学ラン/阿井視点

 電話が鳴った。
 一瞬嫌な予感がしたけれど、俺は絡みついて来る手を振り払い、携帯を掴んだ。
 受信ボタンを押し耳に押し当てると、小さな間の後に懐かしい声が聞こえた。
『よう、俺。元気か?』
 ……彼だ。
 久しぶりに声が聞けて嬉しいのに、動揺して咄嗟に返事が出来なかった。携帯を抱えるようにして、その場に正座する。
 挙動不審な様子に相手が誰だか察したのだろう。背後から伸びてきた手が、俺を背中から抱き込んだ。
 嫌だけど、文句は、言えない。
 そんな事をしたら電話の向こうの彼に、部屋に人を入れていることを知られてしまうから。
 顔を顰めて見せただけで、俺はいやらしい手に身を委ねた。
「うん。元気。そっちは?」
『絶好調。明日、試合だし』
 背中がぴったり男の胸にあてられている。肩の上に乗った顎が重い。携帯に反対側から耳を押しつけ、俺たちの会話を聞こうとしている。
 悪趣味な行為に身を捩ったけれど、両腕の上からぎっちり抱きしめられていて、逃げられない。
 俺は無理矢理平静な声を絞り出す。
「そっか。予選だよね。頑張ってね。見にはいけないけど、応援しているから」
『おう』
 電話で話す時の彼はいつもぶっきらぼうだ。以前言い方が冷たいと控え目に文句を言ったら、機械ごしに話すのが苦手なのだと、今時の若者とは思えない言い訳をした。
 それに、俺が相手だと緊張してしまうのだとも。
 昔は何のてらいもなく馬鹿な話をして笑っていられたのに、変化した関係がこんな所にまで影響を及ぼしている。
 ぎこちない会話はでも、嫌いじゃない。
 彼が、可愛い。
 すごく、愛しい。
 俺はポケットの中をまさぐった。シンプルなキーホルダーが指先に触れる。リングに止められているものは少ない。自分のアパートの部屋の鍵と実家の鍵。滅多に行けない彼の部屋。それから糸のように細いチェーンで繋がれた、制服のボタン。
 高校を卒業した後彼が送ってくれた第二ボタンを、俺は大事に取ってあった。最初は彼への慕情を封印したいと想いながらも捨て去ることができなくて、ずっと机の引き出しの中にしまいこんでいたけど、想いが通じてからはキーホルダーに通し肌身離さず持ち歩いている。俺は男だから、女の子みたいに物をねだったりできない。これは彼から貰った数少ない宝物のひとつだ。
 ボタンに触れていると、じんわりと胸に彼への熱い恋情がひろがる。
 彼の事が好きなのに今、俺は彼に言えないコトをしている。
 彼は俺が他の男を部屋に入れることを酷く嫌がる。特にこの男の事は警戒していて、普段から近づくなと煩い。多分、分かっているのだ。俺がこの男にも惹かれている事を。寂しがり屋の俺が遠距離恋愛に耐えられず、……別の支えを求めてしまうかもしれない事を。
 俺の心中の葛藤も知らず、背後の男は顎を反対側の肩に移動させ、俺の耳元に囁く。
「寂しいの。逢いに来て♪とか言わないの、阿井?」
 笑いを含んだ声にかあっと頬が熱くなった。
 でもココで怒鳴ってはいけない。俺は男を無視し、電話の向こうの彼に話し掛けた。
「次はいつ会える?」
 彼は少し沈黙した。
『夏休みかな。結構忙しいから、八月に入ってから帰ることになると思う』
 そんなに、逢えないのか。
 俯くと、俺を抱く男の腕に力が篭もった。
「阿井……」
 男が俺の髪に頬を押し当てている。俺を包み込む男の体温に俺は寂しさが紛れるのを感じる。そんなのは間違っている。間違っているのだけれど。
 男のお陰で俺は朗らかな声を出すことが出来た。
「そっか。楽しみにしているね。試合が終わったら、結果教えてよ」
「ああ。阿井も……風邪引かないようにな」
 不器用な心遣いを見せて電話はあっけなく切れた。
























 途端に耳元で爆笑が炸裂した。
「ぎゃはははは。なにアイツ。風邪引かないようにな、だって。なーにカッコつけてんだっつーの!」
 笑いすぎて、俺の背中から滑り落ちる。畳の上に仰向けになってジタバタしている男に、僕は真っ赤に染まった顔を向けた。
「奈賀!」
「なぁなぁ、おまえらいつもあんな会話してんの? 初々しーのなぁ。さぶいぼ立っちゃったヨー!」
「もう、そういう事言うんなら、泊めないからね」
「んだとぉ? おまえたちが上手くいったのは誰のお陰だと」
「それもう耳タコだってば」
 冷たく突き放すと、奈賀は素早く擦り寄ってきて俺のデコにデコをあわせた。
「ゴメンゴメン。悪かったってば。な、お願い。今夜泊めて?」
 もう、と俺は溜息をついてみせる。
 もちろん、本心から怒っている訳ではない。泊まりに来る奈賀に救われているのは、本当は俺の方だ。
 俺はリモコンを拾い上げると、ミュートを解除した。途端にタレントの馬鹿笑いが狭い四畳半に響き渡る。
「ねぇ」
 俺は勝手知ったる他人の家とばかりに寝転がった奈賀の背中をつついた。
「でも、やっぱり帰った方が良いんじゃないの?」
「ヤだよ」
 奈賀はにべもない。
「ウルサイ小姑が二人も来てんだぜ。もーうんざりだ。桑原もちょっと悪戯しただけでヒスるしさー。やってられねーっつーの」
 俺は労りを込めて奈賀を見下ろした。
 いつも奈賀はおちゃらけて、平気な顔をしている。でも言葉の端々から、俺は彼が大変なストレスに晒されている事に気付いていた。彼氏の桑原さんが、カミングアウトをしたせいだ。詳しいことは教えてくれなかったけど、それが元で色々揉めたらしい。三ヶ月程度でよりを戻したけど、別れた時期もあった。その間奈賀はちょくちょく俺の家に泊まりに来た。陽気なのは変わらなかったけど、……痛々しかった。
 桑原さんもまた、俺と奈賀が付き合うのを快く思っていない。お泊まりが新しい揉め事のタネにならないか、俺は心配だった。
「でも、あんまり避けてても心証悪くなるよ」
「二回に一回は付き合うことにしているから大丈夫だって。なー、阿井。ケチケチしないで泊めてくれよう」
「俺は別に良いけどさ」
「サンキュ」
 にやりと笑った奈賀がごそごそ畳の上を這って近づいてきた。俺の膝の上に断りもなく頭を乗せ、極楽〜と太平楽な声を上げる。
 俺には彼がいて、阿井には桑原さんがいる。過剰なスキンシップは、宜しくない。
 頭の中では分かっている。
 これは彼への裏切りになるのだろうか。
 つらつら考えながらも、俺は奈賀の頭を振り落とすことができなかった。

おわり 2004.11/25

「思い初めにし」ブレザーにしたのか学ランにしたのか全く思い出せず困りました。
どうやら「制服」としか書かずに済ませてたみたいだけど……。

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