怪譚 拾話・コトリバコ(後編)

目次に戻る





 私は杉並区の国成院高校にきていた。
 昨夜、暁仁からメールが届き、制服少女の通っている高校がここである可能性が高いと書かれていたからだ。
 他にわかっているのは制服リボンが青色なことから二年生だろうとも彼は推測している。
 私は先手を打ち、自分が内調の調査員で午後に訪問すると事前に一報を入れた。
 暁仁のような刑事であれば突然の来訪でも学校側も情報提供してくれるだろうが、私のような小娘がただ学校に行ったところで教師たちから一笑に付されるだけだ。
 ご丁寧に来客用玄関まで校長が出迎えてくれた。
 彼の話すことといえば”我が校の生徒は善良でなにも問題はない”とか”納税の義務も果たしている”などの校長らしい常套句である。
「この学校にいる二年生全員の出席表を見せて」
 応接室で私は校長にそう命じた。
 小太りの校長はすぐに生徒の出席データが入ったタブレット端末を持ってくる。
 アッパーギャラリーで制服少女がコトリバコを買った日は平日の午後一時……学校では授業中のはずだ。
 テスト期間中とも思ったが、時期からしてそれはないだろう。
 コトリバコを制服少女が買った日、学校にきていない者を検索してみると二年生7クラス中で五人。
 そのうちの三人は男子なので除外、残るは斎川奏(さいかわかなで)と伊藤晴奈(いとうはるな)という女子二人。
 その女子たちは別クラスなのでそれぞれの担任に少女のカラープリントを見てもらい、斎川奏は違うことが判明した。
「うちのクラスの伊藤晴奈です」
 晴奈の担任は妙齢の女性で痩せており、疲れた声で言った。
「出席表を見ればわかりますが、彼女は一年の終わりから不登校で問題児なんです。私も頑張ってはみたんですが力不足で。このままだと退学になってしまうからと、家に何度か行ったのですが会ってもくれないんです」
「どうして学校にこないの?」
「わかりません。クラス内でイジメもありませんし、彼女になんらかの問題があるとしか言えませんね」
 深刻な顔で事情を話す担任教師から、晴奈の住所を聞きだして学校をでる。
 葛飾区にある、晴奈の自宅までは電車で一時間ほどかかった。
 新興住宅地のようで付近には入居者のいない新築の家が建ちならび、”見学会実施中”の派手なノボリが春風を受けて踊っている。
「私は遠見綾乃といいます。晴奈さんとは中学のとき何度か一緒に遊んだことがあったのですが、高校入学と同時に私は引っ越してしまって。彼女は元気でしょうか」
 私は適当に晴奈と面識があるように話しをすすめた。
「あら、せっかくだからあがって頂戴」
 リビングに通された私は晴奈の母から、緑茶と胡麻煎餅をだされた。
「ごめんなさい。晴奈は三ヶ月くらい前から不登校になって二階の部屋から出てこないのよ」
「なにかあったんですか?」
「訳を話してくれないの。いまの学校は三年間クラス替えがなくて担任の先生もずっと同じだからと最初は喜んでたのに」
 晴奈の母は深い溜め息をついた。
「だけどこないだ珍しく学校に行ったのよ。それがここ最近で学校に行った最後かしら」
 コトリバコを買いに行った日のことを言っているのかもしれない。
 その日、晴奈が学校にきていないのは出席データで裏が取れている。
「力になりたいので晴奈さんに少しでも変化があったら、すぐに呼んでください」
 晴奈の母は目に涙を浮かべて「ありがとう、晴奈をよろしくね」と私の手を握る。
 私は玄関に向かうときに見た二階への階段を見つめ、タイムリミットを五日と決めた。
 この五日間で動きがない場合、あらゆる手段を使って晴奈の部屋に踏み込むつもりだ。
 できればそんなことなどしたくはないが、コトリバコをこのまま放っておけない。
 こうして最後の箱所有者である伊藤晴奈と会うこともなく、彼女の家を後にする。


 それから三日後の昼、晴奈の母親から『晴奈が制服を着て学校に行った』と電話連絡がきた。
 私は晴奈の自宅に行き、母親から許可を得て彼女の自室に入る。
 部屋は片付いていて壁にはコルクボードが掛けられ、何枚もの写真が画鋲で貼られていた。
 私はそれを一枚一枚、注視する。
 学習机の上にはコトリバコが置かれていた。
 私は箱が誰にも渡されていないことに安堵したが、不安という白霧が消えるどころか濃度を増していくのを感じた。
 ゴミ箱を調べるとステンレス包丁の入っていたプラスチックケースが捨てられている。
 ――こんな物がどうしてここに。
 私は家を飛び出し、タクシーを拾って晴奈の通う高校に向かう。
 晴奈は学校の誰かを殺めようとしているのではいか。
 杉並区の人見街道で渋滞によって足止めされた私はタクシーから降りて走った。
 校門前の電柱わきに制服姿で髪を後ろで結んでいる少女が立っている。
 私は彼女と会ったことがないのに、その顔を何度も見ていた……あれが伊藤晴奈だ。
 私が背後から晴奈に話しかけようとしたとき。
 彼女の鞄から、なにかが一瞬だけ光った。
 私は反射的に、それを右手で掴む。
 地面のアスファルトに赤い液体が雨のように垂れていく。
 晴奈の青ざめた顔からは、私を刺した瞬間の狂気に満ちたものが消えていた。
 包丁を持っている右手と刺さった腹部に痛みはなく、熱しか感じない。
「あなたはこれ以上……不幸になってはいけない」
 それだけ言って、私は膝から地面に崩れ落ちた。
 両親も包丁で殺されたし、刃物と相性が悪い家系なんて笑い話にもならない。
 視界が急激に狭まっていく。
 やがてなにも見えなくなり、真っ暗な井戸の底に落ちていくように私は意識を失った。




 目を覚ました場所は病院のベッドだった。
 体を動かそうとすると右手と脇腹に激痛がはしる。
 しばらくすると男性の医師がやってきて私が刺されたショックで脳貧血を起こし、通行人が呼んだ救急車で運ばれたことを話してくれた。
 出血のわりに傷は浅く痕も残らないとも言われたが、二週間の入院だと告げられる。
 ――二週間後をむかえた退院の日、暁仁がやってきた。
 彼は毎日のように見舞いにきて、洋菓子などを差し入れてくれた。
「退院おめでとう。それから僕が側にいなかったため、こんなことになって済まない」
 高層ビル郡の隙間から山手線が見える病院の屋上で暁仁は私に頭を下げた。
「私が悪かったのよ。晴奈が刃物を持っているとわかっていたんだから、もっと慎重に動くべきだった」
「あの包丁はコトリバコを買った帰り、ホームセンターで購入したと晴奈は供述している」
「彼女はいまどうしているのかしら」
「処分保留で自宅にいるが被害者の綾乃ちゃんが傷害で起訴すれば、なんらかの処置が取られる」
「晴奈の部屋に入ったとき、コルクボードに写真が貼られていたの。そこには怨んでいたであろうクラスメートたちの顔がカッターで切りつけられていた。だけど一枚だけ、顔が切りつけられていなかったのよ。それは彼女とそのクラスメートたちが並び、みんな笑顔で写っていた写真。……それでわかった。前に仲が良かった友人たちから、彼女がイジメを受けていると」
「その読みは当たっている、しかも、補足つきで。担任がイジメをもみ消したどころか加担していた。同じクラスの生徒たちから証言が取れている」
「告訴はしない。あと担任教師を実名で報道させるよう、文部科学省とマスメディアに内調から圧力をかける。自分がやったことの報いを受けてもらわないと。イジメていたクラスメートたちの処遇は晴奈に委ねる」
「今日は電話で話した通り、晴奈からもコトリバコを回収して全部持ってきた」
 暁仁はビニール袋を掲げた。
 そこにコトリバコが入っているのだろう。
「これから南青山まで乗せていって」
 久しぶりに乗った車は傷口の脇腹をかばいながらのせいか窮屈に感じた。
 右手には包帯が巻かれていてシートベルトを付けるくらいはできるが、重い物などは持てない。
「亡くなっていた長谷川愛は発見時から二日前の自殺で結論付けられたよ。彼女のコトリバコはテレビ台の棚に飾られていたのを回収した。綾乃ちゃんが晴奈を止めてくれなかったら、箱所有者の全員が死んでいたかもしれない」
「不自然なことが一つあるんだけど」
「コトリバコは全部揃ったんだから事件解決じゃないか。呪いを事件と呼んでいいのか疑問だがね」
「最後の晴奈だけコトリバコを買ってから他人に渡していない。入院中、そればかり気になっていたの」
「そういえばそうだな。なにかしら原因があるんだろうか……」
 私たちは南青山五丁目に到着し、骨董品店リコルドに暁仁と入った。
「内調の遠見綾乃よ。見てもらいたい物がある」
「ああ、安土さんの言ってた子ね。わたし、尾庄文那。そっちの方は?」
 店の奥から出てきた緩い三つ編みの女性は自己紹介しながら、暁仁をちらと見た。
 ちなみに彼女の言う安土とは私の上司である。
「刑事の久坂です」
「本物の呪物をそんなビニール袋で持ってくるなんて、スーパーでお肉でも買ったようなノリねぇ。本来なら呪物遮断用の桐箱や御札を貼って持ち運びするんだけど。短時間じゃ、そのコトリバコは発動しないから別にいっか」
「この中にコトリバコがあるとわかるんですか?」
「わかるわ。まー、立ち話もなんだから座って」
 暁仁と私は古い木製の椅子に座ると、文那はポケットルーペを出してテーブルに置かれたコトリバコの観察をはじめた。
「八個とも正真正銘の本物。この四つは最近、所有者がいた。呪物としては高レベルで所有者は死んでいる。残りの一つは微妙なとこね。いくとこまでいったけど新しい呪刻(じゅこく)の形跡はない。綾乃ちゃん、手に包帯してる。もしかしてコトリバコの持ち主に傷つけられたとか?」
「そこまでわかってしまうものなの?」
「呪物って成長型と固定型があるんだけど、このコトリバコは成長型の極致だし。これには所有者の命を呪刻に変換する自己成長呪法が組み込まれている。新しい犠牲者によって刻まれた呪いは以前の呪いよりも、はっきり読み取れるのよ」
 文那の説明は独特すぎて、私たちにはなんのことかさっぱりだった。
「えーっと……そうね。呪物というのは呪物師が組んだプログラムだと思って。そのプログラムは完成されてから成長しないものと、なんらかの方法で成長していくものがある。このコトリバコは成長するものなんだけど、ここまではいい?」
 私と暁仁は曖昧な表情で頷いた。
「成長型は犠牲者によってプログラムが、より強固になる。その段階で新しいソースコードが書き込まれるわけ」
「それは指紋のようなものってことか?」
 刑事の暁仁らしい喩えだ。
「言い得て妙ね。まさしく犯行現場に被害者の指紋が残るのと同じともいえる。わたしのような呪物鑑定士はその指紋……呪刻の鮮度や文字配列でなにがあったかを調査する。二人にはコトリバコがただの箱にしか見えないかもしれないけど、わたしには何重層にもなった文字がびっしり書き込まれているように見える」
 呪物鑑定士――そういった人々がいるとは上司から聞いていたが、遡行者の私とは違った意味での異能者であるのは確かなようだ。
「コトリバコを店に売った男は島根の寺の住職からもらったと言っていた。コトリバコは島根で作られる物なんでしょう?」
 私が知っている数少ない知識だと、コトリバコは八個セットの島根産であることだ。
「それは正しくもあり、正しくないかもしれない。海外にはディブクの箱という呪物があるの。ディブクはユダヤ教の悪魔で神秘主義のカバラにも取り入れられてる。そのディブクの箱の呪法と酷似する部分がコトリバコにはあって」
「コトリバコは島根だけではなく、世界中の技術で加工された呪物ってこと?」
「島根が発祥だとして、これだけ完成度の高い呪物の製法を一体誰が発案したのか。一人で編み出したにしては呪法の手が込みすぎている。呪物は効果が高ければ高いほど深遠な知識が必須になるから、コトリバコは海外の呪法に詳しい呪物師と日本の呪物師による合作なんじゃないかっていうのがわたしの見解よ」
 コトリバコがワールドワイドな呪物という彼女の仮説は盲点だった。
 呪物師が単独よりも複数で呪物を作ったほうが、呪いの危険度が高まるのは単純な理屈ではある。
「車の中で綾乃ちゃんが話していたが、どうして晴奈だけ怨んでる相手に箱を渡さなかったんだろうね」
「コトリバコは呪いの強さにランクがある。弱い方からイッポウ、ニホウ、サンポウ、シホウ、ゴホウ、ロッポウ、チッポウ、ハッカイ。コトリバコは呪媒(じゅばい)として水子を使うんだけど、その数の差が呪いの強弱になっているわけ」
 文那は八個のコトリバコを並べ替えた。
 私にはどれも同じに見えるが、呪いの効果に差があるらしい。
「このハッカイなんだけど禁呪とされている。呪いが強すぎるのよ。箱を渡して相手の自滅を待つなんて遠回りなことはぜず、自分で危害を加えるように呪法が組まれている。そのほうが確実に相手を消せるってことね」
 コトリバコの一つが私と暁仁の前に出された。
 それがハッカイらしい。
 私にも呪物かそうでないかくらい大雑把に見抜ける審呪眼(しんじゅがん)はある。
 たしかにこの箱は他の七個にくらべ、邪な気配を強く感じた。
「このコトリバコは結界を張って封印しかなさそう。父なら解呪できたかもしれないけど、いまのわたしには荷が重すぎる代物よ」
「つまるところ、この箱の呪いってなんなんだ? これのせいで四人も自殺していて、どう考えてもおかしい」
「コトリバコは”子を獲る箱”が元になった呪物。その性質は女性と子供にのみ、効果を発揮するものなの。呪物全般について言えるのは負の感情の増幅器ということね。コトリバコを買った人たちは憎悪の塊だったはずだけど、呪物はそういった人たちを引き寄せる。渡すほうも、渡された方もメンタルに重大な失調があるわけ。だからわたしがコトリバコを所有してもなんの効果もないどころか、欲しいとさえ思わない。……綾乃ちゃんは別。あなたがこの箱を三日間も所有すれば間違いなく、復讐のために動くわ。誰のための復讐かは、あなた自身がよく知っているはずよ」
 文那は私の両親が何者かに殺害されたのを上司から聞いているらしい。
 私が表情を失ったこともそれに由来している。
 コトリバコを持ったら両親の仇を討とうとして、なにをするかわからない――彼女はそれを言っているのだ。
「呪いっていうのは素質のある者が使って、素質のある者が効果を受ける。だからコトリバコで死んだ人たちは箱がなくても自殺していたかもしれない。コトリバコは最後に持ち主の背を押すだけ。そういう人たちに届くように作られてるのが呪いなのよ。使ったほうもそれ相応の代価を求められるから、数ヶ月以内になんらかの異常をきたす。呪力の源は呪いをかけようとしている者の生命や精神そのものだし。人を呪わば穴二つってね」
 コトリバコの呪いについては謎が解けた。
 しかし、箱を持つ者だけが呪われていたのだろうか?
 晴奈をイジメていたクラスメートたちと担任教師は箱とは無縁だった。
 人は呪物などなくても呪われる。
 呪いは特別なものではなく、この世に蔓延しているものなのかもしれない。
 鑑定が終わり、文那からこの店のことなどを聞いてから私たちはリコルドを出た。


 ――車を運転する暁仁は狐につままれたような顔をしていた。
「コトリバコは呪いを掛けようとする者と掛かる者にしか渡らない、か。なるほど、よくできた箱だ」
「どこに行くつもり?」
「今日は非番でね。僕は解決したコトリバコの捜査から正式に外れることになった。綾乃ちゃんとのコンビも今日で終わりだ。最後にドライブでもしたくなってね」
 私たちがついたのは、お台場海浜公園の砂浜だった。
 ひさしぶりに海を見る。
 入院やら調査のせいで、こんなゆっくりした時間など近頃は過ごせていなかった。
「僕には二歳年下の妹がいた。本が好きで彼女の影響を受け、僕も読書が趣味になったんだ。いまの綾乃ちゃんと同じ高校生のとき、車に轢かれて亡くなった。運転していた男は精神鑑定の結果、無罪になったよ。だったら刑罰を与えられる奴だけでも絶対に捕まえてやると誓い、僕は刑事になったんだ」
 砂浜を歩く暁仁は足を止め、沈みかけた太陽を背に言った。
 足下の波が寄せては返すのを眺め、私は暁仁の言葉を聞く。
「自分の過去を振り返ってみれば妹の呪いを受け、刑事になったわけだ。アッパーギャラリーの店主から君と兄妹かと聞かれたときはびっくりした。聞き込みのプロである僕なんかより、素人のほうが変な勘の良さがあるのかもしれない」
 暁仁は寂しく笑い、スーツのズボンポケットに両手を入れた。
「刑事になったお陰で綾乃ちゃんと一緒に仕事ができた。だとしたら妹が僕にかけた呪いも悪くない。それを絆と言い換えることもできるが。なんにせよ、今後の調査で困ったことがあったら是非呼んでくれ」
 暁仁は私の肩を軽く叩きながら言った。
 彼の言うように絆と呪いに、どれほどの違いがあるのだろう。
 潮騒の音を聞き、そんなことを考える。
 この傷が晴奈にとって呪縛ではなく、ともに辛い過去を乗り越えようとする絆であってほしい――私は包帯が巻かれた右手を見た。
 私の調査員としての日々は、まだ始まったばかりだった。



 ――了――



目次に戻る