交 わ す 口 付 け
Written by Mio,Mizumura

 何も知らない子供は背伸びしたところでやっぱり子供でしかなかった。
 今のままじゃキラがきちんと『恋人』になれる日はもの凄く遠いに違いない。今はキラがいいなんて言うアスランもそのうちには呆れて焦れて、もっと大人な女の人がやっぱりいいと思うかもしれない。いや、きっと思う。

 なんで僕なんかを好きだって言うの。
 どうして親友のままじゃダメだったの。

 どこをどう走ったのかわからない。緩い坂を上った先で行く手を手すりに遮られ、キラは濡れた顔を拭うことも思いつかずに逃げ場を探した。だけどぐるりと手すりに囲まれている。行き止まりの、ここは展望台だ。
 夜景を見下ろす、本当なら恋人達にこそ似合う場所。
 自分達はまだ本物じゃない。心底そう感じた。
 なのに。

「…つかまえた。」

 後ろから伸ばされた腕は、壊れ物を扱うみたいにそっとキラの身体を閉じ込める。いつもよりずっと緩い輪だ。なのに逃げることもできやしない。
 イヤなはずがない。
 傍に居たいと思う。
 でも、そうすると自分ばかり足りないのを思い知ってしまうのだ。キラばかり満たされて、アスランは一体…足りないキラをどう思うのだろう。

 夏が近い。ぬるい風が弱く吹いて、夜の空と同じ色の髪がキラの頬を擽る。呼吸すら顰めて、彼は今何を考えているのか。
「アスラ――」
「ひとつ…だけ」
 呼ぼうとしたところに彼の声が被る。耳を擽る声音はだけど、いつもとは全然違う風に聞こえた。さっき、キスを仕掛ける直前に呼ばれた名前みたいに…弱い音。
 どうして?
 肩にこつんと額が乗せられる。緊張で破裂しそうな自分を落ち着けようと、深く息を吐いて腰の前で組まれたアスランの指に触れる。
 彼の手は、驚くほど冷たかった。

「…ひとつだけ、訊くよ。」
 うん、と返す言葉は音にならず、キラは頷いただけだ。
 指先に感じた彼の手の冷たさや今も弱いままの声が不思議だった。まるで、キラ以上に緊張して怯えているみたいな気配なのだ。それがどうしても気になって…頑張って振り返ろうとしたのに。アスランの手はそれを許さない。
「『親友』のままのほうが…良かった…?」

 掠れた声で告げられて、また頭が動きを止めようとする。でもそんな場合じゃないということだけはすぐわかった。だからどくどくと煩い鼓動をごくりと飲み下して、強い力で彼の手を振り解く。
 振り返った先にあったのは、声よりも弱い笑顔。
「まだ間に合うよ。」
 今ならまだ、戻れるよ。なんて。
 揺れる瞳と弱い言葉と、キラが解いた時のまま下ろされている両手。ひとつずつ目に映していって、最後にアスランの言葉をようやく噛み砕く。

 なんて苦いんだろう。
 アスランだって余裕ばかりじゃないんだと、やっとわかったような気がした。いつでも落ち着いた素振りに思えていたけれど、そういえば彼は昔からこういう人だった。
 躊躇うように持ち上がった手がキラの頬に触れる手前で動きを止める。何かを言おうとするみたいに唇が動いて、でも結局何も言わずにアスランの指は濡れた頬を拭う。
「…どうする?」
 知らない男になった気がしていたけれど、キラが知らないのは離れていた数年という時間だけだ。アスランはアスランだし、キラはキラなのだから…どこかで見たような恋人達になる必要なんて無い。
 足らなくてもいいじゃないか。そんなキラが良いと言ったのはアスランだ。彼はキラがどんなにうっかりでのんびりで甘えん坊かなんてとっくの昔に知っている。
 じわりと涙が溢れてきて、像が滲む。
 視界がぼやけきってしまう前に、キラは両手を伸ばしてアスランに飛び付いた。

 今度は――合格ライン。

 目隠ししなければ。きちんと向かい合えていれば、ちゃんとしたキスをするのだって難しくない。唇を押し当てただけでも今のキラの精一杯だ。それはきっとアスランだってわかってくれている。
 ほんの少しだけ離れて、恐る恐る彼の目を見る。いつも穏やかだった碧がちょっぴり潤んで見える。でも思うところはきちんと伝わった、はずだ。
 だって、彼はもの凄く嬉しそうに…笑っていたんだから。


    +


 冴えない表情。強張った声。合わない視線。
 それらを一過性でなく突きつけられれば、流石に悪い方向に考えてしまうのが当たり前だろう。気付かないフリで無視し続けることも考えたけれど、思う以上に自分は脆かった。
 折角手に入れたのに。
 けれど無理強いして、友情と愛情の錯覚を利用して…そうしてこのまま続けていった先に待つ、決定的な破局のほうがずっと怖かったのだ。
 不安が大きくなりすぎた。
 そんな状態のところに固い声で停めろと言われれば腹を括るしか無いと覚悟も決めたくなる。夜景を望む車中、別れ話には最適と言わんばかりに整った舞台に怯えて、それでもキラを待つつもりだった。
 なのに。
「キラっ!」
 不器用なキスひとつを残して、逃亡されてしまう。


 緩い坂を上った行き止まり。なお逃げる先を探して狼狽える背中に、手を伸ばした。振り払われなかったことに心底ほっとした。
 でも、訊かなければ。

 それは自分でも驚くほどの緊張だった。
 震えてしまいそうな腕を誤魔化すのが精一杯で、ことさらさりげなく装ったはずの声はみっともなく掠れ、鼓動はキラに想いを吐露したあの日とは比べ物にならないほど忙しなく煩かった。
 強引に腕を解かれた時にはもう、半分くらいは諦めていたのだろうと思う。ならせめて、親友としてこれまで通りの距離くらいは保とうと…稚拙な計算のまま、笑えと自分に命じた。
 キラの目に涙が溢れ始めて、諦めは8割くらいになった。
 後の2割に希望を繋いで、まだ待つつもりだった。
 けれどキラは、そんな隙すら与えてくれなかった。


「…いいの?」
 良い返事と受け取っていいのか。改めて問えば、訊くなという風に腕に力が込められた。ぎゅうぎゅうとしがみついているキラの様子はまるで、アスランの首にぶら下がっているに等しい。街灯に照らされて見える彼の耳は真っ赤だ。
「ありがとう。」
 嬉しくて、とにかく何か伝えたくてそう言えば、強い調子で頭が振られる。違う、と不満げに漏らされた言葉は耳の後ろのほうで聞こえた。
「違う、って?」
 問い返しても首を振るばかりだ。ふぅ、と強張っていた身体を溜め息で解してキラの腕を取る。…が、解こうとしてもなおしがみつかれてしまって、顔を見ることすら叶わない。
「キラ…」
 困った。
 2度目のキスを貰った上にキラが抱きついてくれている現状は嬉しいのだが、目を見ることも、返すキスすらさせて貰えないのでは、この己の内に滾るものをどう逃がせば良いのだろう。抱きしめた位置から迂闊に手を動かせば余計な欲を煽りそうだし、かといってこのまま我慢していられる自信が無い。
 仕方なく正直に言ってみた。

「キス、させて…?」

 びくん、と跳ねた身体に苦笑いを漏らす。だが聞き入れてくれたらしく、キラはそろそろと腕の力を緩めてくれた。踵を地面に着けて、ようやく見せてくれた顔はやはり赤かったけれど…視線が逃げない。逃げたいけれど踏ん張っている、という強さで必死にアスランを見返している。
「僕…」
「ん?」
「…ちゃんと、君に追いつくから。」
 言って、また唇が与えられる。
 きっとキラの精一杯なのだろう。閉じられたまま弱く震える瞼で、この後どうすれば良いのかと悩んでいるのが手に取るようにわかる。だから改めて頬に手を添えようとした。
 けれどそれより早く、キラはさらにぎゅっと目を瞑る。
「…っ!?」
 ぞわりと全身を走るものがあった。拙く押し込まれてきた濡れた感触に、かっと身体の奥から炎が吹き起こる。

 まさか、深いキスにキラから踏み込んでくるなんて。

 思った時にはもう、力の加減もできずに抱きしめてしまっていた。腰を抱え、足りずに彼の後ろ髪に指を差し入れてより深く舌を絡めて貪る。
「んぅ…っ…」
 苦しげな吐息にすら煽られて、呼吸を許す隙すらろくに与えてやれずにキラの熱に酔う。逃げたがる舌を誘い、絡め取って吸って。初めは弱く震えるだけだったキラが苦しげに上向いて、やっとブレーキをかけることができた。
 互いの唇に細い銀糸のような橋が架かり、切れる。
「…ぁ…」
 かくりと折れた膝に慌てて身体を支える。
「ご、ごめん。」
 謝るのも格好悪かったけれど、他に言う言葉が無かった。手を離せば地面に座り込んでしまいかねないキラを支え、すぐ傍のベンチに座らせる。そうして正面に膝を折り、手を取って見上げるとゆるりと首を振られた。
 謝るな、と甘く濡れた吐息混じりに叱られる。
「…ありがとう。」
 そうするとやっぱりこうなってしまう。
 しかしさっきと同じにキラは不満げな顔をするのだ。むすっと尖らせた唇はキスの余韻で赤く濡れていて、意図しているわけではないのだろうにひどく扇情的に見える。
「お礼も…ヤだ。僕は…」

 僕は、ちゃんと君の隣に居たい。

 弱く訴えた言葉の効果を、キラはどのくらい予想していたことだろう。きっとぽろりと想いを零れさせただけなのだ。計算も何も無く、まるごと彼自身の言葉で。
 でも、だからこそ、自分が囁くどんな甘い台詞よりも強く胸を打つ。
 こんな幸せがあって良いものか。キラを自分のものにすることばかり考えていて、実際どんな感情がもたらされるかなんて二の次だった。
 それは苦くて熱くて…ひどく、甘かった。
 緩みたがる頬をそのままにキラの顔を両手で包み、こつんと額を突き合わせる。

「じゃあ……ご馳走さま。」
「〜〜っ!」
 途端、キラは再びかぁ…っと頬を染めて唇を揺らしたけれど。可愛い文句ですら待ってやれずにまた、呼吸を奪ってしまった。