパート一階で長谷川愛の遺体を発見した。
私たちは愛の自宅ドアが開いていることに気づき、部屋の中に入ってみた。
廊下には異臭が漂い、暁仁がいままでにないほど緊張しているのがわかる。
ドアノブに紐を巻いて首を吊っている愛の上半身……それが居間のカーテンの隙間から漏れた明かりで白く染まっていた。
「綾乃ちゃん、今日は帰ったほうがいい。僕はこの現場に残らないといけないんだ。君がなるべく事情聴取で時間を取られないよう、上役に話してみる。それと先に言っておくがこれからの数日間は、この事件のせいでコトリバコの捜査から僕は外れることになるだろう。刑事が遺体の第一発見者なんだ。僕もこの遺体の捜査に駆り出される。最後のコトリバコの持ち主は君だけで追うんだ。コトリバコの呪いなど信じていなかったが碌でもない連中しか関わっていないあたり、すぐにでも最後の所有者と会うべきだね。僕の持っている情報のすべてを今夜にでもメールする。遺体の件が片付き次第、コトリバコの捜査に僕も合流するから」
私が頷くと暁仁は満足そうに頷き返した。
長谷川愛のアパートから帰宅していると、暁仁が通報したであろうサイレンを鳴らしたパトカー二台とすれちがう。
夕暮れの中、長谷川愛にコトリバコを渡した山谷公江の高笑いが聞こえたようで悔しくなったが、数秒後には最後の箱所有者である制服少女のことで頭の中が一杯になっていた。