愛 し 合 う っ て 事 は
Written by Mio,Mizumura

 昔からズレたところのある幼馴染だった。
 だからシチュエーションや言葉には随分気を使ったのだ。
 好きだと訴えて「僕も好き」程度にかわされるわけにはいかない。付き合って、だけだとキラなら「どこに?」なんてベタな台詞を本気で返してくれるだろうことも想定済みだ。

 そんなキラがあの日、ベッドルームで無防備に転がっていた。
 本当に、よく抱きしめるだけで済んだものだと思う。慌てる素振りも腕の中で強張る身体も、まるきりアスランの欲を煽り立てる効果しか無かった。辛うじて我慢が利いたのは、そんなキラですらじっくり味わいたいと思ってしまったおかげだ。
 恋人の一歩。
 初々しいキスの様子をも頭に焼き付ける。二度目も、三度目も。少しずつ自分の色に染まっていくキラを全部覚えて行くつもりだった。まだ若い己の身体には酷でも、その時その時、全部のキラがその瞬間だけのものなのだ。先を焦っては損をする。



 こつん、と研究室の扉が鳴らされる。顔を上げれば薄く開いているドア越しに紫の瞳が覗いていた。
「入っても…大丈夫?」
「あぁ。勝手に入ってきていいっていつも言ってるのに。」
「だって。」
 毎度のことになっているやりとりをしながらキラがぱたたと足早に近づいてくる。きょろりと油断なく室内を見渡す素振りに気付いて小さく笑った。昨日訪ねてきた折、タイミング悪く手伝いの女性がいたものだから彼は早々に逃げてしまったのだ。

「今忙しい?」
「あぁ…いや、手は止められないけど、大丈夫だよ。」
 キラ以上に優先するものなんて無い。そう言いたい気持ちは本当だけれど、社会人としてそれでは失格だ。ゆくゆくはキラを丸ごと手に入れるためにも、責任を放棄するわけにはいかない。
「ふぅん…。」
「つまらないならくっついててくれて構わないけど?」
 幼い頃はアスランが何かをしてキラを構えないでいると、すぐ背中や腰にまとわりついてきたものだ。邪魔しないと口ではいいつつ、あまりの落ち着かなさに作業の全てを後回しにさせられたことも多い。
 しかし今のキラでは無理か。
 軽いキスでさえ緊張でいっぱいになる彼を思うと難しそうだ。そう思うと…少しだけ、性急だったかもしれないと反省する。もう少し無防備なキラを堪能しても良かったのに。
 でも、待ってやれなかった。とにかく彼の一番傍に居る権利が欲しかった。
 いつ横から攫われてしまうかわからない恐怖に、負けたのだ。

 ごく小さく溜め息を落とす。だがキラはアスランの予想に反し、がたがたと椅子を傍に寄せてきた。そうしてやや緊張した面持ちで呟く。
「…邪魔にならない?」
「なるわけがない。」
 機嫌を窺うような顔。手触りのいい頬を撫でてごく軽く唇を合わせると、指先に伝わるキラの体温が僅かに上がったのがわかる。
「そっ…そっか。」
 赤くなった自分を隠すのにも有効だと気付いてか、それきりキラはぎゅうっとアスランの背に顔を埋めてしまった。斜め後ろから回された腕が腰の左あたりで組まれていて、がっちり合わされた指の境をそっと撫でてみる。
「…っ、くすぐったいっ」
「ごめん、触りたくなって。」
 もうしない、とは言わなかった。言ったらきっとキラはまた慌ててくれたことだろう。照れて恥ずかしがって狼狽えても、キラはアスランを拒んだりはしない。恋人同士であろうと必死に努力してくれている。
 そう。まだ、努力が必要な段階なのだ。



 キーを叩く音。紙を捲る音。ペンを走らせる音。
 そんなささやかな音に混じって互いの呼吸が聞こえる。随分と幸せな空間だ。背に押し当てられたキラの胸は初めこそ早い鼓動を伝えていたけれど、今は随分落ち着いている。
「キラ、今日の講義は?」
「………ん…」
 寝てたのか。
 道理で落ち着いているワケだ。あくまでもキラはキラのままなことに安堵して、思う以上に緊張していたらしい自分に初めて気付いた。
 ゆるく肩を回し、ふぅと溜め息を吐く。
「今日の講義は?」
「…二限が休講になって…次、四限…」
「じゃあそろそろランチにしようか。それとも遅く行く?」
 きっとその誘いもあって来たのだろう。今ならまだ混み合う前に席を取ることができるし、キラが望むなら遅れて行くのもいい。
「ぅ……ん……」
 未だ半分くらいは眠っているような声でキラが唸る。頭をはっきりさせようと努力しているのだ。アスランの背にしがみついたままうごうごと頭を揺らし、時折あくびなんかを漏らしている。
 微笑ましい。間違いなく微笑ましいのだが…寝起き特有のぼんやりした声や吐息は、正直キツい。僅かに高い体温もぎゅっとぬいぐるみ相手のようにしがみつく指も、ぐらぐらとアスランの理性を揺らしてくる。
「ほら、寝ぼすけさん。」
「ぅぅう…」
 腰の前にあった手を解いて身体を返す。失われた温もりにキラが顔を顰め、不満そうに尖った唇からすかさずキスを盗んだ。一度では気付かない彼に二度、三度とバードキスを繰り返して、ぱちりと大きく瞠られた瞳に笑いかける。
「ぁ…」
「おはよう。」
 この、真っ赤になる様が凶悪だ。
 触れるだけのキスでこうでは、その先に進めるのはいつになることか。舌を絡めようものなら驚いて泣いてしまうかもしれない。
 だが、数年のブランクのせいで失念していた。
 キラはもの凄く――負けず嫌いなのだ。


    +


 ずるい。
 もう口癖になってしまうんじゃないかというくらい、しつこく繰り返した三文字だった。
 アスランは、ずるい。

 触れられたり見つめられたり軽いキスをされたり。そんなことの全てにキラが照れても慌てても、彼は涼しげな顔でそれを見ているばかりだ。
 追いついていないのはわかっている。
 アスランの『好き』はもっとたくさんの種類があって、彼は一歩も二歩も進んだ場所でキラが追いつくのを待っている。そのくらいのことはわかっているのだ。具体的にどうこうという知識は無くても、子供でもできるようなキスだけで恋人が務まるなんて、思っていない。
 ちらりと横を見る。
 数年の間にしっかり大人になって帰ってきた幼馴染は、同性のくせにキラをどぎまぎさせるほど『男』だった。同じ男で、小さい頃を知っているキラが顔を赤くするくらいだ。当然、入学式でウワサしていた女の子達だけじゃまったく収まらない程度に彼の周囲はひそひそと騒がしい。
 しかし遠巻きの視線などどこふく風。アスランは常と変わらない様子でカフェテリアの手書きのメニューに首を傾げていた。

「手打ち風パスタ? なんだそれは。」
 ぶつぶつと、手打ちに風もなにもあるか、なんて。
 ここまで上手く言葉を出せないままだったキラも、そんなアスランに小さく吹き出してようやく再起動することができた。彼の研究室であんまり沢山キスをされたものだから、ここへ連れてこられるまでの間キラの口は役立たずだったのだ。
「…普通のより美味しいよ、って言いたいんじゃない?」
「なるほど。…で、キラは何にするんだ?」
「ん〜…僕、これ。」
 今日のパスタにフレッシュジュース、デザートとサラダ。
 一見女の子向けのセットでも、実は頼めばこっそり大盛りにして貰えたりする。普段は値段と量とを考えて別の食堂ばかり利用するものの、アスランとだと大抵ここだ。学生の財布には少しばかり厳しいおかげでそう混み合わないし、テーブルを上手く選べば他人の目を気にせず食事ができる。
 もっとも、キラは彼に言われるまでそんな利点には気付かなかったのだけれど。
「なら俺はこっちにしよう。キラ、テーブルとっておいて。」
「うん。」
 アスランが注文と会計をしている間にキラが席を取る。あまりにも自然にできている分担だったから特に気にしていなかったのだけれど…最近ちょっと考えてしまう。
 いくら幼馴染で相手が社会人でも、甘えすぎじゃないか。
 そう指摘してきたのはトール達だ。どこかで見られていたらしく、いつも奢られてるのかと訊ねられた。たまには対等になったほうがいい、なんて忠告も貰った。

「難しい顔して…どうした?」
「え?」
「何か困ったことでもあった?」
 いつの間にか戻ってきたアスランは、席に着くが早く心配そうな顔でキラの目を覗き込んでくる。
「う…ううん…」
 頼むから、あまりじっと見ないで欲しい。
 でもキラが返した否を彼は信じていないようだった。細めた視線で正面から見つめられると、もうテーブルの下にでも隠れてしまいたくなる。付き合う、という事に不慣れなキラの頭は、熱を持った視線ひとつで場所も場合も全く考慮してくれずに色んな事を思い返してしまうのだ。
 例えば、息が上ずるほど啄まれた唇の感触とか。
「〜〜ッ!」
「あぁほら、来たよ。」
 どくん、と心臓が暴れて顔を伏せた途端、アスランがそう言ってキラの頭をぽんと叩いた。皿が並べられ、飲み物が置かれ、カトラリーを添えられて。その間、ウエイターの前だから一応普通の顔を装うけれど…恥ずかしくて悔しくて仕方がない。

 後で覚えてろ。
 こっそり報復の決意を固めながら、これ以上負けないためにも山盛りの皿に取りかかることにした。



 今の自分は、殻付きのひよこだ。
 悔しいけれど…きっとアスランはキスとか抱き合うのとか、そういうのに慣れているのだろうと思う。だってこんなに格好良くなっていて、誰とも付き合わないでいたはずがない。
 ホント、ずるい。
 横目に窺った彼はハンドルを握るのもサマになっていてキラをもやもやさせる。たまにはこう、格好悪いところも見たいと思うくらいだ。そんなことを言えばまた嬉しそうな顔でキラを抱きしめてしまうに違いないから口にはしないけど。

「…ねぇ」
「ん?」
 車窓を通りすぎていく景色は見慣れないものばかり。カレッジからキラの家までだけじゃドライブと呼ぶには近すぎるから、アスランは時折こうして遠回りをする。
「このへんでどっか、停められるとこある?」
 キラの緊張や固い声なんて、アスランならきっととっくに気付いてる。だからそれを下手に隠そうとするのはやめた。今の、ありのままの自分でぶつかるのだ。
「…公園でいい?」
「いい。」
 高台の暗い駐車場に車を停めて。
 ハンドルを離したアスランは「酔った?」なんてキラを気遣ってくるけれど、それにはただ首を振って。
「……キラ?」
 アスランの声がなんだかいつもと違うような気がしたけれど、構っていられるだけの余裕なんて無かった。こちらを見ている彼と視線を合わせるのだって難しいのだ。目を見てしまったら、きっと今キラが蓄えている勇気なんて吹き飛んでしまう。
「どうし――」

 自分からの初めてのキスは…凄い、痛かった。

 ぎゅっと目を閉じて、腕を伸ばして。このあたり、と当たりをつけて奪いに行ったキラのキスは結局、歯をぶつけただけと言ったほうがいいくらい拙いものになってしまった。
 なんて…情けない。みっともない。

 キラ、と呟くアスランの声が驚きに掠れている。
 驚いて、呆れただろうか。
 少しでも追いつきたかっただけなのに、結果はひどく子供な自分を露呈させただけ。彼にいつまでも追いつけない自分を痛いほど自覚しただけ。

 もう――泣きそう。

 伸びてきた彼の腕から逃げる。
「…っ」
「キラっ!」
 ドアを開けて、外に飛び出した。