お礼SS その1
「ひろき……いい子ね。……ちゃんと……だ……んなさま……や、おく……さまに……おつか……えするんで……すよ。……これ……からは、ひと……り……で………………」
「いや、お母さん……おかあ……さん…………」
にぎっていた手から力がなくなっていく。
お母さんは目を閉じて、小さく息を吐くと、そのまま…………。
風の行方 番外 −寛希10歳−
ひとりぼっちになっちゃった。
お父さんも、お母さんも、いなくなっちゃった。
ものすごく悲しいし、なみだだって止まらないけど……だけど、それ以上に、おれはこれからのことでいっぱいだった。
出て行かなくちゃいけないんだろうな、このお家から。
孤児院とかに行かなくちゃいけないんだろうな。
だって、おれにはもう親がいないんだから。
お母さんみたいには働けないから、このお家にいることだって出来ないんだ。
しかたがないんだ。
でも……お母さんのお葬式とか、どうすればいいんだろう。
ぼんやりと考える。
こんな時に、なんでこんな事考えてるんだろう、おれ。
お母さんが寝込んでから、覚悟してたからかな。
お医者さんにも見てもらえなくて、どんどん苦しそうになっていくお母さんを見てて…………。
しかたがないんだって。
そう、思うようにしてたから…………。
しかたがないんだ。全部。
お医者さんに行くにもお金がいるし、保険証がないと余計に高いってことも知ってる。
お金なんて、おれもお母さんもほとんど持ってない。
だから……。
しかたがないんだ。
使用人が、旦那様達に迷惑なんてかけちゃいけないから。
しかたがないんだ。
しかたないんだよ。
なのに……。
なのに、何でこんなにくやしいんだろう。
奥様がこんな冬の最中に庭のお池に指輪を落とさなかったら?
探すのをお母さんに命令しなかったら?
せめて、すぐにお風呂を使わせてくれていたら?
それから、部屋にストーブを置いていてくれたら?
そして、お医者さんを呼んでくれたら?
どれか一つでもゆるしてくれていたら、お母さんは死ななかったかもしれない。
でも、しかたないんだ。
おれ達は、使用人で、それも、行く当てもないおれ達に食事も、寝るところも下さっているんだから。
だから……しかたないんだ。
ねぇ、そうでしょう?
そうだって、言ってよ……お母さん!!
お母さん…………。
「寛希、ねぇ、寛希……」
たくさん泣いて、泣いて、どうしようもなくなってたおれのほっぺたに、やさしい手がさわる。
「寛希、ごめんなさい……」
「…………何で、郁弥様があやまるんですか……」
おれをぎゅっとしてくれながら、きれいな顔がなみだでぐちゃぐちゃになっている。
お母さんが死んだって聞いて、無理に病院から戻ってきてくれたんだ。
郁弥様は、悪いことなんて何もしてない。
「だって、お継母様が……あなたのお母様を……」
「しかたないんです。だれのせいでもないんだ」
「どうして…………」
「しかたないんだ」
郁弥様は泣いてくれていた。
おれには、それだけで十分だった。
だって、郁弥様は関係ない。
「兄さん、寛希…………」
泣きくずれてしまった郁弥様の後ろには、昭隆様が立っていた。
昭隆様も泣いてる。
「沙希おばさん…………亡くなったって……」
二人とも、お母さんのこと、とても好きでいてくれてたんだ。
「ごめんなさい。……ごめんなさい、寛希……」
昭隆様はがっくりと下に膝を付いて、頭を床にすりつけた。
「昭隆様…………」
「ごめんなさい。ごめんなさい……ごめんなさい……」
床のじゅうたんになみだが落ちて、シミになってる。
「…………しかたがなかったんです。……ねぇ………………そうでしょう?」
昭隆様の肩をつかむ。
ごめんなさいなんて、聞きたくない。
それも、昭隆様からなんて!!
「しかたがなかったんです。しかたのないことだったんです」
あやまられたってお母さんは帰ってこない。
昭隆様はつらそうに顔をふせた。
それが余計に気に入らない。
「しかたがないんです。そうでしょう? だから、あやまったりしないで!!」
つかんでいた肩を思わず強く押す。
昭隆様は、そのままよろけて、しりもちをついた。
「寛希」
思わず大きな声になってしまったおれに、郁弥様は抱き付いた。
「……寛希。そう…………仕方のないことだったのです。だから……貴方も…………苦しまないで……」
…………郁弥様は、ちゃんと分かってくれていた。
おれは、また、声を上げてないた。
抱き合うおれ達をまとめて、またさらに抱きしめられる。
大きなうで。
旦那様だ……。
旦那様も、お仕事から急いで帰ってきてくださったんだ。
今日は帰っていらっしゃらないって言ってたのに。
「旦那様…………今まで……ありがとうございました……」
もう、郁弥様ともさよならなんだな……。
「……他人行儀を言うな」
「お父様、寛希は……ずっとここにいていいんでしょう?」
郁弥様がすがるように旦那様に尋ねる。
そんなこと……駄目に決まってるのに。
「当たり前だ。何を馬鹿なことを」
「え?」
聞きまちがいかな。
耳をうたがう。
「……寛希、お前まで……ここを出て、何処に行く気だ」
「孤児院に……」
ほかにどこに行けると言うんだろう。
「馬鹿を言うな。お前をそんなところに入れたのでは、伸寛にも沙希にも申し訳が立たん」
お父さんにも、お母さんにも…………?
「沙希のことは済まなかった。初恵をもう少し真面な女だと思っていたが……」
「いいえ……」
旦那様はとてもお忙しい方で、ほとんどお家には帰っていらっしゃらないんだから、だから、しかたないんだ。
「お前はもう、うちの子だ、寛希。行く行くは、郁弥や昭隆を助けて櫻本を盛り立てるのだぞ」
「そんな……」
「それが沙希へのせめてもの償いだ」
おひげの生えた顔を擦りよせられる。
くすぐったい。
「沙希の葬儀を任せてくれるな?」
「はい。お願いします」
とても頼もしい。
お父さんがいたら、こんな感じだったんだろうな。
「郁弥、昭隆、寛希の慰めになるようにな」
「はい」
「…………はい」
郁弥様ははっきりと、昭隆様はまだうつむき加減にお返事される。
そして、旦那様は顔に白い布をかけられて寝ているお母さんの方に歩いていった。
「寛希、貴方は、まだひとりぼっちではありませんよ」
郁弥様がおれの手を取って、真剣に言う。
「わたくしに貴方やお父様や昭隆がいるように、貴方にはわたくしも、お父様も昭隆もいるのです。ねぇ、昭隆、そうでしょう?」
「……そうです。寛希……あなたの、お母様の代わりには、なれないかもしれないけれど、だけど、ぼく……僕も兄さんも、貴方の家族です。ひとりじゃない…………」
おれより、昭隆様の方がよほど泣いていらっしゃる。
「ひとりじゃない……」
「昭隆、いい加減になさい。貴方がそれ程泣いては、寛希が困ります」
「だって……沙希おばさん、本当に……いい人で、きれいで、やさしくて…………大好きだったんだもん…………」
「…………わたくしだって……いいえ、みんなそう思っていました。本当のお母様みたいに思って…………でも、わたくしは、泣くのは我慢します。おば様は、本当に……明るくて、楽しいのがお好きだったのですから……」
そう言いながらも郁弥様の目からだって、なみだがこぼれ続けている。
まだ、おれは、ひとりじゃなかった。
ここにいていいんだ。
まだ、郁弥様のお側にいていいんだ。
お母さんと二人で過ごしたここに……いていいんだ……。
「寛希……わたくし達の側に、いて下さいますでしょう?」
「……勿論……」
ほかのどこにも、居場所なんてない。
はっきりと頷くと、郁弥様は泣き顔のまま笑ってくださった。
この笑顔のために……そのためだけに、おれは生きていける。
「ありがとうございます……」
「貴方までいなくなったら……わたくしは生きていけない。だから……ずっと、側に……約束してください」
「……はい」
まだ大切にしたいものがあった。
お母さん、見ていて下さい。
おれは……櫻本の為に…………郁弥様のために、それから、お父さんと、お母さんのために、ちゃんと…………。
終
作 水鏡透瀏