伝 わ る 体 温Written by Mio,Mizumura
舞い散る桜の中、キラを見つけたのが四月。それからはマメに会ったり家を訪ねたり…そうしてキラの誕生日を祝ったのが五月。
その間ずっと、キラの懸念事項は『アスランがまたどこかへ行ってしまわないか』の一点のみだった。だがふた月が経って、ようやく彼は他のことへ目を向ける余裕が出てきたらしい。
「…アスラン、遠いとこでお母さんの仕事手伝ってたんだよね?」
手伝うというか巻き込まれたというか問答無用のスパルタ実習だったというか。
「あぁ。」
当時からの不満を思えば些細な言葉を訂正したい気持ちになりながらも、ただ頷くだけに留める。机に頬杖を突いて目をぱちくりさせているキラの可愛さに負けたのだ。余計なことを言わずに微笑んで見つめるだけで、キラははっと目を瞠って頬を染める。可愛いったらない。もう大人と言ってもいい歳なのに…この成長っぷりはちょっとマズいんじゃないのかとまで思う。
「ん〜…」
「どうした?」
頬杖を突いたまま目を閉じて唸っていたかと思うと、アスランが訊いた途端、キラは拗ねたように唇を尖らせた。
「どうして、戻ってきたの?」
お母さんはまだ向こうに居るんだよね。そう小首を傾げる仕草は無意識にアスランの理性を試しているのだろうか。あまりにも無防備で少し苛めたくなる。
「…戻ってこないほうが、良かった?」
ぽつりと苦笑いで呟いた途端、キラの目が瞠られる。
「ち、違うよっ、そんなこと無いッ!」
両手と首をぶんぶんと振り、それでも足らないと思ったのか身を乗り出してアスランの手を両手で包んでくる。自分が仕掛けた悪戯でも、これは正直心臓に悪かった。
「わかってるよ、ちょっと言ってみただけ。」
腕を引き返して耳元に囁けば、キラの耳が真っ赤になる。
「…いじわる。」
しかし、キラのこの攻撃力に比べたらアスランの悪戯なんて他愛ないものだ。事実、上目遣いの四文字でかなりくらっときた。もしもここがカフェなんて衆人の目のある場所でなかったなら、自分は果たして止まれたかどうか怪しい。
だが、信じられないことに――まだ、親友なのだ。
数年ぶりに再会した幼馴染で親友。
それ以上でもそれ以下でも無い。
ぶつぶつと、可愛らしい不満をカップの水面に向かって呟いているキラを横目に見る。幼い頃以上に甘える台詞や全身から発せられる好意、ちらりとこちらを見ては赤くなる頬を思えば…きっともう少し強引に踏み込んでも構わないのだろう。
もうそろそろ、良い頃か。
…?
ふと、視界の隅に違和感を感じて視線を向けた。
オープンカフェの向こう側、往来から足早にこちらへ来ようとしている男が居る。喜色な様子は丸ごとキラに向けられていて、そのままなら程なく彼の肩のひとつも叩いたに違いない。
だが、そんなことを許すものか。
少なくともキラに紹介された『友人』の中には居なかった顔だ。つまり、キラに親しい友人とは認識されていない相手ということになる。
「…っ」
男は充分に近づいてきてからようやく、傍に居るアスランに気付いたらしい。じっと静かに牽制の視線を注いでやればキラに触れる一歩手前でびくっと腕を引き、慌てた風に通りへ戻っていった。
根性無しめ。
実際、そんな根性を発揮しようものなら自分は何をするかわからないが、虫を散らしたことに一応の満足を覚えて溜め息を落とす。気分は番犬に近いかもしれない。
「アスラン?」
「ん? あぁ、そろそろ出ようか。」
うっかり険しいままになっていた顔をゆるりと笑みに変えれば、キラは何があったとも疑わずに笑ってこくりと頷いた。出口付近で来月のケーキの予告をチェックして、通りに並び立つ。
空は生憎の曇天。
梅雨が近づいていると強く知らしめる空をちらりと見上げ、半歩ほど先に居たキラを窺う。そわそわと浮ついた背中を目を細めて眺めていると、アスランの視線に気付いたみたいに振り返った。
「今日はどこ――…ど、ど…したの?」
「いや」
きっと視線の強さに怯えたのだろう。一瞬強張った身体には気付きつつ、取り繕うでもなく口を開く。
「特に希望が無ければ…俺の部屋に来ないか?」
互いの間に流れる空気は微妙な緊張を孕んでいた。キラはびくんと肩を揺らして硬直してしまったし、唇は金魚のようにぱくぱくと言葉を失っている。
でも、待つのは瞬き三度ほどで良かった。
「…うん、行く。」
呟いて袖を掴んできた指。
仄かに染まった頬や嬉しげに緩んだ口元。
こんなものを間近で見せられて、その場で抱きしめ返さないで済んだだけでも…自分を褒めてやりたかった。
+
アスランの部屋。
アスランが暮らしているところ。
再会して数ヶ月。彼のプライベートな空間にキラが立ち入るのは、実はこれが初めてだ。
通された居間はやっぱりというか綺麗に片付いていて、正直ほんの少しもの足り無い。昔なら自分の部屋と同じくらいくつろげたアスランの部屋なのに、ここはまるで他人の部屋のようなのだ。
そりゃ、他人だけどさ。
胸の内だけでぶつぶつと呟きながら綺麗に磨かれたテーブルを小突く。すぐ後ろにはソファがあるのだけれど、昔からのクセでキラはラグの上に直接座っていた。彼もそんなことは知っているから、くすりと小さく笑っただけだ。
でも、くつろいだフリをしてみてもやっぱりキラは『お客様』なのだ。
居間から見える幾つかのドアはどこへ通じているのかもわからない。ここは本当のプライベートとは切り離された空間で、それが不満であってもキラは向こう側へ入れて貰えるのを大人しく待たなければいけないのだとわかっている。
でも、親友なんだし。
キラは自分の部屋に彼を招き入れているし。
ちょっとだけなら。
「キラ、飲み物は………何やってるんだ?」
「あっ、えっ」
そーっとドアの一枚に擦り寄っていこうとしたところで声が掛かり、素っ頓狂な声が出た。何を思ったかキラは四つん這いで部屋を横切っていたのだ。アスランじゃなければもっと不審な眼差しになったことだろう。
「そっちは洗面所だよ。ほら。」
おたおたと狼狽えるキラを追い越して彼はあっさりその扉を開けてしまう。手を差し伸べてキラを立たせ、笑いを堪えるようにして肩を竦めて言った。
「どこでも好きに見ていいよ。」
「…ホントに?」
「あぁ。キラなら構わない。」
キラなら。
その言葉で頭の中がぱっと明るくなった。さっきまでとは一転して、お花畑とか蝶々とかそんなものが似合ってしまいそうなほど浮ついた気分になる。
なんだ、やっぱり僕は特別なんだ。
ふんふんと鼻歌でも歌いたいような気持ちで別のドアを引く。一応ちらりと背後を振り返ったのだが、アスランは笑いながら「気が済んだらおいで」と言っただけだ。
「ここは…寝室。うわっ」
「どうした?」
「すっごいおっきなベッド。」
見たままを言っただけなのに、背後ではアスランが盛大にお茶を吹き出していた。げほごほと咽せて顔を赤くする彼なんて初めて見る。
「…っ…ま、まぁ、ゆったり眠りたいからね。」
「ふぅん…?」
どれどれ、と部屋に踏み込み、勢いをつけて柔らかそうな寝具に倒れてみる。なるほど、キラが手足を伸ばしても寝返りを打っても、ちょっとやそっとじゃ落ちそうにない。
今度、泊まりに来よう。
そんな風に頭の中で楽しい予定を立てながら枕に顔を埋める。目を閉じて深呼吸すると、アスランの匂いに包まれるみたいですごく落ち着く。
……え。
アスランの、におい…?
つまづいた言葉をじっくりと噛み含めた途端、やたらと落ち着かなくなる。なのに、そういう時に限って彼はキラを放っておいてくれないのだ。
「キラ?」
「ああああ、あすらんっ」
起き上がって振り返るまでもなく、すぐ傍に居るのがわかった。
寝具に残る気配は大丈夫でも、生身の彼は別だ。
だってアスランには体温がある。じっと見られたらどきどきするし、彼の声はあまりにも心地良くキラの鼓膜を震わせる。髪を撫でる手は他の誰も真似できないほど優しいし、彼が呼ぶキラの名前と言ったら――
「ぅわっ」
「そんなに驚かなくてもいいだろう?」
あたふたとベッドを降りようとしたものの、キラはあっさり捕まってしまった。腰を下ろした彼の脚の間、後ろから回された腕でぎゅうっと抱え込まれる。
首筋の髪を震わせて響く、声。
「で、でも」
「質問の答え…」
「え?」
アスランはじっと動かないでいる。キラが落ち着くのを待っているみたいだったから、頑張って逃げたがる手足を揃えて座り直した。心臓はまだばくばくいっているけれど、わけもなく恥ずかしいだけで…ぎゅっとされるのは好き、だと思う。
ほぅ…っと深く息を抜いたキラに、アスランは囁く。
「キラに会いたくて…たまらなくなって、戻ってきた。」
少し前にキラが投げた問いへの、答えだった。
そう、とあっさり飲み下すのが難しくて、耳に残る声を幾度も再生する。
キラに会いたくて。
たまらないほど、会いたくて?
そう言った切なげな声音ごと飲み下すなり、背中がぞくりとする。だって、キラもそう思っていた。
「ぼ、僕も…会いたかった。」
「知ってる。…でも、それだけじゃないんだ。」
それって、何?
問い返したものの掠れてろくな言葉にならなかったけれど、アスランは笑わなかった。キラを抱きしめる腕を少し強めて、後ろ頭にことんと重みを預けてくる。
うなじから、頭の芯に直接音が響く。
「恋人になりたくて。」
彼の声に、頭は落ち着かないを通り越して動きを止めてしまったみたいだった。知っているはずの単語が上手くイメージできずに、小さく繰り返す。
「こいびと…」
「俺と…付き合ってくれる?」
あぁそうだ、そういう意味だ。
随分遅れたものの言葉の意味に辿りつけて安堵する。しかし次の瞬間には声がひっくり返ってしまった。
「恋…っ」
ぽん、と脳裏に浮かんだのは知る限りの『恋人』達だ。身近なところではトールとミリアリア。遠いところになれば映画の中の俳優達にまで忙しなくぱらぱらと映像が捲られる。
「駄目…かな?」
「ダメじゃないっ!」
咄嗟に返したのは、彼の声の弱さと『ダメ』という響きのせいだった。アスランがキラに望むことでダメなことなんてあるはずがない。できることならなんだってしてあげたい。
あまりにも強くそう思っていたから、勝手に返事が飛び出したのだ。
キラを抱えていた腕が解かれ、そっと肩が引かれる。
意味が骨身に染みたのはアスランの「良かった」という嬉しそうな呟きを聞いてから。
「…んっ…」
柔らかく唇を塞がれてから、だった。