貴 方 の 頬 に 手 を 添 え て
Written by Kei,Sisidou

 幼馴染と再会を果たし、毎日をつつがなく過している。
 二人で都合をあわせて、随分とデートもした。
 シロイルカもパンダも見に行った。
 映画や美術館にも行った。
 花火大会などの季節行事にも、勿論参加した。
 だけど多分、キラにとってはその凡てが幼い頃からの延長線上の行事なのだ。
 キラは手を繋ぐのが好きだ。
 小さい頃から。
 大学生になってまで公衆の面前で手を繋いで歩いたりはしないが、二人っきりのときやひどい人混みの中、暗くなったプラネタリウムでそっと互いに指先を触れ合わせ手を繋ぐ。
 この時の気持ちは、幼い時のただ嬉しくて楽しいのとは明らかに違い、なんとも甘く切ないような気持ちになる。
 そんな気持ちを味わっているのは、自分だけなのだろうか。
 キラは昔と変わらないアスランの一面を見つけて喜ぶ。
 二人の関係は6年のブランクを感じさせないほど自然で心地よい。
 そう昔のままに。
 別れた時は中学に上がる前の春休みだ。
 本当に幼かったと思う。
 だけど自分はキラに対して、幼いながらも確かに恋心を抱いていた。
 泣き出しそうなキラを宥めて、小鳥を渡して『迎えに行くよ』と伝えて。
 キラは頷いてくれた。
 しかし、幼い頃らずっと一緒にいた幼馴染との別れが悲しいのは特別な感情じゃない。
 果たしてあの時のキラの気持ちはどうだったのか……。
 離れている6年間に、アスランの恋心は見事なまでに成長していた。
 キラは?
 そのてん甚だアスランには疑問なのだ。
 二人で過す時間は幸せで心地よいのは、昔から全然変わらない。
 だからつい、アスランもこの状況に甘んじてしまう。
 何かを変えたいと思うなら、行動を起こさないとこの関係は変わらない。
 だけど……この関係を壊してしまうには勇気がいる。
 でも自分が本当に望んでいるものを得るにはその勇気が必要だ。
 でなければ、この幸せで心地よい時間もいつか破綻する。
 このままずーっとキラとの関係が仲良しの幼馴染だなんて、耐えられるわけがないのだから。
 アスランは秀麗な顔の眉間に深い縦皺を刻んだ。
 これはどんな複雑な理工学の課題よりも難解だ。

「アースーラーン。何、難しい顔してるの?」
 申し訳程度のノックの後、ドアを開けたキラが噴出した。
「キラ…」
「はい。お弁当」
 キラがアスランの机の上に、お弁当の包みを置いた。
「いつもありがとう。おばさんに宜しく伝えてくれ」
「どうせ僕の作るののついでだし、気にしないで」
 キラはにこっと笑った。
「じゃまた後でね」
 キラはお弁当を届け終えると、学生仲間の待つ学食に向かう為アスランの研究室を後にした。
 アスランはその後ろ姿を目を細め見送った。




 着任してややしばらくたち大学にも慣れてきた頃、アスランはある試みを実行に移したことがある。
 学食はなにも学生だけのものじゃないはずだ。
 自分もキラと一緒に、学食で昼食を取ってもいいじゃないかと思ったのだ。
 キラは親しい友人達にはアスランが幼馴染であることを伝えているようだった。
 じゃないと専攻の違う准教授の研究室に度々訪れる理由を説明できなかったのだろう。
 だから自分もキラの幼馴染として、何気に彼らの輪に加えてもらおうと……。
 だけどアスランの目論見は完膚なきまでに打ち砕かれた。
 学食に行き、ランチのトレイを持ってキラの姿を探していると
『ザラ准教授!』
『アスラン先生も学食使うんですか!?』
『ご一緒させてくださーい』
 ぇ?…あ…いや……と、アスランが困惑している間に、女子大生はアスランを取り囲み、空いてる席に拉致してしまった。
 アスランは茫然としつつ、視界の端にキラたちのグループを捉え、慌ててそちらに視線を向けた。
 キラはこちらの様子に驚いたように目を瞠り、それから少し怒ったような顔をして、ふぃと顔を背けられてしまった。
 アスラン的には大変不本意だ。
 なんでキラと隔てられたテーブルで、喧しい女子大生と一緒にランチを取らなくてはいけないのか。しかしここで彼女達を振り切って、キラのテーブルに行くのも憚られた。あまりにも露骨で大人気ない。
 だからアスランはこの時、この苦行にただひたすら耐えたのだ。
 その事件を切っ掛けに、アスランは学食での昼食を断念した。
 ちょうど自分の研究も忙しくなりはじめ、食事もおざなりになってきていた。
 固形かチューブの栄養補強食が昼食がわりだ。
 もともとそんなに食に拘る方でもなかったので、アスラン的には全然問題は無かったのだが。
『アスラン、痩せたんじゃない?』
 研究室を訪れて、その様子を目の当たりにしたキラは、そっとアスランの頬に手を添えて心配気に顔を曇らせた。
『ぇ…?』
 アスランは一瞬、瞬いてキラの顔を凝視した。
 ちょっと驚いたのだ。
 キラの触れ方に。
 いつもじゃれあう様に抱きついたり、体当りをしてきたり…そんな子供みたいなキラとのスキンシップには慣れていたけれど、労わる様にそっと頬をなぞるキラの指先に胸がざわついた。
 その指先を捕まえて口づけたい衝動をどうにか堪えて、アスランは微笑んだ。
『大丈夫だ。心配しなくても』
 だけどキラは何だか納得していない表情をしていた。
 その翌日だ。
 キラがお弁当を届けてくるようになったのは。
『お弁当って一つ作るのも二つ作るのも変わらないから』
 キラはそう言って戸惑うアスランにお弁当を押し付けた。
『母さんが世話焼きなのは知ってるでしょ?アスランだからなおのこと嬉しいみたい』
 キラの母親には小学生の頃、それはそれはお世話になった。
 しかし、社会人になった今、ここまでしてもらうのは流石に気が引けたのだ。
『親孝行だと思って受け取って』
 キラのちょこんと首を傾げて哀願するポーズが何だかとても可愛かったのと、誰の親孝行だよと可笑しくなって、アスランは素直に甘えることにした。
 それからキラは毎日、研究室にお弁当を届けてくれるのだ。





 アスランはキラが置いていったお弁当を手に取り、その傍らに置かれたファイルに気が付いた。
 どうやらキラがうっかり置き忘れて行った様だ。
 アスランはそのファイルを手に取ると、キラに返してやる為に学食に向かった。



 アスランの姿を見つけると、またもや女子大生が集まりだしたが、今度は上手にさばいてキラの元まで辿り着けた。
「キラ」
「アスラン?」
 キラは不思議そうにキョトンとしていた。
「忘れ物。はいファイル」
 アスランが差し出すと『あっ』という顔をして、照れ笑いを浮べて受け取った。
「ありがとう、アスラン」
「……キラ」
 アスランはキラのテーブルの上に置かれているトレイを見て、疑問を口にしようとした。
 しかしそれより先にキラが口を開いた。
「今日ね、どーしてもAランチが食べたかったの!だってデザートのプリンが絶品なんだよ」
 必死に訴えるキラの真剣な眼差しが可愛くて、アスランは笑いを噛み殺して頷いた。
「キラ、俺今日午後から外勤で戻らないから…弁当箱」
「明日でいいよ」
「……そうか?…分った。じゃすまない」
 アスランはそう言うとさり気無く、実は意図的にキラの髪をくしゃくしゃと撫ぜてからその場を離れた。
「アスランッ!」
 焦ったような、怒ったようなキラの声が背中に届いたけれど、アスランは満足げに微笑んで聞き流した。

 その日の外勤帰りに、アスランはヤマト宅に立ち寄った。
 綺麗に洗ったお弁当箱を返して、改めてお礼を伝えるために。
「いつもありがとうございます」
 玄関先でアスランが言うと、キラの母親は不思議そうに首を傾げた。アスランがお弁当箱を差し出すと目を丸くして、そしてくすくす笑い出した。
「お味はどうだったかしら?」
「はい。いつもとても美味しいです」
 アスランがお世辞抜きで笑顔を浮かべると、キラの母親はやっぱり可笑しそうに笑うので、アスランはちょっと困ってしまった。
「あの…キラは?」
「今日はバイトの日だから、もう少しで帰ってくるわよ」
「バイト……ですか?」
「大学生はお金が掛かるんですって。アスラン君も夕食一緒にどう?」
 キラの母親は弁当箱を受け取ると笑顔で言った。
「あ……いえ」
 それはあまりに図々しいのでは…とアスランが断ろうとした時。
「アスラン来てるのっ!?」
 と、勢い良く玄関のドアが開けられた。
「キラ、ただいまは?」
「ただいまっ…て、アスランどうしたの?玄関の前に車あってビックリした」
 キラは息を弾ませてアスランの顔を見上げた。
「お弁当箱を届けてくれたのよ」
 母親の一言に、キラは大きく目を見開いて口をぱくぱくさせた。
「か、母さんっ!?」
「はいはい」
 なにやら親子間で意味深なアイコンタクトが交わされて、キラは安堵の溜め息を吐いた。
 一体どんなやり取りなのか、アスランには皆目見当もつかないのだが。
 しかしキラは納得したようで、極上の笑顔で母親と同じことを口にした。
「アスランも一緒に夕食にしよう?」
 こうなると、アスランに断る術など残されていない。
 アスランはキラに手を引かれるままに頷いて、家に上がった。
 
 恋愛にとって幼馴染の関係と言うものは、嬉しくもあり難しいものだとつくづく思いながら。